第百四十五話 十二形拳、先を行くもの
偽ルーナ・ノワはユラリと立ち上がると両手を広げ下腹部に向けて両手を降ろす少し膝を曲げる。そしそし拳を握り捩じる様にして得よう拳を顔の前に持っていく。両手を開きつつ左掌を打ち下ろし右掌を腰に引く。左足を強く踏み込むその強い踏み込みに足元の水晶が強く揺らいだ。
「その構えは!?」
偽ルーナ・ノワは三体式の構えを取っていた。形意拳の基本姿勢であり『万物は三体式より生まれる』と言われ、異世界の法則が含まれるこの構えを狂神が取るとは思わず、ルーナ・ノワは驚愕するが同時に怒りも覚えていた。
「狂神がお兄ちゃんの形意拳を……マネするなっ!!」
偽ルーナ・ノワが取る三体式の構えが敬愛するシモンの構えが被り、シモンが穢されているように感じ怒りを覚えたのだ。ルーナ・ノワも三体式の構えを取り強く踏み込み前身、距離を一気に縮め右拳で中段突き―――崩拳を放つ。怒りの為、体に余計な力が入り力の伝達が不十分、技としては未完成だった。
対し偽ルーナ・ノワは前身すると同時に左腕を動かす。暖簾をくぐるような動作でルーナ・ノワの右拳を上方に逸らし右拳で突く。虚を突かれたルーナ・ノワは避ける事が出来ず胸部に突きを食らってしまう。衝撃で吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされながらもバランスを取り足から着地するがすぐに立ち上がる事が出来なった。
「グフッ!?」
打たれた箇所の装甲が砕けその奥の肉体が爆ぜ大量の血を流した。偽ルーナ・ノワの打撃の威力が装甲だけではなく内部に徹った証拠だった。
(……今のはまさか炮拳? 形意拳の技を使ってきた!? それにこの威力は熟練者……お兄ちゃんの技術だ。それに崩拳を炮拳で対応した? 五行相克まで持ってくるなんて信じられない!?)
狂神が五行相克を知っているとは思えないがそう思わずにはいられなかった。形意拳の基本技である五行拳はその名の通り火木土金水、自然界を構成する五行から来ている。崩拳は五行で言えば木氣、炮拳は五行で言えば火氣に当たる。五行相克にあてはめれば火が木に克った―――火克木の相克という事になる。
「私とお兄ちゃんじゃ技術の差がある……正直勝つ見込みはないだろうけど……それでもお兄ちゃんは助ける!!」
ルーナ・ノワは魔術力を集中し肉体はもちろん装甲までも修復させる。立ち上がると多少の眩暈を感じふらつくが足を踏ん張り三体式の構えを取った。それに答えるように偽ルーナ・ノワも三体式の構えを取る。お互いがすり足で前進、徐々に距離が縮まりお互いが攻撃できる距離に近づく。近づくほどにお互いの緊張感が高まりそれは風船のように膨らむ。そして前に伸ばしたお互いの左掌が触れた瞬間風船は爆ぜ、それに押されるように双方が動いた。ルーナ・ノワが右拳中段突き―――崩拳を放つ。それを偽ルーナ・ノワが右腕て払いあげ左拳で突く。これは崩拳を炮拳で返す。先程の攻防の焼き回しであった。だが相手も形意拳を使うという事が分かっていれば対応策はある。左腰へ持っていった左拳を突き上げて偽ルーナ・ノワの左拳を迎撃した。この突き上げる技は鑚拳といい五行で言うならば水氣に当たりこの攻防は水克火の相克を実践したと言えた。
このようにお互い技を放っては返す、返しては技を放つという高度な攻防が続く。お互いダメージを与える事は出来ず戦っているというより舞の様に優雅な美しかった。そんな優雅な舞は偽ルーナ・ノワが距離を取った事によって終わってしまった。
逃げに走った偽ルーナ・ノワを追い更に攻撃を畳み掛けこちらに流れを呼び込もうとルーナ・ノワは距離を詰める。偽ルーナ・ノワの間合いに入ると同時に崩拳を放つ。回避するにも間に合わない、この一撃なら偽ルーナ・ノワの奥にいるシモンを引きずり出せる。そう確信できる程の一撃が空を切った。残像を残して偽ルーナ・ノワが消えてしまった。
「―――えっ!?」
自分とほぼ同じ大きさの巨体が何の前触れもなく消えてしまった。何らかの術が発動したような気配はなかった。一体何が起こったと思うと同時に体が全力で後ろに下がった。自分の意志とは別の―――偽神の肉体を構成するシモンの人工筋肉が反応したのかも知れない―――ものが肉体を動かしたのだ。そして別の何かの反応は正しかった事をルーナ・ノワは理解した。
ルーナ・ノワが先程いた場所の真下から偽ルーナ・ノワがせり上がりさらに上昇し拳を突き上げたのだ。何も気づかすに突っ立ていればその拳がルーナ・ノワの下あごを突き上げ下手をしたら仮面を叩き壊されかもしれなかった。更に空中にいた偽ルーナ・ノワが重力に従い落下する際、ルーナ・ノワに右掌を振り下ろす。ルーナ・ノワは体を反転させ右掌を躱す。対象を失った右掌は足元の水晶を強く叩き轟音と共にひびを入れた。
「この技は……」
ルーナ・ノワはこの技に見覚えがった。形意拳では基本となる五行拳の鍛える事で一撃一撃の威力を練り上げ十二形拳で多方向の攻防技法を学ぶのである。偽ルーナ・ノワが行ったのは十二形拳の一つ龍形拳だった。ルーナは五行拳で一撃の威力を練っている段階で十二形拳の習得には至っておらずシモンの修練で見た事があるだけだった。
自分がまだ学んでいない物で来られては対応が出来ないと考えルーナ・ノワは果敢に前進、連続攻撃する事で偽ルーナ・ノワの動きを封じようとするがその攻撃を全て十二形拳の技術で防がれた上に反撃される。
「クッ!!」
ルーナ・ノワが焦って放った崩拳を偽ルーナ・ノワは足を軸にクルリと回転し躱されたかと思ったら背中を密着した。そして次の瞬間近距離で爆発したかのような衝撃がルーナ・ノワを襲う。
「―――!!!???」
ルーナ・ノワが声にならない悲鳴を上げて吹っ飛びうつ伏せに倒れた。
(!? この衝撃はっ!?)
形意拳は主に拳や掌で戦う技が多い。体当たりの技法は兄弟拳である心意六合拳に伝わっているのだが形意拳で唯一体当たりの技法が学べる型がありそれが偽ルーナ・ノワが行った十二形拳の一つ熊形拳である。
ルーナ・ノワには魔術力を使った自己修復能力があり余程の事がなければダメージが残るという事はない。だが偽ルーナ・ノワの一撃はルーナ・ノワの内部に深いダメージを残しており意識が混濁、視界が歪み立ち上がるのが困難になっていた。
(……早く起き上がらないといけないのに体に力が入らなない……それに立ち上がったとしても形意拳じゃ勝つ事が出来ない……ルーナ・プレーナになって魔術戦を行ったとしてもやはり勝つ事は出来ない。相手は私の先をいっている、武術でも魔術でも経験でも勝つ事が出来ない……私じゃお兄ちゃんを助ける事が出来ない……お兄ちゃん、ごめ……ん? お兄ちゃんを助ける? ……そうだよ、お兄ちゃんを助けるのが目的なら相手に勝つ必要は……)
偽ルーナ・ノワがルーナ・ノワにとどめを刺そうと歩を進めるが不可視の壁に阻まれた。ルーナ・ノワを中心とした障壁が偽ルーナ・ノワの行く手を阻んでいた。
「……アアアァァァァ!!!!!!!」
ルーナ・ノワが雄叫びを上げると同時に障壁が広範囲に広がり偽ルーナ・ノワを数十メートル向こうに追いやった。無理矢理距離を取らせる事で出来た僅かな時間を使い自己修復で体で体のダメージを抜く。体の回復を確認すると立ち上がり偽ルーナ・ノワの方を向き三体式の構えを取った。
ルーナ・ノワのあがきが見苦しい、引導を渡してやると進む偽ルーナ・ノワの足が止まった。右の腰に添えられたルーナ・ノワの右拳に凄まじいまでの力が収束されていたからだ。この収束された力が放たれればいかなるもの、それこそ狂神であろうと貫けるであろう。
武術、魔術、知識、経験共に勝てないと判断したルーナ・ノワは一点突破力で上回ろうと考えたと偽ルーナ・ノワは判断した。それならと偽ルーナ・ノワも同じように三体式の構えを取り右拳に力を収束した。一点突破力をも上回る事で完膚なきまでの敗北を与えてやろう考え心の中で暗い笑みを浮かべた。
ルーナ・ノワと偽ルーナ・ノワ、全く同じ構造の二体の巨人の戦いは終わりに近づいていた。