第百四話 地下迷宮の王
その部屋に入って最初に気が付くのは濃密な血の匂いだった。
「ウッ!?」
シモンは思わず口元を押さえ嘔吐するのを堪える。堪えつつ見た光景に目を見開いた。
その部屋は十数名が入れるほどの部屋だった。中央の円形のテーブルに数名の白衣を着た者たちが囲っていた。その中の一人が手に持ったメスを淀みのない動作で動かしテーブルに乗ったある物を部分ごとに仕分け周りの者たちに指示を出していた。
「この部分は使えるが……他の部分はイマイチだ、使っても強いものにならない。分解槽に入れてもう一度再構成してくれ……」
その指示に周りの白衣の者たちは無言でうなずきテキパキと動く。その異様な有様にシモンは呻くように呟く。
「何だこれは? 手術というよりまるで……屠殺場だ」
手術というのは人を刃物で切り裂くがその行為は人を助けるもの、人体に影響が少なくそれでいて最大限の治癒効果が及ぶように行うもの。だげ目の前で行われてる行為には治療行為というものがない。機械的に肉を仕分けているその作業は効率的で慈悲という物は一切含まれていない。
「一体何を……」
していると言おうとしたシモンの目にある物が目に入った。それはシモンが毎朝顔を洗う際、水に移っている物なのだから。それを見たシモンの頭は怒りに染まる。
「そういう事か、ファインマン……キサマァァァァ!!!!」
円形のテーブルに乗っていたのはシモンの複製体の生首だったのだ。
シモンの血液を限界まで採血し人体錬成を行い、シモンの複製体を創造しているのはなんとなく分かっていたがその複製体を何に使おうとしていたのかは分からなかった。人工筋肉の材料となる赤い塊、偽髪の骨格に人工筋肉を張り付けていた白衣の者がシモンを見て驚き謝罪していたその意味、それら全てのピースがはまり一つの答えを導き出した。
(人を……部品扱いしやがって!!)
シモンは中央のテーブルに残る白衣の者はシモンの声でこちらに振り替える。
「シモンか? これを見たのならそういう反応になるわな」
シモンの複製体を屠殺していた白衣の者、ファインマンはシモンの怒気に慌てることなく呑気に呟く。
謝ろうと何をしようと絶対に許さない、そういう意志を籠めシモンは踏み込む。シモンとファインマンの距離は約三メートル。その距離をシモンは一足で踏み込えファインマンの間合いに入り崩拳を放つ。
(このタイミングなら防御も回避も間に合わないっ!!)
手加減抜きの崩拳、間違いなく命を奪うであろうその一撃にファインマンは回避も防御もしない。だた鳩尾の辺りを右手で触れるという意味のない所作を行っただけだった。
ファインマンの腹部にシモンの拳が突き刺さろうとしたその瞬間、何かがシモンの拳を真上に跳ね上げた。硬質的な感触と共にくる痛みにシモンは顔をしかめる。シモンとファインマンの間に誰かが入り込んだような気配はなく、何が自分の拳を払いのけたのかとそれに視線を向けシモンは驚いた。シモンの拳を真下から跳ね上げたのは床からせり上がった石柱だった。
「何でこんなものがっ!?」
驚いている暇はなかった。さらに複数の石柱がシモンに襲い掛かって来たからだ。
「これはファインマンの攻撃っ!?」
シモンは後方に飛び石柱を回避する。これで攻撃が終わったと思ったがそれは違った。石柱は生き物のようにうねりながら追尾してきたのだ。この部屋にいては捕まってしまうと考え部屋から出ようとするが入って来た入り口が消えていた。
「何でっ!?」
入り口があった個所を触ってみるが継ぎ目すらない。土系の魔法を使ったと考えられるのだが精神の集中、呪文の詠唱ともになかった。心当たりと言えば鳩尾の辺りを右手で触るというその行動だ。それだけで高精度の魔法を行う事が出来たとすればファインマンという人物只者ではない。
シモンは動揺を押し殺し石柱を回避しつつファインマンに再度向かっていく。この石柱を操っているファインマン本人を叩くべきだと考えたのだ。シモンは石柱の攻撃を回避しつつファインマンの間合いに再び入る。そして右足を強く踏み込む。そして不意にバランスを崩す。右足を置いた位置に何故か穴が開いておりそこに右足が嵌まってしまったのだ。予想だにしていない行動は体に強い衝撃を与える。強い衝撃が右足を伝い、硬直した腰で破炸裂する。腰に来る激しい痛みにシモンは苦悶の表情を浮かべ動けなくなる。一瞬のスキを突いてシモンの足元から石柱がせり上がり顎をかち上げる。真下から掌底を食らったかのような衝撃に体は大きくのけ反り仰向けに倒れる。すかさず両手と左足を細い石柱が絡みつき地面に縫い付けられてしまう。
「クソッ、拘束されたっ!!」
シモンは両腕に力を籠め拘束から逃れようとするがビクともしない。
「頭は冷えたか?」
ファインマンがシモンを見下ろしつつ尋ねる。
「人間、怒りが過ぎると冷静になれますよ……」
シモンはファインマンを睨みつけつつ四拍呼吸を行う。体の中心五ヵ所の魔術中枢を視覚化し強い輝きを更に視覚化する。全身に魔術力を満ちていくのを感じた。更に魔術力を籠め手足を拘束している石柱に叩きつける。石柱に細かいひびが入った。
「少しは落ち着けよ……」
ファインマンは溜め息を付きつつ鳩尾の辺りをまた右手で触れる。
(あの鳩尾の辺りを触れる動作が魔法の始動工程なの)
そう考えながらも魔術力を強め手足を拘束している石柱の破壊を試みる。だがひびが入っただけで破壊するには至らない。
「クソッ!!」
「……もう止めとけよ。お前の魔術力は確かに石柱を破壊しているが俺はその都度再生してるんだ。俺の再生力の方が魔術力の破壊より上回ってる。拘束は解けないぞ」
これではこちらの体力、魔術力が消費する。シモンは魔術力の集中を止める。
「そうだ、それでいい。俺もこんな事はしたくないからな」
ファインマンの安堵した雰囲気は感じられたがシモンはまだ気を弛めなかった。
「アンタは一体何をやったか分かってるんですか?」
「偽神の人工筋肉の材料を採取している」
「こともなげに言ってますが……アンタがやってることは……」
ファインマンはシモンが言おうとしている事を予測し、遮って言葉を続ける。
「人殺しだな。偽神の人工筋肉の作るためとはいえ人体錬成で作り出したシモンの複製を殺しまくっている」
「殺しまくっている? 一人じゃないんですか?」
「ああ、シモンの複製体とはいえ中身まで同じというわけじゃない、ピンからキリだ。中を開いてみなければいいも悪いも分からない」
「つまり……複製体一体一体の中を開いて良い部分を選出して取り出している」
「そういう事だ。適当にやってたら強い人工筋肉は作れない」
人とは違う生まれ方をしたとしても生まれてきた以上、生きる権利がある筈だ。それを自分の目的の為生まれてすぐ殺されるなんてあまりにも哀れだ。
「……大量虐殺犯」
シモンは侮蔑を籠めて言うがファインマンは冷静に言葉を受け取る。
「そうだな……俺ほど大量に人を殺している男もいないだろう。しかも材料を得る手段として人を殺しているんだから最悪だな」
「分かってるのならもっと別の方法が……」
「探せば人道的で効率的な方法があるだろうさ」
「その方法を探す気はなかったんですか?」
「あの時の俺にはそんな余裕はなかった。サリナを蘇らす事に全力を注いでた」
「サリナさんを……蘇らせる? それは一体どういう……?」
「それは……」
ファインマンは胸元に手を当てる。その途端シモンを拘束していた手足の石柱が外れる。
「そんな体勢でこんな血生臭い場所でする話じゃないな……外に出るか」
ファインマンの言葉に部屋の天井が反応した。音も振動もなくさも自然に天井が左右に開き地上までの道が出来たのだ。
「こんな事が出来る何て……これは魔法じゃない? ……ファインマン、あなたは一体何者なんだ?」
「ルーナに聞いていないのか。俺はかつてこの地下迷宮を探索し地下迷宮の核たるダンジョン・コアを手に入れたと」
「それは聞いてます」
「それで……これがダンジョン・コアだ」
ファインマンが白衣をまくり鳩尾の辺りに埋まっている黒い石を見せた。
「こいつを掌握し支配した時俺はこの地下迷宮の王となった」
鳩尾のダンジョン・コアが黒く輝くと部屋が激しく鳴動し天井の穴に沿ってせり上がっていったのだ。
(こんな事を意志一つで出来るとは……王と言うのもあながち間違いじゃない様だ)
仮に敵対する事になった場合も考慮して情報を集めるべきだと考え自分の怒りを抑える事にした。