第百二十話 決着、仇は取ったぞ……。
(……なぜこんなことに……)
シモンの複製体に宿る狂神は今の状況に困惑し自問した。
複製体の元となるシモンから武術や魔術の知識を吸収し、それを利用して結界を作り出した。自分と似た存在である熾天使ルシファーの象徴を利用して明けの明星―――金星を疑似的に作り出し、自身の力を強化、驚異的な回復力を得て不死身となった。この力があれば主神さえも上回れる。最強の狂神となれたというのにその状況はすぐに覆された。自身が作り出した世界を操作され夜明けから夕方に変えられた。明けの明星は宵の明星に変わり不死身の力は今戦っている男に移り変わり立場は逆転した。
シモンの会得した武術形意拳の技術によりファインマンの攻撃が直撃する事なく致命傷は避けられているがつけられた傷は治癒する事はない。ファインマンはどれだけ攻撃を受けようとすぐに回復されてしまう。どちらが先に力尽きるのかは自明の理だ。この状況をひっくり返すには結界を解除するしかなかった。自分の有利は無くなるが不利も無くなる。結界を作ったのは自分、張るのも解くのも自由自在。命令一つでどうとでもなる。これで仕切り直しとほくそ笑みながら結界を構成しているモノに結界を解くように命令を入れるが結界が解ける事はなった。
(何をしている!? 結界を解け!!)
狂神は再度命令するが拒絶された。
狂神は怒りに任せ強制的に結界を破壊しようとしたがファインマンの猛攻がそれをさせなかった。
(オノレェ~ッ!!)
狂神の顔には常に見せていた穏やかな微笑は消え上せ鬼が如く激怒の表情が浮かんでいた。
今この場において狂神の味方となるべき存在は一人もいなかった。
狂神は力の限り後ろに飛びファインマンから距離を取った。魔術という特殊な力で強化されたとはいえ人から逃げるような屈辱的な行動に狂神の顔は憤怒に染まる
「ゴォォォォォォッ!!!!!!」
狂神が雄叫びを上げた。明けの明星による強化が無くなっても狂神本来の力はまだ損なわれていない。体から白と黒が入り混じった光が放出される。放出される力が風を呼び大地を鳴動させる。
「……まだこんな力を残していたのか……」
狂神から立ち上るその力ファインマンは息を飲む。狂神は手強い、こちらが有利になったとしても油断が出来る存在ではないとファインマンは気を引き締め身に宿る大天使ミカエルの力を高める。その途端その身から炎の様な赤い光が揺らめき周囲の気温を高め上昇気流を引き起こし風を引き起こした。
二つの力がぶつかり合う。ほんの僅かであるがファインマンの力が優勢で狂神の方がやや押されているように見える。そこで狂神は一計を案じる。背中の十二対の翼を己の前方に展開。直列に繋ぎそこに己の力を流し込み十メートルほどの高さの光と闇の大剣を作り出した。
「そう来たか……」
ファインマンは鳩尾のダンジョン・コアに触れ一本の大剣を呼び出した。ダンジョンで発生するのはモンスターだけではなくアイテムなども等しく発生する。地下という括りがあれば己の意志でアイテムも呼び出す出来るのだ地上ではそれが出来ない。だが大天使ミカエルを身に宿す事によりダンジョン・コアも一時的にレベルアップしており地上にもモンスター、アイテムを呼び出せるようになっていた。
ファインマンが呼び出した大剣はダンジョン・コアに登録されているアイテムの中で特に攻撃力が高い物だ。ファインマンは大剣の柄を握り軽々と持ち上げ天に掲げる。そして大天使ミカエルの火の魔術力を流し込む。刀身から炎が放出され巨大な火柱となる。その高さは狂神が作り出した光と闇の大剣とほぼ同等だった。
それを見て狂神は更に怒る。人でありながら神と同等であるという悪意の籠められたメッセージと取った狂神は怒りに任せ光と闇の大剣を振り下ろす。それに合わせファインマンも炎の大剣を振り下ろす。光と闇、そして炎の大剣がぶつかり合い拮抗し火花を散らす。そして光と闇、炎の決着はすぐについた。炎が光と闇を焼却し焼き尽くしたのだ。そして炎の大剣が振り下ろされ光と闇の大剣の元にいる狂神に襲い掛かるが……そこに狂神はいなかった。
「何っ!?」
ファインマンが驚愕の声を漏らす。それは狂神の姿が見えなかった事に対してではない。狂神がいつの間にかファインマンの間合いに入っていることに対しての驚きだった。
狂神は怒りに身を任せているようで冷静だった。怒りに身を任せ光と闇の大剣を作り出し、それに対抗して炎の大剣を作り出したファインマンに更に怒る事全てが演技だった。光と闇の大剣に己の力の大半を費やしファインマンの意識をこの攻撃に向けさせる事で出来た隙をついてファインマンの間合いに入る。そして己に残った僅かな力の全てをこの一撃に込める。狂神が人の心理を利用した作戦だった。シモンの記憶を一部を吸収したはずだがその中には人の心理も含まれていたのかもしれない。
炎の大剣を振り下ろした事により胸部ががら空きにある。炎の大剣を振り下ろす事に全力を注いでいたファインマンはその場を動く事はもちろん防御も出来ない。そこを狙って狂神は両掌で突く。形意拳の技の一つで虎形拳だった。極めれば人の命一つ簡単に奪える技だ。このタイミングならと狂神は勝利を確信したというように穏やかな微笑を浮かべる事が出来た。だがその表情はすぐに曇る事になる。
ファインマンの胸部に触れた途端、狂神の両腕が爆発したからだ。
「グァァァァァァッ!!!!!!」
狂神が苦悶の表情で身をのけ反らせる。激痛に身をよじらせな術理も何もない情けない足取りで後ろに下がり逃げようとする。
(この攻撃、いや防御法は………)
狂神はこの防御法に覚えがあった。ファインマンの身に蓄えた火の魔術力。攻撃が当たった瞬間、火の魔術力が爆発、その爆発力が攻撃の威力を殺し更に攻撃を食わせた武器や腕を破壊するという攻防一体の防御法。同じ手に二度もかかるという愚行を犯した己を呪わずにはいられなかった。
その場から逃げようとする狂神に大天使ミカエルの力を宿した死神が迫る。この時狂神は初めて恐怖という感情を覚えそれを表情に表す。それを見たファインマンは一瞬怯む。
(シモンの顔でそんな表情をするなよ……)
ファインマンは動揺を噛み殺し両手に大天使ミカエルの火の魔術力を集中する。
「皆の仇っ!! くたばれぇぇぇぇぇ!!!!!」
赤く赤熱した両手は全てを貫く槍となり狂神の胸部を貫いた。そして胸部で鼓動するものを力を籠めて引きずり出した。
「………!!!」
狂神は声にならない悲鳴を上げる。それと同時に体が燃え上がり一瞬にした灰となった。
「これは……」
ファインマンは両手の中に得る物に驚愕していた。そこにあったのが心臓をかたどった鉱石だったからだ。
「何でこんなものが体に埋まっているんだ? ……いいや、そうじゃない。狂神ほどの高エネルギーを受け入れるために内臓を変質させたのか……」
人工的に作り出されたシモンの複製体では狂神ほどの力を受け入れられるはずはない。高出力のエネルギーに耐えられず肉体は四散するはずである。そのエネルギーに耐え尚且つ戦う事は出来た答えがこれだった。
「こういう進化を促すとは……狂神という存在改めて恐ろしく感じる。だが……これで終わりだ!!」
ファインマンは両掌に火の魔術力を集め鉱石化した心臓を握り潰そうとする。だが鉱石化した心臓から光が発生し握り潰そうとする力に抵抗する。
「最後の抵抗か……見苦しいぞ!! 潔く散りやがれっ!!」
ファインマンは両手にさらに力を籠める。ファインマンと硬質化した心臓の攻防が続いたのは僅か数秒、高熱により脆くなった心臓にひびが入りガラスのような音を立てて割れた。
「ギャァァァァァァッ!!!!!!」
硬質化した心臓から響き渡る断末魔、これは狂神の最後の悲鳴なのだろうか。断末魔が空に響き渡り空を割った。ひび割れた夕焼けの空の向こうに青い空が見えた。狂神が作り出した結界が破壊され本当の空が現れた様だ。この瞬間シモンの複製体に宿った狂神は本当に滅んだのだった。
「みんな……サリナ……仇は取ったぞ」
ファインマンは割れた空から見える青空を見上げ、空の彼方にいるであろう懐かしい人々に報告するように独白した。