魔物
処刑王。ヴェルハン家の千年を超える歴史の中で個人の武力で名声を得る者は数多いたが、これほど不名誉な称号を得た者は少ない、とするのが公式の見解だが、俺からすればありがたいことことの上ない。
我が祖父バメイの称号は沢山の諸侯を処刑して得たものだ。国内三番目の港町を持つタリー家、西の要衝城塞都市カルディストをもつクノール家などなど、その他諸々多くの反抗的な領主を殺した。その恩恵が巡り巡って俺の代に来ている。諸侯は王に従順だ。
まあ、今はそんなことはどうでもいい。
「見事な猪ですね」
祖父に付いていた者たちが、巨大な猪の死体を運んできた。
「貴方、これ魔物なのではありませんか?」
「そうだが」
「どこまで行ったんですか」
「いや、その」
「どうせまた遠出したんでしょう」
「すまないな孫に美味い肉を食べてもらおうと」
「許しますよ。ええ、大したことではないですものね」
絶対に許していない。祖父がお祖母様に平謝りするのを眺めながら、俺はノルベルトに聞いた。
「魔物ってなに?」
「いずれ学師が話してくださると思いますよ」
渋るノルベルトに畳み掛ける。
「今知りたいんだ。だめ、かな?」
必殺上目遣い。もう少しでただ気持ち悪いだけになるが、まだ効き目は十分なはずだ。
「しかし…」
ぐぬぬ…四歳児にはっきりとノーを突きつけるとはこやつ。
「あそ、じゃあいいや」
使えない男に見切りをつけ、バメイに走り寄る。
「ねえねえお祖父様魔物ってなに?」
「なにとはどういう意味かの?」
「魔物とそれ以外ってなにが違うの?」
「よいか、ルディ。魔物と動物はな、造られた神が違うんじゃ」
俺を盾にバメイはお祖母様の追及を躱す。まだこちらを睨むお祖母様の存在は知らないものとしよう。
「魔物はな、悪い神に造られたんじゃ」
うん、全くわからない。まあ、四歳児に話すなら妥当な難易度だが、簡単すぎる。
「悪い神様?」
「そうじゃ、じゃからほとんどの我らの先祖がこの大陸の主だった部分から狩り尽くしたんじゃよ」
「だから、よっぽど奥地へ行かなければなかなか見つからないんですよ」
唐突にお祖母様が割り込んできた。ああ、だから怒っていたのか。なぜわざわざ魔物を狩ったのか定かではないが。概要は掴めた。
「魔物って美味しいんですか?」
だから、問題は一つ。わざわざ時間をかけて、不味いものを狩ることはないだろう。
「ん、もちろんじゃ普通の動物より美味いぞ」
「どうしてですか?」
「さあ、よくわかっていないの。ルディはどう思う?」
「うーん、どうなんでしょうね。お前たちは知っているか?」
まあ、想像がつかないこともないが、取り敢えず周りの者に振ってみる。
バルドルトを筆頭にほとんどの者が首を横に振るなか、
「狩らせるためかと愚考いたします」
驚くことにノルベルトが口を開いた。
「それ、どういう意味?」
わかっていなさそうな姉様にノルベルトが言葉を続ける。
「同じぐらいの強さで、もっと美味しい獲物があるとしたら、美味しい方が狩られるのが道理です」
簡単にいえば等距離に千円札の山と万札の山があれば大抵は万札の山に飛びつくだろうということだ。
「へぇ、そうなんだ」
「確証はありませんが」
「学師たちの間で囁かれる噂でしかないが、なかなか信憑性があると儂も思っているがの」
うん、まあショタ神がなにを考えるかなんてよくわからないしどうでもいいな。気まぐれが俺に降ってこなければそれでいい。
「ま、何はともあれ今重要なのは魔物の方が旨いということじゃよ。お前たち獲物を厨房に運べ」
従者たちに解体される猪から姉様が目をそらしているのに気づき、”僕”の悪戯心が疼いた。
ちなみに俺にはこんなものなんでもない。一度挽肉になってみるといい。世の中の大半がどうでもいいと思える。
「姉様どうしてそっちを見ているの?」
「な、なんでもないわ」
「ねえねえ、どうして?」
「なんでもないわよ」
「もしかして怖いの?」
「うるさいっ」
言葉と共に放たれた足が脇腹に突き刺さり、俺は椅子から転げ落ち、思わずうずくまる。
かなりいいキックだった。
「大丈夫ですか⁈」
慌てた護衛たちが飛んでくる。
「ああ…大丈夫だ、心配するな」
お祖母様は苦笑を浮かべ、お祖父様は過去を思い出すように遠い目をしていた。
「儂も昔はよくやったもんじゃ」
「おかげで私はたかが死体には眉一つ動かさない女になってしまいました」
「なにをいう。お前は昔からだろう、痛っ痛い痛い痛い」
お祖母様が、祖父の耳を思いっきり引っ張っている。
まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも、
「ノルベルト脈を取るな。僕は死んでない」
冗談めかして言うが、ノルベルトの冷たい視線が突き刺さる。
「殿下往々にして脈を取るという行為は医術の様々な現場で使われるものです」
「そうなのか」
「はい殿下もいずれ学師のもとで簡単な医術を学ばれるはずはずです」
「よく知っているな」
「王の楯は医術に通じる必要がありますので」
「なるほどな」
白木の机に置かれた晩餐を前に俺は静かに唾を飲む。
この世界での食事は現代日本で暮らしていた俺が衝撃を受けるほど美味である。
金属加工技術もそうだが、なかなかアンバランスな発展を遂げているようだ。
まあ、一つの世界の歴史しか知らないので、実はこちらが正しいかもしれないが。
食事のクオリティは農業技術に左右されると聞いている。魔法があるか知らないが、きっとそういうこともできる何某かの技術があるのだろう。
おっとまた話がそれた。
音を立てず肉を切り分け、口に運ぶ。香辛料の効いた肉を噛み切れば濃厚な旨味が口の中いっぱいに広がる。
美味い。これに比べれば今世の肉も、まして前世の安売りなど柔らかいゴムだ。
無言で飲み込み、顔を上げれば微笑ましそうな顔でバメイとリーゼロッテーーお祖母様の名前だーーが俺たちを見つめていた。
・・・お姉様はそれにすら気付かず異様な速度でフォークを口に運んでいた。
「美味しいです!」
「そうかい。それはよかった。私もわざわざ山奥まで狩に行った甲斐があるというものだ。クリスは…聞くまでもないな」
爺言葉も忘れバメイはにっこりと微笑んだ。