第百十四話 狂神の上達、虎形拳
シモンの複製体が放つ崩拳は稚拙なものだった。最初、三体式の構えを取りそこから崩拳を放たれた。狂神が人の技を使う事に驚き一撃食らってしまったが落ち着いて対処すれば大した事はなかった。動きを真似しただけでは本当の威力は出せない。
シモンは両拳を下腹に持っていき外側を捩じる様にして両拳を上につき上げる。この動きでシモンの複製体の攻撃は外側に逸れた。そしてシモンの複製体の顔面に両拳が向かう。シモンの複製体は紙一重で後ろに下がりこの両拳の攻撃を躱す。だがシモンの攻撃はここで終わらない。シモンの複製体が下がった分だけシモンが一歩踏み出し両拳を翻す。その際両拳を開き両掌で突く。この連続攻撃に追いつけずシモンの複製体はシモンの攻撃をまともに食らう。シモンの複製体はグウッっと呻きながら後方に吹っ飛ばされ地面に叩きつけられた。シモンの両掌にも肉を叩き肋骨が砕けた感触が感じられた。
形意拳は攻撃の威力を練り上げる為の基本技五行拳、それと多角的な攻撃方法を練り上げる為の技十二形拳からなる。シモンが今シモンの複製体に叩きこんだ技は十二形拳の一つで虎形拳という。
普通ならこの攻撃で終わるのだがシモンの複製体の中に宿ったのは狂神、そう簡単に終わる筈はなかった。何事もなかったとでもいうように起き上がり穏やかな微笑を浮かべている。
「しぶとい……」
シモンは相手のしぶとさにウンザリしていた。先程からどれだけ攻撃を入れても、中には致命傷となり得る一撃を入れても何事もなかったように立ち上がってくるのだ。暖簾に腕押し、ぬかに釘とはまさにこの事だ。何度も立ち上がってくる原因は分かる。一撃一撃に込める魔術力の総量が足りないのだ。熱い鉄板に水を垂らすようなもので魔術力が一瞬で打ち消されてしまっている。肉体をどれだけ傷つけようともその中心にある狂神にまで魔術力が届いていないのだ。狂神の攻撃を届かせるにはより魔術力を練らないといけない。その為には精神を集中し呼吸を整えなければならない。戦いの途中でそんな事をしていたら致命的な隙になる。時間稼ぎをしてもらえればそれも出来るのだがそれが出来る人材がいない。
「どうする……」
そう悩むシモンに対しシモンの複製体が走る。シモンの間合いに入り再度崩拳を放つ。
(!? 速いっ?)
シモンの複製体が放つ崩拳の速度は速かった。最初の様な力任せの技ではない。形意拳の術理を理解し体の動きを連動させた一撃だった。シモンは驚きながらも体は勝手に反応し後方に飛んだ。大きく距離を取り三体式の構えを取ったのだがシモンは腹部に疼痛を感じ膝をついた。避けきれておらず僅かに拳が届いていたのだ。
「……こんな一撃がもう放てるなんて……上達が早すぎる」
この上達の速さにシモンは舌を巻く。このような威力を出せるようになるには正しい師について時間をかけてようやく出来るようになる物だ。だが目の前の狂神はシモンから形意拳の知識の一部を吸収しそれに照らし合わせて何度か実践しただけ術理を理解し力の乗った一撃を放って見せた。
「狂神……恐るべし」
シモンはこれ以上自分と戦わせ相手をレベルアップさせるのでは本末転倒、ここは危険を冒しても魔術を使うべきだとそう判断した時だった。
「シモンッ!!」
その声は未完成の偽神の足元から響き渡った。シモンも複製体も手が止まり、思わずそちらを向いてしまう。
「違うだろっ!! そうじゃないっ!! 手はず通りに動いてくれよっ!!」
そう叫んだのはファインマンだった。そこでシモンはハッとする。
(戦いに集中し過ぎた。僕の役割は戦う事じゃなくて……)
一方シモンの複製体の中に宿る狂神は苛立っていた。狂神らしからぬことだがシモンから吸収した形意拳の知識を引き出し照らし合わせ肉体で体現する、それが非常に楽しかったのだ。もっと戦いもっと技を吸収しこの体の元となった少年のさらに上を行きたいと考えていた。なのに未完成の偽神の足元にいるファインマンは戦いの邪魔をした。それが許せない、そう考えた狂神はシモンの複製体を動かしファインマンに向かって走る。
戦う手段はなく動きについていけないファインマン。数秒後に迫る死に対しファインマンは笑って見せた。それを不審に思う狂神。ファインマンの笑みの答えはファインマンの背後に起立する未完成の偽神にあった。未完成の偽神の頭部には仮面が収まっていた。そして仮面の両眼に光が宿り体がビクリッと動いた。
「この時を待ってたよっ!!」
仮面に収まっている聖霊石の中のルーナが叫ぶ。そして左三体式の構えから右掌を振り下ろした。形意拳の基本五行拳の一つ劈拳を放ったのだ。振り下ろされた右掌には高出力の魔術力が込められている。この威力ならシモンの複製体の中にいる狂神に届く。
だが偽神の劈拳をそのまま受ける訳はなかった。シモンの複製体は背中に納めた光の翼を展開、そして地面に突き刺して急ブレーキをかける。ガリガリと地面を削りながら減速している。
「ナニィッ!?」
「ウソッ!?」
ファインマンとルーナが絶望的な声を上げる。これでは未完成の偽神が放った劈拳は空振りに終わってしまう。そうなれば偽神はもう動く事が出来ない。それはこちらの敗北を意味していた。
(マズイ!! このままじゃ……何か手はないのか!?)
ファインマンはなけなしの魔法力でダンジョン・コアを起動させよう鳩尾に触れようとした時思わず「あっ……」という間抜けな声を出してしまった。光の翼を展開する狂神の後ろにシモンが躍り出たからだ。
「止まってるんじゃ……ねえっ!!」
強い踏み込みと同時に両掌で突く。虎形拳による攻撃はシモンの複製体が展開する光の翼に防がれる。だが今回はダメージを与えるのが目的ではなく前方に動かす事が目的なのでこれで十分だ。地面に突き刺していた光の翼は虎形拳の威力により引き抜かれ前方に吹っ飛ばされる。その先には未完成の偽神の巨大な掌が迫る。体勢を崩したシモンの複製体に避ける術はない。そして未完成の偽神の掌がシモンの複製体を押しつぶした。肉が爆ぜ骨が砕ける音が響くととも地面に掌を叩きつけた衝撃による砂煙が視界を遮る。
「やったか? 煙が晴れないとよく分からないが……!?」
「!? キャァァァァァァ!!!!!」
ファインマンの疑問に答えるかのように聞こえてきたのはルーナの悲鳴だった。