第十話 サフィーナ・ソフの実態、シーマーレーの帰還
狂神出現の警報が出て偽神がシー・マーレーと呼ばれる何らかの移送機関で出動してから三日が立った。シー・マーレーが帰還したという話はなかった。シモンが神殺しに入会するという話は一時保留となった。
その間何もしないという訳ではない。食事と睡眠による体力の回復、形意拳の套路をする事による武力の強化、瞑想や西洋魔術版の小周天と呼ばれる中央の柱の行を行い、魔術力の回復等いろいろ行っていた。その甲斐あって体を動かすのに支障が無くなるとメリダが「今日はサフィーナ・ソフを案内してあげるよ」と言ってきた。自分が神殺しに入会したとすればここが拠点となる。知っていても損がないとシモンは案内をお願いした。
「狂神と戦う事を目的とした施設―――サフィーナ・ソフ。その割には普通の人が多いですね」
シモンの仮住まいとなっている家をでてしばらく歩き大通りに出た。大通りには人が行きかい、道端では屋台が出ていた。肉を焼くいい匂いが漂ってくる。防衛施設というよりはどこにでもよくある普通の街というその姿には驚く他ない。
「私たちが住むこの地区は単純に居住区って呼ばれている。居住区は狂神の被害者が集まっている地区なんだよ」
「被害者の街……」
シモンは呆然と周囲を見渡すが人々に不安の表情はない。日々を必死に楽しく生きている、そんな強い生命力を感じさせた。
「周りにいる人は全て狂神の被害者。狂神に恨みがある筈なのに戦わずにこうやって日々を過ごしている。そんな人たちを不甲斐ないとシモン君は責めるかい?」
メリダが真剣な表情でシモンに問う。それに対しシモンは「まさか」と気軽に言った。
「戦い方は人それぞれ。狂神と直接戦う者もいればこうやって日々を生きるのもまた戦い。まあ狂神にとっては人々がこうやってしぶとく生きているのは快く思わないだろうし嫌がらせという意味では万事オッケーですよ」
「狂神が快く思わない……そんな風に考えた事なかった……シモン君、君何歳? 考え方が年相応じゃないよ」
シモンは言葉に詰まる。
「ま、まあいいじゃないですか。少し大人びてるだけですよ。なにもおかしくないですよ」
「自分で言うかね……怪しいねえ」
メリダに疑わし気に見られシモンは顔を逸らす。
「ともかくサフィーナ・ソフの案内をしてくれるんですよね。お願いします!」
強引に話をすり替えるシモン。だがメリダは少し困った顔をする。
「今、サフィーナ・ソフは厳戒態勢になっててこの居住区からは出られない。だから案内できる場所はだいぶ限られてしまうんだけどそれでもいい」
「それで十分ですよ」
「そう、よかった。じゃあ早速行こうか」
メリダはシモンの手を掴んで歩き出す。すたすたと速足で歩くメリダにシモンは目につんのめりそうになりながら後に続く。
「メリダさん、もっとゆっくり歩いて!」
シモンが慌てて言うがメリダは聞く耳持たずと言った感じで速足で歩く。そして不意にこう言った。
「シモン君……アリガトウ」
メリダは神殺しの人たちの様に狂神と戦えない事を心苦しく思っていた。そんなメリダにとってシモンの言葉はまさに天啓だった。それ故の感謝の言葉だったのだろう。
「お礼は言葉じゃなく態度で示してくださいよ」
「いいよ、何でも奢っちゃうよ」
「案内っていっても食べ歩きじゃないですか」
シモンはジト目でメリダを睨む。居住区だけでもかなりの広さがある。正直一日で回り切れるものではない。だから要所を回る事になったのだが回った所全てが菓子店や食堂、屋台など食べ物屋が中心だったのだ。ジト目で睨むシモンにメリダは悪びれた感じはない。
「いいじゃない。楽しかったでしょ」
「それはそうだけど……」
「最後に案内するのはここだよ」
メリダの背後にあるのはこの居住区の中心にある天を貫かんとする巨大な塔だった。
「どんな場所にいても見えるこの塔、いつも気になってたんだけどどういう目的で建てられた塔なんですか?」
「さあ?」
「さあって」
メリダが困った様に頬を掻く。
「サフィーナ・ソフが見つかった時からこの塔は立ってたらしいけど、何で建てられたのかはわかってないんだって」
「サフィーナ・ソフって一体何なんですか?」
「古代の遺跡を改修して人が住めるようにしたって話だけどよく分からない」
「そんなよく分からない物に住むって怖くはないんですか?」
「もう住み慣れたから。住み始めた頃はいつ落ちるかと不安だったけど」
「住み慣れたって……」
開いた口が塞がらないとはこの事だとシモンは思った。事実開いた口が塞がらない。そんな表情をするシモンの肩をメリダは平手で叩く。
「ああ、もうウルサイ! ともかくついて来なさい」
塔の中に入ると中は伽藍洞だった。上に登る為の階段すらない。天井はない様で太陽の光が塔に入っている為視界には困らないのだが何の為の塔なのだろうか。
「ほらシモン君。こっち」
メリダが塔の中心にに立ちシモンい声をかける。シモンは歩み寄りメリダの隣りに立つ。
「それでどうするんですか?」
「こうするんだよ……屋上に移動」
メリダがそう呟くと床がぐらりと揺れた。シモンとメリダの周囲数メートルの床が浮かび上がり二人を押し上げたのだ。
「な、何事!?」
「大丈夫だよ、シモン君、ここの床は命令するとこうやって浮かんで屋上に運んでくれるんだ。それだけだけど凄いでしょ」
「そりゃ確かに面白いけど」
それだけですかとシモンは呆れてしまう。
(これってエレベーターだよな。しかも前世の世界のものんか目じゃない高性能だ。一体どういう仕組みで動いているんだこれ)
最初の振動以外は体に負担はない。エレベーター特有の浮かぶような感覚すらない。時間にして数十秒で屋上に着いた。塔の屋上は空以外何もなかった。空以外何もない風景というのは思ったよりも爽快だった。ポカンとしたシモンの表情を面白そうに見ていたメリダは更に畳み掛ける。
「シモン君、下も見てごらんよ。更に驚くものが見れるよ」
「下って……」
シモンは高所恐怖症の気がある。高所から下を見ても身が竦んで動けないという事はないが体が震えてしまうぐらいにはなるのだ。
「いいからいいから」
メリダは後ろに回りシモンの背中を押す。
「押さないで下さい! 分かりました! 見ますから押すのヤメテッ!」
シモンは胸の動悸を押さえながら塔の外周に立つ。
「頼みますからゼッタイに押さないでくださいよ!」
「それってフリじゃない。押してっていう」
「もし本当に押したら……」
メリダをぎろりと睨むシモン。わずかに殺気を放つ。
「コワッ! 分かった、押さないから見てごらん、面白いから」
絶対に押さないでくださいよと念を押してから恐る恐る下を覗くシモン。その光景にシモンは驚愕し恐怖を忘れてしまった。塔の屋上からはサフィーナ・ソフの外周が見えていた。サフィーナ・ソフの外周は空と同じ青と白い靄に覆われていた。
「何だこれ?」
シモンは機能停止しそうな脳に活を入れて分析する。
「もしかしてここって空に浮いているの? そう言えばメリダさんはさっきこう言っていた。いつ落ちるか不安だったと。更にサリナさんはサフィーナ・ソフは古語で空の箱舟って意味だと言っていた。空の箱舟の空の意味は分かったけど箱舟の意味が分からない。いや、単純に空に浮く機能がある箱舟の上に人が住めるよう改修したのなら意味が通る。どういった文明の人がこんなの発明したんだ。ファンタジーとはいえいささか非常識な気がするけど……」
「オーイ、シモン君。戻ってこーい」
思考に没頭しかけたシモンはメリダの問いかけにハッとする。
「ごめんなさい、メリダさん」
「いいよ、いいよ。シモン君の驚いた顔が見れてから満足したし」
シモンはウッと呻きながらメリダをジト目で見る。
「人の間抜け面を見て笑う何て趣味が悪いですよ」
「そんな顔が見れただけで案内した甲斐があったってもんだよ」
けらけら笑うメリダを恨みがましげに見るシモン。そんなシモンの視界に何やら黒い点が目に入る。その黒い点は徐々に大きくなり実像が見えてきた。
「……サフィーナ・ソフがもう一隻?」
「違う! あれ、シー・マーレーだ! 神殺しが戻ってきだんだ!」
身を乗り出すメリダ。身を乗り出し過ぎ、落ちるとシモンはメリダの体を押さえながらシー・マーレーを見る。
「あれにサリナさんも乗っているのか……あのシー・マーレーに行く事は出来ないんですか?」
「私たちは厳密には神殺じゃないから近寄る事は出来ないんだけど……この塔にこのタイミングで入ったのは運がいいかも」
「一体何をするつもりですか?」
「シー・マーレーの映像を出して!」
メリダが虚空に向かって叫ぶとメリダの目の前の空間に半透明状のスクリーンが出現しそこにシー・マーレーの映像が映しだされる。丁度サフィーナ・ソフに接舷した所のようだった。
「この立体映像……凄い技術ですね。魔法だけじゃないでしょこれ」
そんな事をぶつぶつ呟いていると二体の偽神が降ろされる画像が映し出される。機体の破損の状況から見て相当激しい戦いだった事が見受けられた。
「こんな戦いをしてきたなんて、サリナさんは大丈夫なのか」
シモンの言葉に反応したのか画像が切り替わり、サリナが映し出された。
「僕の言葉に反応したのか? 高性能だなこの塔のシステム……サリナさん……泣いてる、どうしたんだ?」
画像に映し出されたのはサリナの泣き顔だった。ストレッチャーで運ばれている男性に向かって何かを叫んでいるようだが音声が拾えていない為、声は聞こえない。
「この男性は誰なんだろう?」
「そんな……アッシュさん」
「アッシュさんって赤い方の偽神の操縦者?」
「そうだよ。でもアッシュさんがあんな風になるなんて……」
「メリダさんともかく下に降りましょう。何か情報が下りてるかも」
「そうだね」
シモンとメリダはスクリーンを消して塔を降りる事にした。この判断が早すぎたためある異常に気が付く事が出来なかった。
―――偽神の胸部が波立ち一瞬、人の顔になったのを。