第四十話 不可視領域にて 新たな胎動
シモン達が居る世界には不可視領域というものが存在する。そこは神や聖霊がおわす神聖な場所。そこは人が認識出来ない、入る事が出来ない場所であった。例外があるとすればある位階に到達した聖人、神人。そして魔術師と呼ばれる人々。仮にシモンがこの場にいればこう呼んでいただろう。アストラル界と……。
だが今やその不可視領域は神聖な場所とは言い難かった。そこにいる存在は全て神、ところ変われば魔神、邪神と呼ばれようと真は神聖な者。だがそこにいる神々は真の所まである力に犯され狂気に狂い、狂神と化していた。
不可視領域はその世界を作った者の心象が投影される。その心象世界は白亜の神殿の様相を呈していた。
その神殿に集まった狂神は数えるのが馬鹿らしいくらい数だった。人型、獣人、竜、幾万の腕を持つ神、装飾華美、信仰により姿を変える神々が頭上の映し出された映像を見ていた。その映像はルーナ・プレーナとインディ・ゴウがファルケ・ウラガンを打ち滅ぼした瞬間の映像だった。その映像をみて神々は憤怒の表情を浮かべ雄叫びを上げていた。ここに人間がいたとしたらその表情と声だけで肉体はおろか魂までも消滅していた事だろう。
「何だあの光は!?」
神の一柱が声を上げた。
「あの光は我々の中では弱小神であるとはいえファルケ・ウラガンを完全に消滅させている!!」
神というものは完全には滅ぼせない。神々には存在の核というものがあり、それを完全に消滅させる事は人には出来ない。人でそれを成しえるととすればそれは神の加護を得た一部の者であろう。だが、頭上に映し出された映像を見る限りでは何者の加護を受けてはいない筈である。それなのに狂神を完全に滅びしている。
「許されない!!」
「許されない!!」
「許されない!!」
狂神の声が不可視領域に響き渡る。この不愉快な人形とそれを操る異質な力を操る者を殺さんと我が我がと言い合う中、裂帛の怒号が響き渡る。
「静まれぇぇい!!!」
その声に神々は一斉に沈黙する。中にはつい先ほどまで殺意を漲らせていたのに今は恐怖に震えている神さえいた。声を上げた映し出された映像の真下、王座に坐するみすぼらしい老人だった。しわくちゃで痩せこけており身に纏っているものと言えば粗末なキトンのみ。風が吹けば倒れてしまいそうなそんな老人に神々が恐れていた。それもそのはずこの老人こそが人の形態をとった最高神ディオス・ラーであるのだから。
「確かに弱小神だったとはいえ神を完全に消滅させるあの魔術言うのは看過出来ん。これを見越して異世界の魔術師を転生させたのか……コルディアよ」
シモンを異世界から転生させた己の息子を思い出し、そう独り言ちるディオス・ラーに四本の腕を持つ狂神が声を上げる。
「次は俺にやらせてくれ!! あんな子供だましの人形とそれを操る人間どもを塵一つ残さず滅ぼしてくれる!!」
「お前にそれが出来ると言うのか?」
「当たり前だ!!」
四本腕の狂神が四つの拳を握りしめ、ディオス・ラーに受ける。その拳一つにしても山を砕くほどの威力がある。
「……お前じゃ無理だ。出来て手傷を負わせるまでだ」
「何でそんなことが分かる?」
「お前がすでに負けているからだ」
ディオス・ラーがそう言った次の瞬間四本腕の狂神の拳が一つが消滅する。四本腕の狂神が激痛に悲鳴を上げる。
「人間は弱い。我らの指先一つで塵に変えるほど弱い。弱い故に知恵を駆使してくる。その知恵は我々の力に迫るものがある。現に奇怪な人形を作り、我々に届きうる魔術と呼ばれる力を使ってくる」
「考える……暇を与えなければ……瞬殺出来る……」
痛みにうずく腕を押さえ体を震わせながらも四本腕の狂神が訴えてくる。
「俺に……殺らせてくれ……」
ディオス・ラーは熟考するかの如く四本腕の狂神を見る。見つめ合う事数秒ディオス・ラーが口を開く。
「……ならばこ奴に勝利してみよ。それが出来ればお前にやらせてやろう」
「上等だ……ソイツをここに呼んでくれ……倒してやる」
「よかろう……」
ディオス・ラーの正面に光の柱が立ちその中に人影が浮かぶ。光の柱からゆっくりとした足取りで人影が出てきた。そこにいたのは一糸纏わぬ少年だった。年の頃は十四、五か。髪も肌も血が通っているか疑わしいほど白い。なのに瞳と唇は地を塗ったかの様に赤い。その美貌も肉体も美の女神が血が滲むような努力と執念で作り上げたかのように美しい。その場にいる女性の狂神が思わず欲情するくらいの美しさがあった。だが、男の狂神、特に戦神、闘神はかの少年を嘲笑った。そして四本腕の狂神は怒髪天を突く。
「フザけるなっ!! こんなヒョロい、しかも人間を倒せたらだと!! 耄碌したか、ジジィ!!」
怒りのあまり自分より神の位が高いディオス・ラーに突っ掛かっていく。彼も闘神に属する神であるだけにこれは許せなかった。四本腕の狂神はディオス・ラーを睨むが表情一つ変わっていない。やってみろと無言で言っているのだ。
「ああ、分かった。殺ってやる……次はアンタだジジィ!! 人間、テメーは秒殺だ。この場に現れたのを後悔しろ!!」
四本腕の神は残った三つの拳を握りしめ構える。四本腕の狂神が放つ闘気に不可視領域はビリビリと震える。
気の弱い者ならそれだけで死んでしまうだろう。だが少年はその闘気を平然と受け止める。それどころか背中越しにディオス・ラーに尋ねる。
「倒すのはいいんですけど―――殺しちゃっても構わないんですよね」
少年がひと際陽気にそう尋ねた。
「ああ、構わん」
「リョーカイ」
そう陽気に言い少年は笑う。その笑顔に四本腕の狂神に怖気が走る。その笑顔は天使の様に穏やかで朗らかなものなのにその中身はとてつもない狂気に満ち溢れるものだったからだ。
「テメーは……見た目通りの奴じゃないらしい……だから全力でいくぜ!!」
四本腕の狂神は握りしめた拳を振り下ろす。振り下ろされたそれは飛行機雲を引きながら少年に迫る。流星のそれに匹敵する拳を少年は避けられない。少年は四本腕の狂神の拳に飲み込まれ消失、威力は後ろのディオス・ラーに及ぶがディオス・ラーはひと睨みするだけで拳の威力を相殺した。自分の拳の威力をひと睨みで相殺するその力に息を飲む。
「さて……ディオス・ラー様よ。これで俺があの人形と人間を殺しに行けるんだよな?」
「……いいや、無理だ……お前はすでに死んでおるのだからな……」
「何を言って……!?」
四本腕の狂神は最後まで言う事が出来なかった。何故か地面が迫ってきたからだ。地面と無理矢理キスをさせられる。誰がこんな事をしたのか、それを知る為にもまず体を起こさなければと手をついて体を越そうとするが何故かそれが出来ない。まるで頭から下の部分が無くなってしまったかのような……。
四本腕の狂神は己の体の状態を理解して悲鳴を上げそうになるがその前に何もかもをも飲み込む無明の闇に飲み込まれ、その闇は二度と晴れることはなかった。
「……さて、これでいいですか? お爺ちゃん」
頭が無くなったというのに未だ立ち続ける四本腕の狂神の体の横で少年が慇懃無礼に言う。それにディオス・ラーは怒り一つ見せず平然と言う。
「ああ、それでよい……。皆の者も見たな!! この者は人の身で在りながら神殺しを成しえた!!」
狂神の間でどよめきが起こる。これは先程の映像にあった人形とそれ操る人間と同じ能力を有しているのではないかと。そんな人間を手元に置くとは無いを考えているのかと口々に呟く。
「我は神殺しを成す者に対して神殺しの力を有する者をぶつけてみようと思う。我の決定に逆らう者はいるか?」
その問いにそこにいる全狂神が口をつぐむ。最高神の決定に逆らえるわけがないし、逆らったら最高神と神殺しを成すこの少年を相手にしなければならなくなる。そんな割の合わない事は誰もしない。
「では、決定だ!!」
ディオス・ラーの決定にシンと静まる中少年が陽気に声を上げる。
「あ、そうだ。僕もあの人形を手に入れたら……面白くなると思いませんか?」
「……成程……人間が頼りにしてい人形が敵に回ればその絶望はいか程か? 面白い、やってみるがよい!」
そう言われ少年―――サン・クトゥースは笑みを浮かべる。その笑顔はまさに天使の様な悪魔の笑顔だった。




