第百五十五話 剣神の感謝
「僕にこれほど抵抗するとは……感服するよルーナ」
「褒めてもらえるのは嬉しいけど……こんなことで褒めて欲しくはなかったよ」
ルーナ・ノワの操縦権を奪いあうシモンとルーナ。両目を両手で隠すという状態で固まるルーナ・ノワ。ルーナとは別にルーナ・ノワ本体の意志があったとすれば女神の裸体を見たい、見せないなんて馬鹿馬鹿しい争いに巻き込まないでくれと文句の一つも言いたくなるだろう。だからなのか別の者が代弁してくれた。
「―――いい加減目を覚ませ」
そんな言葉と同時に見えない拳に顎をかち上げられたような衝撃が来てルーナ・ノワが大きくのけ反った。ふらつきながらも足を踏ん張りバランスを取る。
「何だ今の衝撃は……て僕は一体何を?」
「一体何をって……誤魔化すつもり!! ホント見損なうわっ!!」
ルーナは今更誤魔化すのかと軽蔑するがシモンは本当に何をしていたのか分からない。
「本当に僕は一体何を……」
シモンがボンヤリした感じで呟くのでルーナは訝しむ。
「本当に分からないの? 巨人から人の姿になったあの神様を見た途端、欲望丸出しに裸を拝もうとしてたの覚えてないの?」
「僕がそんな事をしたってそれ本当?」
「本当」
ルーナの意志を感じ取ってルーナ・プレーナが頷く。
「僕は……精神攻撃に対して幾つか防御策を講じてるっていうのにそれを突破して魅了してきた? そんな事が出来るなんて……まさに神の御業ってところか」
後ろによろめいた事により少し距離が出来たというのに遠目で見る神の裸体にまた欲望らしきものがこみ上げてくる。
「こんな……十代の子供のようにこうも心を搔き乱されるとは……ルーナ、僕は同調を解く。ルーナには……同性には魅了が効かないみたいだから僕の代わりにあの女神を保護してくれ。目を覚ましてどういう反応をするか分からないけど話は聞いてみたいから」
「ウン、分かった」
ルーナが頷くと同時にシモンは一瞬体が沈んだ感覚に襲われ周囲が薄暗くなる。操縦槽の中の本体に戻ったようだ。先程まで体の内から湧き上がっていた欲情が水が引くかのように落ち着きホッとしたが別の問題が出てくる。
「男となれば老いも若きも……僕みたいな精神攻撃対策をした魔術師さえも篭絡するとなると保護するのも難しいかもしれない。下手をすれば女神争奪戦が始まってしまう」
保護ではなく危険な存在として封印するべきではないかとシモンは考えてしまう。どうするべきかと考えていると「あっ、カルヴァンのオジサン」というルーナの声が聞こえてきた。
「カルヴァンさん? 何をしているんだ? ルーナ説明して」
「えっと……どこからともなく現れたカルヴァンのオジサンがあの女神さまの元に向かって歩いてる」
「それって危なくないか。いくらあの人でもあの強烈な魅了には抵抗出来ない。ルーナ、カルヴァンさんを止めてくれ」
「ウ、ウン、分かった」
ルーナ・ノワをカルヴァンに向かって手を伸ばす。
「行っちゃダメだよ、オジサン。オジサンももおかしくなっちゃうよ」
「あー、大丈夫。俺には魅了は効かないから」
カルヴァンは女神に向かいつつ右手だけをルーナ・ノワに向けつつ言う。
「大丈夫って……」
ルーナは何事もないように歩いていくカルヴァンを止めるべきか悩む。伸ばした手の置き所もなく困っている間にカルヴァンが横たわる女神の元に座る。そして女神の寝顔をまじまじと見つめると懐かしそうに女神の頬を撫でる。
「ようやくこうやって触る事が出来たな」
更に頬を摘みムニムニと弄る。それを嫌がっているのか女神が多少顔をしかめるがカルヴァンはお構いなしだ。
「こんな風にお前に触れる事が出来るとは……どれだけ時間を繰り返しても出来なかった。この時間軸で初めて現れた彼はやはり鍵なんだな」
「カルヴァンのオジサン……今のどういう意味? この時間軸に鍵? それに彼って?」
「……それを説明するためにもシモン君に降りてくるように言ってもらえないか?」
「でもその神様を見るとお兄ちゃんおかしくなっちゃうから」
「だったな。なら少し待ってくれ」
カルヴァンが目の前の空間を指でなぞり大き目の空間の穴を作りそこに手を突っ込みやや大きめのシーツと一枚の黒い札を取り出した。シーツは単に女神の体に覆い隠すための物だったが札には何の意味があるのだろうか。ルーナはこの黒い札からは何やら不穏なものを感じていた。
(あの札は一体? 何でこんなに気になるんだろう)
ルーナはルーナ・ノワの視覚機能を調整し黒い札をズームしてみる。
(!? 何これっ!?)
黒一色に塗られた札と思われたのだが実際は無数の文字で埋め尽くされていたのだ。
(この文字は一体? 魔術はもちろん、魔法で使われる文字でもない。未知の言語が使われている? それに魔法陣の様に計算されて配置されて物じゃない。こんな無秩序に書かれた物、ただの……落書きじゃないの? オジサンはこれをどうするつもりなの?)
カルヴァンはルーナの疑問に答えるように女神の額に黒い札を貼った。その途端、女神から感じられた力の波動がかなり弱まったのが感じられた。
「ウソッ!? そんな札一枚で神様の力が弱まった!?」
「嘘ってそれはないだろう。これでも神滅武装の技術を使ってるんだからな」
神滅武装―――シモンが現れる前、狂神と戦う際の決戦兵器として使われていた技術。その正体は扱う武器に刻み込まれた神々を呪う呪詛。使用者にも悪影響がある為、多用が出来ない呪われた武装。
「それって呪詛なんでしょう。その神様大丈夫? 何らかの障害があるんじゃ?」
「効力はかなり弱まらせてるから大丈夫。多少目覚めが悪いくらいのものだ」
「フーン……それならいいんだけど。これならお兄ちゃんを呼んでもいいかな」
ルーナが操縦槽の中のシモンに声をかける。
「お兄ちゃん、もう一回同調して」
「? 同調するとまた精神支配されてしまうから無理」
「だけどカルヴァンのオジサンが神様の力を抑えてくれたから。あれなら多分、大丈夫だと思う。だから同調してあの神様を見てみて」
「ちょっと不安なんだけど……」
シモンは不承不承と言った感じでルーナ・ノワとの同調を開始する。そして女神の姿を見ると確かに心の底から湧き上がってくる欲情が落ち着いているのが分かる。
「これは……あの額に貼ってある黒い札が原因か?」
「神滅武装に用いてた技術を使った物なんだって」
「それ大丈夫? 神に対する呪詛なんて……」
「その件はもうやったから。それよりもカルヴァンのオジサン、降りてきて欲しいって言ってるんだけど」
視線をそちらに動かすと女神の傍らに座るカルヴァンがこっちに来いと手招きしている。
「あの人の手招きって何か怖いんだけど……行くしかないか。そうしないと話が進まないし。一応用心して……」
シモンは堅牢な砦をイメージ、そこに心を置きいかなる者もこの砦えお突破する事が出来ないとし、改めて精神防御を完成させる。そうしてからシモンは操縦槽の扉を開きルーナ・ノワから降機した。
「……なんか久しぶりに大地を踏みしめたって感じがするな」
感慨深げに呟くシモンの目の前に突然、巌の様な巨体が出現した。女神の傍に座っていたカルヴァンが何の前触れもなく目の前に出現したのだ。カルヴァンは空間を渡る技術を持っているのだがそれをするには幾つかの予備動作が必要となるが今の現れ方は本当に瞬間移動だ。
「何っ!?」
後退るシモンを逃がさないというようにカルヴァンが羽交い絞めした。シモンはカルヴァンを引きはがそうともがきながら叫ぶ。
「何をするんですかっ!! 僕にそんな趣味はありませんっ!! 離して下さいっ!!」
だがカルヴァンがシモンを引きはがすまいとホールドしている。
(そういう趣味はないと言ってるってのに……こうなったら!!)
シモンは怒気を籠め拳を握りしめるがカルヴァンが耳元でこう呟いたのでその拳を弛めた。
「ありがとう……」
カルヴァンの感謝の一言にとてつもない重さが感じられシモンはもがくのを止めた。
「カルヴァンさんが僕に何を感謝したのか分からないけど……その謝意を受け入れます。だから離れてください。そして……その色々と説明してくれますか?」
「ああ、そうだな。約束だものな」
そう言って離れたカルヴァンのその表情は憑き物が落ちた様な穏やかなものだった。