第百二話 扉の向こう見たモノは!?
「さてと……」
シモンは寝台から降り柔軟体操をしながら体調を確認する。頭はふらつかず四肢に力が籠る。更に三体式の構えを取り形意拳の基本五行拳、劈拳、崩拳、鑚拳、炮拳、横拳を一通り行う。体の個々の力を束ねて放たれた拳は風を起こす。
「ヨシッ、体調は完全に戻った!! これであの……増血剤を飲まなくて済む」
とてつもなくマズい増血剤を我慢して飲んだ甲斐があったという物だ。喜びもひとしおだ。
「次は……この部屋から出たいんだけど……」
本当ならシモンは体調が戻るまで待っている必要はなかった。アストラル体投射でも行ってこの地下迷宮を見て回る事も出来た筈だがシモンはそれをしなかった、というか出来なかった。何故ならこの部屋の周りには結界が張られておりアストラル体が外に投射出来ないようになっていたのだ。魔術的な結界である為張ったのはルーナである事が分かる。彼女個人がこのような事をするはずがなく恐らくファインマンの入れ知恵なのだろう。この結界、カブリエルの力を用いた強力な物だが実力的にはシモンの方が上、いざとなれば力技で破る事も出来るのだが、これだけの事をあえて行わなければならない理由があるのだとすると無理矢理破ろうという気にはなれなった。
「ファインマンさんが僕の血を使って何かをやっていてそれをルーナは見せたくないんだろうけど過保護は止めてもらいたいなあ」
転生前は四十代の親父であり、その記憶を受け継いでいるシモンは人間の闇の権化とも言うべき黒魔術師、妖術師の邪悪な手段、手法を知っている、故に心配は無用という物だ。そんな事を呟いていると不意に結界が解けドアが開く。
「オハヨー、お兄ちゃん」
そこには食事と例の増血剤が入った小瓶の乗ったトレイを持ったルーナ・カブリエルが立っていた。
「おはようってことは……朝なのか。ここって日の光が入ってこないから朝か夜かよく分からないんだよなあ」
「アハハ、そうだよねえ」
ルーナ・カブリエルは誤魔化す様に笑いながらシモンにトレイを渡し足早に部屋を出ようとする。そのルーナ・カブリエルの背にシモンは声をかける。
「ねえルーナ。体調も戻ったしここから出してもらえない」
ルーナ・アカブリエルは立ち止まりシモンの方に向き直る。その表情は悲し気だ。
「でも……」
「いつまでもここに閉じ込めていてもしょうがないだろう」
「でも……」
「それにファインマンさんが何をやっているのかは予想がつくし」
「えっ!?」
犯人を追い詰める探偵のようにシモンは言葉を紡ぐ。
「人体錬成……やってるんだろう。ファインマンさんは僕の血を使って僕を作り出している……」
「何で……分かったの?」
「血は知であり力である。僕のあらゆる情報が詰まった物を用いてする事、屋敷で見た人体錬成の本とそれを実践していたという事実が分かれば答えはおのずと出てくる……」
「ウウッ……」
ルーナ・カブリエルは言葉が出ず苦し気に呻いている。何も話さないイコール肯定と判断しシモンは続けて話す。
「いつまでも僕を閉じ込めておくわけにはいかないだろう。見せたくないという気持ちも分かるけど……僕に断りもなくこういった非常識な事を行う人には……一発かましてあげないとね……」
ニヤーッと笑い拳を握りしめるシモンにルーナ・カブリエルは少し引きつった顔をして一歩後退る。
「ルーナ……お願い僕をここから出して」
ルーナは少し逡巡し諦めたように頷いた。
「でも……お兄ちゃん覚悟してね」
「覚悟?」
「お兄ちゃんの予想はあってる。あの人は確かにお兄ちゃんの血を元に人体錬成を行っている。お兄ちゃんの複製を作っている」
答えを得たりというようにシモンは頷く。
「じゃあその複製を何に使っているか分かる?」
シモンは首を捻る。それでも構わずルーナ・カブリエルは話し続ける。
「……あれを見たらお兄ちゃん……深く傷つく事になると思う。それにファインマンのおじさんとは決別するかもしれない。世の中には知らなくてもいい事があると思う。だからお兄ちゃん……」
「ルーナッ」
シモンはルーナ・カブリエルの言葉を遮った。
「僕が何を見て絶望して決別、関係を継続するかは僕が決める事だ。ルーナが心配してくれるのは嬉しいけどどうするかは僕に決めさせてくれ」
シモンの決意にルーナ・カブリエルは驚いたように目を見開きそして溜め息をついた。
「……分かった、お兄ちゃんの意志を尊重する」
シモンは満足げに頷いた。
収容されていた部屋を出てすぐの通路を歩いてシモンは感想を漏らす。
「何かここ……地下迷宮って感じじゃないな」
シモンとルーナ・カブリエルが歩いている正方形型の通路、横幅は広く高さもある。天井も壁も床も真っ白で魔法の光が照明として灯されている。空気に流れがあり変な臭気が籠らない様にも調整されている。
「地下迷宮と言うよりは病院……いいた何らかの研究施設みたいな感じがする……」
シモンが思い描いていた地下迷宮と言うのは剥き出しになった岩肌、道は曲がりくねり行き止まりは当たり前、思いもよらない罠があり、迷宮に住まう怪物が跋扈し常に死の危険に晒される。仲間が一人また一人と迷宮の犠牲となりながらも進んで行きその果てに金銀財宝を得る、そういったイメージがあったのだがここはあまりにも違いすぎる。どうしてこうなったのかと独り言を言うシモンにルーナ・カブリエルが答えてくれる。
「かつてはお兄ちゃんが望んだとおりの迷宮だったんだって。だけど若かりし頃のファインマンのおじさんがこの地下迷宮を踏破して手にいれたある物を使ってこんな風に作り替えたらしいよ」
「ある物って?」
「ダンジョン・コア」
「ダンジョン・コア?」
シモンでさえ聞いた事がないアイテムの名前が出てきた。ルーナ・カブリエルが言うにはダンジョン・コアと言うのはどのような理由で出現するのか不明のアイテムらしい。地中に突如出現し周囲の魔法力を吸収し大地を削り迷宮を作る。罠を作り宝物を配置、怪物を召喚し迷宮を守らせる等アイテムとは思えない、ゲームを楽しむ人の様な柔軟な対応をする摩訶不思議なアイテムなのだという。
「そのダンジョン・コアとやらを手に入れたら地下迷宮がどうしてこうも変わってしまうんだ?」
「ダンジョン・コアを魔改造して自分の命令を受け付けるようにしたって。迷宮の罠を排除、怪物は退去、無駄な通路は埋めて人や物が通りやすいように整地して今のようになったんだって」
「はあ……すごい合理的だな」
シモンは素直に感心した。
「カルヴァンさんもそうだがあの人もそれなりに武力を持ってるって事か。技術屋のイメージがあったけど修正の必要があるな」
偽神を三体作り上げたという技術屋としての面、人体錬成なんて高難易度の魔法を実行できる魔法使いとしての面、そして怪物が蠢く迷宮を踏破出来る戦闘屋の面、複数の面を持つ相手と今後の展開によっては敵対する事になるかもしれない。人体錬成なんて行う時点で狂気の沙汰、そんな事をしている人物と冷静に向き合えるかシモンには自信がなかった。
「……頭が痛いな……」
片頭痛を覚えながら歩く事数分、前を歩いていてルーナ・カブリエルが立ち止まった。目の前に進行を阻止するが如く白壁がそびえ立っていたからだ。
来た道は一本道、脇道なんかは一切無し、ここが終点だというのだろうか。
「ルーナ、どういう事? 行き止まりだよ」
疑問顔のシモンにルーナ・カブリエルは振り返り確認する。
「お兄ちゃん……覚悟はいい」
心配そうな顔をするルーナ・カブリエル。シモンは呼吸を整え下っ腹に力を入れて力強く頷く。
「……分かった」
ルーナ・カブリエルは壁に向き直り両手で触れる。その途端触れた両手の中央部分の壁に一本線が入り天井までの伸びる。グイッと押すと壁が左右に分かれ人が一人通れそうな隙間が出来た。ルーナ・カブリエルはその隙間の向こうに進んで行く。
「これは……壁に偽装された扉?」
偽造しなければならない事がこの扉の向こうで行われているのかと尻込みするが気合を入れ直して中に入る。そして中で行われていた所業にシモンの頭は白熱した。ルーナ・カブリエルが何を見せたくなかったのかようやく理解する事が出来た。
「止めろっ!! ファインマンッ!!」
年上の人物を呼び捨てにしてシモンは走った。