第七十五話 五芒星の小儀礼から大儀礼へ……召喚成功
シモンは魔術儀式を行う時、思考を二つに分ける。魔術的思考と一般的な思考である。魔術儀式を行う時は魔術的思考が大半を占める為、一般的思考が隅に追いやられるのだがその一般的思考が首をもたげ表に出てきそうになった。シモンは眼の間で起こった事に突っ込みたくなったからである。それはすなわち……
(護衛を頼むと言ったのに何で飛び出すんだよ!? 敵が一人でもこっちに来たらヤバい!!)
魔術儀式を行っている間シモンは全くの無防備なのである。
(儀式をいったん中止して身を守るか……)
シモンはそう考えるがその必要はなかった。炎人五十体全てがシモンから離れアッシュに向かっていったのである。倒すべき対象を無視するとは何を考えているのか、シモンは呆然としてしまう。
(僕の魔術を妨害するのが目的のはずなのに何で? ……でも、これはチャンスだ!!)
シモンは空中に頂点から始まる五芒星を描き呪文を詠唱する。
「ヨド・ヘー・ヴァウ・ヘー……」
シモンから離れたアッシュとそれを追う炎人五十体は死闘を繰り広げていた。アッシュの周囲を炎人が包囲しようとするがアッシュが素早く動き包囲網から脱出、音速の衝撃波を炎人に打ち込むが、十数人の炎人が密集し一人一人が炎で円形の盾を作り出し前方に構え衝撃波を防ぐ。衝撃波が消滅すると盾と盾の間から炎の矢を打ち放つ。炎の矢が届く前にアッシュは逃れるが、それを呼んでいた炎人は逃げる先にも炎の矢を放つ。逃げれないと悟ったアッシュは高速でロングソードを振るい炎の矢を全て撃ち落す。直撃は避けられたものの熱を防ぐ事は出来ない。高熱が肌を焼き、体毛を焦がし嫌な臭気が漂う。
炎人がやや攻勢だがそんな結果になったとしても炎の中の意識体は面白くもなんともない。それどころか苛立ちさえ覚える。
(何をしている!! そんな奴は捨ておけ。魔法を使う小僧の方を早く倒せ!!)
炎の中の意識体が炎人に思念を飛ばすが炎人の一体が首を横に振り思念を返す。
(その小僧を倒す為にも目の前の男は必ず倒さなければならない。どうか今しばらくお待ちください)
炎人は確固たる強い思念を意識体に返すと思念の回線を切り戦闘に没頭する。
意識体は炎人たち逆らわれた事に苛立つ。こちらの力を割いて顕現させているというに。消滅させようと考えたがアッシュとの戦いを見てその考えを打ち消した。アッシュと言う存在は人の範疇を大きく超えている。スピード、パワー、それらを有効に使う技術、経験どれをとっても超一流。相手がかつての仲間でも手加減など一切しない思い切りの良さもある。それに比べて炎人はアッシュより格が落ちる。よくて二流といった所だろう。数で勝っていても勝てる道理はない。それがこうも食い下がれるのは戦術があるからだ。防御は複数で行い確実に防ぐ。経験に裏打ちされた先読みで次の行動を読み取り行動を封じ、弱い攻撃を繰り返して体力を徐々に奪っていく。炎人たちの生前は複数で戦う事を得意とした傭兵集団でもあった。この戦闘の玄人集団を取り込めたのは意識体にとって思いもよらない幸運だった。
彼らの戦術眼は頼りになる、そう考えた炎の意識体は炎人の意見を取り入れ引き続きアッシュを動きを封してもらい、己で攻撃を敢行する。ルーナたちの人格が宿る聖霊石を焼き尽くす為の火力の維持、炎人五十体の召喚によりかなり力が落ちているがシモン一人を殺すぐらいの力は残っている。炎の意識体は炎を一点に集中し槍を作り出し放つ。一点に集中して放たれたそれはまさに赤い閃光。閃光はシモンの眉間し吸い込まれた。炎の意識体はシモンの頭蓋が果実のように真っ赤な実を飛び散らせその後炎で焼かれ焼失する場面を思い浮かべほくそ笑む。だがそんな未来が訪れる事はなかった。
シモンの眼前に現れた半透明状の壁が炎の槍は跳ね返したのである。目の前で消滅する炎を見てシモンは眼を白黒させ、腰を抜かしそうになるが歯を食いしばり耐える。
炎の意識体が攻撃をしてくる前に五芒星の小儀礼の魔術儀式を終わらせており、それにより発生した結界が炎の槍を食い止めてくれたのだ。五芒星の小儀礼は結界はもちろん対象の浄化や攻撃など色々応用が利く魔術であるが今回は己の防御、そして五芒星の大儀礼を行う場所の浄化に用いたのである。
五芒星の大儀礼、これは五芒星の小儀礼の上位にあたる魔術で四大の精霊の召喚や魔術武器に諸力を籠めたりするのに用いられる。眼前に燃え盛る炎に対抗するものを召喚する為に五芒星の大儀礼魔術は必須だった。
シモンは炎に背を向ける。そちらの方向は西、四大では水を象徴する方角だった。そしてシモンは右下から始まる五芒星を描き呪文を詠唱する。
「ヘイ・コー・マー」
さらに五芒星の中央に精霊のサインを刻みさらに詠唱する。
「アー・グラー」
空間には銀色の五芒星が刻まれた。その後両腕を前に伸ばし手のひらを外側に向けヴェールを開くようにゆっくりと開いていく。
戦闘の途中で後ろを向かれた。これを侮辱と受け取った炎の意識体は更に炎を一閃し攻撃を繰り出すが小儀礼の結界は破れる事はなかった。シモンの意識は攻撃より魔術儀式に意識が集中している為後ろの攻撃に気が付かない。
呪文を詠唱、右から始まる五芒星を空間に刻む。
「エム・ペェー・ヘエー・アル・エル・ガー・エー・オー・レェー……エル!!」
『エル』と唱えると同時に水のシンボルである♏のマークを五芒星の中央に刻み、最後に両手を開き胸の前で左右の親指、人差し指、中指を合わせ逆三角形を作る。その瞬間シモンの体が銀色の光に包まれた。その光に炎の意識体は一瞬怯む。
離れて戦っていたアッシュや炎人もその光に気付き動きが止まる。
「シモン……やったのか?」
アッシュはシモンの方を見る。だがシモンの体が一瞬銀色に光った以上の変化は起こらなかった。火はないとしても他の三大、土、風、そして水の魔術による攻撃が行われる、そう考えていたのだが何も起きないという事は失敗したのだとアッシュは悟る。シモンの元に駆け寄ろうとするが炎人が進路を塞ぎ行く事を許さない。
「どけっ!!」
アッシュが衝撃波を放つが炎の盾により阻まれ、たっての隙間から炎の槍で突いて来る。アッシュは後方に下がり槍を避ける。焦れるアッシュは攻撃が雑になり隙を突かれる。盾の隙間から出た炎の槍により右太ももを切られたのである。傷は浅いのだが切られる痛みと焼かれる痛みが同時に来る事の不快さに顔をしかめる。
「……クソッ……」
目の前の敵は焦って何とかなる相手ではない、アッシュは深く深呼吸をして気を落ち着ける。
「シモン……もう少しでそっちに行くからそれまでは何とか耐えてくれよっ!!」
アッシュは眼の前の炎の盾に向かってロングソードを力の限り打ち下ろした。
一瞬銀色に輝いた。だがそれ以上の変化が起きない。目の前の小僧が魔法に失敗したと判断した炎の意識体は攻撃を再開した。シモンの結界に炎の矢が何度も叩きつけられる。幾度も炎の矢を打ち付けられ、強固な結界の一部にとうとうひびが入り始めた。ひびは徐々に全体に広がっていきもう少しで破れようとした時、シモンは炎の方を向きほくそ笑みながらこう呟いた。
「―――エル、召喚成功」
その言葉と同時に炎の意識体からの攻撃が止む。そして炎の意識体た苦しげに呻き大きく口を開く。その口から銀色の己を苦しめる毒を吐き出した。




