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10.隠れ鬼

【リューディア】


『ただ少し臆病な天狗が、勇気を出して人と関わりを持ったと申し上げましたら、おキヌさんはどう思われますか?』


「おら、……おらは、どうしたらいいんだべ……」


 とても困ったように、おキヌさんが呟いた。


「おら、天狗様の優しさに付け込んで、とんでもねえこと願っちまったあ。おら、何も返せるもんがねえよう」


 顔を覆ってしまったおキヌさんにわたくしは慌てて手を伸ばす。けれど、彼女に触れることは出来ない。どうしよう、フーガは単に臆病であることが間違って伝わってしまったかもしれない。


『違う、違うの、おキヌさん、貴女を責めるつもりは微塵もございませんわ。ああどうか泣かないで』


「けどよおりゅう様、おら天狗様に願っちまった。天狗様はおっかあを助けてくれたよう。臆病の天狗様なら、おらたち人間に手ぇ貸すのが嫌だったろうに、あああ、おら、なんてことを……」


 ごんごんと戸が叩かれる。わたくしはその音に振り向いた。


「もし、……あー、その、お絹、おらんか?」


 ふ、フーガ!おキヌさんも、彼の声にパッと顔を上げる。わたくしがフーガに声をかけるよりもずっと早く、おキヌさんは立ち上がって戸に駆けた。

 壊れてしまうのではないかと心配するくらいの勢いで戸を開けると、フーガが目を丸くして立っている。おキヌさんは、そのまま平伏して地面に額を擦り付けた。


「ん!?お、お絹!?」


「天狗様!申し訳ねえ!おら、天狗様に酷えことを……!」


「な、ん……!?」


『ちょ、ちょっとお待ちくださいまし!おキヌさんも、お顔を上げて!』


「おっ……、こ、っ……」


 おりゅうここにおったか、とでも言いたそうなフーガはとりあえず放っておく。わたくしはおキヌさんにもう一度、お顔を上げてとお願いした。おキヌさんは恐る恐る顔を上げる。おキヌさんは目を真っ赤にしてわたくしを見ていた。


『ごめんなさいね、おキヌさん。わたくしの伝え方が曖昧過ぎましたわ』


「おりゅう様……?」


 涙の粒に指先を当てて、そっと手のひらでおキヌさんの頬を包む。体温も感触もないけれど、わたくしがそうしたいと思った。


『こちらの天狗様は臆病ではございますが、人との関わりが欲しいと思っておいでなのです』


「えっ」


『そうですわよね?フーガ?』


 おキヌさんには見えぬよう、フーガに視線で釘をさす。フーガはもにゃもにゃと口の中で何かを言っていたが、わたくしに気圧されたように頷いた。


「う、うむ、そう、さな」


『生贄は求めませんが、もしおキヌさんがお嫌でなければ、フーガとご友人になってはいただけませんか?』


 ええっ、と驚く声が二つ聞こえる。もう!察してくださいまし、フーガ!


 ちょいちょいと手招きするフーガに浮きながら近付くと、どういうことだと小さな声で聞かれた。


『お嫁さんを貰う貰わない以前に、フーガが変わったほうがいいと申し上げたでしょう。そもそも、女性とまともな会話もできないのにお嫁さんなど貰えませんわ』


「いやだからといってだな……」


『ここはおキヌさんにご友人になって頂いて、女性との接し方のお勉強をするのです。そうすれば、お相手にも困らなくなるでしょう?』


 わたくしの言葉に、ぐぬぬとフーガが呻く。わたくしは唖然としているおキヌさんに視線を向けた。


『いかがでしょう、おキヌさん。お友達にはなっていただけませんか?』


「お、おらは、天狗様が、お許しになるなら……」


 おキヌさんは遠慮がちに頷く。わたくしはすぐさまフーガの方を向いた。フーガは了承されると思っていなかったのか、あわあわとわたくしとおキヌさんを見比べている。もう、仕方のない方ですわね!


『フーガ!まずは自己紹介ですわ!ほら、ぼうっとしてらっしゃらないで!』


「お、う、そ、その、……ワシ、天狗の、風雅」


 ……威厳もへったくれもありませんわね。


「お、おら、絹だ」


 つられておキヌさんまでカタコトになってしまっておりますわ。先が思いやられるような、いっそお似合いのような。


「う、いやいや、そもそもだ、おりゅう!お主、何故(なにゆえ)にお絹に見えておるのだ?!」


『それはわたくしにも分かりませんわ。わたくしの与り知らぬところで急に見えるようになって、おキヌさんとお母様のお食事の邪魔をしてしまいましたの』


 おらも驚いたとお絹さんが続く。風雅がわたくしたちの話を聞いて、ううんと首を傾けた。フーガにも分からないようだ。


 それから、フーガとおキヌさんの視線が混じる。ほんの一瞬だけだった。二人して、弾かれるように俯いてしまう。おキヌさんは可愛らしいからよいのです。けれどフーガ、貴方はいけませんわ。

 いずれは慣れていただけるのでしょうか。故郷を追われてしまう前に、……そしてわたくしが悪霊となってしまう前に、どうにかフーガと共に歩んで頂ける女性が現れればいいのですが。


 わたくしはしばらくの間、フーガとおキヌさんを眺めていた。勿論、二人のお邪魔をしないように少し離れている。ちらちらとわたくしに助けの視線を求めてくるフーガに、拳を握ってみせた。頑張ってくださいまし、フーガ!


「そ、……あー、……う、む、……お、お絹、母の様子は、どうだ?」


 ぎゅぎゅーっとフーガを絞ってようやく滲み出てきたかのような話題ですわね。おキヌさんは、フーガの言葉にこくこくと頷いた。


「へえ。て、天狗様の……」


『友人なのですから、フーガとお呼びしてさしあげて』


 素早くおキヌさんに近付いて、こっそり耳打ちする。ひえ、とおキヌさんが可愛らしい声を上げた。わたくしはまた、邪魔をしないように距離を取る。


「ふ、ふ、風雅様の、お陰で、おっかあ、たんと食べて、へえ、ええ」


「そ、そうか。ちょ、重畳(ちょうじょう)、重畳」


 頷き合う二人が微笑ましくて、わたくしは小さく笑む。あまりわたくしが見ていても緊張させてしまうかしら。宿場町を経由して行けばフーガのお家には帰れるでしょう。迷ったとて危険のない身ですし、ふふふ、ここはお若い二人に任せて、というところですわ。


『ではわたくしは失礼いたしますわね。お二人とも、どうぞごゆっく……』


「お、おい!待て!おりゅう、待て待て!」


 ごゆっくりと言わせてもらえず、フーガに引き止められてしまった。わたくしは宙で動きを止める。首を傾げると、フーガが手招きした。逆らうものでもなし、わたくしはフーガに近付く。


『如何なさいましたの?』


「ああ、うむ、そのだな……野分(のわき)のことについて、なのだが」


『!』


 ひゅ、と喉が鳴った。息が詰まる。見ないようにして、蓋をして、そうして保っていた感情が花開くように溢れてきた。


 切れ長の目をもっと細めて笑う彼の顔が、脳裏に焼き付いている。意地悪をしてくるのに、何故あの人はあんなにも優しく笑ってくださるの。もっとぞんざいに扱われていれば、わたくしもただ、ふわふわ浮いて笑っていられたのに。


 ああ、駄目。悪者にされて首を落とされて、次は悪霊になって疎まれたくはない。せめてわたくしの生に意味を。臆病な天狗の背を押した異国の幽霊がいたと、それはわたくしの最後の矜持だ。


『あのお方のお話はやめてくださいまし。わたくしは、悪霊になどなりたくはございませんわ』


 ふわりと宙に浮かんだ。この時ばかりは幽霊でよかったと思ったけれど、そもそもわたくしが幽霊でなければこのような想いは抱かなかったのだ。


「おりゅう!」


『フーガ、わたくしを祓ってくださるのでしたら、そうおっしゃって』


 願いを込めて、フーガを見る。けれどフーガは、力強く首を振った。……首を、振ったのだ。


「馬鹿を言うでない!ワシはお主を祓わんぞ!」


『……フーガ、きちんと喋れるではございませんか。その調子でおキヌさんと仲良くなってくださいまし』


「待ておりゅう!おりゅうっ……!」


 祓うと貴方が決心してくださるまで。もしくは、わたくしの心からあの方の笑顔が消えるまでは……。


 わたくしは、フーガの声を背に、ふわりと空を泳ぐのだった。

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