HOLDER!
校舎裏に二人きり。告白や決闘など、青春の代名詞と言っても過言ではないほど、この場は様々な作品に用いられている。
俺は今そんなある意味我々のあこがれと言ってもいい状況にある。もっとも“男と”であり呼び出したのは俺だ。
「なぜ?」
俺は彼を見据え、問いかける。
なぜこんな状況に置かれているのか、まずはその説明からせねばなるまい。
事の発端は今日のホームルームでのことだ。親友のジョンの財布が無くなった、ということが伝えられた。周りは騒然となって、様々な思いが交錯する。野次馬のような興味が二割、口だけの反応が一割、残りの七割はホームルームが長引くことに関する不満のようなものだ。
そんな中で、異質な声が聞こえた。声と言っても実際に発声している訳ではないが、確かに聞こえたたのだ。こんなことを言っても突拍子のないことに思うだろうが、俺は他人の心の声を聞くことが出来る。いつからできるようになったとかそういった事は覚えていないが、聞こえることは紛れもない真実だ。
――大丈夫、バレるわけがない。
彼はそう言っていた。
ホームルームも終わり、それぞれが部活動であったり、帰宅であったりのために教室をあとにし始めた頃俺は彼に声をかけた。
「サイトウ、ちょっといいか」
普段言葉を交わすことのない俺から声をかけられたことに疑問を思ってか、一瞬訝しげな表情を浮かべたが、すぐにいつもの人懐っこい笑みを取り戻す。
「なんだい?」
「財布……のことなんだが」
俺がそういった瞬間、彼の心に動揺が走った。焦りや不安といった感情が淀み渦巻いて、表情からも生気が抜けていくのがわかる。それとともに疑念が確信へと変わった。
彼は至って普通の、むしろ真面目で優秀な生徒だ。だから信じられなかった。信じたくなかった。
「人がいないところで話したい。いいか?」
「……ああ」
確認ではなく強要。そんな有無を言わせない態度で告げると、彼はただ頷いた。
校舎裏に移動した後、しばらく沈黙がその場を支配した。いや、緊張というべきか。
彼を責めるつもりはない。彼は真面目な生徒だし、そんなことをやる理由がない。
そう思っていたのに、言葉のない張り詰めた空気の中で俺は重々しく口を開くことになった。彼を見据え「なぜ」と問いかける。
「なぜジョンの財布を盗んだ。なぜ君がこんなことに手を染めることになった。なぜ……?」
「それは……。君には関係の無いことだよ」
「君がこんな卑劣なことをするとは思えない。話してくれ」
「無理だ!」
そう拒絶して、一呼吸おいてから「時間が無いんだ、失礼するよ」と言って彼は立ち去った。
彼は「関係ない」「話せない」と言った。厄介事があったとしても俺を巻き込むことを良しとしないのだろう。しかし、助けてくれと頼めば助けてくれるのだろうか、と彼の心は言っていた。それを知りながら、見逃すことが果たして出来るだろうか。いや、できない。
オレンジ色だった空が暗くなる。そんな中で俺は彼を追うべく歩を進める。立ち去った後の校舎裏には運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏が響いていた。
◇◆◇
後をつけるという行為がどれほど簡単かご存知だろうか?
もちろん夜中の人通りの少ないところなどのつけられているとバレやすい環境だと話は別だが、ある程度の人通りがあるところだとバレることはあまりない。登下校路なんていうものはその最たる例と言っても過言ではない。
俺は登下校路で彼を追跡していた。
大事そうに抱えられている鞄に財布が入っているのだろう。あたりをキョロキョロと見渡して、彼は脇道に入っていった。
彼が入った脇道の先には公園がある。財布をとるのが誰かに命令されてやったことだとしたら、おそらくそこで財布を渡すのだろう。
そう決めつけて少し時間を置いてから俺も脇道に入った。
彼が公園に入ると、ブランコに座っていたいかにも不良といった風貌の男が彼に近寄った。
「遅かったなぁ?」
「す、すみません……」
「謝って済んだら警察とかいらないよなぁ? まぁいい、さっさと出せや」
不良の男は組んだ腕の上で指をトントンと上下に動かし急かして見せる。そんな不良の男の姿に完全に萎縮してしまった彼はゴソゴソと鞄を漁っている。彼がおずおずと財布を差し出すと、不良の男はそれを乱暴に奪い取った。
もうこれ以上見守らなくても、この不良の男が彼に財布をとってくるように命令したのは明白だろう。俺は公園の中へと踏み込んだ。
「聞かせてもらったぜ」
そう言うと二人がこちらに注目した。不良の男は俺を睨み、彼は「どうしてここに」といった具合に驚いてこちらを見ている。
「なんやお前」
「彼の友達ってとこかな。その財布は俺の親友のものなんだ、返してもらうよ」
「ダメだ! 危ないよ! キリュウさんはボクシング部のエースなんだ!」
彼は本当に俺の心配をしているようで、警告してくる。しかし、不良の男――キリュウはそれを見てニヤリと笑った。心の中で「こいつはまだそんなことを信じているのか」と彼を馬鹿にしていた。そして、俺はこの手の人間が一番嫌いだった。
「その心笑ってるね?」
「ああ?」
「人を騙して搾取して、楽しかったか?」
「テメェ……」
言葉と共に拳がやってくる。しかし当たらない。「殴る」ということがわかってさえすれば、素人の拳などおそるるに足らなかった。
右、左、右、と言う思考を追って拳が繰り出されるが、それらもすべて避ける。
「満足したか?」
「――ッ!!」
安い挑発に乗ってくれた。キリュウは右脚を振り上げた。
パンチとは違いキックには安定を犠牲にした威力がある。言うなればパンチが拳銃ならキックはバズーカだ。しかしそれは当たればの話。
キリュウの右脚は空を切り、スキだらけとなった左脚に鞄をぶつけてやった。バランスを失ったキリュウはよろけ、尻餅をつく。
「で、まだやるの?」
「クソがッ!!」
そう言い捨てるとキリュウは財布を地面に叩きつけて去っていった。
財布を拾い、付着した砂を払い落とす。
「君は強いんだね」
彼はそう言って近寄ってきた。キリュウがいなくなってホッとした様子だ。
「何を持って強いとしているかはわからないけど、君が俺を強いと思うのは、君が君自身を弱いと評価しているからに過ぎないだろうね」
「僕自身を弱いと思っている……か。その通りかもしれないね。でも、実際にそうじゃないか。強者の存在に屈して言いなりになっていた僕からすると、他人まで救ってしまえる君はやっぱり強く感じるよ」
そう言って彼は無理やり笑って見せた。
だけど、強さを決めるのはひとつの要素だけじゃない。俺は知っている。俺だけが知っている。彼は強い。それを知ることが彼の自信につながるのならば、俺は伝えてあげなければならない。
「君は強いよ」
俺がそう言うと、彼は目を見開いた。
「君は君自身が思っているほど弱くない。いや、強い。君は俺に助けを求めなかったじゃないか」
彼は俺に助けを求めなかった。助けてくれと言ってしまえば楽なのに、そうはしなかった。
頼りなかった? そうかもしれない。でも、彼はきっと他人を巻き込むことをよしとしなかったのだろう。
それだって強さだろう。他人を思いやる力が彼にはあるじゃないか。
「君は他人を思いやることが出来る。それだって強さじゃないか。だから、君は強い。そんなに自分を卑下するもんじゃないよ」
「――ありがとう」
そう言って彼は笑って見せた。それは俺が初めて見た彼の本当の笑顔だった。
帰り道、俺は途中まで彼も一緒だった。
「財布は俺から返しておくよ」
「え?」
「帰り道に拾ったことにでもすればいい。もともと君は命令されて仕方がなく盗んでたんだ。幸い中身は無事なようだし、いざこざだって無くていいだろ?」
「……いや、自分で返すよ。僕はタナカ君にちゃんと謝りたい」
「そっか」
鞄の中からジョンの財布を取り出し、彼に渡す。
彼は「ありがとう」といってそれを受け取った。
交差点で彼と別れる。明日は上手くいくだろうか。もしかしたらうまくいかないかもしれない。皆が彼を糾弾するかもしれない。それでもきっと、自信を取り戻した彼ならば、時間がかかってもなんとかやっていくことができるだろう。それでもダメだったならば、俺が彼の味方になろう。
彼の背中を電灯が照らしている。そして、俺は――。