おまけ2.奥手な天狗は控えめな娘を口説けない
※時雨出産前のおまけ話です。
【リューディア】
ノワに食べられてからひと月。わたくしもようやく、鬼としての生活に慣れてきた。洞穴での暮らしも勝手が分かってきたのだけれど、最近、ノワが家でも建てるかネとか言っている。天狗のお爺様から頂いたご祝儀の家具や着物が、洞穴をとても圧迫しているからだ。全く、困ったお爺様だわ。
「き、聞いておるのか、おりゅう!」
目の前の風雅が、どすんと床を叩いた。あらいけない。お茶が零れてしまいますわ。
「ええ、ええ。聞いておりますわよ」
「アーうるッせェなァ、人ン家でヨ」
わたくしの膝を枕にして昼寝を決め込んでいたノワが、ごろんと風雅の方を向いた。けれど、起き上がる気はないらしい。風雅はぶるぶると頭を振って両手を床についた。
「あれから毎日毎日、長がワシに催促してくるのだ。お、お、お絹とワシは、たっ、ただの友人であるというに……!」
あらあら、お爺様ったら。というか、往生際が悪すぎですわ、風雅。
「風雅はお絹さんを嫌いというわけではないのでしょう?」
「きっ、嫌ってなどおらぬ!」
「ならお話は簡単ではありませんか。お絹さんを誘って、峠の茶屋になど赴いてみてはいかがです?」
「んなっ!?」
真っ赤になって硬直する風雅に、わたくしはにっこりと笑う。何だか膝の上のノワがもぞもぞ動いてらっしゃるけど、無視だ。
「きちんと関係を進めておりますと示せれば、お爺様も納得なさるのではなくて?」
「むっ……」
お腹が温かい。と思ったら、膝の上のノワは、風雅の方からまたわたくしのお腹の方へ向き直ったようだ。腰に腕を引っ掛けて、わたくしのお腹に顔を埋めている。今日は出かける予定も無かったから細い帯にしていたのだけれど、ノワの息がくすぐったいですわ。
「し、し、し、しかし、茶屋と言っても、どう誘えば……?」
「美味しいお団子を一緒に食べにいかないか、とでもおっしゃればよろしいでしょう」
「さ、誘ったとて、何を話せば……!?」
「それはその場その場で、臨機応変にお話しするしかありませんわ。わたくしはもう幽霊ではございませんし首ももげませんから、こっそり助言などできませんのよ。風雅のお話したいことや、お絹さんのご興味を引くこと、日々の細々したことなど、色々ございますでしょう?」
「うぐぐ……!」
わたくしは、にっこりと微笑んで風雅に言う。
「さ、いってらっしゃいまし」
これ以上は無駄と分かったのか、少し粘ったものの、風雅はとぼとぼと我が家を出ていった。御機嫌ようと見送ってしばらくしたら、ノワがのっそりと起き上がる。全くもう、素直じゃないのだから。
ノワはわたくしの方を見ないで、後ろ頭を掻きながら戸へ向かった。どちらへ、と尋ねると、ウウンともアアともつかない声で返事をする。
「……一寸、出かけてこようかネ」
「お土産はお団子がいいですわ」
わたくしの言葉に、ノワが振り向いた。勿論、にっこりと笑顔を返す。ノワはばつが悪そうにわたくしから視線を逸らして、唇を尖らせた。
「野郎、きちんと追っ払ッてやらねェとヨ。まァたその辺で道草を食んでィやがるぜ」
「あらまあ、風雅のところへ行かれますのね?」
素知らぬ顔で言えば、ノワはお口をへの字にする。ふふふ、拗ねてしまったかしら。わたくしも立ち上がって、箪笥の置いてある奥の部屋へ向かった。
「冗句ですわ。少々お待ちくださいな、あなた」
「……オウ」
あらあら、わたくしの亭主はまだご機嫌斜めですわね。風雅の手助けがしたいなら、彼がここを訪ねてきた時からきちんと相手をすればよろしいものを。全く仕様のない方。……ふふ、そんなところも可愛いのですけれど。
手早く小袖を纏って、戸に背を預けて不貞腐れたようにそっぽを向いているノワの元へ歩み寄る。ちょん、とノワの袖を引くと、彼は拗ねてますとばかりに細くした目でわたくしを見下ろす。
手を繋いで指先を絡めて彼の腕を抱くと、ノワの顔を見上げた。小首を傾げて微笑む。ノワは咳払いをして、行くヨ、と前を向いた。まさか生前にお母様から習った、恋しい男性の前でとるべき淑女の作法がこんなところで役に立つだなんて、思いもよりませんでしたわ。
お絹さんの村までをノワと歩く。けれどその道のりに、風雅の姿は無かった。
「奴サン、まさかたァ思うが、帰ッちゃいないかネ」
ノワの言葉に、そんなことありませんわと首を振れない。もしかしたら怖気づいて帰ってしまったかもと、わたくしも思ってしまったからだ。
とりあえずお絹さんのところへ行ってみて、それでもいなかったら山を登りましょうとノワと話し合っていたら、ぐいっと手を引かれる。
「ひゃっ、んぐ!?」
声をあげようとしたら、何かに口を塞がれた。驚いて見上げると、すぐそばにいるノワが目を細めて笑む。
「しぃー。オイ、あれェ見てみな」
わたくしの口元を塞いでいるのは、ノワの大きな手だった。ノワが顎で示す方向に目を向けると、そこには……、あら!
風雅がしきりに頭を掻きながら、お絹さんとお話している姿があった。
あらあら!あらあらあらあら!風雅ったら、ようやくご自身で動き出しましたのね!ああ、よかった!ここからでは声が聞こえないけれど、お絹さんも頷いてらっしゃるようだし、きっと上手くいったに違いないわ!
「ン、……ウーン、アリャ、……まァ、千里の道も一歩から、かネ」
苦笑いを浮かべるノワに、わたくしは首を傾げる。
「もご、もごご?(ノワ、聞こえるのですか?)」
「口の動きでナ。……茶を飲みには出かけられなかったが、ホレ」
視線を向けると、あわあわした風雅がお絹さんに招かれて家の中へ入っていくところだった。あらら?何故、お家に招かれているのかしら?
「茶を飲みに、までは伝わったんだろうヨ。行こうッてんじゃアなくて、来たッてェ誤解されたようだが」
ノワの手が口元から離れる。わたくしはお絹さんの家と、ノワの顔を見比べた。
「ふ……二人が仲良くなれれば、まあ、よろしいのでしょう、か?」
ノワはわたくしの手を引いて、お絹さんの家とは逆方向へ歩き出す。洞穴へ戻る道でもなかった。
「ま、俺らが焦ったところで仕様がないさネ。あのお気楽天狗が逃げそうになった時にゃア、尻を蹴り飛ばすぐらいで丁度いいのサ」
わたくしはノワに手を引かれて歩き出しながら、彼の顔を見上げる。
「あの、どちらへ?」
尋ねたわたくしに、ノワはにんまりと笑った。何だか楽しそうだ。
「俺ァ、可愛い可愛い女房に土産を頼まれてンのさ」
あ、と声をあげたわたくしに、ノワはおかしそうに喉を鳴らす。出かける前に言った、わたくしの軽口への仕返しですわね。んもう、意地悪なんだから。
「あいつらァ行かねェんだ。俺らで団子を摘まみに行ってやろうヨ」
「わたくし、お腹いっぱいお団子を頂く事にいたしますわ」
頬を膨らませながらノワの腕に抱き着くと、彼は仕様がないネと微笑んだ。こんな時ばかり優しい。この人は鬼は鬼でも、天邪鬼というものなのだろう。
「風雅ったら、明日もいらっしゃるのかしら」
「いっそ、先にお絹サンを招いておこうかネ。手間ァ省けるだろ」
「あら。じゃあお絹さんの為にお茶請けを用意しておかないとですわ」
「ヤレヤレ。あれが祝言をあげるまで、世話が焼けそうだねェ」
くすくすと笑い合いながら、わたくしたちは茶屋へ向かってのんびりと歩く。よく晴れた空は、澄んだ青い色をしていた。
◆◇◆◇◆◇
【風雅】
何故かお絹の家に招かれて、ワシはお絹とお絹の母と共に茶を飲んでいる。茶屋に誘うはずが、どうしてこうなったのだ?
「う、美味い、茶だな」
沈黙に耐えられずにどうにかこうにか出たのは、何とも情けのない一言だった。しかし、向かいのお絹は照れたように頬を染める。可愛らしい微笑みに、ワシは全身に力が入るのが分かった。
「お、おら、……えへへ……」
「はあよかったねぇお絹。天狗様にお入れするんだってねぇ、張り切ってたもんなあ」
「お、おっかあ!」
照れて笑っていたお絹が、母の肩を揺する。ワシはどう言ってやればいいか、というかどんな顔をすればいいか、むしろここで褒めるべきなのかどうなのか、気の利いた言葉の一つもかけてやろうにも何を言えばいいか、ああ訳が分からなくなってきた。
「う、美味い、うむ、美味いぞ、お絹」
「そっ、そったら、褒められると、お、おら、……えへへ……」
耳まで赤くしたお絹は、華奢な両手で口元を隠す。……かっ……!
「…………」
「…………」
「ほんに今日はあったけぇ日よりだんべなぁ」
ちらちらと目を合わせて、逸らして、合わせて、逸らして、とお絹と繰り返していたら、お絹の母がのほほんと笑う。
こ、このままではいかん。何か、何か話題を……!
「そ、その、ええと、お、お絹、ちゃ……茶……、うむ」
「へ、へえ……」
頬を染めたお絹に、ワシはもぞもぞと呟いた。
「ま、ま、また、茶を……飲みに、来てもよいか?」
ワシの言葉にお絹は目を大きくすると、花開くように笑う。思わず、口を開けて見惚れてしまった。
「いっ、いつでも!お、おら、風雅様んことずっとお待ちしてっ……あ!あ、あっ、ええと、……そのっ……」
じっと見ているワシに気付いたのか、お絹がもじもじと指を絡めながら俯いてしまう。ワシは慌てて言葉を探した。
「う、うむ、おう、く、来るでな、ああ、うむ、うむ」
今度は、団子でも携えてから来ることにしよう。おりゅうと野分を連れて団子屋へ行けばいい。おなごの好むものも、おりゅうならば分かるだろう。お絹も喜んでくれるに違いない。
ワシは内心でそう決めながら、万事解決だとお絹の茶を啜るのだった。
翌日、まさか野分の洞穴でお絹に出くわすとは、露とも思いもせんで……。
お読みいただきありがとうございました。




