第八十話 二重螺旋の槍
空を支配する炎の龍はしばらく沈黙をしていた、己を状態を確認するように。そして目を開くと空に向かって咆哮した。その咆哮は周りに炎の塊を生み出し、それは大地に叩きつけられた。炎は新たな火災を呼びこの場は火の領域となった。
「このままじゃ被害がっ」
ルーナ・カブリエルが火災の消火に走る。この時ルーナ・カブリエルは戦いを忘れてしまった。この隙を炎の龍は逃さない。背後から炎の龍が襲う。炎の龍が巨大な顎を開きルーナ・カブリエルを飲み込もうとする。背後から迫る顎に気が付いた時には遅かった。呆然としながら炎の龍の顎の奥を見てしまう。そこはまさに煉獄の地獄。そこへ飲み込まれたら水の魔術力に包まれても関係ない、全てが焼き尽くされ二度と蘇る事もないだろう。本能でそれが分かったルーナ・カブリエルは恐怖に駆られ逃げる事も忘れ硬直する。そんなルーナ・カブリエルを何者かが怒鳴った。
「逃げろっ!! ルーナ嬢ちゃんっ!!」
その声と同時に巨大な力が放たれ炎の龍に直撃。炎の龍の顎がルーナ・カブリエルの右に逸れる。
「……一体誰が?」
呆然としながら力を放たれたと思しき方向を見る。そこには長剣を振り下ろしたアッシュの姿があった。体の各所の連動を駆使して放たれる衝撃波。この力は大地に強く反動が出る。炎の熱により足場となっている氷の柱が融けている所に強い反動が加わった事により完全に崩壊しアッシュは落下する。
「アッシュおじちゃんっ!!」
ルーナ・カブリエルはアッシュを助けようと動くがアッシュが手でそれを制する。
「俺は大丈夫!! それと俺は二十代だぁぁぁぁーーー」
頭から落下していたが身をひるがえし足から着地。唯一仕える魔法身体強化を用いたとしても落下の衝撃を殺しきれるものではない。そこで自らを転倒させ数回転がり完全に衝撃を殺した。擦り傷くらいで何とかなったアッシュの身体能力の高さにルーナ・カブリエルはホッとしたがすぐにブスッとする。
「……だからお嬢ちゃんは止めてって言ってるのに……。まあいいや、この苛立ちはアレに……ぶつけてやるっ!! お嬢ちゃんなんて呼ばせないんだからっ!!」
ルーナ・カブリエルに見つめる先に炎の龍がいた。炎の龍とルーナ・カブリエル、火と水、正反対の属性を持つ者同士お互いを怨敵としお互いを滅ぼすべく戦いを開始した。
地面に無事着地したアッシュは煉獄の地獄の中を疾走していた。
「どこもかしこもひどい事になっていやがる。身体強化の魔法で少しは耐火出来てるがこのままじゃこっちの魔法力が尽きる。その前に……」
焼けた空気を吸い込まない様布を顔に巻き辺りを見渡す。
「アッシュさん、こっち!!」
その声を聞いてアッシュは何も考えずそちらに飛び込んだ。その中は温度も一定、肌が焼ける感触もなかった。
「何だ、この空間は?」
「僕の結界ですよ」
大天使カブリエルを召喚する際行った五芒星の小儀礼、それによって形成された結界は魔術力を著しく減退した事により一旦解除された。その後中央の柱と呼ばれる儀式魔術により魔術力を循環、増幅させ魔術力を回復。回復後、炎の意識体が炎の龍になったのを見て慌てて五芒星の小儀礼を行い結界を張り直したのだった。シモンの体を中心に結界が形成されるためシモンの移動に合わせて結界が移動するのが肝だった。
「……異世界の魔法、攻撃だけじゃなくてこんな結界、しかもルーナ嬢ちゃんをあんな風に変化させてあのヘビ野郎と互角に戦わせている……少し規格外過ぎやしないか、シモンの魔術?」
アッシュが感心するように言うがシモンは少し顔を曇らせる。
「色々出来る分、必殺と呼べるものはないんですよ。器用貧乏というやつでして……」
「それだけ何でも出来れば十分だろう。羨ましい」
素直な称賛にシモンは少し照れくさそうに頬を掻きながら話を切り替える。
「雑談は置いといて……これからどうします?」
「どうしますってそりゃあ嬢ちゃんの援護だろう。あれは単独で挑むにはヤバすぎる」
二人が頭上を見上げるとそこには遥か上空でルーナ・カブリエルが炎の龍に挑んでいる光景が目に入る。火の領域においてルーナ・カブリエルの力は削がれ動きが鈍い。
「援護するなら火を消して少しでも相手の力を削ぐ事なんだろうけどそうすると」
「間違いなく妨害してくるな。こういう時こそ偽神が必要なんだが……こうなる事を狙っていたのか、この火事は?」
「どうなんでしょうね。今となっては何とも……相手の力を削ぐよりもルーナ・カブリエルを強化した方がいいかもしれません。武器を送るとか」
「武器っていってもな。あの熱量が相手だとどんな武器も融けちまうぞ」
「それはこれを送ります」
シモンは右手に持っている長槍を見せる。
「そう言えばさっきから持ってたな、その槍……」
シモンが持っている真っ白な飾り気のない長槍。それは先程までシモンの両手を補助していた精霊の武具。これならば炎の龍の熱量にも耐えられる。だが特殊な武器である事を知らないアッシュはイマイチの乗り気ではない。
「こんなどこにでもありそうな安っぽい槍、送っても意味ないだろう。燃え尽きちまうぞ」
それを聞いた聖霊の武具、槍バージョンはカタカタと震えだす。先端をくねらせアッシュをツンツンとつつく。
「な、何だこりゃ!? シモン止めてくれよ!!」
「僕の意志じゃないですよ。この槍は意志持ってますから下手なこと言ったら気分を損ねますよ」
「意志を持っている!? これも魔術で呼び出したのか?」
「いや、それを説明すると少し長くなるんで。それよりもこれをルーナ・カブリエルに向かって投げて下さい。僕はルーナ・カブリエルにそれを伝えるんで」
「いや、いいけど……大丈夫かこれ?」
アッシュが長槍を恐る恐る掴む。その途端身体強化の魔法と似た、それでいて自分が行う身体強化の魔法よりも強い力が流れ込んできた。その力の全能感にアッシュは酔いしれる。
「いいなこれ……俺も一つ欲しい……」
そんな事を呟いたアッシュが不意に顔をしかめる。
「? どうしました?」
「いや、今この槍の意志が頭に響いてきた……この無礼者って」
アッシュが言うにはこのような事態でなければこの身を触らせることなどさせないのにと思念が流れてきたとの事だった。アッシュは頭が痛いとでも言うようにこめかみを押さえる。
「そういう事です。それにそんな浮気をしたら腰の長剣が悲しみますよ」
「それもそうか……考えてみたら俺、槍は使えないしな。諦める、ウン」
気を取り直しアッシュは投擲の構えを取り全身を連動させ槍を投擲する。衝撃波を出すのと同じ要領で投擲された槍は一瞬で最高速度に到達し遥か上空のルーナ・カブリエルの元に届いた。
遥か上空で炎の龍がどくろを巻いていた。その中心にルーナ・カブリエルは捕らえられていた。四方八方から来る大熱量に対しルーナ・カブリエルは水の膜を張って防御しているがこのままじゃいずれ耐えきれず蒸発する。その前に何とかしなければならないが方法が思いつかない。
「このままじゃ私……どうしよう……」
気が萎えそうになったルーナ・カブリエルにシモンの思念が叩きつけられた。
(ルーナッ!! 武器が届くから受け取って!!)
「お兄ちゃんっ!? 武器って!?」
武器が何かと問う前にそれは炎の龍の胴体を、とてつもない熱量を物ともせず突き破ってやってきた。ルーナ・カブリエルの脇を通り過ぎるそれを咄嗟に掴む。ルーナ・カブリエルはそれの運動エネルギーに逆らう事が出来ず引っ張られ炎に突っ込む事になった。
「ワーッ!!」
ルーナ・カブリエルは咄嗟に掴んだそれの先端を中心に自分を包むように水の膜を張る。偶然にも杭のような形となり貫通力を持ち炎の龍の胴体をぶち破り炎の牢獄から脱出する事が出来た。脱出できたのはいいがあまりにも無茶苦茶だ。ルーナ・カブリエルは右手にあるシモンが送ったであろう武器を睨みつける。それは白い飾り気のない槍。攻撃力などほとんどなさそうな貧相な槍という感想が頭の中に浮かぶ。そんなルーナ・カブリエルにシモンの物とは違う思念が叩きつけられる。
(このっ無礼者っ!!)
「ヒッ!?」
(我が主が認めた者の要請で協力しに来てやったと言うのに!!)
「すみませんっ」
ルーナ・カブリエルが思わず頭を下げる。思念を叩きつけてきた槍の意志は自分より上位だという事が本能的に分かってしまったからだ。
(分かればいい……それよりあの難敵を倒すに協力するからお主の力を貸せ)
「私の力?」
(水の力を我に!!)
「ああ、そういう事か。分かりました」
言われた通りルーナ・カブリエルは水の魔術力を槍に流す。槍は水の魔術力を吸収しそれを扱うにふさわしい形状に変化した。基礎となる槍の部分と流された水の魔術力が螺旋を描きながら絡まり合い先端で二つに分かれ二又の槍となった。水と槍の力が融合した二又の槍から放出される力にルーナ・カブリエルは息を飲む。
「スゴい……これなら」
(我を思う存分使うがいい。そして敵を倒すのだ!!)
「はいっ!!」
ルーナ・カブリエルが頷き二又の槍を構えた。その構えは堂に入ったものだった。シモンから教わった形意拳は槍術の理をもって考案された武術であり槍を持たせればそのまま戦う事が出来る。堂に入ったように感じられるのも当然だった。
「ハァァァァァ!!!!!」
気合の掛け声ととルーナ・カブリエルは炎の龍に突進した。




