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怪物

 ノックされた馬車の扉の覗き戸を女騎士が慎重に開ける。

 扉の前にいた騎士が誰何の声すら待たずに話し始めた。


「アルディボード卿の伝令だ。今すぐ出発なされよ。殿は我々が務める」


 あまりにも唐突な言葉に、女騎士とバルドルトが俺に目を向けて来た。


 俺か、俺に判断を委ねるのか。


 扉に歩み寄り、騎士に話しかけた。


「状況は⁈」

「限りなく最悪です。雨と雷で発見が遅れ、ほぼ奇襲のような形で受けてしまいました」

「う、うむ」


 煮え切らない態度に騎士が急かすように言った。


「殿下、一刻の猶予もありません。お逃げください」

「しかし…」


 物語で逃げることを躊躇する人物を笑ったこともあるが、実際にそういう事態に遭ってみると、躊躇する気持ちが痛いほど分かる。


「わかったわ。今すぐ馬車を出しなさい」

畏まりました殿下(イエスマイレディ)


 姉様が俺を押し除けて王の楯に命じた。


「姉様!」

「いい?ルディ」

「姉様、でも」

「でも、も何もないわ」

「いいえあります」


姉様と伝令の間に今度は俺が割って入った。


「我らの騎士が戦い続けているのに?」

「それで?」

「それでって、逃げるわけに行きませんよ」

「なんで?」

「それは」 


 淡々とした声音を崩さない姉様徐々に怒りが募り始めた。


わかっているのだろうか、死ぬのがどれだけ痛いか、辛いか、苦しいのか、俺は勇者は嫌いだが、あの苦痛に満ちた悲鳴は…口を開こうとした俺の両頬を両手で包み込み。顔を近づける。


「聞きなさいルドルフ。世界には皇帝が必要なの。今皇帝に最も近いのはあなたよ?」


 無言を貫く俺に姉様は続けた。


「いい?あなたの命と兵士の命の価値は違うの。生きなさいルディ。賢く生きて」


 動き始めた馬車の中、姉様に顔を埋めた。情けなかった。


「僕は姉様にそんなこと言ってほしくて言ったわけじゃ」

「わかってるわ」

「ごめんなさい」

「わかってる」




 ————




 ノルベルトは突き出された槍を掴み、強く引っ張っり勢いよく落馬した黒騎士の首を踏み砕いた。主を失った馬の手綱を掴むが、


「魔物か、こいつは」


 馬型の魔物に騎乗していたらしく、馬は暴れて制御を受け付けない。仕方なく主の槍を突き刺し、馬に乗らずに歩みを進めた。


 目標は未だに動きを見せない黒騎士だ。岩場を乗り越えながら標的を慎重に見据える。


 指揮官らしきかの騎士を殺せば、多少なりとも状況は楽になる…はずだ。しかし、当たり前のことながら数人の黒騎士が周囲を固めている。


 黒騎士数人ならばなんとかなるが、あの指揮官はどうにも嫌な予感がする。


 木陰に潜んでいた弓兵の心臓を後ろから突き、護衛の戦士の頭を木に何度も叩きつけて潰す。


 馬車が勢いよく動き出した。逃げられるだろうか。弱気な囁きが胸の中を掠めた。


 大丈夫だろう。バルドルトもいるし、後数人は護衛がいたはずだ。


 馬車を追うつもりなのか、指揮官の護衛二人が駆け出した。




 一瞬、ほんの一瞬、二人の幼児の顔が浮かび、掻き消えた。選択肢はない。


 ノルベルトは後ろを向いている指揮官の護衛に猛然と打ち掛かった。


 初撃で右腕を切り落とし、振り向く前に腹に剣を突き刺す。振り向いた護衛の剣撃を屈んで躱し、左手に持っていた斧を股間に叩き込んだ。


 悲鳴と共に崩れ落ちた護衛には目もくれず、一人になった指揮官を睨み付ける。


「友達が減って悲しいか?安心しろ一人にはしないさ」


 ノルベルトの挑発に指揮官は金属を擦り合わせた時のような、甲高く耳障りな声で笑う。


 それが戦いの合図だった。


 喉を狙った突き斧で逸らし、空いた左手で兜を殴りつける。そのまま距離を詰めー切れずに指揮官が岩山からずり落ちるように逃げた。


 再び距離を置き、二人は睨み合う。ゆっくりとノルベルトは後退し、抜かれる前に主を失った哀れな剣を鞘ごと護衛の死体から奪い取り、抜き放った。


 即座に距離を詰めて来た指揮官に彼の部下の盾をボールのように蹴り、ノルベルトも足を踏み出す。


 大したことはない。原生地でのびのびと生きるゴキブリ並みに気味の悪い雰囲気を漂わせてはいるが、腕はノルベルトより下だ。


 ノルベルトは口元を緩めた。やはり、ゴキブリ(魔族ども)と戦うのはいい。一撃一撃が有意義に感じられ、善行をしているという感慨が心を支配する。


 無言で襲いかかってきた指揮官に剣を叩きつけ、吹き飛ばし、再び距離を詰める。慎重に

 慎重に。キツネ狩りは最後が肝心だ。


 立ち上がった指揮官が剣を振りかぶった。


 火花が散った。激戦である。指揮官はノルベルトより弱いとはいえ、並の剣士が何人いても敵わない程の脅威だ。


 数十合打ち合った後、やけになったのか突っ込んできた指揮官に足をかける。


 体勢を崩した指揮官にとどめを刺すべく、最速の動きで剣を振りかぶった。


 さあ、止めだ。


 言葉はない。怯えながら戦うのは三流で、戦いに興奮するのは二流だ。戦士ならば、相手を殺すと決めたのならば、口を開く労力すら惜しみ、全力で戦うべきだ。


 ノルベルトが振り下ろした剣の軌道上に、股間を斧で裂かれた黒騎士が飛び出した。


 しかし、剣は止まらない。黒騎士を両断しもろとも指揮官を両断、出来なかった。


 ノルベルトは飛び退き様に指揮官の右腕を切り落としたが、その命を奪うまでには程遠い。


「翼獣か。帰ったらここから大障壁までの兵士を全員締め上げてやる」


 ノルベルトの口から低く恐ろしい怨嗟の声が漏れた。


 翼獣、ファルビースト、ワイバーン。呼び方は何でもいい。


 この生き物を形容するなら、


「臭い」


 ノルベルトが不機嫌そうに吐き捨てた。


 その臭いではなく、その容姿だろう。


 龍と呼ぶにはあまりにも醜く、鳥と呼ぶなら羽根が薄い。翼は角質な水かきのようだ。


 冥王が龍を堕落させて造った生き物だとか、世界から忘れられた山で生まれた怪物だとか、フェルビーストに関する逸話は様々だ。


 まあ、そんなことは退屈な学匠にでも任せておけば良い。問題は


「この剣で殺せるか?」


 旧世界の生き物はとにかく堅いものが多い。黒騎士から奪ったこの剣でその鱗を貫くことができるだろうか。


 指揮官がどこから湧いてきやがったのかわからないが、黒騎士に引っ張られ逃げていく。


 それを知りながらも、ノルベルトは動くことが出来ない。


 一人の騎士と一匹の怪物はジッと睨み合う。


 裸の鳥のような禍々しい化け物に、甲冑こそ傷だらけなものの、未だに目に強い光を宿した騎士が対峙する姿は一枚の絵画のようであったが、それも長くは続かない。

次は来週に

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