第七十三話 火の海の中で
―――彼を知り己を知れば百戦殆からず。
孫氏の言葉である。敵の実力や現状をしっかり把握し、自分自身の事をよくわきまえて戦えば何度戦っても勝てるものと説いているのである。今の現状に当てはめると目の前で燃え盛っている炎の正体を探る事。これが勝利の鍵となる。故にシモンは行った魔術は攻撃魔術ではなかった。視覚を物理次元から霊的次元に切り替えて炎を見た。
「うっ!?」
シモンは呻き目を覆う。目の前にはサン値(正気値)がガリガリ削られる光景が広がっていたからだ。長時間見続ければ間違いなく狂気に陥るだろう。だが何としても炎の正体を暴き弱点を見つけなければ被害がさらに拡大する。被害を個々で食い止めると覚悟を決めシモンは炎を強く凝視する。物理次元では煉獄の業火であるのだが霊的次元では炎の中に無数の人や獣の顔が浮かび上がっているのが見えたのだ。幾多の顔に浮かんでいるのは苦悶の表情だ。苦悶の表情を浮かべ炎の中に消えていく度に火力が強くなっているように見えた。
(人や獣の魂を燃料に火力を上げているのか……)
こんな外道な術を行うソルシエ・アスワドに怒りを感じた。火力を上げるための燃料にされている魂を救おうと魔術を行おうとした時、奇妙な事に気が付いた。浮かんでは消える顔の中に唯一消えない自己を主張する顔があったのだ。その顔は何かを喋っているようだが声を聞く事が出来なかった。視覚と同じように聴覚を霊的次元に切り替える。その途端炎に焼かれた魂たちの苦痛、苦悶、悲鳴、憎悪、怨嗟の声が耳を劈く(つんざ)。
(クゥッ……マズい……こんなの聞き続けたら気が……狂う)
シモンは反射的に耳を塞ぐがそれでも声は耳に入ってくる。
(ダメだ……聞かないと……)
焼かれる魂の声に精神力を削られながらも炎に焼かれない顔の声を聞いていると意味のある言葉を聞き取れた。
『契約者との契約を果たせない』、『燃やし尽くせない物がある』、『燃やさなければ報酬が受け取れない』
炎に焼かれない顔がこれらの言葉を繰り返し呟いていた。これ以上は意味がないだろうとシモンは聴覚を物理次元に戻すと腕を組み思案顔にある
「……どういう意味だろう」
これらの言葉を推理すると契約者と言うのはソルシエ・アスワド、報酬とは自身が燃やし尽くした全ての物質あるいは生物。炎の表面に浮かび上がった顔の中にはこの工場で働いていた人だろう。新たに怒りが沸き上がりつつも最後の言葉を考えてみる。この煉獄の炎が燃やし尽くせないない物とは一体何であろうと? それはもしかしたら……。
シモンは眼に魔術力を集中する。遠隔透視を行い視覚が炎の中を移動し光景が切り替わる。炎の中を自分が移動しているようなそんな感覚。偽神が整備されていた格納庫の光景となりシモンは苦しげな顔になる。
「これは……ひどい……」
そう呟かずにはいられなかった。三体の偽神は原形を留めておらず、身に纏っていた装甲は高熱で熔解、人工筋肉は焼け焦げ金属の骨格だけが何とか残っているがもう少し火力があれば骨格も溶解してしまうだろう。これは絶望的かと思ったがシモンはある事に気が付き周囲を見渡した。
「……そうだ、仮面はどこにある?」
偽神の頭部に収まっている仮面が見当たらない。偽神の頭部に収まっている仮面には心臓部とも呼べる聖霊石が収まっている。ことさら丈夫に製造されており簡単に壊れない。炎の熱量にも耐えられるはずだ。仮面が無事なら後は体を構成する部品を揃えればそれで復活する事が出来る、まだ希望はある。
「どこだ、どこにある?」
シモンは周囲を見渡し三つの偽神の仮面を見つけたがそこに精霊石はなかった。聖霊石が収まっている箇所が空洞になっていた。これが何を意味するのか。
「四号機だけじゃなくて……聖霊石まで……奪っていったのか」
ソルシエ・アスワドと言う少女はこちらの最大戦力である偽神三体を破壊し残り一体を強奪した。操縦者が同調していないとはいえ偽神三体を屠るとはソルシエ・アスワド恐るべし。見ているだけでも身が焼けてくるようなそんな光景を見ながらもシモンは戦慄に凍り付いた。そんなシモンの脳裏に凍り付いた心を溶かすような暖かい思念が流れ込む。
(お兄……ちゃん?)
「……ルーナか? よかった。今、どこにいるんだ!?」
(お兄ちゃんこそどこにいるの? お兄ちゃんの魔術力を感じて出てみたけど……お兄ちゃんの姿が見えない……もしかして……偽物っ!?)
警戒心を露わにして心を閉ざそうとするルーナをシモンは慌てて止める。
「ちょっと待って!! 僕、本物だから」
(本物って言うけど……姿が見えないし、怪しいなあ……)
疑惑の思念にシモンは答える
「遠隔透視でこの光景を見ているからその場に僕がいないのは当然なんだけど……どうして会話が出来てるんだろう?」
(いや、私に言われても困っちゃうよ)
「だよねえ……」
シモンにも説明がつかないのだが、シモンの遠隔透視による魔術力がルーナのいる場所の近くに通ったことによりルーナが受信する事が出来たととりあえずの仮説を立てる。
「そういう事にして……それよりもルーナはどこにいるの?」
(今は地中の中に逃れてる。そこで魔術力を放出して球状の結界を作って身を守っている)
「地中?」
シモンは地面に視界を向ける。自動的にズームされ地中を突き進む。そして地中の中に眩い光を放つ球体を見つける。その中にはルーナはもちろんインディ・ゴウ・メルクリウス、ブーケ・ニウスの精霊石があった。更にシモンの目にははルーナ、インディ・ゴウ・メルクリウス・ブーケ・ニウスが少女の姿で幻視された。三人ともにサリナの幼くしたような容姿で違う所と言えば髪と瞳の色ぐらいだ。今、目を覚ましているのはルーナのみ、水色の髪と赤毛の少女は眠ったままだ。水色の少女がインディ・ゴウ・メルクリウス、赤毛の少女がブーケ・ニウスなのだろう。
(三人ともどうしてサリナさんに似ているんだろう? こうなると偶然じゃないな。偽神とサリナさんは深い関係がある。こうも似通うの何故だ? ……今はそれを置いておくとして)
「よかった、三人とも無事だった。しかし……どうしてそういう状況になったんだ?」
「お兄ちゃんが武術大会で戦っていたあの人が突然現れて……」
ルーナが言うには突然現れたソルシエが偽神を整備していた整備員を全て殺し偽神四号機に乗り込もうとしたらしい。ルーナはそれを止めようとしたがソルシエが持っていた槍、イディオ・フォールの攻撃により大破、インディ・ゴウ・メルクリウスとブーケ・ニウスも大破させられ更に火を放たれたとの事だった。この火は偽神の自己修復能力を阻害する力があった。火が仮面の精霊石に及ぶ前に機体を捨て更にインディ・ゴウ・メルクリウスとブーケ・ニウスの精霊石を回収しあとは脱出するだけだったが火の回りが思ったより早かった為地中に逃れ助けを待っていたのだという。
そこまで話を聞いたシモンは素直に感心した。ルーナの機転がなければ神殺し最大の戦力であるに偽神がすべて焼却される所だった。超圧倒的ファインプレーといううべきだろう。シモンは言葉にするがルーナは喜ばす疑問の思念を飛ばす。
(ふぁいんぷれー?)
ファインプレーの意味が分からないようだ。
「エラい! よくやった! って理解してくれればいい」
(エヘヘー)
褒められたことが分かりルーナは照れくさそうに笑う。
「それでメルとブーケ・ニウスは大丈夫なのか?」
(メルちゃんは眼を回して機能停止してるけどすぐに目を覚ますと思うけどニウスちゃんは……)
ブーケ・ニウスは今だ人格が目覚めておらず自分の意志で動くという事が出来ない。
「そうか……」
シモンは押し黙り考え込む。今回の件でブーケ・ニウスの人格も目覚めるのではと考えていたがそうはならなかったようだ。偽神の人格が目覚めるのには条件がある。それは危機に陥る事だ。ルーナにしろインディ・ゴウにしても機体が大破してしまうほどのダメージを受けた時にその人格を目覚めさせている。今回も機体が大破するほどのダメージを受けているのだからきっと目覚める、そう思ったのだがまだ気がついていない別の条件があるのかもしれない。
シモンは思考を切り替えこちらで分かった事をルーナに伝える。この炎が特殊な術による炎で知性体の様なものが存在しており工場棟全ての物を燃やし尽くさない限り消えない、つまりルーナ達を焼却しない限り消火される事はないと話しルーナは絶望的な思念を飛ばす。
(ルーナ達が燃やされないと消えないなんて……ヒドい……でもそれしかないなら……)
ルーナの覚悟を決めたというように魔術力の放出を弱める。
「ちょっと待った!! ルーナに犠牲になれなんて言ってないから!! 早まらないで!!」
(でも私たちが犠牲にならなと火が消えないんでしょ)
「それはそうだけどルーナ達を犠牲に何てさせないから!!」
(何か方法があるの?)
「ある……と言うか試してみたい方法がある。ルーナ、五芒星の小儀礼と大儀礼出来るよね」
(アストラル界でお兄ちゃんと一緒に修行したから当然出来るけど……)
「なら、五芒星の小儀礼で防御結界を作った後、大儀礼で水を召喚して」
(水!? それはちょっと無理じゃない。火の海の中で水を召喚なんて出来る訳ないよ!?)
「普通ならそうだけど我に秘策ありだ。ともかくやってよ。僕は僕で準備するから」
それを最後にシモンの魔術力の気配が消える。向こうで準備を始めたのだろう。
(一体何をするのか説明していってよ、まったくもう!! ……ぼやいていてもしょうがないか、お兄ちゃんが言った通り五芒星の小儀礼を始めるとしますか)
ルーナは魔術力の集中に入った。




