01
パイロン伯爵の娘として、この世に生を受けたのは、もう13年前のこと。
わたしは13歳の誕生日を迎えた一週間後に床に伏せることになった。
嫡子となる弟が生まれる前は、両親に愛されていたと思う。
嫡子となる弟が生まれた後は、両親は弟に構いっ切りでおざなりになってしまった。
使用人や侍女、執事たちもそれなりに笑顔で挨拶もしてくれたし、わたしもそれに対して高圧的な態度を取ることもなく普通に接し、それなりに友好的な関係だったと思う。
そう、それなりに何事もなく、軋轢もなく、平和な日々だった。
ただ――欲を言えば、家族なり、友人なり、恋人は……いないけど、心が温かくなるような愛情が欲しかった。
別にべったりと笑顔でくっつきあって、キャッキャウフフなんてしなくてもいいのだ。
数日に一回程度でもいい。
一緒にいて、会話をして、穏やかに安らぐような、そんな時間に憧れただけなのだ。
唯一、3歳下の弟が懐いてくれたけど、両親があまり会わせてくれなかった環境のため、わたしと弟が自由に会って話すことは無かった。
きっと……両親にとって、わたしは伯爵家の利益のための政略結婚の手駒に成り下がったのだろう。
自評は大したものでないと思ってるけど、わたしと顔を合わせる者は皆、わたしのことを「可愛らしい」だの「美しい女性になる」だのと褒めてくれた。それがお世辞なのかどうかは判断がつかないところだけど、それなりに貰い手はいるのかもしれない。
別にそれでもいい。
ただ結婚して、求めてもいない貴族同士の血のつながり結ぶために家を出るまでは――同じ家族として仲良く暮らしたい。それぐらい望んだっていいじゃない。
けれども、そんなささやかな願望すら打ち砕いたのが、現在、わたしを苛ませる病魔である。
わたしは今、自室にいる。ちょっとした軟禁状態だった。
わたしの容態を診に、一度だけ神殿の方が来訪した。おそらく両親が金を払って呼んでくれたのだろう。
怪我や病魔を治すことができる数人の神聖巫女が所属する神殿は、国家直営の施設ではあるが、慈善施設ではない。治療や診断の際は当然、平民や貴族関係なくお金を取るし、他に治療施設がないという需要を独占している環境のため、その金額も莫大なものとなっている。
そんな大金をわたしのために積んでくれたのだと思えば、少し嬉しくなる。
たとえ、それが「手駒の修復」程度の思考であっても……わたしのために使ってくれたことに変わりはないのだから。
でも……どうやら治療については、容態を詳しく診てから――という形で落ち着いていたのか、神殿の方はわたしに問診と触診を幾つか行ってから、思いたある節があったのか――僅かに顔をしかめ、部屋を出ていった。
それ以降…………誰も、この部屋には来なくなった。使用人すら、である。
まるで……この屋敷に不要なものを扱うかのような、無関心がこの部屋に充満していた。
誰も来なくなってから二日経つ。
食事も摂れないため、栄養失調でどんどん体が衰弱していった。
病魔による神経を剥がされるような苦痛のせいで空腹を感じることはなかったけど、寝台から遠目に見える鏡台に映るわたしの姿は日々、見るも無残な骨と皮だけの姿へと変貌していった。
その悍ましい姿に悲鳴を上げたくても、喉は焼かれたようにただれており、声はでない。しゃがれた声すらも出なかった。
水分を失った水色の髪は、ぼそぼそになっていき、萎れたワカメみたいだ。
カーテンを開けに誰もこなくなったので、この部屋は常に外が晴天でも、仄暗い。カーテンは薄い生地で作られているので、外が晴天であればやや室内を明るくしてくれる。だから鏡で自分の姿を確認できるかどうかで、今が朝なのか夜なのかを判別していた。
そんな部屋の中で寝台に横たわるわたしの姿は、まるで幽鬼のようだった。
もう手足を動かすことすら、しんどい。
肉はどこへ行ってしまったのかと思えるほど、わたしの腕は骨と皮がひっついたような状態になっており、細い血管が浮き彫りになっている。今こうして意識を持って生きているのが不思議なぐらいだ。
多分、誰かに軽く蹴られただけで、この腕は簡単に折れてしまうだろう。いや……ベッドに手をついて起き上がろうとしただけでも折れてしまうかもしれない。
水分が足りないせいで、眼球もへこんでいき、眼窩の中に落ち込んでいくのが分かる。目が軋む。視界が滲む。世界が――歪んでいく。
それでも――わたしは生きていた。
いや、もう……あと数時間でこの命は露と消えるだろう。
10歳のころから家庭教師をあてがってもらっていたので、この病態についても心当たりがあった。
――崩王病。
それはこの国の史実にも登場する、もっとも有名な病気であった。
呼んで字のごとく、かつて国を治める王ですら崩御せしめた最悪の病魔。
いかな健常体であっても、この病魔には勝てない。
感染することがないため、国土に一気に広がることは無いものの、罹った者は必ず死にいたる、不治の病。
発症原因は未だ不明とされ――国内で圧倒的な知名度と実績を誇る神殿の神聖巫女ですら、この病魔を治せたことはない。
数百の病魔を治癒し、小指程度の欠損なら復元すら可能とした、歴代最強の巫女と呼ばれる者も史実の中に登場したけど、そんな彼女でもこの病魔を払うことは叶わなかったそうだ。
以降、崩王病については発症したら最後。
発症後、個人差はあるものの三日~四日程度で死に至る。
神殿も無駄に手を出さず、家族たちはその者を天へ見送る準備を始めるのが通例だそうだ。
(ああ……わたしの部屋に誰も来ない理由が、分かったわ)
でも。
それでも……この病気は感染しないことだけは過去の治療歴から知れ渡っている。
家族に愛されていた者ならば、その最期まで親なり兄弟なり姉妹なり、誰かが看取ってくれていてもおかしくはないのだ。
使用人や侍女たちだって、身体を拭いてくれたり、食べられるなら粥などを持ってきてくれるなど……できることは多々あるはずだ。
現に崩王病をテーマにした、実話に基づいた家族愛を書いた感動の読み物だって出回っているぐらいだ。
わたしもその本を読んだことがあるだけに……現状が悲しくて仕方がなかった。
(わたしは……もう、ゴミも当然、なのですね)
処分に困るゴミ。
そう自分を評すると、病魔による痛みではなく、まだ正常に稼働しているわたしの心が軋みを上げた。
まだ死にたくない。
まだ13年の歳月しか生きておらず、この屋敷の中という狭い世界でしか生きていないのだ。
もっと広い世界を、歩いてみたい。
死にたくない。
でも……。
でも、仮に生きたところで、それは幸せなの?
わたしに生きる場所はない。いや、人として幸せに生きる環境がない。
だというのに、生き延びて……その先に何があるの?
分からない。
分からないけど……やっぱり、わたしは死にたくなかった。
そして、わたしは生まれて初めてかもしれないほどの願望を胸に、意識を落としていった。
睡魔によるものなのか、病魔による強制的なものなのかは分からないけど……自分でも気づかないほど自然に意識を手放したのだった。
次に目を開けた時――わたしは寝間着一つの姿のまま、森の中に転がっていた。