第二十九話 シモンの不調、そして……
凄まじい勢いで崖を駆け上ったそれは勢い止まらず、手足の力をフルに使って跳躍し、空中で一回転した後、軽やかに着地。立ち上がると同時に疾走する。
「イーヤッホウ!!」
砂煙を上げた走り去るのは赤の偽神ブーケ・ニウスとその操縦者であるアッシュ・ローランス。その後、崖から這い上がったのは黒の偽神ルーナ・ノワとその操縦者シモン・リーランド。その動きは鈍重で精細さをかけている。体に芯が入っておらずルーナ・ノワの巨体が一回り小さく感じられた。
「一体どうしたっていうんだ、シモン?」
シー・マーレー操縦室から一連の動きを見ていたファインマンが心配げに呟いた。魔術という特殊な術の使い手であってもそのメンタルは子供であり、そんな子供の悩み事に応えられるほど人格者でない自分を恨むしかなかった。
ブーケ・ニウスとインディ・ゴウの仮面に納められた精霊石に魔術を施し、精霊石の輝きを取り戻させた翌日。機体のチェックを一日かけて行い異常がないと分かると今度は実際に起動させ性能試験を行う事になりブーケ・ニウスとルーナ・ノワを乗せサヴァル砂漠に来ていた。インディ・ゴウは後日ルーナ・プレーナと共に性能試験を行うため、今回はサフィーナ・ソフで待機となっている。
サヴァル砂漠。そこはかつては広大な森林、そこに栄えた王国があったが一夜にして滅び、それ以降植物が芽生えることなく砂漠になったのだという。神々の怒りに触れた故の天罰だと言われ、サヴァル砂漠に足を踏み入れるのは禁忌とされ、人が入る事がない土地となっていた。だが、神殺しであるシモンたちには禁忌など関係ない。新たな武具や偽神の動作チェックを行う時は必ずこの土地で性能試験を行う様にしていた。
かつて、狂竜神をサヴァル砂漠に追いやろうとしたのは、禁忌の土地である為人がおらず、厄介な物を追いやるにはもってこいの土地だったからだ。
「さて、どうしたものか?」
ファインマンが腕を組む唸る。
「そうですねえ」
そう言ったのはファインマンの隣りに立っている女性、名をアマラ・ミクソンという。褐色の肌に黒い髪、肉感的な長身の美女だった。彼女はファインマンの助手であり、ファインマンが最も信頼を寄せる技術者でもあった。
「偽神は操縦者と同調する事で起動する。偽神がいくら高性能でもその性能を引き出すのは操縦者の腕だからな。メンタルやコンディションが悪ければそれがモロに出てしまう」
「アッシュさんは絶好調なんですね」
「あいつはまあ……単純だからな。悩み事なんざ食って寝て酒飲めば大抵忘れてしまうだろうが……」
モニター越しに見るブーケ・ニウスの動きとアッシュの笑い声を聞く限り彼に悩み事がなくハイテンションである事が分かる。
「……シモン君の不調の原因は何なんなのかしら?」
「分からん。先日聖霊石の輝きを取り戻させてからずっとああだ」
「心配ですね……」
「俺たちじゃあ子供の精神面はどうする事も出来ん。気が紛れるかと思っての性能試験だったんだがイマイチうまくいかなかったな」
「こうなると後は……一か八かアッシュに任せてみるか?」
「アッシュさんにですか?」
アマラが不安げに呟く。
「まあ不安に思うだろうがアイツは不思議と物事の正解を選び取る野生のカンみたいなものがあるんだ。任せてみよう」
サヴァル砂漠を移動する黒の偽神、ルーナ・ノワ。その歩みは目に見えて鈍重、まるで重しを取り付けているかの如く。太陽が照り付け機体の温度が上がりつあるが機体の温度調整は正常であり操縦槽も適温に保たれている為、ルーナ・ノワに異常はあり得ない。だとすると異常があるのは操縦者であるシモンの方だった。
(……ねえ、お兄ちゃん)
偽神との同調は肉体及び精神に深く結びつく。その為、ルーナはシモンと同調した時点で不調に感じていたがどう声をかければいいものかと悩み今まで無言だったが意を決して思念を飛ばしてみた。だが、シモンはルーナの思念に無反応だった。
(お兄ちゃん……お兄ちゃん!!)
ひと際大きな思念にシモンは驚く。耳元で大声で叫ばれたようなものだ。驚いた拍子に砂に足を取られルーナ・ノワは大きく転倒する。操縦槽のシモンに衝撃はないが機体のダメージは伝わる。操縦槽のシモンは顔をしかめた。
「イテテ……そんな大きな思念発してどうしたの?」
(どうしたのはこっちのセリフだよ。お兄ちゃんこそどうしたの!?)
「僕が……どうしたって?」
(お兄ちゃん、自分で気がついていないの!?)
シモンは首を傾げる。
(お兄ちゃん……私の操縦に全然身が入っていない。今もこうやって足を取られて転ぶし。いつものお兄ちゃんだったらやらないミスだよ……何があったの、お兄ちゃん?)
「何もないよ。僕はいつも通りだよ」
シモンは極めて明るく言ううが誰が見てもから元気だということが分かる。
(そんな無理に笑わないで。何があったのか……)
「何でもないよっ!!」
シモンは知らず知らず怒鳴っていた。言った後しまったと思ったが遅かった。
(……お兄ちゃんの……お兄ちゃんのバカーッ!!)
耳元で怒鳴られたと思ったら今まで感じられたルーナの気配が消えた。ルーナ・ノワとの同調が解けていない所を見るとルーナに見限られたという訳ではなさそうだ。恐らく内面世界に引っ込んだのだろう。アストラル体投射で内面世界に向かえばルーナに会えるだろうがどんな顔してルーナに会えばいいのか分からなかった。
「……行こう」
シモンはルーナ・ノワを立ち上がらせた。その動作はやはり鈍く力感が感じられなかった。ゆっくり歩くその姿は道に迷った迷子のようだった。
しばらく歩くと大きな岩山が見えてきた。その大きさは偽神を二回り、三回り上回る。この岩山まで移動するのが今回の性能試験の目的だった。シモンはアッシュが同調しているブーケ・ニウスより大幅に遅れての到着だったのだが……。
「アッシュさんがいない?」
先に来ているはずのアッシュがブーケ・ニウスがどこにも見当たらなかった。
「どこに行ったんだろう?」
またぞろ走っているのだろうかと考えていると突然頭上から声が上がった。
「シモーン!!!」
頭上を見上げると岩山から跳躍するブーケ・ニウスが見えた。ブーケ・ニウスは一回転した後、飛び蹴りの姿勢になった。背後に火球を生み出し、爆発させ推進力を得て、ルーナ・ノワを襲った。シモンは全力でブーケ・ニウスの攻撃を避ける。ブーケ・ニウスの蹴撃は大地に突き刺さり砂塵を巻き上げた。視界が塞がれるがシモンは警戒を怠らない。どの方向から攻撃が来ても対応できるよう身構えるがブーケ・ニウスからの攻撃は来なかった。
巻き上がっていた砂塵が晴れるとそこにはブーケ・ニウスが腕を組み仁王立ちしていた。
「アッシュさん?」
「シモン……お前、少し腑抜けてないか?」
アッシュの声には怒りの感情が混ざっていた。ブーケ・ニウスからは怒りのオーラが沸き上がる。その怒りのオーラは熱となり風を起こす。
「狂神一柱倒したくらいで余裕だとでも言うのか? そんなんじゃ足元すくわれるぞ。ここは活を入れてやるべきだな」
「何をするつもりですか?」
「シモン! 模擬戦をやるぞ!」
そう言われるがシモンは付き合うつもりはなかった。ここは逃げの一手、シモンはシー・マーレの操縦室に連絡を入れた。
「ファインマンさん、止めさせて下さい」
シモンは伝家の宝刀を抜くが……。
(いいや、やってもらう)
「ちょっと、ファインマンさん!?」
(これは性能試験。ただ砂漠を走破するだけの試験のはずがないだろう)
「でも偽神同士が戦うというのは!?」
(戦闘能力はもちろんどのぐらいの破損までなら自己修復が追い付くのかも見させてもらう。これも言ったはずだが聞き逃していたようだな……アッシュ、思いっきりやっていいぞ。シモンの目を覚ましてやれ)
「よっしゃあ!!」
ブーケ・ニウスがガッツポーズをとる。
(ただし制限時間は決めさせてもらう。そうだな……十分、十分間全力で戦ってもらう。それ以降は止めるからな)
「だそうだ。全力でやろうぜ、シモン!」
「……やりたくありません」
「シモン、お前何を言って」
「やりたくありません!!」
シモンはルーナ・ノワは踵を返し走り出し逃走を開始した。脱兎の如く走り出すルーナ・ノワにアッシュは一瞬反応が遅れた。
「待て、シモンッ!!」
アッシュはブーケ・ニウスを走らせ、ルーナ・ノワの後を追う。
「……僕はブーケ・ニウスともインディ・ゴウとも戦いたくない。戦っちゃいけないんだ……」
そんな事を呟きながらシモンはルーナ・ノワを全力で走らせた。




