07
かなりゆったりですが、少しずつ投稿を再開していきたいと思います(>_<)
長らく更新ができなくて、本当に申し訳ございません。。。
お読みいただき、感謝しております!
スカートを絞ったところで、全く腕力と言うものが欠如した今のわたしでは、布地に含まれた水分を追い出すことができず、少し経つと再び裾から水滴がポタポタと滴ってきた。
加えて堀の深い枯れた太枝のような二本の足は、皮膚の機能が完全に死んでいるのか、水分を吸収することなく、全て表面で弾いてしまう。表面に何本も刻まれた溝の隙間を水が流れ落ちていき、わたしの足元はすでに柔らかくなった土でぬかるんでいた。
一歩踏み出す。
グニャ、という感触と共に、軟化した土が指の隙間から爪の間まで入り込んでくる。砂利のザリザリ感と相まって何とも言えない不快感に、わたしは思わず眉をしかめた。
(うぅ……畔に戻って、すぐ足を洗いたいよぉ……)
戻って綺麗に足を濯いだところで、また水浸しになり、陸に上がれば同じことの繰り返しになってしまうことは目に見えている。靴が無いことがこんなことに影響を及ぼすだなんて思っていなかったので、本当に今までは裕福な暮らしをしていたんだなぁ、としみじみ感じ入った。
仕方ないので、わたしはそのまま足を進める。
筋張ったような両足は水を飲む前よりは滑らかに動いてくれるけど、やっぱり節々が固まったかのような状態なので、歩きづらいというのが本音。言うなれば足を棒で固定して歩くような感じだろうか。
(……いえ、さっきまで立ち上がることすら困難だったのだから、大した進歩と喜ぶべきね)
「ん、しょ」
転ばないように一歩一歩、慎重に歩み進めていると、やはり小さな丘の奥から馬の嘶きが聞こえてきた。
(やっぱり、誰か……来ているの?)
音からして馬は複数いるようで、蹄が堅い大地を踏み鳴らす音が流れてくる。
――同時に、誰かが会話しているような、雑音に近い音も拾った。
「…………!」
ごくり、と喉が鳴った。
鬱蒼とした森に捨てられたわたし。本来なら、同じ人が近くにいれば喜んで助けを求めるのだけれど……わたしの胸奥には家族に捨てられた傷が残っており、それがジクジクと化膿したかのように疼きだす。
(こ、怖い……)
この森は治安がいいとは言い切れない。
獣は多く出るし、狩人や騎士様でなければ、一般の人だと一夜過ごすだけでも危険だと聞いた覚えがある。わたしが捨てられたのも、きっと死後、その肉を獣たちが喰らって消してくれるだろう、と思ってのことなのかもしれない。
そう考えると、さらにわたしの心は重くなり、足取りが遅くなる。
「……」
でも。
気になるのも事実。
もし、この少し高くなった丘を登って、小屋の方に向かって――そこに、神聖巫女がいるとしたら?
彼女たちは崩王病を治す手立ては持っていないけど、もしかしたら今のわたしの異常については何かしらの知識を持っているかもしれない。
(……化け物だと思われて、殺される方が確率高そうだけど……)
下手したら木のお化けと思われて、火矢を放たれちゃうかもしれない。嫌だ……痛覚が無いなら楽に逝けるのかもしれないけど、今のわたしには鎮痛作用の薬を<体内精製>することはできても、痛みを消すことはできない。火傷を治す薬を精製できるかどうかも不透明だ。
(や、やっぱり止めようかな……で、でも……うぅ、気になります。み、見るだけなら……遠くから様子を見るだけなら、きっと大丈夫! うん、そうね。そうしましょう!)
わたしは自分の中に答えを見つけ、とりあえず丘を登って身近な物の影に隠れることを、次の行動指針に掲げることにした。
元来た道を辿る様にして、わたしは丘を登り切る。そして小屋と湖を隔てる場所に生えている木々の影に隠れるようにして移動した。
小屋の裏手に比較的近い幹の後ろ側に身を潜め、わたしはそーっと小屋の正面の方を覗き見る。
馬の嘶きは確かに小屋の方から聞こえた気がする。
わたしは目を細め、耳を澄ませた。
(誰……?)
怖さ半分、興味半分で覗くわたしの視野に、三頭の立派な馬が映り出された。
色付いたばかりの視界に入り込む馬の姿に若干の興奮を覚える。放り出される前は馬車に乗るたびに顔を合わせていた仲なのに、今では何年も会っていなかったかのような懐かしさすら覚えた。
二頭は馬車を引いており、今、御者と思われる人が近くの太い木杭に縄でつないでいた。
残り一頭は騎馬用の馬だろうか、逞しい筋肉に艶やかな鬣が特徴の馬だった。近くで馬に桶に入れた水をあげている騎士がいるので、もしかしたら彼の馬なのかもしれない。
(騎士様がなんでこんな場所に……? んー……馬車がちょうど小屋に隠れて、きちんと見えないわ。遠いせいか、声も聞こえづらいし……でも、これ以上前に進んでしまうのは危険ね。我慢我慢……)
森を歩いているうちにボロボロになっていたドレスの裾を掴みながら、木陰と同化し、わたしは耳に神経を集中することにした。
「早く……慎重に運んで……!」
「……様、…………を、……ください!」
「……目です! …………は、最後に…………と言っていた。僕は……を叶えたい」
「ですが…………んで、こんな場所に…………では危険…………!」
(喧嘩……してる? いえ、どちらかというと……一人がもう一方を宥めているような感じがするわ)
遠くから聞こえてくる声は、言い合いのように思える。
けれど……喧嘩というよりは、一人が必死に相手を落ち着かせようと話している雰囲気を感じた。でも、その相手のもう一方は、余裕がない感じで何かを訴えかけるように声を張り上げていた。怒っている、というよりは、嘆いている……に近いかもしれない。
多分、どちらも男の人だと思う。
(なんだか込み入った事情がありそう……あまり関わらない方がいいのかな)
やがて言い合いをしていた二人組と思われる人影が、小屋の影から現れる。
一人は騎士鎧を着こんだ長身の男性で、両腕で毛布に包まれた大きな何かを大事そうに抱えていた。
もう一人は肩まで綺麗に整えられた金髪が眩しい「男性」……だと思うけど、とても豪奢な御召し物をされていた。どこかの貴族の方だと思うけれど、頭の中にある記憶に一致する男性はいなかった。でも何故だろう……微かに見覚えもあるような、無いような。
そんなことを考えていると、彼らは小屋の正面階段を上って、入口の扉まで歩いて行った。
騎士の男性の向きが変わったことで、初めてわたしは彼が抱えているものが何なのか、気づくこととなった。
(――女の、子?)
わたしと同い年ぐらいだろうか。
金色の髪は元気なく垂れ下がっており、僅かに見えたその顔は土気色だった。わたしと違って、肉が削げ落ちたような惨めな姿ではないものの、わたしは何処となく彼女に――――死の予兆を感じた。
(なに……なんなの? あの子に……何を、するつもり、なの?)
――まさか、この小屋に置き去りにする、とか?
思考が傾いた瞬間、わたしは神聖巫女がいるかどうかや、彼らが恐ろしい人じゃないか等の考えが吹っ飛び、彼女の安否だけが頭の中にグルグルと回り始めた。
幹に添える指先が小刻みに震える。乾いた唇のかさつきがやけに敏感に感じられ、喉がひりつくように乾きだす。
たぶん……わたしは今、あの子と自分を、重ねている。
わたしはまとまらない思考のまま息を飲み、ジッと木陰の傍から、小屋の中に入っていく二人の背中を見送った。