百二十六話 カバラ十字の祓い浄化式
「頼むっ!! サリナ達を消さないでくれっ!!」
自分の足に必死に縋りつくファインマンを見てシモンの中に迷いが生じる。このまま除霊をしていいのかと己に問う。
魔術師としてならば問答無用で除霊を行うべきである。サリナや村人たちの魂の中には狂神の神核が存在している。細分化されているがそれでも狂神の核となる物である。消滅するなどありえない。近いうちに再び一つとなるはずだ。その時が狂神の復活の時である。復活の際、使われるのはサリナよ村人たちの魂だろう。そうなればサリナ達の魂は今度こそ狂神の糧となり今のように復活する事はまずありえない。そのようなむごい事になるのなら除霊するのはむしろ慈悲とも言えよう。それなのに除霊する事を躊躇している人としての自分がいる。どうするべきかとシモンは悩む。それが魔術力を集中していると見えたのかファインマンは立ち上がりシモンに殴りかかる。
「止めろって言ってるだろうがっ!?」
思考に没頭していたシモンはなす術なく殴られ地面に倒れる。
「お兄ちゃんっ!!」
ルーナは倒れたシモンを庇うように前に立ち立ち塞がる。
「ルーナ、そこを退いてくれ。俺はまたサリナがいなくなるなんて耐えられない。なのにそれをやろうとするならそいつは俺の敵だ……」
「そんな……ファインマンのおじさんの気持ちは分かるけど……だからってこんな事しちゃダメだよっ……間違ってるよ」
「間違ってる事は分かってるんだ。でも俺は……俺はっ!!」
ファインマンがルーナをどかそうと手を伸ばし払いのけようとする。ルーナは魔術だけではなく形意拳の手ほどきも受けている。ただ手を伸ばしてきただけなら形意拳の技で対処が出来るのだが大事な人を守りたいというファインマンの気持ちも分かってしまい体が動かない。避ける事が出来ず思わず目を閉じ身を竦ませる。その後来るであろう衝撃がいつまでも来ずルーナはそっと目を開く。目の前にはシモンが立っていた。そしてファインマンが腹を押さえうずくまっていた。
「……グググ……これがシモンの……技か……子供の一撃じゃないぞ……こんなの」
頭だけを動かし見上げるとシモンが冷たい目で見降ろしていた。
「……僕なら殴られようがなじられようがいいんです。サリナさん達の魂は除霊、消滅させた方が都合がいいなんて考える……情より理をとる外道ですから。でもルーナは違うっ!! それなのに手を上げようとするなんてっ!!」
シモンは怒りに任せてファインマンを胸ぐらを掴む。上半身を無理矢理起こし殴ろうと拳を振り上げる。その拳を誰かが掴む。その手は非常に冷たくそれでいて万力の様な強固な力で振り上げた拳を固定する。
「ルーナッ!! 手を……」
出すなと言おうとしてシモンは言葉が詰まった。シモンの拳を掴んでいたのは険しい顔をしたサリナの魂だったのだから。
「……離してもらいませんか?」
サリナの魂は首を横に振る。
「そうだよな。もう一度死ぬなんて嫌だよな。今度こそ俺が守って……」
サリナの魂はファインマンに最後まで言わせなかった。空いた方の手でファインマンの頬を張ったからだ。頬を押さえ呆然としながらファインマンが呟く。
「……どうして?」
それに対してサリナの魂は答えているようだが声は相変わらず聞こえない。シモンは読唇術でそれを読み取り翻訳する。
「サリナさんはこう言ってます。『既に私たちは死んでいます。このように状態で存在し続けるのは不自然だしこのままあり続けたら障害に、それどころかあなたの敵となってしまう。そうなる前にちゃんと弔って欲しい。今度はちゃんとお別れする事が出来るのだから』……と」
「そんな……」
シモンが翻訳したサリナの魂の言葉にファインマンが滂沱の涙をこぼし泣き崩れる。サリナの魂はすでに覚悟を決めておりその覚悟を自分では変える事が出来ないということが分かってしまったからだ。
サリナの魂がシモンの拳から手を離すと穏やかな表情でこう言って頭を下げた。
(あなたを信じます……よろしくお願いします)
それに合わせていつの間にかサリナの魂の後ろにいた村人たちの魂も頭を下げた。
「シモン……俺からも……頼む」
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになりながらもサリナとの別れを受け入れたファインマンも頭を下げる。
「お兄ちゃん、私からも」
もらい泣きしたルーナもぺこぺこと頭を下げる。
この場にいる全員に頭を下げられシモンは動揺しまた悩んでしまう。シモンが出来るのは除霊であり浄霊ではない。除霊というのはいわば力技、力任せで霊を消滅させる、ばい菌に対して滅菌、殺菌消毒するようなものだ。それに対して浄霊は対象となる霊の因縁や情念を晴らし納得して成仏してもらう事である。シモンが得意としているのは除霊で浄霊は苦手だった。浄霊は神職、僧職など神に仕える者の方が得意であろう。魔術師である自分が除霊を行えばサリナや村人たちの魂を苦しめて消滅させてしまうだろう。それだけはしたくなかった。もう二度と出会えないのなら苦しまない、いい別れにしてやりたい。そう考えているとシモンの口から自然と言葉が漏れた。
「……再び会えたのなら微笑みを交わそう……二度と会えぬのなら今を良き別れとしよう……」
「シモン、それは?」
「……昔なにかで読んだ事がある台詞なんですが……今の状況にこれほどあった台詞はないでしょうね……そうだ、そうなんだ。悲しみや苦しみに満ちた別れにしない……穏やかで微笑むような良き別れにする……」
言葉は言霊となってシモンの心に響き迷いを晴らす。シモンは眼を閉じ四拍呼吸を開始する。全身をリラックスさせ体の中の五つの魔術中枢に意識を集中する。魔術中枢は高速で回転し火花を散らしながら魔術力を生成する。迷いが晴れた事で起動率が上がったのだ。魔術力が全身に満ち溢れシモンの体から魔術力が放出される。魔術力を光として視認したファインマンは呆然としてシモンを見つめていた。
「この光は?」
「お兄ちゃんの魔術力なんだけど……これほどの力強い光は見た事がない……スゴい……」
シモンが目を見開くとサリナ達に向かって声を張り上げる。
「今は縁起が悪いでしょうが神に祈るように手を合わせて下さい!!」
サリナと村人たちの魂はシモンに言われたように手を合わせる。それを確認するとシモンは再び声を張り上げる。
「じゃあ……いきますよっ!!」
シモンは右手に剣印を作り頭上に持ち上げる。頭上に黄金色に輝く太陽をイメージし指先が触れ太陽が指先に宿ったと感じるとと剣印の先で額に触れるその際、遥か空の彼方から巨大なエネルギーの奔流が自分に向かってまっしぐらに降り注ぎ光の柱となり自分を貫く様をイメージし呪文を唱える。
「アテーッ!!」
続いて頭上に持ち上げた右手剣印を鳩尾に持っていく。そして自分を貫いた光の柱が地面を貫き空の彼方に飛び去って行くのをイメージし次の呪文を唱える。
「マルクトッ!!」
そして鳩尾から右肩に剣印の先を持っていきイメージする。水平線の彼方から光の柱が飛来し右肘を通って体を貫くのをイメージし次の呪文を唱える。
「ウェ・ケブラーッ!!」
右肩に触れていた剣印の先を左肩に触れイメージする。右から体を貫いた光の柱がみだり肩から飛び出し水平線の彼方に飛び去る様を。そして呪文を唱える。
「ウェ・ゲドゥラーッ!!」
最後に両腕を胸の前で組み己の体が巨大な光の十字架となり周囲を強く照らすとイメージじ最後の呪文を唱えた。
「レ・オーラム・アーメーンッ!!」
この呪文と共にシモンの体はイメージ通り光の十字架となり今まで以上に強く輝き目を開くほどが出来ないものとなる。
「クッ」
ファインマンは両腕で顔を隠し光を遮る。それ程の光だというのに攻撃的な物は感じられなかった。暖かいシャワーを浴びているような心地よさがあり体の隅々が浄化されているような感じがした。それはルーナも感じておりウットリしている。そしてサリナや村人たちの魂はその光に飲まれ姿が薄れていくのだがその表情に恐怖や苦痛はなく穏やかに眠るかのようだった。
シモンは行った魔術はカバラ十字の祓い、この魔術による除霊をシモンは得意としていたが自分が何を成すかそれを意識しイメージする事により除霊を浄霊に切り替える事が出来たのだった。