第九十九話 秘密と助言、そして大人げない
屋敷の屋根に登って廃村を認識できなくなる認識阻害の結界を張り直した後書庫に戻り本棚に納められた本を読み始めた。ルーナが聖霊石に戻り話し相手がいなくなり暇となったからである。
シモンは手に取った本を凄い速さでめくり数百ページはあるであろう本をわずか一分で本棚に戻した。
「農業に関する本か……こういうのも面白いな」
流し読みしているようで内容はしっかり頭の中に入っていた。シモンは速読術を会得していた。速読術は魔術ではなく技術である為、誰にでもなマスター出来る。この技術は前世でも非常に重宝していた。
シモンの前世である志門雄吾は古今東西の魔術書を読み漁りその中に書かれた儀式や修行法を実践する事で魔術師としての力を高めてきた。だがこの魔術書、軽く数百ページを超すものが多い。これを悠長に読んでいたのでは時間が足りない。実力を上げる前に敵の黒魔術師、妖術師に敗れてしまう。故に速読術をマスターし読む時間を大幅に短縮、空いた時間を体術、魔術の鍛錬に当てた結果、黒魔術師、妖術師に対する死神と恐れられるようになった。
シモンは速読術を使い、一時間で六十冊ほどの本を読んだ。
「……内容が多岐に渡って面白いけどこれ全部読んだんだろうか?」
それがシモンの感想だった。本の内容は政治、経済、薬草、農耕、各地の民話、神話、剣術書、この村の戸籍や徴税に関する帳簿等多数あった。
「これらの本を読んで得た知識を持って村人に色々手を尽くしていたとしたら……ファインマンさんかなり有能な領主だったんじゃないか?」
ファインマンのこれまでの軌跡を読み取っているようで面白いと思ったシモンは更に本を読み進めていく。
そして今までの中では毛色が違う、いいや異質な本を速読する。読み終えたシモンの顔は険しいものになる。その表情は敵に対するそれだった。
「ファインマンさんがこれを実践したのか? ……いやいやただ知識として読んでいただけかもしれない」
シモンは更に別の本を速読する。そして悲しむような、苦しむようなそんな複雑な表情をしてため息をつく。
「……ただの趣味で集める本じゃない。覚え書きなんかもある……間違いなく実践している。何でこんな外道な事を……人体を錬成なんてしたんだ……」
シモンの独白に答えられる者は今はいない。答えを得るにはあと数日の猶予が必要だった。
上空を飛ぶルーナ・カブリエルが水の召喚の五芒星を描き朗々と呪文を唱える。
「エム・ペー・ヘー・アル・エス・エル・ガー・エー・オーレー……」
水の召喚の五芒星の中心に水のシンボル♏を刻み、最後の呪文を唱える。
「エルッ!!」
ルーナ・カブリエルを中心に暗雲が立ち込め豪雨となって大地に降り注がれるのだがこの雨の一滴一滴が鋭いな水の針となってにシモンを襲う。シモンは咄嗟に魔術力の衝撃を張って水の張りを防御する。
「カブリエルの喚起魔術も慣れたみたいだしそれに付随して水の魔術の展開も早い。ならこちらも!!」
シモンは感心しつつも降り注ぐ水の針に対抗すべく火の召喚の五芒星を素早く描き呪文を唱える。
「オーエー・ペー・テー・アー・アー・ペー・ドー・ケー……」
次に五芒星の中心に火のシンボル♌を刻み最後の呪文「エル・オー・ヒーム」を唱える事で火の魔術が完成するのだが―――
「………」
人体錬成の理論が頭の中をよぎる。その瞬間、精神集中が乱れ呪文が中断、魔術が完成しなかった。その一瞬の精神の乱れが魔術力の障壁を弱体化させてしまう。無数の水の針が障壁を突破しシモンを貫いた。無数の水の針がシモンの肉体を削り、一瞬にしてシモンの肉体は削り取られ消滅した。
「……お兄ちゃん……どうして……イヤァァァァァ!!!!!」
起こった事態が信じられずルーナ・カブリエルは頭を抱え悲鳴を上げた。
「……イヤー……ここでは死ぬ事はないけど死ぬかと思った……」
シモンの体の損傷が逆再生されるが如く復元していく。信じられない現象を目の当たりにしながらのんびりした口調で言う。
「だよねえ……死なないと分かっていても思わず叫んじゃったよ」
シモンの隣に座りながらルーナ・カブリエルもこれまたのんびりした口調で言う。
シモンとルーナ・カブリエルが戦っていた場所はアストラル界。いわば夢の世界、あらゆる状況を想定し自由に作り出す事が出来る世界。そんな世界でシモンとルーナ・カブリエル模擬戦を行っていた。普段ならルーナ・カブリエルと言えどシモンに勝てるはずはないのだが昼間書庫で読んだ人体錬成の本とそれを実践したと思われるファインマンの事が気になり集中を欠き結果敗北してしまった。
「……しかしルーナ、強くなったね。模擬魔術戦ならまだ負けないつもりだったのに……僕もうかうかしてられないな」
誤魔化す様に笑うシモンをルーナ・カブリエルが疑わし気に見つめる。
「普段だったらその言葉、素直に受け取るんだけど……」
「ん? ナニ?」
「何かあった?」
「……やっぱり分かる?」
「当たり前だよ。魔術を失敗するなんてお兄ちゃんにしてはあり得ない失敗してたしね。それにお兄ちゃんとは付き合い短いけど一回一回の関係は濃厚なんだから」
「それ、表現がおかしい」
「揚足は取らなくていいから……何があったか話してよ。それとも私には言えない事?」
ルーナ・カブリエルに心配げに見つめられシモンは言葉を詰まらせる。
(どうしよう? ファインマンさんの事話してもいいんだろうか。厄介ごとに巻き込むかもしれないし……でもまてよ。今、ルーナはカブリエルの殻を被った状態だ。カブリエルは神の言葉を伝え人々を導く天使。僕の悩みに何らかの答えを与えてくれるかもしれない……)
シモンは考え改めルーナ・カブリエルに話してみる事にした。
「実は……」
「フンフン」
シモン書庫で読んだ人体錬成の本、そしてそれをファインマンが実践していたと思われる事を話した。
「フーン、成程ねぇ……それは気になるね。ファインマンのおじさんみたいに善良な人が人体錬成……人が人を創造するなんて邪悪な魔法に手を出していたなんて」
「僕としては信じたくないんだけど……僕はこれからどうしたらいいんだろう?」
前世の職業でいえば人体錬成なんて禁忌の魔法なんて行った相手は抹殺の対象だ。今の人生では関係ないのだが見て見ぬふりは出来ない。
「とりあえず本人に聞いてみてそれから考えたらいいんじゃない」
「えっ?」
何とも簡潔な答えにシモンは間抜けな声を出してしまう。悩んでいる自分が馬鹿らしくなる答えだった。
「聞いたら答えてくれると思う?」
「お兄ちゃんの話を聞いた限りじゃ答えてくれる可能性はあると思うよ」
「その根拠は?」
ルーナ・カブリエルは名探偵ヨロシク推理を披露する。
「その人体錬成の本、特に隠してあった訳じゃないんだよね?」
「ウン、本棚に普通に納められていた」
「で、書庫の本は読んでいい言ってたよね?」
「ウン、言ってた」
「ならお兄ちゃんが人体錬成の本を読むって事は当然考えていると思うよ」
「そうかな? 僕が速読術をマスターしてるなんて知らない事だろうし人体錬成の本がある所まで読み進めるとは予想してないかもしれないし」
「速読術!? そんな魔術があるの!?」
「いいや、これは魔術じゃなくて技術、鍛錬を積めば誰にでもできるし……ってそうじゃなく」
「ともかくファインマンのおじさんが来たら遠慮なく聞いちゃえ。きっと答えてくれるよ」
ルーナ・カブリエルはあっけらかんと言う。その能天気さにシモンは快活に笑う。
「聞いちゃえか……それくらい能天気になった方がいいのかもしれない。胸のつかえが取れた気分だ」
シモンの晴れ晴れとした表情を見てルーナ・カブリエルはドヤ顔だ。
「それはよかった」
「と言う事で……模擬戦二回戦といこうか」
「エッ!?」
ルーナ・カブリエルは一転して表情が曇る
「……どうしてそうなるの?」
「いい助言を与えてくれたルーナにお礼をしたいから?」
「何で疑問形!?」
「いいからいいから」
そう言いながらシモンは魔術力を集中する。
「お兄ちゃん、もしかしてさっきの模擬戦の結果気にしてるでしょ。大人げないよ!!」
「大丈夫、僕は子供だから」
シモンは聞く耳を持たなかった。
「クソー、だったらもう一度負かしてあげるんだから!!」
ルーナ・カブリエルは翼を広げ上空を陣取り、魔術力を集中し魔術を展開した。
数分後、ルーナ・カブリエルは全身黒こげになり浮力を失い墜落した。
「……お兄ちゃんの……アホー…………」