第四十九話 休憩かと思いきや……魔術修行?
アストラル界に夜がやってきた。月の代わりに輝く生命の木が白々と輝きその周りを星々が瞬き世空を彩っている。
「星、キレー……」
ルーナが夜空を見上げながら呟く。そうやって感傷に浸りたいというのにある事がルーナの邪魔をする。
「……何だろう、お腹に感じる不快感は?」
肉が焼ける香ばしい匂いが不快感をより増長させる。お腹を擦るとグゥッと音が鳴った。
(何だろう、この感じ? ともかくこの不快感を取り除くには……匂いの元を立たないと……)
「お兄ちゃん、何をやってるのか知らないけどこの匂いを出すのやめてくれない!」
ルーナから少し離れた所でシモンは何やら作業をしていた。二つのナベに火をかけ一つは蓋をしており縁から泡が吹きこぼれているがそれは無視して、もう一つのナベをお玉でかき回している。匂いの元はこっちのナベのようだ。ルーナの口元が緩み涎れが垂れてきくる。慌ててふき取るルーナを見てシモンは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「本当に止めていいの?」
ウッと呻くが気を取り直してシモンに言った。
「お兄ちゃんが何をやっているのか分からないけどそれから漂う匂いを嗅いでいると……お腹が辛いんだよ」
「その不快感は人でいう所の空腹感だね」
「空腹感?」
「現実のルーナは魔術力を吸収、生成すれば体の維持が出来から空腹感何て無縁だろうね」
人間はこんな最悪な気分を常に感じているのかと思うとルーナは何とも悲しい気持ちになってくる。
「もう分かったから……この匂い止めてよ」
情けない声を出すルーナを慰めるようにシモンは言う。
「今、空腹を満たす物を作ってるからちょっと待って」
「空腹を満たすもの?」
「料理っていうんだ。人類最大の発明だと思うよ、ホント」
「リョウリ?」
ルーナが首を傾げる。
「そう、料理。もう少しで出来るから座って待ってて。待つ時間が長ければ長い程美味しくなるから」
ルーナは更に首を傾げる。
「オイシイ……ってナニ?」
ルーナが何を言っているのかよく分からなかったがしばらく考えてポンッと手を打った。
「食べる習慣がないから美味しいという感覚が分からないのか!? ……うん、まあそれも含めて教えてあげるから待ってて」
ルーナはしぶしぶと後ろに下がる。
「分かった、もう少し待ってる……その代わり変なものを出したら承知しないんだから!」
「任せて」
シモンは右手のお玉でナベをかき回しながら左手の親指を立てる。ルーナが待ちきれないようでシモンの後ろから覗いたり周りをうろうろする。それがうっとうしくシモンは思わず大声を出す。
「ルーナ、お座りっ!!」
「キャンッ!!」
ルーナはその場に正座する。
「もう少しで出来るから待ってなさい」
「クゥ~ン」
シモンの恫喝にルーナが情けない声を上げ首をすくめる。正座をしながら待つ事十分。食欲を満たすものがすぐそこにあるというのに手を出す事が出来ない、そんな拷問に耐える事十分、ようやくシモンから声がかかる。
「お待たせ、これが料理だよ。とくと味わって」
シモンはそれをルーナに手渡した。やや大きめの黒いどんぶりの中には白い粒上の物が盛られておりその上には薄い肉や玉ねぎが黒い汁で煮込まれた物が上にかけられている。
「味わってってどうやって?」
「あ、そうか忘れてた。お箸は使えないだろうからこっち使って」
シモンの木製のスプーンを手渡す。だがルーナはそのまま固まってしまった。食事をする必要がないルーナにとってスプーンがどのように使う道具なのか分からないのだ。そこでシモンはルーナの隣に座りもう一つの自分のどんぶりとスプーンを手に取りドンブリの中のモノをすくって口に運ぶ。
「ウン、ウマい」
自画自賛するシモンの真似をしてスプーンでドンブリの中のモノを救って口に運ぶ。ルーナは大きく目を見開きさらにもう一口口に入れる。我慢できないと言った感じでさらにさらにと口に運びあっという間に頬がパンパンに膨らんでしまう。
「フーッフーッ!?」
「何やってるの、ルーナ!? ……あ、もしかして飲み込むって事も知らないのか!? ほら、ルーナ、ゴックンして!!」
シモンの言ってる事をルーナなりに考えて口の中の物を飲み込んだ。喉が詰まり目を白黒させるルーナにシモンは水の入ったコップを渡す。
「ほら、これも飲んで」
シモンの手の中にあるコップをひったくり水を流し込む。のどのつまりが取れ一息つくと目を輝かせてシモンを見る。
「何コレ!! 何コレ!! これをどう言えばいいのか分からないけど……スッゴーイよ!!」
興奮しながらまくし立てるルーナに引きながらシモンは答える。
「……ルーナ、それが旨い、あるいは美味しいって言うんだよ」
「そうなの!? なら……オイシーッ!!」
叫ぶルーナにシモンは更に引きながら謝意を述べる。
「……アリガトウ……だけど食事中はもっと静かにね」
ルーナはコクコクと頷き、また食事に集中した。口いっぱいに頬張りがっつくその姿が何とも微笑ましい。シモンはどこからか取り出した布でルーナの口元を拭く。
「やれやれ、見た目は僕より年上なのにまるで子供だね」
「何も聞こえません」
シモンのイヤミに耳を貸さず食事に集中しドンブリの中の料理を完食し満足げにお腹を擦る。
「美味しかった……ご馳走さま」
「お粗末様です」
シモンは笑って答える。
この会話を何とも思わず流してしまったがここでシモンは疑問に思わなければならなかった。さっきまで料理や食事というものを全く知らなかったルーナが食後にご馳走さまという単語を口走ったのか。この事に少しでも疑問に持てればこの後に起こるであろう悲劇を回避する事が出来たかもしれなかったのに……。
「どうだった、この牛丼美味しかったでしょ」
「ギュウドン? これってリョウリじゃないの?」
「料理は食物をこしらえる事。食材を刻んで煮て、焼いて調味料で味を調えて盛り付ける。それが料理だよ。牛丼は料理名、」
「そうなんだ、難しいんだね」
「いや、難しくはないよ。慣れれば誰でも作れるし」
「私に見出来るかな?」
「出来るかなじゃないよ。これからはルーナにもやってもらうんだから」
シモンの言葉にルーナの思考が一瞬止まる。意味を理解するのに数秒かかり、頭がそれを理解した時ルーナは思わず大声を上げた。
「エーッ、無理だよ。やった事もないのに!!」
「そりゃそうだ。いきなり刃物持たせる何て現実の世界でも危なっかしくてやらせられないよ」
事も無げにに言われルーナは疑問顔になる。
「? じゃあどうやって作るの、料理?」
「イメージで作り上げるんだよ」
「イメージで?」
シモンが仰々しく頷く。
「ルーナは巨大なルーナ・ノワの手を作り出した事があったよね。あれはルーナのイメージが作り出した物なんだ。あれを料理でやってほしいんだ」
「ウーン……」
ルーナは唸りながら考える。
「やっぱり無理! 生まれてこの方食べる何て習慣が全くなかったのに、そんな人が突然料理を作る何て!! それをイメージでやれって絶対無理!!」
「それはそうだけど……イメージの形成は魔術を行う者にとっては必須だからね。無理と言われてもやってもらわないと」
「別のだったらどう。自分の体ならイメージしやすいよ。お兄ちゃんさっき私の手をイメージで作り出したって言ってたよね? あれが出来ればそれでいいんじゃないの?」
シモンは肩をすくめて首を振る。
「あれはイメージの形成は甘い。大きいだけで中身はスッカスカ。正直言ってハリボテ」
ボロカスに言われてルーナはムッとしてイヤミを言う。
「でも……ルーナ・ノワの手に潰されてたよね」
シモンはウッと呻く。
「それは……こっちも動揺してたし……ともかくもっとはっきりとしたイメージが形成する事が出来ればもっと強力なルーナ・ノワの手が出せる筈なんだ」
そう言われてもルーナは乗り気ではなく表情もパッとしない。
「しょうがないなあ……もっとはっきりとしたイメージが出来ればスゴい物が出せる。その証拠を見せてあげる」
シモンは目を閉じ右掌を上に向け前に突き出す。
「……リンゴをイメージする……表面が鮮やかな赤……掌にリンゴの重みを感じる……手に持ったリンゴを口元に近づけると甘い匂いが鼻孔をくすぐる……口を開きリンゴをかじるとシャリシャリと心地のいい歯ごたえ、それと同時に甘酸っぱい味が口の中に広がり……」
五感で感じるであろうリンゴのイメージを呪文のように呟いていると不意にルーナがアッと驚愕の声を上げた。
「お兄ちゃんの手の中に赤い物が……」
シモンが目を開き右掌の中にある物を見てニヤリッと笑う。
「これがリンゴだよ」
そう言ってシモンはリンゴをルーナに放り投げた。ルーナはそれをキャッチしてシモンを見る。
「食べてみて」
ルーナはしばらく逡巡したがやがて意を決してリンゴを口に運ぶ。リンゴをしばらく咀嚼しゴックンと飲み込んだ。その後しばらく一心不乱にリンゴを食し、中心部が固く食べれないため悲し気な顔をした。
「お兄ちゃん……」
「芯は食べれなくなってるんだよ」
「そうなの? 残念……」
「でも分かったでしょ。イメージが強力で鮮明なものになればよりリアルな物が作れるという事が。この強力なイメージが魔術では必要になるんだ。魔術をより強力にするためにもこのイメージの形成力を鍛える事が必須になるんだ」
「そうなんだ……ウン、私やるよ!!」
ルーナがグッと両手を握りしめる。
「こんなおいしい物が幾らでも作れるんなら私やるよ!!」
「食べ物作ることが目標じゃないんだけど……まあ気合が入る事はいい事だし……頑張れ」
「分かった」
ルーナも気合と共に右掌を上に向け前に突き出す。
「ええと……リンゴをイメージする……表面が……」
シモンがリンゴをイメージする為に口に出していた特徴を思い出すようにルーナも口にする。そしてルーナの右掌の中にもリンゴが出現した。
「ヤッタ!!」
「見た目はうまくいったけど味はどうかな、食べてみて」
「ウンッ!」
ルーナは嬉々としてリンゴを口に運び咀嚼して飲み込み微妙な顔をした。
「見た目はうまくいったんだけど……食べた感じが……味が……」
見た目は成功していたが歯ごたえが最悪だった。実が柔らかすぎ、水っぽく味が薄い。リンゴ味の綿を口に含んでいるようで気持ちが悪い。ルーナは感想を素直に述べシモンが微妙な顔をする。
「イメージがうまくいってなかったんだね」
「ウウウッ……」
泣き顔になるルーナの頭をシモンは優しく撫でる。
「まあ、何度も繰り返せばイメージもより鮮明になるしそうなればうまいリンゴも食べれるようになるよ」
「そうだね……私やるよ! 美味しいリンゴを作って見せるよ」
ルーナに気合が入る。それを見てシモンは首を傾げた。
(あれ……これって魔術の修行のはずなんだけど……気合が入ったのならまあいいか……)
シモンは納得する事にした。




