感想(を書くの)はつらいよ
当初、小説の合間にエッセイを書くにあたって、出来るだけ小説家になろうの投稿者向けネタは避けようと思っていました。
しかし、やはり書いているうちに、他人の作品を読んでいる内にいろいろ思うところも出てきます。
ちょうどこれは10本目のエッセイになります。シリーズもので区切りが良いときに特別なお祭り作品を持ってくるような感覚で、腹の中のストレスをぶちまけるつもりで内輪向けを書いてみることにしました。
私も小説家になろうに登録している一人として、他の人の作品に感想をつけることがある。
初めて感想を書いた時、たまらなく不安だった。
見知らぬ相手から作品について書かれて相手は迷惑ではないだろうか?
気になる点も書いてしまった。これを読んで不快にならないだろうか?
そもそも私にこんなものを書く資格はあるのか?
何回も推敲し、自分がこんな感想を送られたらどう思うだろうかと悩み、ついには投稿自体を止めてしまった。
というのを何度か繰り返し、ついに初めて感想を送った時……
私は「終わった……燃え尽きた……」と思った。
本当にそう感じたのだ。
そもそも感想とは何だろう?
異論もあるだろうが、私は「その作品を通して感じた想い」と解釈している。
感想を書く作品というのは、読み終えて「これは感想を書かなければ!」という使命感みたいなものが沸々と湧き上がる。そうでなければ感想を書くのにためらい、キーボードを叩く指が動かず、結局、書かずに終わるのがほとんどだ。
想いがわき上がる基準は自分でもわからない。
書いた感想ページを開き、過去の記録を見てもけっこうバラバラだったりする。エッセイだったりコメディーだったり、推理だったりホラーだったり……見境ないぞ我が想い。でも詩の感想はなかった。
同じ作者の作品でも書いたり書かなかったりである。
作品を読んで感じたことを文にして作者に届ける。それは、どんな形であれ自分の心を動かすだけのパワーを持った作品を作り出してくれた人に対する感謝の言葉だ。そしてもっと動かして欲しいという叫びの文だ。
それだけに、書くのにもパワーがいる。
正直言ってきつい。実際、読んだ本数と感想を書いた本数を比べれば、私が感想を書く割合は10作に1本、いや、もっと少ないかも知れない。
何しろ感想は特定の作者に向けて、その人の書いた特定の作品について書く。相手がハッキリした形で存在する。言わば感想は相手と1対1でするキャッチボールだ。好き勝手に書いても相手は受け止めきれない。
私が感想を書くのは主に短編だ。というより短編しか書いていないような気がする。
なぜ短編なのか。それは長編の感想を書くのが怖いからだ。もしも具体的な内容に触れて感想を書いておきながら、その内容が間違っていたら。
「何々についての説明がないのでわかりにくい」と書いたが、作中にその説明がしっかりあった場合、
「●●が何々なところが……」と書いたら、本文では違っていた場合、
作者からすれば「ろくに読んでいないくせにケチをつける」「もっとしっかり読んでから感想を書け」となる。すごく恥ずかしい。
それが「気になる点」として書いた場合はたまらない。自分で掘った穴に自分で入り、作者に「埋めてください」とスコップを渡したい気分になる。
長編の感想は書くのが怖い。だから短編の感想ばかり書くようになっている。中身も自然と具体的な指摘は避けるようになる。印象論の感想ばかりになる。
感想を求める作者から「面白かった」「つまらなかった」の一文でも良いと言う主張を聞くが、その一文しかない感想を投稿する身になってほしい。他に書くことはないのか? 却って相手を馬鹿にしてやしないか?
とてもじゃないが、恥ずかしくて投稿ボタンを押せない。
書かれる方だって、自作に感想が10本書かれて感想ページを見たら10本全てが「面白かったです」の一文だけだったらどう思うか。私だったら嬉しくない。むしろ馬鹿にされたように感じる。
大げさというかも知れないが、トップページにあげられている新着の小説と、自作を読んで書かれた感想を同じレベルで受け止める作者はいない。
ログインした時に「感想が書かれました」の一文が目に入った時、湧き上がるのはどんな気持ちなのか?
もしかして絶賛してくれる? いやいや、それは図々しい。
ひょっとしてボロクソに書かれているとか? それだけはありませんように。
期待と不安。わくわく、びくびく。
そんな思いで感想ページへとクリックするのだ。
私の書く感想は、そんな思いに応えられるレベルだろうか?
だから感想では内容にも触れたい。しかしその書いた内容が間違っていたら……。
感想は、本当に書くのが怖い。恐ろしい。
それなのにどうして感想を書くのか?
感想を書くのはきついと自分で書いたばかりではないか。
だいたい感想を書く最大の問題点は「面倒くさい」ことだ。なんでそんなことをしなきゃいけないのか。 そう、私は感想を書かないのではない。書かずに済ませられるのならば書かずに済ませたいのだ。
仲間内で「あれ読んだ? ツマンねぇよなぁ」と笑い合うのとは訳が違う。
直接作者に送るというのは書く側にとってとんでもないプレッシャーなのだ。
夏休みの宿題にある読者感想文のように、プロ作家の書いた作品に対する感想でも苦労するのだ。それがアマチュアの書いた小説の感想、しかも直接作者に見せるのだ。
それでも感想を書きたまえというならそれは拷問だ。罰ゲームだ。自分は前世でどれだけ悪いことをしたんだと頭を抱えるレベルだ。
ある程度数を書けば、慣れて精神的ハードルは一気に低くなるだろう。私がそうだったように。
それは言い方を変えれば、最初のハードルがめちゃくちゃ高いということだ。ここでこけたりしたら、しばらくしてその作者が退会でもしたら、もしかして自分の感想が引き金になったのかと悩む人もいるだろう。
感想をもらって作者の気持ちが上下するように、感想を書いた方だって気持ちが上下するのだ。
だから私は感想を書いていないことに、どこか後ろめたさを感じている人達に言いたい。
気にするな。無理してまで感想を書く必要は無い。別に感想を書かなかったからって、明日地球が爆発するわけじゃなし。
感想は読んだものの義務ではない。 読んだ後、作者に一言いいたくなる気持ちが湧き上がらなければほったらかしでいい。
いや、さすがにそれはと思うのならば、評価をいれればいい。深く考えずに「読んだら3Pずつ入れる」なんて自分ルールを設けてもいい。
感想はつらい思いをするために書くのではない。
それなのにどうして感想を書くのか?
名前しか知らない人達に対して、感想を通じてつながることが出来る。一気に自分の世界が広がる気がする。
そう、感想を書く最大の理由は、それが楽しいからだ。
今まで知らなかった楽しい物語やキャラに出会わせてくれたことにありがとうと言いたいのだ。
目の前の作品に「なんでやねん!」とツッコみたいのだ。
次が読みたいから作者に催促したいのだ。
惜しい! 惜しすぎる。もう少しだ頑張れとエールを送りたいのだ。
あなたの書いた作品は、私の心をこんなに動かしましたと伝えたいのだ。どういう風に動かしたかは別にして。
先述したような、心の内に湧き上がった想いをぶつけたいのだ、そして、そのぶつけるもっとも相応しい相手こそ、作者なのだ。
だから私はその想いを感想という形にして作者にぶつける。時折、大暴投になったりするけれど。
感想を書いてもらえることを期待するのは、それが嬉しいからだ。
だからこそ、感想を書きたいし書かれたいのである。
小説を書くのは基本一人である。一人で考え、一人で資料を集め、一人で書き上げる。
そうして完成した作品を投稿した後も一人だったら。
感想なし、評価なし、アクセス解析したら誰も見てない。そんなことになったら……嫌だ。
だからこそ、届けられた感想に感謝する。
例えそれが「ツマンネ」の一言だったとしても。
感想のやりとりだけでも、相手は自分の思いもかけない言葉を持ってくる。自分が知らなかったこと、見なかった視点、あまり重視していなかった、あえて感じようとしなかったキャラの気持ち。
様々な自分の知らない、気づかないことを感想という形で教えてくれる。
感想こそ、創作活動における最高の教科書なのだ。たぶん。
楽しみと楽しみをやりあう。感想は小説家になろうにおいて、最大最高最強のコミュニケーションである。
……とまぁ、随分偉そうなことを言ったが、果たして自分はそれだけの感想を作者の期待に応えられるだけの感想を書いているのか?
自問した時、その通りだと胸を張って言えないのがつらいところである。
上記のような感想のやりとりが出来るようになるには、私の感想レベルは低すぎる。
先日書いた感想を後日読み返したら、妙にテンションだけ高くて
「……これ……絶対受け取った相手引く」
と落ち込んだり、自分だったらこう書く的な内容に
「何、上から目線でダメ出ししてんだよ!」
と嫌悪感に陥ることもしばしばだ。
先の言い方をすれば「キャッチボールで相手の取れないボールを投げた」ことになる。
実際、この手の感想は書いても返信が来ないことが多い。作者の方でも「危ない奴だ。関わり合いになってはいけない」と思ったのかも知れない。
人に想いを伝えることも、人の想いを受け取ることも、何と難しいことか。
いろいろとお堅いことばかり書いてしまった。
「感想って、そんなに肩に力を入れなければいけないものなのか」と引いてしまった人もいるだろう。
確かに感想を書くのも書かれるのもキツイ。
が、先述したように楽しいことでもある。
マッサージでは「イタ気持ちいい」という言い回しがある。
文字通り、痛いが気持ちいいという感覚である。体が硬い時、思いっきり伸びをするとあちこちが痛いながらもいくらかスッキリする。あの感覚に近い。中には少しぐらい痛い方が良く効くという人もいる。
良い感想というのは、書かれるとキツイが為になるものではないかと時々思う。「キツ為」である。
私もそんな、相手が「キツ為」と取ってくれるような感想を書けるようになるのだろうか。
でも、書かれる側になった時はひたすら持ち上げてくれるジャッキのような感想も欲しい。
我ながら贅沢だ。
なんだか、あちこちから
「このエッセイはどっちつかずの文ばかりで読みづらい。どっちかハッキリしろ」
という声が聞こえてきそうだ。
作家サイドが感想を書いてほしいという気持ちはわかる。私だって作者の一人として感想は欲しい。本気で欲しい。とにかく欲しい。他人の感想は、自作を第三者の目で評価してくれる数少ない反応なのだから。それがなければ、自作が面白いのか、ただ単に作者がいい気になっているだけのオナニー駄文なのかの判断が付きにくい。
それでも私は感想を「書かせる」ようなことはしたくない。
感想は欲しいけど、そのために読者の手を煩わせるのは後ろめたい。感想よこせと読者にいらぬプレッシャーをかけたくない。
感想を書くのがどれだけ大変なのか、書く度にいろいろ思う分、頭がこんがらがってぐちゃぐちゃになる。
……本当、どっちなんだろう……?
私が出来ることはただ一つ。
読み終わった後、読者が何か作者に告げずにはいられないような作品を書くこと。
でも……それが出来ればねぇ……。
ホント。感想をかくのはつらいよ。
感想はもらった時の気持ちも大きく、いろいろ書くところはあります。
しかし、今回はできるだけ「感想を書いた側の愚痴」を書くことにしたので、そちらの気持ちは意図的に書かないようにしました。
その割には、後半に書かれる側の気持ちをけっこう書いていますが。
もしかしたら、エッセイ20本目ぐらいに感想を書かれた時の気持ちをメインにした「感想(を書かれるの)はつらいよ」とか書くかも知れません。
でも、書かれる側のエッセイは結構他の方が書いていますし、わざわざ書くこともないかな。似たような内容になってしまうかも知れませんし。
※作中「読者感想文」とあるのは「読書感想文」の間違いです。今後、このような単純なミスのないよう気をつけます。指摘してくださった大鳥居様、ありがとうございます。