15.おとぎばなし
【野分】
おりゅうを娶って幾日か。最初は洞穴が崩れるんじゃアねェかって怖がってたおりゅうも、すっかり慣れてくつろいでいる。俺と交わったからか、それとも腹ァ括ったからか、霊魂だった時分よりも図太くなったようだ。それもまた可愛らしいがナ。
「風雅!何度もお話しておりますでしょう?!ここをお絹さんからの逃げ場にしないでくださいまし!」
鬼として生まれ変わったおりゅうは、以前よりもこちらの言葉が達者になった。
「ノワからも言ってやってくださいましな!」
俺のことも野分と呼べるようになっちゃアいるが、このままでいい。お前サンだけはノワと呼んどくれと伝えると、おりゅうは恥じらって白いうなじを赤く染めていた。あのひらひらした着物もよかったが、髪を結っているおりゅうもまた別嬪だ。
「ノワ!聞いてらっしゃるの!?」
おっといけねェ。お気楽天狗のとばっちりを食っちまう。
「アア、聞いてるヨ。お絹サンのおっかさんの件もある、天狗と一緒に山鯨でもふん縛ってあちらに行こうかネ」
「まあ!素敵な考えですわ!」
手を合わせておりゅうが笑う。風雅はこの世の終わりとでも言わんばかりに、がっくりと肩を落としていやがった。ざまァみやがれってんだ。
そも、俺とおりゅうは所帯を持ったばかりだってのに、そうホイホイ顔を出してくるんじゃねェよ。おりゅうとのことは感謝しちゃアいるが、それとこれとは話が別ッてモンだ。
「お絹さんには、お母様が本調子になられたら遊びにいらしてとはお声がけしているのですけれど……」
「あそこにゃ男手がねェからナ、忙しかろうよ。どこぞの天狗サマが婿入りしてくれりゃア、安泰なのにヨ」
天狗の爺様も、嫁を取ろうが婿に入ろうがもうどちらでもいいと嘆いてたからなァ。風雅は苦虫を噛み潰したような顔で呻いてやがる。邪魔臭ェから尻を蹴ッ飛ばしておいた。
ぐずる風雅を蹴って転がしながら洞穴を出る。おりゅうが俺らの後をぱたぱたとついてきた。アア、そんなに慌てて転んじまいやしないかネ。
「……お主はいい亭主だなあ」
「腸ァ打ちまけられたいかイ?」
風雅はかんらかんらと笑いながら立ち上がる。俺は風雅の尻を蹴飛ばしながら、隣に来たおりゅうの手をとった。おりゅうは素直に俺の腕に掴まる。塗り下駄を履かせちゃアいるんだが、まだ慣れねェようだ。
「そのうち御爺が祝儀を山ほど持つと言うておったぞ。ただでさえ、お主の洞穴は酒樽で手狭じゃないか」
「ハアコリャ、住処も新しくしないとかネ。奥の方は住処にするにゃア脆いから、いっそ御殿でも建てようか」
そりゃあいい、と風雅が更に笑った。オイ、住み着く気じゃアねェだろうな?このお気楽天狗、早いとこお絹と所帯を持たせた方がよさそうだ。
視線を前にやる。あの日の光景が、ふうわりと脳裏に過ぎった。
俺に喰われることを選んでくれたおりゅうは、俺の半身となって生まれ変わった。……まさか、素っ裸でとは思わなんだがナ。
血の透けるような白い肌に金色の髪。触れることの叶わなかったそれは、息を飲むほどにやわらかく、そして温かかった。我に返って、慌てて俺の羽織を引っ掛ける。まじまじと見ちまったら別の衝動が沸きそうで、成る丈見ねェようにしながら袖を通させた。どうにかこうにか着せてやって、俺は長く息を吐く。
気が付いたおりゅうは、一角の鬼になっていた。思わず抱いて、アアと気付く。
俺を狂わせていた飢えは、綺麗サッパリ消えていた。これほどまでに満ちた事があるだろうかと考えて、嗤う。
あるわきゃアねェ。俺は何もかんも放り出して逃げて、隠れてやり過ごして今日まで生きてきた。満ちるハズもありゃしねェ。
白い柔肌を抱いて貪って、俺は何にも勝る充足を堪能した。
「風雅はお絹さんのことがお嫌いなのですか?」
隣を歩くおりゅうの言葉に意識を戻す。お気楽天狗はおりゅうの質問に目を白黒させていやがった。
「そも、お絹サンはこの唐変木を憎からず思ってるようじゃアねェか」
俺が見ている限りじゃア、お絹は風雅を拒む様子はない。それどころか天狗相手に頬なんて染めちまってヨ、ありゃ脈があると思うがネ。
「ええ、そうなんです。お絹さんはご自身の思いを恐れ多いからと閉じ込めてしまいがちなので……、風雅!あ・な・た・が!しっかりしなくてどうするのです!」
「ワシには無理だ、無理!そりゃあ、お絹は愛いが……、無理なもんは無理だ!ワシは一生独り身でいい!」
駄目だコリャ。アーアー、おりゅうも白い目で見てやがる。情けないッたらないねェ。天狗の爺様の嘆き声が聞こえてくるようだヨ。
「別にすぐにすぐお絹サンを口説けたァ言っちゃおらんだろうが。拒絶だけはしてやるなってんだヨ」
「……お主がそれを言うか……?」
「ハテ、聞こえんねェ?」
恨みがましい風雅の視線をやり過ごして、俺は藪の先を見る。それからおりゅうに目をやると、おりゅうは分かったと頷いて俺から離れた。
「先に行っててくんな。おりゅう、唐変木をしっかと届けてやるんだぜ」
「ええ、任せて下さいまし。ノワ、お気をつけて」
おりゅうの声に頷いて、俺は猪の臭いがする方へ歩を進める。
風雅も余裕で狩れるが、まァいいさ。でっかい借りがあるからなァ。暫くァ、一つ森の偏屈鬼が手助けしてやるヨ。
俺は背中で聞こえるおりゅうと風雅のやかましい喧嘩声に苦笑いを浮かべて、空を仰ぐのだった。
◆◇◆◇◆◇
【────】
むかしむかし、あるところに一匹の鬼が暮らしておりました。鬼はとても変わり者で、酒を食らっては獣を狩り、毎日毎日のんべんだらりと過ごしておりました。
鬼には友人がいました。一つ森を束ねる風の天狗です。気紛れに鬼を訪ねては共に酒を喰らい、共に気紛れな日々を送りました。
ある日、天狗は言います。ヤレ、珍しいもんを見つけたぞ。こりゃあ天女の化身じゃあ。お主も見てみるといい。鬼は早速、天女を見に行きました。
金色の天女は見目麗しく、しかし鬼と天狗にも恐れることもなく、にこにことしております。鬼は一目で天女に恋をしました。
しかし恋を知らない鬼は怖がって、洞穴に引っ込んでしまいました。呼んでも呼んでも鬼は穴から出てきません。天狗はほとほと困り果てます。何故なら天女もまた、鬼に恋をしてしまっていたからです。
困った天狗は、大きな大きな葉を揺らします。天狗の起こした風は、空に浮かぶ天女をびゅんと吹き飛ばし、鬼の籠る洞穴をどかんと壊しました。
天狗の風に吹かれた天女は、流れ星のように空を駆けます。洞穴から追い出された鬼は、空を流れる天女を見つけました。
ヤア、彼方へ飛ばされちゃあ敵わない。鬼は必死で天女を掴みます。天女も無我夢中で鬼にしがみつきました。
風が止む頃、飛ばされまいと抱き合っていた鬼と天女は一つに合わさっておりました。天狗が言います。お主たちは二人で一つ、今日よりその身を分かち合って生きるがいい。
こうして、体を分け合った鬼と天女はもう決して離れないと、末永く仲睦まじく暮らすのでした。
めでたし、めでたし。
「……ちィと強引が過ぎねェかい?」
「がはは!お伽噺なんぞ、こんなもんよ」
「御爺、ワシはおりゅうを吹き飛ばしてなどおりませんぞ」
「もう、静かにしてくださいまし!せっかく寝付いたのに、起きてしまいますわ」
「お、おりゅう様も、しぃーっ!」
鬼と天狗と悪役令嬢と村娘は、こそこそと肩を寄せ合う。紅葉のような手が、ふんわりと開いて閉じた。すうすうと穏やかな寝息に、誰ともなく息を吐く。
これは、一つ森に伝わるむかしむかしのお伽噺。
鬼と、天狗と、異国の幽霊と、村娘の、少し不思議な恋の物語。
おしまい。
お読みいただきありがとうございました。




