第六十六話 イディオ・フォール、死神の大鎌
ソルシエ・アスワドが懐から出したのは黒い正方形の箱だった。手のひらに収まるサイズの小さな箱。それを一目見ただけでシモンの背に怖気は走った。一目でまともな出自の物ではないことが分かる。
ソルシエは黒い箱を右手で掲げ叫ぶ。
「イディオ・フォール解放!!」
その言葉に黒い箱、イディオ・フォールが反応する。幾重にも折られた何かがパタリパタリと音を立てて広がり形を成し右手に収まった。それは己の身長を大きく超える巨大な大鎌。持ち手の部分はいびつに歪んでいるが刃の部分は怪しい光を宿している。自分から首を差し出してしまそうで恐ろしい。このような物を魔性と呼ぶのだろう。そんな大鎌を扱うソルシエという少女は一体何者か。
「……行くよ」
ソルシエが感情の籠らない声で呟くとイディオ・フォールを上段に構え走る。自分と同じくらいの年の少女が重量武器を軽々と持ち上げ、疾風とも呼べる速度でこちらに接近してくる。なのにシモンは動く事が出来なかった。イディオ・フォールと呼ばれる出自不明の大鎌を見入ってしまった為だ。
あっという間に間合いに入られソルシエは大鎌を振り下ろす。迫りくる死神の大鎌をシモンは必死に避ける。その甲斐あって体に傷を負う事はなかったが逃げ遅れた服の一部が切り裂かれた。切れ味にゾッとしながらもシモンはジト目でソルシエを睨む。
「……今、殺す気出来ましたよね」
その問いにソルシエは無言で答える。
「答えて下さいよ。この大会殺しはご法度なの分かってますよね」
「……大丈夫、非殺傷設定にしてるから切られても死ぬ事はないよ。ただ死ぬほど痛い事は間違いないけど……」
非殺傷設定って何だよとシモンは突っ込みたかったがそれより先にソルシエがイディオ・フォールで切りかかかってくる。だがシモンはあえてその場に踏みとどまる。三体式の構えを取り、崩拳を繰り出した。長柄武器が最大の攻撃力を発揮するのは刃、先端の部分でありそこを外し更に中心に入れば攻撃力は極端に弱まる。それ故の突貫だった。それにソルシエは素早く反応した。長尺の大鎌が二丁の三日月形の鎌に形態変化させたのだ。そして二丁の三日月形の鎌の柄をクロスしてシモンの崩拳を防いだのだ。
「痛っ!!」
硬質の物体に打撃を加えて事により拳にダメージを受けたがそれに気を取られている暇はなかった。大鎌から鎌に形態を変えた事により近距離にも対抗してきたのだ。鎌による連撃にシモンは必死に回避し距離を取ろうとするが中々離れてくれない。
(離れないというなら逆に……)
ソルシエが右手の鎌を振り下ろす。シモンは右手で右手首を掴み左の逸らす。更にソルシエの側面に入り込む。そうする事でソルシエは攻撃する事が出来なく振り降ろされた右の鎌をシモンは右手で左から右に捌きシモンはソルシエの右側面に逃れる。そこで動きは止まらず左肘をソルシエの右わき腹に差し込み大きく外にへ振るようにし体全体でぶつかっていった。ただの体当たりとは異なった威力にソルシエは肺の中の空気を全て吐き出し苦し気に呻きながら弾き飛ばされ地面に叩きつけられた。シモンが行った体当たりの技は形意拳の技の一つで熊形拳という。形意拳は拳や掌を用いた攻撃が主で体当たりの技法というのはほとんどない。体当たりの技法は兄弟拳法である心意六合拳に流れており形意拳では切り捨てられているのだが応用法として熊形拳の中にとどめておいたのである。
距離の取れたこの隙にシモンはアストラル体投射を行う。アストラル界へ移行し魔術儀式を来ない強力な魔術で一気にケリをつけるつもりだった。シモンのアストラル体は上空に上がりアストラル界に移行する直前、真下に大の字で倒れているソルシエの姿が目に入った。フードが脱げて素顔が露わになっている。長い金髪に透き通った肌、人形のように整った顔立ち、美しいという形容が合っている。男女問わず目を非k着けずにはいられないだろう。それが嫌でフードで顔を隠しているのだろうとシモンは思った。
目を閉じていたソルシエが不意に目を開き上空のシモンと目が合った。宝石の様な蒼い瞳がシモンのアストラル体を見据えていた。偶然とは思いつつもシモンは適当な方向を指差すとソルシエは顔を傾け指差した方向を見る。
「……アストラル体が見えている」
普通、アストラル体を視認する事は出来ない。幽霊を見ているようなものだからだ。こういう霊的なものを視認する事が出来るとすればそれは特殊な修行、才能、体質によって霊的視覚のチャンネルを開いた者のみである。
ソルシエはシモンのアストラル体から視線を落としシモンの肉体に目を移す。ソルシエがニヤリと笑い立ち上がる。その動きにはシモンの熊形拳による体当たりのダメージが感じられない。ソルシエは二丁の鎌を一丁の大鎌に戻しシモンに向かって走る。シモンはアストラル界への移行を中止し肉体の戻る事を選択した。こちらの攻撃魔術が完成すよりソルシエの方が早いという事もあるがフード付きのマントに大鎌、死神を彷彿させるソルシエの姿に恐怖を感じたからだ。アストラル体と肉体は霊的な緒、俗にいうシルバーコードと呼ばれるもので繋がっており、それが切られると本当の意味で死んでしまう。死神の大鎌はそのシルバーコードを切り落とし、現世の拠り所との繋がりを断っているらしい。
ソルシエはシモンのアストラル体を見る事が出来た。だとすると芋づる式にシルバーコードも見る事が出来たという事である。ソルシエの大鎌、イディオ・フォールは間違いなく魔法的な武器、その武器ならば間違いなくシルバーコードを傷つける事が出来る。
シモンが肉体に戻る瞬間ソルシエの視線を追い、シモンの頭の上の空間を見ていた事が分かった。そこはシモンの肉体とアストラル体を繋げるシルバーコードが伸びていた場所である。人によっては胸部や腹部から出ているらしいがシモンの場合は頭から出ているだ。
(やっぱりシルバーコードを狙っていたか!! だが、遅い!!)
一足早く肉体に戻りシモンはほっとしたがそれが油断だった。ソルシエは構わずシモンの頭上に大鎌を振るう。そしてシルバーコードではなく別のものを切り落とされてしまった。その影響はシモンの肉体に如実に表れた。
「……腕が動かない……」
正確には上腕部、手がマヒしてしまい腕を上げる事はもちろん指一本動かす事も出来なくなっていた。シモンのアストラル体が肉体に戻る際、肉体の外に最後まで出ていた両腕をソルシエの大鎌で切り落とされた影響だった。時間の経過で回復すると思われるがこの戦闘の最中では絶対に回復するとは無い。拳や掌をよく用いる形意拳は使えない、アストラル体投射を利用した魔術の高速運用も出来ない。アストラル体を投射した瞬間切り落とされる。シモンは逆転方法を考えるが戦闘に於いて自分を支える二本柱が使えないとなると勝ち目がなかった。元々この大会で優勝するつもりはなかった為シモンには何の執着もない。寧ろ魔術の高速運用に関する問題点などが分かっていい経験が出来たと思っている。
「こう……」
降参を宣言しようとする前にソルシエが大鎌を振り下ろしていた。振り下ろされた大鎌をシモンは他人事のように見つめていた。
(……これ死ぬんじゃないか? 非殺傷設定とやらが有効に働いてるの?)
大鎌の刃がシモンの肉体に届く直前、銀色の何かが左右から割って入り大鎌の刃を止めていた。
「何で……?」
シモンは割って入ってきたものに驚愕するよりなかった。




