04
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ふらつきながらも、わたしはゆっくりと地面の感触を確かめるように、歩を進めていく。
第一目標は、あの目の前の樹木まで。
じゃく、じゃく……と落ち葉を踏み鳴らす音と共に進む。
随分と地面の感触がダイレクトで伝わってくるなぁと思っていたら、裸足だった。
(……追い出すにしても、せめて靴ぐらいは履かせてほしかったわ……)
心がちょっと重くなる。
まぁ……崩王病に罹ってから今に至るまでの出来事の重しに比べれば、些細な重みだけれども……棄てられた実感がわいてくるから厄介だ。
でも簡素なワンピースだけれど、服は着せたままで良かった。
誰に見られても顔をしかめそうな痩せ細った体躯だけれど、未だにわたしの心は女であり、淑女なのだから。生きるために泥を啜る覚悟はしないといけないけれど、それは緊急的な手段であり、女としての矜持を棄てたつもりはない。
細く硬くなったわたしの足裏はバランスがとりづらく、生まれたての小鹿のように震えながらも倒れないように気を付ける。足裏の面積も萎んでいるので、自分の足とは思えないほど、歩くことが困難だった。
例の葉の成分――痛み止めに適用される成分を全身に巡らせたことで、わたしは今、ある程度動くことができる。
「なんでそんなことができるのか?」という疑問は持たずに「そういうことができる」ことに感謝し、生き延びるための可能性を広くしてくれるこの力に感謝をすることで受け入れてみれば、意外と人間、前向きになれるものだ。
受け入れ、理解すれば……あとはそれをどう扱うかだ。
今分かっていることは……口にした葉と同じものは、わたしの壊れた両目でも色を持って映り込む。
そして、その葉を取り込めば、葉に含まれる成分を自身の中に蓄積……しているのかな? そしてそれをまるで薬のように患部に行き渡らせ、その効能を発揮させることができる。
言葉にすると荒唐無稽な話だけれども、実際、そんな感じのことがわたしの体内で起こった――という事実は本能が教えてくれた。
――正直、大分楽になった。
痛みが軽減されたことで、わたしは痛覚による阻害を受けずに、立ち上がり、歩くことができた。
きっと痛み止めが利いてなかったら、現時点も継続して全身に耐えがたい痛みが襲い掛かってきたことだろう。痛みは身体が送ってくる危険信号だって聞く。
本当なら痛みがある時点で、体のどこかに異常が発生しているのだから、安静にしたうえで治療すべきなのだろうけど……崩王病に罹患した時点で、安静にした先にあるのはただの死だけだ。
だから今は痛みを圧してでも動くべきではないかと思う。
動くことに、そして動いた先に意味があるかは分からないけど、何もしないよりはマシだから……。だから動きを縛り付ける要因の一つである痛覚が黙ってくれたことは、今のわたしにとって何よりも有難いことだ。
浅い呼吸を繰り返し、ようやく樹木の傍までたどり着き、わたしはその幹に手をついて体を預けた。
(つ、疲れた……)
動悸が激しく鳴ったり、息切れを起こしたり……ではなく、純粋に全身の力が抜けていくような感覚だ。
常に力が入りづらい状態だけど、今はいっそう、その感覚が強い。
でもここで崩れ落ちたら、また起き上がる苦労から始めないといけない。
わたしは小刻みに痙攣する足を踏ん張らせ、幹に寄りかかりながらも座りこもうとする自身の体を律した。
「……」
とはいうものの、次はどうしよう。
上体を起こす。
身体を翻す。
立ち上がる。
歩く。
近くの樹木まで移動する。
とりあえず、これだけの工程を半日ぐらいかけて、ようやく成しえることができた。
――それじゃあ、次は?
――何を目標にしたらいい?
最大目標は……生きること、だと思う。でも、生きる、ってどうしたらいいの?
このまま崩王病に抗って、動き続けること?
可能性が広がったと喜びはしたものの、生きるために何をしたらいいか、具体的な方針は誰も示してくれない。この場には棄てられた哀れな病魔に侵された令嬢しかいないのだから。
動いていれば気は紛れるけれど、それは一時のもので、足を止めれば……考える時間ができれば、思考はぐるぐると回り続け、悪い方へと傾いていく。つい数分前は「まず動くことが大事」と強い気持ちを胸に抱いていたはずなのに、すぐに溢れ出る負の感情に押し流されてしまう自分が情けない。
(分からない……何もかもが真っ黒な不安で押しつぶされて、どうしたらいいか、分からない……。…………で、でも――)
さっき、確かに。
わたしは感じたはずなのだ。
さっき、橙色に光る葉を食した時、本能が……これこそが「生き延びる道」だと言っていたのだから。
もう縋るものは、それしかない。
現状を打開する可能性も、それしかない。
思い出せ。
何がきっかけで、あの葉っぱが色づいたのかを。
「…………ぁ……」
口をゆっくり開き、わたしはゆったりと樹木から生える枝、その先に茂る葉を掴み取り、自重を乗せて千切り取った。
そして恐る恐る口に近づけ――咀嚼した。
立っているせいか、寝そべっている姿勢よりは嚥下しやすく、噛み砕いた何の木の葉かも分からないそれを喉に通していく。
「……」
(分かる……分かるわ! この葉っぱは…………この、葉っぱは…………、何も、わたしの体を助ける成分が含まれてないことが……分かったわ……)
徐々に心の声は萎んでいき、わたしは落ち込んだ。
起死回生の万能薬的なものでないにしろ、何かしらの進展を恵んでくれることをどこかで期待していたせいか、この葉に何の薬効も無かったことに想像以上にがっかりしてしまった。
でも……間違いなく、わたしは一歩を――大きな一歩を進んだ。
(やっぱり……なんでかは分からないけど、わたしは分かるんだ。口にしたものの効力、っていうのかな……それを何となく「理解」することができる)
なぜ、わたしにそんな力があるのかは分からない。
両親も弟も親戚も、遠い血筋の家系にも……そんな力があったという話は聞いたことがない。
もっとも……わたしが聞かされていないだけ、かもしれないけど。
ふと顔を上げれば、何の効果もない葉だったけど、薄っすらと灰色の色を持っていることが分かった。わたしの世界は既に白黒で、灰色という色の判別は景色に溶け込んでしまって分からないはずなのに……不思議とぼんやり輝きを持つ灰色だったために気付くことができた。
食べたものの効力を確認できるうえに、一度食したものの判別を視界から確認できる。
(これを……生かさない手は、ないよね?)
痛み止めの成分を持つ葉を食べて、その効力を自分の体に適用できるということは……もしかしたら――。
バラバラになっていた希望がまるで一繋ぎになり、一縷の望みへと繋がった気がした。
でも、まだこの希望は細い。ちょっとしたことで、途切れてしまうほど、脆弱なものだ。
だから、わたしはそれをより強固にするために――未だ色を持っていない、別の植物を右手で千切り、それをゆっくりと口元へと運ぶのであった。