第百十六話 明けの明星と大天使
ファインマンが鳩尾のダンジョン・コアに触れる。すると地面に線が走りファインマンとシモン、ルーナの聖霊石が収まった仮面を中心とした正方形が地面に描かれる。地面が鳴動すると同時に正方形を範囲に地面がせり上がり狂神を打ち上げた天井の穴から地上へと向かう。
「すぐに戦いになると思うから準備をしておいて……おい、シモン大丈夫か?」
地上に出た途端即戦闘になるであろう予測したファインマンはシモンに警戒するよう即しギョッとした。シモンははたから見ても分かるぐらい放心した状態で立ち尽くしていた。真っ白に燃え尽きた、そんな状態を目の当たりにしてファインマンはシモンに呼び掛ける。
「おい、シモン!!」
知らない間に狂神からの攻撃があったのか、ファインマンはシモンの肩に手を伸ばそうとする。
「触っちゃダメッ!!オジサンッ!!」
ルーナに語気強く言われファインマンが驚いて手を引っ込める。
「だがこれは明らかに異常をきたして……」
「そうじゃないから大丈夫。お兄ちゃんはすでに魔術を行ってるから」
「行ってるってこの状態でか?」
「そう、お兄ちゃんは今アストラル対投射を行っているんだよ」
アストラル対投射―――魔術的幽体離脱を行い地上世界より上位の世界であるアストラル界に移動し、そこで魔術を行い物理次元に反映させるのがシモンの目的だ。アストラル界は地上世界より己の意志が都合よく働く自由な世界。アストラル界での数時間が物理次元では数秒しかたっていないという事にする事が出来る。強力な魔術であればあるほど儀式や呪文の詠唱に時間がかかるがそれを短縮出来るというのは非常に効率的である。効率的ではあるがそれでも数秒は無防備になる。実力が伯仲している相手と戦うとなればその数秒は致命傷となり得る。現に偽神四号機の操縦権を得るために開催された武術大会ではソルシエ・アスワド―――聖理央に痛手をこうむり一時的に両手が動かなくなった事があった。それ以来戦闘時においてアストラル界での魔術行使を封印していた。それをあえて行ったという事は……。
「それだけ強力な魔術を行うつもりなんだよ、お兄ちゃんは」
ルーナはそう言うがファインマンにはシモンがボンヤリしているようにしか見えず疑ってしまう。しばらく凝視していると「ウァッ」という寝起きの様な声を上げてシモンは再起動した。ファインマンの胡乱気な眼差しにシモンは眼をパチクリさせる。
「やっぱり寝てたんじゃねえか?」
シモンは慌てて首を横に振る。
「イヤイヤ、これは寝てたんじゃなくて」
シモンが今自分が行っていたことを説明しようとしたがその前にファインマンが手で制する。
「ルーナから話は聞いている。何やら魔術を行っていたんだろ。明日トラを狩るとかどうとか?」
「何言ってるんですか? 僕が行ってたのはアストラル対投射です。僕はアストラル界で魔術儀式を行ってきたんです。それを終えて今は待機状態にしてあります。僕の任意でこの魔術は使えるようにしています」
「それならいいんだが……しかしシモン、お前いったいどんな魔術を使うつもりなんだ。攻撃系の術だと思うんだがそれで倒せるのか?」
「僕がやろうとしているのは……話はここまでにしておきましょう。地上に出るみたいですよ」
「もう着くのか……シモン、後はお前に任せた……頑張ってくれ」
ファインマンが短くそう言いシモンの肩を叩く。
「……ハイ」
シモンは少し困った様な笑みを浮かべ頬を掻く。シモンのその表情をファインマンは疑問に思ったがそれを問い質す時間はなかった。地上についた事もさることながらある変化に頭が追い付かなかったからだ。
「東から太陽が……夜明けになってる!? それに空を覆うあの模様は何だ!?」
ファインマンがあまりの変わり様に呆然として呟く。
シモンたちが地下に潜った時には太陽が真上にあった。いくら狂神との戦闘があったとはいえ数時間と経っていない筈だ。なのに太陽が東から登ろうとしていた。空を埋め尽くす幾何学模様についてはシモンの魔術知識があっても理解できるものではなかった。幾何学模様には驚かされたがそれよりも東の空から登りゆく太陽に逆らうように輝く星にシモンは魂消ていた。
「あの星はまさか……明けの明星? 星の位置がこっちの世界のものじゃない? これはまさか……」
やはりあの狂神はシモンの魔術知識も吸収し、その知識を持って自分を強化している。この狂神は間違いなく強敵になるがこちらの知識を用いて強化しているという事は……。
「それより狂神はどこに?」
ルーナが緊迫した声で訴える。
「それよりって……まあいいや。狂神はあそこだ!!」
シモンが東の空を指差した。その指の先には太陽の光に逆らうようにひときわ強く輝く星があった。
「あれは……星か?」
ファインマンが目を細め凝視すると星の中にかすかだが人の影が見える。
「本当にいた!? だが……あんな所で何をやっているんだ?」
「恐らくあの星の中で力を蓄えているんだと思います」
「力を蓄えるって……どうしてそんな事が分かるんだ?」
「僕の知識を吸収しその知識を応用してるからです」
「どういう事だ?」
「あの狂神は僕の武術の知識だけじゃなくて魔術の知識も吸収している様です。その知識の中にあの狂神とよく似た存在がいるんです。その存在をトレースする事で自分の存在を強化しようとしていると予想できます」
「強化ってそれはマズいな……シモン、お前、何らかの魔術をいつでも発動できるようにしているんだろ? だったらそれで攻撃を!?」
ファインマンは最後まで言う事が出来なかった。東の空に輝く星がさらに強く輝いたからだ。その光が危険と直感したシモンは叫ぶ。
「ルーナ、魔術力で防御!!」
「!? 分かったっ!!」
シモンとルーナは咄嗟に魔術力を全方位に放出、ドーム状の簡易防御壁を形成する。次の瞬間、高出力の光線が防御壁に直撃した。防御壁と光は激しく衝突し防御壁にヒビが入る。魔術力を練っていない為防御壁は稚拙で脆い。後数秒すれば光線は防御壁を突破するだろう。
(あれを呼び出すか? そうなるとこの防御壁の維持はルーナに任せないといけない。今のルーナじゃこの攻撃を防ぎきれないだろうし……手詰まりだ)
光の飲まれ蒸発してしまう光景にが脳裏に浮かび恐怖していると唐突に光線の放出が止まった。心なしか星の輝きが少し陰ったように見えた。
「何で光を放つのを止めたんだ?」
「恐らくですがまだ自分の力を制御出来ていないんじゃないでしょうか。僕から引き出した魔術知識で自身を強化したんでしょうがその強化に体がついていけてない。必要以上に力を使ってしまい、今は力を再チャージしてるってところですかかね」
「何度か同じ攻撃をして力を使い慣れてしまったら……」
「狂神の中でも最強の存在になるかもしれない……」
狂神が己の力を増強するのは予想できたがこれほどとな思わなかった。これほどの上達にシモンは身震いする。
「こっちも出し惜しみは無しです。待機させて魔術を展開しますっ!!」
そう言うとシモンは眼を閉じ意識を内側に向ける。巨大な扉をイメージにそれを意志の力で押し開く。重々しい音を立てて扉は開き、内側から強力だがどこか優しい明るい赤色光が放出された。その赤色光は抑えきれずシモンの内側から体表に溢れ出る。溢れ出た赤色光は狂神がいる星に伸びると思ったが星を逸れ東の空に消えていった。
「シモン、今のは何だ? 攻撃は失敗したのか?」
ファインマンの問いにルーナが変わるに答える。
「失敗してないよ。お兄ちゃんの魔術は成功してる」
「成功? 狂神から外れたじゃないか?」
「お兄ちゃんの魔術、攻撃じゃないからね」
「攻撃じゃない? だったらあれは?」
「その答えが東の空から来たよ」
「東の空からって……あれは何だ!? 太陽? いや違うあれは……」
東の空に太陽と見まごう巨大な火球が出現した。巨大な火球は狂神がいると思わしき星に向かって飛翔し直撃。激しい衝撃と共に許可身を大地に叩き落とした。大地に落とされた狂神は高熱によって所々が焦げておりダメージがあるが様だが再生が始まっている。
狂神はシモンの顔で憎々し気にに火球を睨みつける。その視線を尻目に火球は凝縮し始め何かの形を取り始めた。
「あれはルーナがなっていた姿……たしか天使だったか?」
「あれはルーナが身に纏っていたカブリエルと同じ四大天使が一人……カブリエルが水の天使なら彼は火の天使。その名も大天使ミカエル……」
「しかもなんか様相が違う。あれは……」
ファインマンがそう感想を漏らすのも当然だった。凝縮した火球はカブリエルの様に背に二対に翼を背負い頭上に光の輪っかが存在していた。そこまでならカブリエルと同じなのだがカブリエルと明らかに違う点があった。精悍な顔立ちをした青年で全身を鎧で身を包み、左手に盾を右手に長剣を携え武装していたのだ。
人々を教え諭し、あるいは予言を伝え導くのが天使だがこのミカエルという大天使は武力を持って人を救うという特別な天使なのだ。仏教でいうなら如来や菩薩というよりは明王の様な存在だった。