1.リューディア・レ・アラルースアですわ
【風雅】
『ああ、なんてザマでしょう!全くお話になりませんわ!デビュタント前の子供だってもう少しマシですわよ!貴方、本気でやってらして?!』
ワシ、何で幽霊に説教されてるんだろう。
どこそこの国のなにがし公爵の令嬢だという目の前の少女……リューなんたら・うんたらほんにゃらは、数日前にいきなりワシの前に現れた幽霊だ。ついにワシの頭がイカレたかと思ったが、幽霊はワシ一人の妄想と思えぬほどに様々なことを語った。
幽霊曰く、リューなんたらはどこそこの国のそれはそれはお偉い家の生まれらしい。武家の娘かと問うたが、リューなんたらには武家というものが通じていないようだった。
国の王の何番目かの子供と結婚が決まっていたと言っているが、それにしては随分と若い様に見える。その国では当然のことですの、と少女は笑った。偉い家の娘は、偉い家の息子と縁を結んで国を支えるのだと。やはり武家のようなものなのだろう。
『わたくし、負けましたの』
リューはワシに身の上を語った。第二王子とやらの婚約者として教育を受けていたが、貴族の子女とやらが通う寺子屋でその婚約者を政敵の令嬢に寝取られたという。
リューの年齢からすれば、子供同士の痴話喧嘩で済みそうなものを、まるで大人のように振舞う少女だ。
『婚約者の……、王子の暗殺を内心で企てていた、見せかけだけのなんて醜い令嬢かと罵られましたわ。そんな覚えなどございませんでしたから、証拠も出るはずがない……のでしたけれどね』
次々挙げられる、王子暗殺の証拠。リューの与り知らぬところで、要人の暗殺を企てる悪の令嬢の像が出来上がっていった。やっていないと声を上げるのが遅かった。同じ寺子屋に通う子供同士の言うこと、と高を括ったのがまずかった。
『あれよあれよという間に、わたくしは処刑台の上。父も母も、婚約者だった方も皆、わたくしを睨んでおりました。まるで仇敵とでも言わんばかりに』
十五かそこらの少女が背負うにはあまりに重すぎる。だというのに、目の前の幽霊はにっこりと笑って首をもぎ取った。
『ほらこのとおり。死んでも体が覚えているのですわねぇ』
最初に見せられた時には気を失うほど仰天した。ころころと首だけで楽しそうに笑う少女は、そのまま首を斬り落とされ死んだという。気付いたら幽霊でしたの、と何でもないことのように言っているが、その無念たるや如何ほどのものだっただろうか。死んでから首も取れるようになったんですのよ、といらぬことも教えてもらった。
貶めた相手を呪ってやらぬのか、と問うと、どこからともなく取り出した羽毛の扇子で口元を隠してホホホと笑い声をあげる。
『わたくしを殺すような阿呆な国に長居をしたくありませんでしたの。それにせっかく幽霊になったのですから、令嬢であった頃には見ることのできなかった様々なものを見たかったのですわ』
本でばかり知る世界のあれやこれやを見るために、少女は国から旅立ったのだ。それもそうか。幽霊になり、己を殺した者たちを恨み堕ちていくよりは余程建設的だ。
『どこまでも広がる青い海を見た時は、子供のようにはしゃいでしまいましたの。うふふふ、わたくしったら、はしたない』
そう笑う少女は、年相応の顔をしていた。
『しばらく海を眺めるうちに、その先を知りたくなりましたわ。幾日も海の上を飛んで、この国に辿り着いたのです』
ああ……と遠い目になる。よりにもよって、ワシのところとはなあ……。
リューと出会ったのは、ワシが族長に最終通告を受けている時だった。ワシは森に居を構える天狗族の男だ。
「風雅よ。お主ももう数えで三十になる。これ以上は待てんぞ」
「は……」
「天狗族の掟を、よもや忘れてはおらぬだろうな」
掟、という言葉にワシは俯いた。天狗族はおなごが生まれにくい。天狗族の男は、森の外から番となるおなごを連れてくるべし。つまりは、自分の縄張りから出て外からおなごを……その、口説いてこなければならぬのだ。
「のう、風雅。三十になる前に嫁の顔を見せてはくれぬか」
「ぜ、……善処致しまする」
族長は重く頷くと、ほいと飛んで自分の縄張りに帰っていく。ワシは長く息を吐いて頭を振った。嫁を連れてくるなど、出来るはずもない。
そもそもだ。おなごを連れてこいと言っても、天狗族にいるのはもう随分と年上のおなごばかりで、同じような歳のおなごと話をしたことすら無いのだぞ。どうしろというのだ。見知らぬ土地で、見知らぬおなごに声をかけろとでも?無理だ無理。ワシには出来ぬ。
「そう言うて、逃げて逃げて、ついにワシも三十か……」
嫁を持てねば、ワシはここから追い出されるだろう。いっそ、嫁を探すよりも終の棲家を探す方が有意義かも知れぬ。
「ワシのところに、嫁なぞ来るものか……」
『見た目は悪くありませんのに、どうしてなのでしょうねぇ?』
いきなり目の前に透けて現れた、奇怪な出で立ちの少女にワシは目を剥いた。少女はふんわりと宙に浮きながら、ワシの周りを右へ左へと動いている。腰に差していた刀を抜いて、ワシは少女に切っ先を突き付けた。
「何奴か!」
『え?あら、もしかしてわたくしの姿が見えてらっしゃる?』
金色の髪をした少女が、刀を構えて怒鳴るワシを物珍しそうに見る。……一体何者なのか、どうしてここに居るのか、更には少女の哀しい生い立ちを聞き、これはワシの妄想の産物ではないと判断した。少しでも慰めになればと、ワシの情けない話もした。
だというのにどういうわけだか、このリューなんたらという少女はワシの嫁探しを手伝うと言う。
『ちょっと聞いておりますの、フーガ!』
森を出て、宿場までの道半ばにある茶屋の席で、リューがカンカンに怒っていた。天狗族の中にもリューの姿が見えるものはワシ以外におらんかったが、茶屋でもそれは変わらない。リューはそれをいいことに、首をもいでワシに突き付けながら口をへの字にしていた。ちゃんと聞け、ということらしい。
『貴方がご自分で、ここに可愛らしい看板娘がいるとおっしゃったのでしょう?なのに、何ですの先程の醜態は!だらしなく背を曲げて、おどおどと視線を彷徨わせて、笑っているのだかいないのだか分からないお顔のまま、耳を澄まさねば聞こえぬほどの小声でお話をなされても!娶る娶らない以前に、ただただ気味が悪いだけですわ!』
ああ、耳が痛い……。外つ国のおなごは、随分と口さがない。リューは悪の令嬢と呼ばれていたらしいが、これは悪というよりも猪のような猛進さだ。
ワシは出来るだけ小さくなって茶を啜る。急いで勘定を済ませて、すごすごと店を出た。リューは引き続き怒りながらワシの回りを飛んでいる。
「……だから言ったであろう。ワシに嫁は娶れぬと」
溜め息交じりに言えば、リューはワシの鼻先に扇子を突き付けた。
『言い訳は結構!』
「ん、んむ……」
どうにも、リューはワシがどれだけおなごに慣れていないか分かっていないように思う。ここはひとつ、ワシの古くからの友人に助けを求めてみよう。
奴なら、もしかすればリューの姿が見えるかもしれん。リューの姿が見えずとも、ワシがおなごを娶ることの難しさを語ってくれるはずだ。それかワシの頭がイカレたのだと憐れむだろう。酒の一つも恵んでもらうか。
『はぁ……わたくしの見立てが甘かったかしら。わたくしの倍近く歳を重ねてらっしゃるのに、あれほど社交性のない方だとは』
……耳も心も痛い。
『ところで、どちらに向かっておられますの?先程と道が違うようですが』
「んん、すぐにすぐ森へ戻っても、長にどやされるだけだからなぁ。あそこに寝に帰っているとはいえ、居心地のいいものじゃない」
『フーガは難儀な方ですのねぇ』
宙に頬杖をついて、リューが溜め息を吐いた。ワシは苦笑いを浮かべて獣道を行く。ワシの住む森の程近くにある洞穴が、友人の住まいだ。
リューは首をきちんと胴の上に据えて、洞穴の上やら側面やらを眺めている。そんなに珍しいものだろうか。ああそういえばリューは海も見たことがないと言っていたな。箱入りの娘さんだったのだろう。少々、活発なきらいはあるが。
『土の穴ですわ』
「洞穴だからな。中は広いぞ」
『妖精の道ですの?』
目を輝かせて尋ねてくるリューに、ワシは首を傾げた。
「道ではない、住処だ」
ワシの言葉に、今度はリューが首を傾ける。ぽとっと落ちやしないかと、妙な心配をしてしまった。
『……ここ、この土の隙間に、どなたか住んでらっしゃいますの?』
「リューの国には洞穴は無かったか?ふむ、何と説明すればよいかな……」
ここは隙間のように見えて奥がとても深いこと、友人が住処にしているのはその一角であること、中は入り組んでいるから慣れていないと迷うこと、ワシの後についてくることをとりあえずリューに伝えておく。リューはワシの説明に、真剣な面持ちで頷いた。まるで道中記を聞く子供のようだ。
「ここの主が許したら、奥まで行ってみようか。奥の方には少々脆いところもあるが、外ではあまり見ぬ色の岩もあって面白いぞ」
『えっ……、く、崩れるんですの……?』
途端に及び腰になってしまったリューを、ワシは笑い飛ばした。リューは、少女特有の大きな目をぱちぱちと瞬かせる。
「奴の住処は内壁を固めながら広げてある。そう簡単には崩れんよ」
それに崩れたとて、奴なら拳一つで抜けてくるだろうに。
「さて、鬼はいるかな」
『お、鬼!?鬼って魂を食べると……ちょ、待ってくださいまし、フーガ!わたくしまだ心の準備が……!』
悲鳴めいた声を上げるリューに、ワシは笑いながら洞穴へと足を踏み入れた。