第四十八話 修行一日目、形意拳編
「えっと、修行……鍛えてくれるのはいいけど……優しくしてね」
ルーナは不安げにそう言った。
「ひっどいなあ。僕、そんなに鬼に見える?」
ルーナはコクリと頷く。
「ひどいなあ……でもそう思われているのなら……期待に答えないといけないね」
ルーナにそう呟くシモンの顔には悪魔めいた笑みが浮かんでいた。ルーナは恐怖に顔を引きつらせ数歩後退る。それに合わせてシモンは歩を進める。
「……お、お兄ちゃん……こないで」
「何を怖がっているの? ひどい事しないから……こっちにおいで」
シモンのネコナデ声に更なる恐怖を感じ、空を飛んで逃げようとするが何故か飛ぶ事が出来ない。手をこまねいているうちに距離を縮められルーナの肩をシモンが使う。泣きそうな顔でルーナはシモンを見る。そんなルーナの表情にシモンは少し傷ついた。
「……僕ってそんなに怖い?」
ルーナは無言でうなずいた。シモンは大きくため息をついた。
「大丈夫。そんな厳しい訓練何てするつもりないから」
「でもお兄ちゃんなら……気合いだ、根性だって言ってすごいスパルタ訓練しそうだから……」
「ないない。僕、そういうの嫌いだから」
「そうなの? 意外!?」
「気合や根性が必要な場面はあると思うけど、それで何でも出来てしまうと考えるのは間違いだ思ってるから」
ルーナは興味を持ち更にシモンに話すように即す。
「気合、根性に限らず喜怒哀楽、あらゆる感情はいわば無形の力。それだけでは何も形を成さない。それを受け入れる受け皿があって始めて無形から有形、つまり形になる。その受け皿が強固な物でなければ力を受け止められず壊れてしまう。これから行う修行は受け皿を強固にするもの。厳しい事をする事もあるけどそれで受け皿を壊してしまっては元も子もない。そんな事は絶対にしないから安心して」
真摯に言うシモンにルーナがホッとする。
「それで今後の修行だけど明るい時間帯は形意拳の暗い時間帯は魔術の修行を行う」
「昼と夜の時間を作るの? ずっと明るくてもいいんじゃないの?」
「ルーナは大丈夫だろうけど僕はね……」
シモンは乾いた笑みを浮かべる。その笑みは年不相応の疲れ切った笑みだった。
かつてシモンは一人で魔術や武術の修行を行う為、アストラル界で同じような空間を作った事があった。その時は時間の設定など特に考えず行っていたためアストラル界では数年経っていても肉体的な時間は数時間しかたっておらず精神と肉体の時間間隔のずれに苦しんだことがあった。それからアストラル界で修行を行う時は時間を設定するようにしていた。
「そっか、だからか。お兄ちゃん見た目に反して考え方が子供っぽくないのは」
シモンはハテと疑問に思った。
「ルーナって僕の記憶を読み取ったんだよね。だったら僕の事知ってるんじゃないの?」
シモンが違う世界から転生してきた事を言ったのだがルーナは首を捻る。
「何の事? 私が読み取ったのは趣味や嗜好だけだよ」
「何でそこをダイレクトに読み取る?」
「面白いものが見れると思ったから。本当に面白いものが見れたし、それが今の私を形作ってくれたんだよ」
「ルーナ・プレーナは本当に僕の記憶から作り出したしね」
「これからもお兄ちゃんの記憶を見させてね。そこから私を強化するヒントがあるかもしれないから」
「あったとしてもこれ以上はプライバシーの侵害! だからダメッ!」
「ケチッ」
「ケチじゃないって……お話はここまで。早速修業を始めよう。まずは僕が最も得意な武術、形意拳から教えるよ。まずは構えから何だけど……」
まずは形意拳の基本にして根本である構え三体式から教える。形意拳ではほとんどの技がこの三体式の構えから始まる。故に『万法は三体式より生まれる』と言われるほどである。そこから基本である五行拳を教える訳だがまずは劈拳から教える。上から下に打ち下ろす技である。三体式の構えから劈拳、これを左右交互に反復練習するのだが地味な練習にルーナは難色を示す。
「お兄ちゃん、この……劈拳だっけ? 同じ事ばっかしで辟易しちゃうよ」
「劈拳を辟易って……ダジャレのつもり? しょうがないねえ」
シモンは呆れ顔で言う。
「でも、これがしっかりできないと他の技が出来ないって言ってる人もいるぐらい重要だから疎かにする事が出来ない」
真面目な顔で言うシモンにルーナは納得せず言った。
「だったらお兄ちゃん、他の技って言うのを見せてよ」
「いいよ。他の四つの技も見せれば元となる劈拳の修練にも身が入るかもだし」
シモンは頷き三体式の構えを取った。そこから今ルーナが反復練習している劈拳、下から上へ突き上げる鑚拳、中段突きの崩拳、片手で防御、もう片手で攻撃する炮拳、斜め、横から打つ横拳を行う。力みのない三体式の構えからは信じられない踏み込みの強さ、体捌き、拳を繰り出す度に風が巻き起こる。技の練度が圧倒的にで違う。まさしく天と地の差だとルーナは思った。シモンが五行拳を終えると同時にルーナが歓声を上げ拍手する。
「……お兄ちゃん!! スッゴォ~イ!!」
ルーナの歓声と拍手にシモンはポカンとし、照れくさそうに頬を掻いた。
「それ程でもないよ」
「それ程でもあるよ!! どうしてこんなことが出来るの!?」
「どうしてって言われても……ひたすら反復練習した結果……かな?」
「何で疑問形? ていうか私、お兄ちゃんのレベルまで到達しないといけないの?」
「そこまでは求めてないよ。ある程度のレベルまで行ければ十分だから」
「そのある程度さえも遠く感じるよ……」
シモンという遥かに高い頂にルーナはしょんぼりしてしまう。
「やぶ蛇だったか……まだ一日目だしこれからいろいろ要点を教えていくから。ここまでとは言わないけどある程度は出来るようになるから元気出して」
「分かった、お兄ちゃん……私頑張る!!」
「ルーナ、僕を信じてついてこい!!」
「ウンッ!!」
元気に頷きやる事はやはり劈拳だった。
「エ~……」
「文句を言わない。ほらさっさとやる」
「ウウ~……」
ルーナは呻きながらも劈拳を左右交互に行う。十分もするとへとへとになりその場にへたり込む。ルーナの隣りにシモンは座る。
「お疲れさま」
どこからともなくタオルとだしルーナに手渡す。
「ありがとう、お兄ちゃん」
額ににじみ出た汗をタオルで拭きながら一息ついているとふとした疑問が頭をよぎり聞いてみた。
「そう言えば……どうしてこの劈拳が出来ないと他の四つの技が出来ないの?」
「出来ない訳じゃないけど……威力が段違いになるんだよ」
「何で?」
「劈拳というのは形意拳の全てが含まれる技法と言えるからかな。他の四つの技、鑚拳、崩拳、炮拳、横拳ともに劈拳からの派生技と言えるんだ。だからこの劈拳がしっかり出来れば他の技も出来るし威力も上がるという仕組みなんだ」
「フーン……劈拳ってスゴいんだね」
「そういう事。表面見ただけの動作をやって何の威力もない手打ちの技を行っても意味がないからね。さて……それが分かった所で修行再開、さあ立った」
「もう少しだけ休ませて」
「ダメッ!!」
シモンは両腕をクロスさせ✖を作る。
「ウ~、オニッ!! お兄ちゃんじゃなくて鬼いちゃんだ」
「うまい事言ってないでほら立って」
ルーナはしぶしぶ立ち上がり三体式の構えを取りそこから劈拳を再開した。
ルーナの武術の修行一日目は三体式の構えと劈拳のみで終わった。だがこれはあくまで分ずつの修行だけの事であり夜には繭つの修行が待っている。




