第百四十九話 カルヴァンの依頼
「やってもらい事とは……これだ」
カルヴァンがそう言い放ち手に持っていた大剣を片手で放り投げた。
「あんな重い物を軽々と……じゃなくて一体何を?」
シモンとルーナ・ノワは大剣の軌道を目で追った。空中に高く放り投げられた大剣は回転しながら弧を描き重力に従い落下していく。そして足元の水晶らしき物に刀身全体が深々と突き刺さったのだ。
「なっ!?」
シモンは驚き目を見張る。
「何を驚いてるのおにいちゃん?」
「ルーナは分からないの? 偽ルーナ・ノワの震脚でさえ壊せなかった物に剣を突き刺すなんて」
「あっ!?」
ルーナはシモンが言わんとすることが分かり驚きの声を上げた。
「しかも何の術理もなく適当に投げただけなのに……」
「そう褒められると照れるなあ」
今だルーナ・ノワの胸部に立っているカルヴァンが照れくさそうに頬を掻く。
「剣技というべきなのかな? その技には素直に称賛しますが……それで僕にしてほしい事って何なんですか?」
「それはこれから……始まる」
「始まる?」
カルヴァンの言葉が合図であるかのように変化が起こった。水晶らしきものに突き刺さったカルヴァンの大剣を中心にひびが入り全体に広がりそれに呼応するように鳴動が起こる。
「これ何かマズい……ルーナ、早くルーナ・プレーナになって!! 上空に退避っ!!」
「分かった、お兄ちゃん。カルヴァンのおじさんは……いない?」
「あの人なら僕たちに頼らなくても大丈夫だから早くっ!!」
「わ、分かった!!」
ルーナ・ノワは立ち上がり跳躍、空中でルーナ・プレーナとなる。己の体の一部で作り上げた四大魔術武器の力場を利用して上空に退避する。
「一体何が起こっているんだ?」
「時間を進めたんだよ」
シモンが漏らした疑問にルーナ・プレーナの耳元で誰かが応えた。声の方向に顔を向けるとルーナ・プレーナの右肩にカルヴァンが腰かけていた。
「その空間の穴を開ける技術便利ですね。事実上行けない場所はないんじゃないですか?」
「これはこれで結構制約が多い。出る場所をキチンと把握しておかないと間抜けな自爆技になりかねんし動いている物に移動する時はどこにどう動くかかなり細かく予測しないとダメだし計算で頭が焼ききれそうだよ」
カルヴァンがぐちぐちと文句を言い始めたが関係ないのでシモンは話を切り替える。
「そういう苦労話はいいとして……本当に何をしたいんですか!? 狂神を目覚めさせてやりてい事って一体!?」
「それはだな……と言いたい所だが説明する時間がない……来るから注意しろ」
カルヴァンがそう言うと空間に穴を開け飛び込みすぐに閉じた。
「あの人逃げた……逃げる前にちゃんと説明して……」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ、お兄ちゃん。下を見て!!」
シモンが眼下に視線を向ける。水晶のような物質を破壊しながら狂神が這い上がって来た。這い上がって来た狂神、それは濁った汚泥を練り固め人型にしたような姿をしていた。フォルムからして女性である事が分かる。その姿にシモンは違和感を覚える。
「あれが狂神……今までの狂神とは何か違う」
今までの狂神は人に敵対する物であってもまだ知性を感じられたが眼下の狂神には知性が感じられない。全てを食らい飲み込む言い様のない底知れなさがあった。
「あの狂神を相手に……カルヴァンさんは僕に何をやらせようとしているんだ……?」
そんな事を言ってる間にも狂神は少しずつ這い上がってくる。上半身まで体が出てきたところで根詰まりでもあったのか幾らか押し上げても水晶から抜け出せなくなっていた。その滑稽さに気が緩む。
「案外間抜けなのかも」
ルーナらしからぬ辛辣な感想だ。
「出てこれないなら今がチャンス、攻撃を……」
シモンは精神を集中しようとするが「お兄ちゃん、あれ……」というルーナの声に集中が乱れた。
「今は黙って……というかルーナも集中して……」
ルーナを咎めるシモンも思わず押し黙ってしまった。眼下の狂神は己の体をのた打ち回らせ水晶に体を何度も叩きつけていたのだ。水際に打ち上げられた魚のような動き、普通なら見苦しいと思うのだろうがシモン、ルーナにはより狂気じみたものを感じた。
「あれはマズイな」
「早く攻撃を……」
逆に冷静になった二人の呼吸は落ち着き意識は研ぎ澄まされ魔術を行うには最高の状態となった。魔術の呪文を唱えようとした時不意に狂神の動きが止まった。一瞬グッと力を蓄えたかと思ったら何の前触れもなく水晶から下半身が抜ける。何もない空中を猿の様に駆け上がりルーナ・プレーナと同じ位置に瞬時に移動して見せたのだ。攻撃魔術の準備に意識を割いていたシモンとルーナは狂神の動きに対して反応が遅れる。ルーナ・プレーナに向けた右腕がゴムのように伸びルーナ・プレーナに迫る。咄嗟に四大魔術武器を前面に展開する。スクエア型の障壁を展開する事で直撃を防ぐ事は出来たが衝撃を殺しきれない。展開した障壁を叩きつけられされ大きく弾き飛ばされ岩壁にめり込む。
「ガハッ……」
ルーナ・プレーナは魔術特化の機体、ルーナ・ノワに比べて物理防御力は低く衝撃に耐えられない。意識はあるが体が麻痺して身動きを取れない。四大魔術武器が前に出てルーナ・プレーナを守ろうとするが動きが鈍い。次に攻撃が来れば大破は免れない。
「早く動かないと……ルーナ……」
「ゴメン、私も動けない……」
偽神特有の自己修復により破損個所の修復が始まっているが動きが取れるようになるには時間がかかる。身動きが取れないルーナ・プレーナに狂神が襲い掛かる。ゴムのように伸びた右腕がルーナ・プレーナに迫る。ゴムのような腕だが先端は槍のように鋭い。物理的な防御力の弱いルーナ・プレーナでは防ぐ事は出来ない。ルーナは聖霊石がやられない限り無事だが操縦者であるシモンは致命的なダメージを受けてしまうだろう。そうはさせないと魔術力を集中するが狂神の攻撃を防ぐほどの魔術力を練るには時間が足りない。なす術のないシモンには迫りくる右腕を睨みつける事しか出きなかった。
「やれやれ……見てられんな」
呆れた様な声と共に目の前の空間がパックリと割れそこに狂神の右腕が吸い込まれた。狂神が慌てて手を引くが僅かに遅い。空間の割れ目が閉じた事により狂神の右腕が切断された。痛みなど感じていない狂神は体から複数の槍を繰り出すがその軌道を全て読んだ上で開かれた空間の穴に攻撃は全て飲み込まれそして切断された。
「開いての攻撃の軌道を呼んでその先に空間の穴を開いて攻撃を回避、そして空間の穴を閉じる事によって体を切断!? こんな攻防一体の技を繰り出すなんて……そんな事が出来る人は……」
「そう……俺だ!!」
そう言ってルーナ・プレーナと狂神の中間位置に現れたのはベネティクト・カルヴァンその人だった。
「フンッ!!」
カルヴァンは空間を蹴り狂神との距離を詰める。カルヴァンを強敵と見なし狂神は両腕を凄まじいスピードで伸ばし攻撃を繰り出すが、カルヴァンが愛用の大剣で軽く弾いただけで軌道が逸れ見当違いの方向に伸びていく。
カルヴァンは狂神の間合いに入り大剣を振り下ろす。
「もう少し眠っていてくれ……」
何の魔法も付与されていない大剣であるはずなのにそうとは思えない凄まじい衝撃が狂神を激しく打ち付ける。狂神の体から力が抜け地の底へと落下した。
地の底に落下していく狂神を見下ろしカルヴァンは溜め息を付き、ルーナ・プレーナを見てまた溜め息を付きた。
「……何ですか?」
カルヴァンが岩壁にめり込んだルーナ・プレーナに近づき後部を軽く小突きながら言う。
「二人とも、頼むかもう少しちゃんとしてくれよ。せめて対等に戦えてくれないと困る」
「対等にっていわれても……僕は少し魔術が使えるだけのただの人間ですよ。カルヴァンさんと同列にされては迷惑です」
「そうだそうだ。私も普通の偽神でカルヴァンのおじさんの様な超絶戦闘力はありませんから!!」
「いや、二人とも十分タダものじゃないだろうに。特にシモン君は俺にとって……」
最後の方がうまく聞き取れなかった。
「? 何て言ったんですか?」
「いいや、何でもない」
「それよりも……いい加減教えてくれませんか? カルヴァンさんが僕に一体何をさせたいのか? それを説明してくれないまま引っ込んだからどう動けばいいのか混乱しましたよ」
「アレ? 俺言わなかったっけ?」
「言ってません!!」
シモンにそう言われカルヴァンはバツが悪そうな顔をしながら頭を掻く。
「それは正直……すまなかった」
「謝るのはいいですからほら早く」
「そうだな……俺がシモン君に頼みたいのは一つ……あの狂神は倒すのではなく君の魔術で浄化して神に戻してほしいという事だ」