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幼馴染だった過去

先へ立つ

作者: amago/T.

現在調整中のため、頻繁に本文が変わります。ご承知おきください。

 わたしはしばらく、「わたし」という一人称を使っている。いつの間にかいまのようになって、しばらく変わらないでいた。

 以前……あれは小学生の頃かな。あの頃のわたしの周りにはウチという一人称の女の子が多かった。わたしも例に洩れなかった。それより幼い頃は、自分を名前で呼んでいたっけ。けれど、いつの間にか。きっと中学に上がったあたりくらいから変わっていた。だからウチと言いかけて言い直すことも、あの頃にあったような気がする。そこが一種の子供と大人の境目なのかもしれない。一人称、という観点で見れば。

 母の前では自分を名前で呼ぶ癖がいつまでも抜けなかったけれど、それも意識してのことではなくて、いつの間にか、そうなっていた。

 幼い頃、家にいたのは母だけだった。そのうち弟ができた。自分と相手と、あと一人。家の中ではそれだけで足りたんだ。


 そういえば。


 彼は。小学生のときクラスメイトだったキョッチはあの時分、「私」の一人称を用いていた。ぼく、とか、背伸びをしたようにオレと自称する子もいたから少し目立っていたかもしれない。声変りをする前の高めの声だったときは、男女で体格差の小さいこととか長めの髪とかも相まって大人びた女の子たちに混ざって違和感がなかった。彼は背伸びをしていたわけではないらしい。彼なりの理由があるんだとどこかで聞いた。幼稚園の頃は「ぼく」と言っていた気がする。みーちゃんじゃない方の幼馴染の真似をするように、「ぼく」と。みーちゃんが「わたし」と使うのは聞いたことがない。作文では使っていたのかな。「みー」と自称していた。英語を習ってからは「me」とかけていたみたいだけれど、それ以前は名前のひと文字から。子供っぽいと揶揄う子もいたけれど、小動物的な雰囲気もあったから受け入れている子が多かった気がする。


 あの頃はまだ母が元気だった。

 弟がもうわたしの弟だったころの短い間。


 わたしは隣町の公立高校へ通っていた。同じ中学から進学する人の毎年少ないところだったから、ただでさえ少ない友人が、運良く同じ学校にいる、なんてことはなく。人見知りが激しいわたしは初対面の人に話しかけることも、挨拶をすることさえできず。声が裏返ってしまったり、まともな自己紹介すらできなかった。

 そこには当然のようにキョッチの姿はなくて、彼のことを知る人もいないかもしれなかった。いたとして、特に話題にするような人でもなかっただろうけれど。

 ひとり、幼稚園が同じ人と再会した。彼女はキョッチのことを覚えていたけれど、よくは知らないと言われてしまったからそれっきり。


 部活動に入ることは必須だった。活動日が比較的すくないという理由で美術部へ入ったら、同じ学年の人が他に二人もいた。同学年の、まだよく知らなかった彼女に話しかけられて他人(ひと)に依存しやすいわたしは彼女にすぐに懐いてしまった。人数が少ないことも手伝って、もう一人ともそれなりには仲良くなった。その相手が、いま隣にいる友人だった。友と呼んでいいのかな。もしかして向こうはそう思っていなかったかもしれない。それはさみしい。けれどとりあえず友人と呼んでおく。

 帰り道も駅までの道が同じだったからよく並んで歩いた。相手は自転車だったけれど、わたしに合せて自転車をひいて隣を歩いてくれていた。

 わたしはよく考えていることが口から洩れていた。内容を尋ねられても、気にしないで、と言えばそこで詮索せずに済ませてくれるから、この友人とは付き合いが続いていたんだ。


「そういえばさ」


 2年の秋。友人の引く自転車を挟んで並んで歩いていた。

 交差点の信号待ちで、友人がふとこちらへ顔を向けた。

 何かと思えば、進路の話。あと一年すれば今頃、どこかを受験するのかもしれない。


「どこ行くか決めた?」


 ほぼ全員が大学へと進学するこの高校。進路調査とはつまり志望校調査。受験したい大学名を並べるために渡された紙を、わたしはまだ埋めていない。


五里霧中(わからない)


 やりたいこともなく、知っている名前もあまりなく、卒業生が通っているという近場の大学の話を思い出してあまり知り合いに会いたくないという理由でその名前を選択肢から外すくらいのことしかしていない。


「そっちは?」

「いくつか候補はあるんだけどさ」


 成績と相談、らしい。やりたい事よりもテストの点数や試験の相性で進学先を選ぶことも珍しくないのだという。

 この良い意味で八方美人な友人はどのみちを選んでも前途有望な気がするし、その後希望する進路へ進んだらしい。

 信号が変わって横断歩道へ踏み出した。



 入学当初、新しい生活になれてきた頃、クラスにはいくつかのグループが出来上がっていた中で、わたしは人見知りを発揮して部活の外で友人なんて呼べるものはできなかった。同じ部活の二人とはクラスも違ったから、教室ではぼっち路線をまっすぐ進むことを決めたんだけど。わたしほどではないにしろ同じクラスで孤立していた生徒に話しかけられて、その他人(ひと)と比較的親しくしていた気がする。2年に上がっても何の縁か同じクラスだった。

 付き合い始めてしばらくはよかった。数ヶ月の話だったけど。


 同族嫌悪的な部分や、わたしよりすこしばかり人付き合いのできることへの嫉妬もあった。もっとも強いのは、わたしの好きなものをその他人(ひと)そんなもの(・・・・・)と言ったり、覚醒しきっていなくて気分の悪い朝に耳元で舌打ちすることだった。一度や二度なら我慢すればすむ。実際、中学生時代はわざと聞こえるよう言われた陰口を我慢して聞き流していたから、我慢するのはなれている。

 わたしの好きなものをそうと知っていても貶したりするのは、趣味嗜好が違うから仕方がないとも割り切れる。でも、耳元で舌打ちをされるのは朝でなくても気持ちのいいことではない。

 幾度か指摘してみた。

 やめてほしいとはっきり言った。けれど、やめないと言う。

 あれは舌打ちではない。キスの音だ。と。


「……キモい。」


 素直にというか9割方わざと口に出していた。

 これで行いを変えないのなら、この人と付き合うのはわたしに害だ。


「あなたに伝えたいんですよ

 私あなたが好きなので。」

「キモい。」


 かなりふざけていない感じの、真面目な声だったから、余計に嫌だった。その行為が無ければあるいは、いまも交流はあっただろうか。

 表出してきた側面に我慢がならなくなったとき、わたしはその他人(ひと)を拒絶するようになった。


 礼儀に欠けているとか人が悪いとかそんな事はわかってる。

 でもその他人(ひと)はわたしに話しかけてくるから、高校では大人しくしていようと思っていたのに、ついやってしまった。

 幾度目かのキスの音。もちろん本人曰くだから、舌打ちにしか聞こえない。急に後ろから耳元で鳴らされればわたしでなくても驚くだろう。つい反射的に、ひざを軽く折って踵を後ろへ降りあげた。わたしはわりとすぐに足が出る攻撃的な性格をしていた。硬いものに当たった感触がしてから、まずいと思った。

 後ろを振り返ると、かがんで靴下を下げて(すね)のあたりをさすっているその他人(ひと)がいた。

 臑のあたりが赤くなっていて、床からの高さ的にも、わたしの足が当たったのだと容易に想像できた。

 そこはすまないと幾度も謝った。

 でも耳元で舌打ちするほうも悪い、と思ったし言った。


「いいえ、キスです」


 以後在学中たまにその事でからかわれたけれど、わたしから見たらそれほど気にしていたようにも思えない。

 本心から済まないとは思ってるんだけど。謝罪を繰り返したところで罪悪感は消えないしこの人の行動は変わらないだろう。


 その他人(ひと)が度々口にする「親を殺したい」という発言も、わたしが避けるようになった要因の一つかもしれない。冗談のつもりかもしれない。ただの愚痴の一種だったのかも。

 その理由がちっぽけな見当違いな逆恨みで、その他人(ひと)の食事の用意とかをいつも代わりにやってくれている親がたまたまねすごしてやってくれなかったからとか、そんなの。


 自分でやればいいのに。 と言ったら、「できません」ときた。


 得意不得意とか上手い下手はあるだろうけれど。それほど忙しいわけでもないだろうに。課外で塾に通っているとか習い事をしているとか、勿論バイトをしているとかもきかない人だった。


「練習しなよ」

「嫌です」


 それなのに殺したいなんて、ばかげてる。

 死んでしまったらその先は代わりにやってもらうこともできないのに。

 結果的に、自分がやることになるんじゃないのか。

 いや、実行しないから、そんなことにはならないのか。


 部活の友人へ、その人のことを相談したことがある。いや、ただの愚痴か。

 わたしに依存されている友人は、戸惑いながらも、話を聞いてくれた。

 先輩が引退してこの学年しかいなくなってしまった部活に三人目がくるまでの、短い間。

 わたしは依存させてもらっている彼女と話をすることが好きだった。

 あのひとに、わたしのことを知って欲しかった。


 卒業する前に、わたしは友人へ連絡先を伝えた。当時携帯電話は持っていなかったし、自宅を出るつもりだったからフリーメールのアドレスを。

 そういえば当時でも、わたしの他に個人で携帯電話を持っていない人は珍しいように見られていた気がする。携帯電話といっても多機能携帯電話を持っている人がほとんどだったけど。

 今でもわたしは携帯電話が苦手だ。電子音として再生される雑言は、直接浴びるよりも肉体的な痛みを伴う。音の発生源が近いからだろうか。

 連絡は手紙か、パソコンのメールでお願いしている。

 急ぎの連絡がつかないのは不便だけれど、そもそも急ぎの用事ってなんだろう。仕事を始めたら判るだろうか。

 友人とはいまも交流は続いてる。といっても、わたしは普段まったく連絡を取らないし、相手がどこに通っているとか勤めているとかということも把握していないのだけれど。

 連絡先すら知らない他の人とは違って、転居すれば住所を教えるくらいの大切な相手。


 * * *


 高校卒業後、消去法で決めた大学の試験を受けて、合格できたところに進んでしまった。母に一人暮らしをしなさいと言われて、一緒に選んだ家賃の安いアパートで暮らし始めた。小学生の頃に住んでいた場所の周辺だったから、入学してから数人の見知った姿も見かけてしまった。中には小学校で別れたきりの人の姿もあったけれど、会話はない。親しかったわけでもなければ、こちらから話しかけないし相手もそうなんだろう。交流のない相手のことだから、もう忘れているのかもしれない。


 時々思い出す彼女との直接の接点は、過去にしかない。積極性のないわたしとの交流は時々の文通だけ。住所以外の確実な連絡先も知らない。


「後悔先に立たず、とは言うけれど……」


 何をしても後悔することは確かなんだ。

 あの日拒絶したあの人のことも、わたしはまだ忘れられない。その他大勢の誰よりもはっきりと、その存在を覚えてしまっている。


「そこが君の、いいところよ」

 巡り逢えた人を大切にするところ。と澄んだ声が降り注いだ。


「引きずりすぎて前が向けない」


 つい否定してしまうのはわたしの悪いところ。それをこの人が叱責したことはない。

 見上げれば胡桃色の虹彩が白い睫毛に縁どられているのが至近距離で観察できた。


「その重みがあるから、君はここにいる」

 この地上へ留まるための(いかり)


 肩に重みが乗る。眼を向ければマンガ(潮干狩りに用いる道具)みたいな手があった。

 雪のような色をしたそれの熱が伝わってくると、肩を張っていたことに気付いて力を抜く。


「休憩にしない?」


 部屋を見渡す。就職に伴う引っ越しの準備をしていたんだ。

 あの友人からの古い手紙が出てきたから、つい回想にふけってしまっていた。


「お茶を淹れるね」


 元からそれほどの物は無かったけれど、纏めてしまうと本当に少ない。家具は畳んだり解体すれば手で持ち運ぶことのできるものばかり。

 目の前にあるのは捨てる決心のつかなかった小中高の卒業アルバム。受け取ったその日を除いていままで一度として見返したことはない。購入しなくても良かったのだろうか。写真の苦手なわたしの写っているものは一人一人を写した生徒一覧くらい。

 視界の端に細い髪が舞った。肩越しにのばされた細長い腕が膝の上に置いたアルバムの表紙に届く。


「アルバム?」


 振り向けば折り畳みのローテーブルを開いた上に湯気のたちのぼるカップが置かれていた。

 脇へ目を向ければわたしの両手で包み込んでも余裕がありそうな細い首筋がそこにあった。


「アオさんのも、ありますか?」


 この人のことは良く知らないんだ。

 いまここにいるのだから、この国の義務教育は卒業したのだろうか。その先は。それは聞いてもいいことなのだろうか。そういえば、わたしより年上だろうとは思うけれど年齢も判らない。


「僕の?」


 合わせられた視線は紅く見えた。

 光の角度によって変わる不思議な色を持つ人だった。


「どこかにある、とは思うけど。

 見返したことはないけれど、捨てた気もしない」


 そもそも本当はどこに住んでいるのか、誰かと生活しているのか、そこも知らない。よくわたしの家に出入りして時々泊っていくから独り身か、同居人がいたとしても自由な人なのだろうということくらいしか判らない。


「コウの家かも」

「コウ?」


 キョッチのお兄さんの名前に似ている。確か、コウイチロウ。


「小学校を卒業する時には母の実家にいたから、そこに置いてあるかもしれない」


 そこにいま住んでいるのはアオさんの叔父の家族で、その叔父のことをコウと呼んでいたのだという。

 当然だけれど、この人にもお母さんがいるんだ。その人には兄弟も。叔父の家族(・・)というからには、配偶者や子供もいるのだろうか。いたとしたら、アオさんのいとこということになる。どんな人だろう。アオさんに似ているのかな。


「そのうち訊いてみるね」


 この人は、叔父さん(親戚)たちと交流があるらしい。


「――温かいうちに飲もう」


 立つように促されてテーブルの前へ移動すると、そこでしゃがむよう指示される。ぼんやりしている時にはこうしていちいち指示されないと何も動かないのがわたしだった。目の前までわたしのカップを移動してくれる。今回は緑茶みたい。粗方の荷づめが終わっているから、使える器具も限られている。流しを汚したくないしゴミもあまり出したくないから、紙バッグへ茶葉を詰めて急須で淹れたみたい。


 わたしがカップに口をつけると、アオさんの灰色が細められる。他の部分が白いからか、この人の白眼はわたしには曇り空の色に見えるんだ。瞳は空のお日さまのような静謐な湖のような不思議な色。


「あったかい」


 わたしは母の親戚のことをほとんど知らない。父のことは本人の名前すら知らない。

 母が生を終えたとき、どこからか聞きつけて手続きを手伝ってくれた叔父さんが母の兄弟ではないことくらいしか母について知っていることはなかった。

 わたしが家を出てから母は、当時中学生の弟とふたりで暮らしていたはずだった。

 弟とわたしに血縁はなく、母と、共に暮らしたボロアパートくらいしか接点もなかった。葬儀はしなかった。やりたがる親族はいなかった。ただ、母の遺産についてと今後の身の振り方は弟と共に叔父から説明された。わたしと弟は久しぶりに会っても交わす言葉は少ない。

 わたしはバイトを続ければ最低限の生活は変わらずにできるけれど、母と暮らしていた弟はボロアパートを引き払ってしまえば住む家も生活費のあてもなかった。学生のわたしが養うことは難しい。就職先を探すにも、まともな職にありつく能力が自分にある気はしなかった。それでも弟が望むのなら貧しい生活を共にするのも構わなかったけれど、歳のわりに達観しているところのある彼はわたしに負担をかけることを望まなかった。叔父は引きとれないとはっきり言っていたし、弟には他に身寄りもない。施設に入るにも難しい年齢だった。

 話し合いのさなか、弟の知り合いだという見知らぬ男の人が面倒を見ると申し出てきた。弟は、彼をカンと呼んだ。弟の通っていた中学の学区内に住んでいるらしく、転校の必要もない。叔父の知り合いでもあったらしい。弟は(カン)にひどく懐いているようだったから、わたしに異存はなかった。叔父が書類上の後見人を務めてカンの家に厄介になることで弟の身は落ち着いた。


「落ち着いた?」


 自分もカップを口元へ運んだアオさんは、わたしのほうへふしぎと温もりを感じる寒色の視線を向けていた。

 わたしの回想を読まれたかと一瞬驚いた。そんなはずはないだろうけれど。


「卒業アルバムを眺めて、固まっていたでしょう?」


 その意図を測りかねて首をかしげると補足してくれる。


「なにか、あったのかと思って」


 この人の心配りは難しい。間違ってはいないのだけれど、わたしには受け取りにくい。


「……ご心配、おかけしました?」


 癖のように首をかしげれば、長い腕がのびてきて顔の角度を正される。眉間に当たった指は骨の表面に薄膜が付いているだけみたいに硬さがあった。


「心配は、晴れていないよ」

「何か変ですか?」


 この人はわたしの気付かないことによく気付く。わたしが鈍感なのか、この人が敏感なのか。


「学生時代、嫌なことがあったの?」


 答えられない。嫌だったことはある。特に何がとは見いだせないけれど、些細なことがいくつもあった。そういう意味で聞かれているのではない気がしたけれど、ない、と言ってしまうのもやはり違う気がする。


「同窓会、行っても大丈夫?」

「いじめとかは、ないですよ」


 わたしの定義で言ういじめは、少なくともわたしが怪我をするようなこととか、所持品が傷つけられているとか、そういった事実はなかった。あの頃の人たちと再会しても、喜ぶことができる自信はないけれど、悲しむ自信もない。

 今回の同窓会は小学校の。進学や就職で実家を離れない人は珍しいのに、大型連休の一月後という微妙な時期に設定されている。大型連休に仕事がある人への配慮だとか。


「本当に?」


 この人は何を心配しているのだろう。

 時々、よくわからなくなる。


「僕にだって、言えないことの一つや二つあるもの……」


 隠すのは悪いことではないけれど、と。


「わたしは隠さない人です」

「本当に?」

「隠すべき出来事は、何も起きていませんから」


 あの日、屋上でこの人と出会ってから。わたしの身には何も起きていない。その前にも、特筆すべきことはなかったはずだ。わたしは物語の主人公ではないのだから、ごく平凡な生き方をしてきて、これからもそうするのだろう。


「それを信じて、聞いてもいいのかな」

「どうぞ?」


 どれを信じて、なのか。確認しなくともすぐに判るだろうと首肯した。


「あの日、どうして屋上にいたの?」

「どうして……だったんでしょうね」


 わたしにも正直判らない。ただ、あそこになら行ってもいい気がしたんだ。

 母が居なくなった事実は、どこへ行っても実感できなかったけれど。


「月がキレイだったから……かも」

「気づいていなかったのに?」


 あの日、月と同じ色をしたこの人に指摘されて初めて昼間の月に気付いたんだったっけ。それまではずっと足元ばかり見ていたから、見上げたのはあの時がはじめてだ。


「無意識に呼ばれたのかもしれないじゃないですか」

「死に魅せられているのか、と気が気でなかった」


 あの場所から足を離したら、と考えなかったわけでもないけれど。この人が現れなくても、わたしはそれを実行しなかっただろう。それをするほどの度胸が無かった。


「他人なのに」

「袖すり合うも多生の縁、だよ」


 このひとは滅多に諺なんて使わないのに。わたしの言葉遣いが移ってしまったんだろうか。


「すり合いましたっけ?」

「気づいていないうちにね。

 この町は、広くないんだから」


 弟の保護者になったカンとは連絡先を交換して、それっきり直接顔を合わせてはいない。わたしが避けているからだ。叔父さんと交流があるようだからそれでいいと思った。たまに弟の近況を記した手紙が来るから、こちらの近況を返信に書いている。


 わずかな遺品を整理してボロアパートを引き払うだけで、そこに母がいた痕跡は消えてしまった。

 忙しかったのか機会が無かったのか、母の写真は一枚も残っていない。

 書類上何の関係もないのに同居していた弟とわたしの接点は、もはや記憶の中にしかなかった。


「同窓会、やっぱり今回は欠席します」

「了ー解」


 そうと決めたらハガキの欠席の文字を囲んで、無くさないように玄関へ置いた。


 休憩を終えて、細かいものを整理していると、学生服を着た少年の横にスーツ姿の男性が並ぶ写真が出てきた。カンから送られてきた手紙に同封してあった、高校生になった弟と彼だ。もう後見人も必要のなくなった歳の弟は、まだ彼と暮らしているはずだ。折れないように封筒へ戻して箱に仕舞った。これでもっていく荷物の梱包はほとんど終わっただろうか。


「ビン」


 母の空にした酒瓶や香水瓶を、きっと弟はいまも大切にしているんだろう。カンから手紙で瓶の処遇を相談されたこともあったけれど、わたしで力になれることも無かった。


 引っ越した先の住所を教えなければ、カンからわたしへ直接連絡を取ることもできなくなる。恩を仇で返すような……いや、恩はそんなにあったかな。まぁそれはきっと不便だろうから、そのうち伝えよう。他に知らせるべき相手があまりいない、というところにわたしの交流の狭さは如実に表れる。


 寝室だった和室から、段ボールをもったアオさんが顔を出す。


「これ、持っていくね」


 目立った重量物といえる本たちは、持ち主であるアオさんの手で一旦引き取られてゆくことになっている。眼光紙背に徹するように強い視線を這わされていたそれらは、読み終わっても手放される気配はなかった。

 わたしは本を読まないけれど、新居には書架を設置する予定だ。

 この細い人は、見かけによらず力があった。段ボールの中身は十中八九本が密に詰まっている。それをよろけもせずに持ち上げて支えられる力は、どこから生まれているのかいまだに判らない。


「重くないんですか?」

「重いよ?」


 アオさんは車を運転できるらしい。この引っ越しの時までその事実を知らなかった。

 自家用車は持っていないから知り合いに車を借りて、その荷室にアオさんが引き取る荷物の詰まった箱を積んでいた。




 引っ越し先で、アオさんと同居を始めた。

 わたしは就職してもすぐに合わなくて退職してしまった。それでいいとアオさんは言うんだ。そんなはずがないのに。石の上にも三年と思ってもっとうまくやることがどうしてできなかったんだろう。隣の田は青いのか、同僚がとても羨ましかった。簡単そうにこなすのは、実際にそれだけの余裕があったからだろうか。わたしの色眼鏡でそう見えていただけなのだろうか。

 しばらくわたしはどこへも出かけなかった。幸いなことに、最低限の出費を賄えるだけの蓄えはあった。


 たつ鳥あとを濁さず、とは言うけれど。

 わたしは鳥のように軽やかに舞うこともできず、このばしょから発つこともできないヒトだった。何事も中途半端なまま、そこここに多くを散らかしてきている。


 “彼”は。


 鮮烈な印象はないはずなのに、いまよりすこし幼い時分に気付けば目で追っていた同級生を思う。

 あとに残ったのは、陽炎のようにつかみどころのない残像だけ。


 思えばその振る舞いは得手勝手なだけのものにも捉えられたけれど、彼なりの芯はあったし、無関係な人へ害をなすこともなかった。


 彼は表情を変えなかった。何をするにしても、されるにしても。

 だから時々はあったのだ。何か悪意が向けられることも。

 長くは続かなかった。彼自身による報復を恐れて皆が手を引いたから。

 じっさいに彼がお返しをしたという内容は聞こえてこなかった。けれど手を出した方は彼に関わらないようになった。

 幼い時分でも張り付けた笑顔が崩れる場面を見たのは数えるほどもなく、ただの一度きり。


「キョッチ」


 もう誰も呼ばないであろう彼の愛称は、ずっとわたしから抜けてゆかない。

 幼い彼の瞳から零れた一滴(ひとしずく)の意味を、知る日はこないだろうけれど。

 彼にも動く心があるのだと、なぜか強く思ったんだ。

 あの頃を共有したひとたちへ尋ねればきっと、誰の記憶の端にも彼はいるのだろう。しかし訊ねないのなら、彼のことなんて誰も思い出さない。思い出したくない人もある程度はいるだろう。きっとどこかで生きていると、皆が口をそろえて言うのだ。

 わたしも。

 あの日、見てしまわなければ。

 ここまで頭に残ることはなかっただろう。


 噂をすれば影が差す、とは言うけれど。

 いくら人へ訊ねたって、彼の姿を見かけるどころか風の噂にも聞こえてはこない。

 きっと広くもないこの町のどこかに住んでいるのだろうに、中学校を卒業した後の彼の消息を、わたしは知らなかった。

 どこの中学へ入ったのか、高校へは入学したのか、その先は。生死さえも、知らない。


 彼と親しかった少女の訃報は耳に届いた。中学生だった夏休みの交通事故だった。夕食時についていたテレビで流れた交通事故の報道で、この町の少女が死亡したとアナウンサーが読み上げた。それが自分の身近な人だとすぐに気付くことはできなかったけれど、どこからか噂が回ってきて彼女だと知れた。

 中学はほとんどが公立へ進んだ中で、彼と彼女は私立へ進んだ。だからその時点で多くが彼女たちとの繋がりを失くしたのではないだろうか。


「みーちゃん」


 彼女は愛嬌があって小動物のように愛でられていたから、同じ出身校の人たちは悲しみの言葉を発していた気がする。そのうちのどれだけの人が、今も彼女のことを気にしているだろう。

 薄情かもしれないけれど、わたしはその存在を思いだすことはあっても悼むことはない。同じ小学校へ通っていたことくらいしか接点は無かったから。他人との交流を厭うているようなキョッチと親しかった彼女もまた、愛想は好くても級友との深い交流はなかった。


「猫?」


 亡き級友の愛称を耳で拾ったのだろう、同居人のアオさんが室内から顔を出した。

 強い陽光の色に輝く細い髪は、それが生来の色だという。この白い人は陽に弱いから、ベランダと部屋の境に腰を下ろして陽を浴びるわたしを室内の陰から見守っていた。


「アオさん」


 色白を通り越して漂白したように白い肌が覗くのは顔と手の少しの面積だけだ。

 空を透かすと蒼く見えるから、この人の愛称はアオさん。


「でかけますか?」


 室内では最低限肌を隠すような恰好でいることも珍しくないのに、いまは体型の隠れる上着も身に着けている。外出していた気はしないから、これから出かける用意だろうか。

 アオさんは頷いた。長い髪も背で束ねられているからあまり揺れない。


「少しね。

 夜には帰るから」


 視線を落とせば自分の手首には血管がうっすらと緑色に浮かんでいるだけで、目を凝らせば枝に引っ掛けた傷があるくらいしか特徴はない。アオさんのそこには血管が赤く浮いていて、縛るように紐が巻き付けてある。


「何か、みえているの?」


 わたしは思い出す時に顔と視線が上を向く。それに窓を開け放って腰を下ろしているから、空を見上げているような形に見えたんだろうか。

 アオさんは細い手足を折りたたんでちょうど壁の陰になっていた横にしゃがむと、目線を合わせてきた。

 肩口にも紐が巻いてある。血の巡りを妨げないように強さは配慮しているのだという。


「雲がはっきり、しているね」


 眼窩に影が濃くかかる。肌が白いから余計に暗く見えるのかもしれない。

 長く繊細な髪が風に掬われて膨らんでから、重力に引かれて薄い肩を際立たせる。

 言われて意識を空へ向ければ、蒼に映える煙色があった。


「あしたも晴れるでしょうか」


 晴れているときもちがいい。ずっと晴れていればいいのに。


「お昼の天気予報では、晴れだったと思うよ」


 昨日、卒業してから何度目かの、小学校の同窓会の誘いが届いた。数年ぶりだった。引っ越しても同窓会へ住所変更を知らせなかったはずが、案内が手元へ届いたのはどういうわけか。

 孤立無援というほどでもないけれど、それなりに疎かにしていた自覚はあるのに。

 誰から伝わったのか。まだかすかに交流のある数人を思い浮かべれば、それぞれの交友がしっかりあるだろうと思われた。


「なにか、予定があった?」


 参加をするつもりはないけれど、出欠表明は出しておかないと当時学級委員長だった幹事の顔を思い出して申し訳なくなる。

 最寄りのポストの場所は、と思い浮かべようとすれば鼻腔をくすぐる香りに意識が引かれた。

 隣にある顔を窺えば、色素の薄い虹彩がこちらへ向けられている。


「出かけるんですか?」


 色の白いは七難隠す、というわけでもないけれど、この人の顔はキレイだと思う。いまは見惚れる時ではなくて。

 香りはこの人の纏うものだ。深煎りのコーヒー豆に、乾燥した小麦や穀物、塩と乳製品。クラッカーみたいなそれに加えて少し砂糖。食料置き場や部屋に浸みたものより数段も濃く、この人には染みついている気がする。


「出かけてくるけど、きょうは家にいる?」


 頷いておく。

 最近は食欲もないから、外へ出かける用事もない。


「夕飯、遅くなるかもしれないから、おなかがすいたら冷凍庫の中身を温めてね」





 気が付いたらアオさんの音はしなくなっていた。

 それに、いつの間にか風が冷たい。

 星が月に隠されている。


 そのまま体を後ろへ倒すと、ちょうど背中から頭の位置に柔らかいものがあった。

 触って確認すると、タオルと、ぬいぐるみ。アオさんが身代わりに布団へ忍ばせることのある、丸みを帯びた動物だった。それを頭に敷くのは気が引ける。

 引っ張り上げておなかに乗せたら、鶏だった。知り合いが趣味で手作りしたものを引き取ってくるのだという。案外重い。はらわた(中身)は天然の綿だと言っていたかな。


「ただいま」


 アオさんの声だ。

 部屋の明かりがつく。


「ずっと、そこにいたの?」


 寝ころんだまま見上げると、上着をハンガーへ掛けるところだった。

 鶏のぬいぐるみを持ち上げてみる。腕にくるな、この子。

 わたしがその場から動かないことを察したアオさんがお湯を沸かし始めた。

 帰宅したらとりあえず一服が習慣になっているから、コーヒーか何かを淹れるんだろう。

 少しして、コト、と小さな音がした。


「気に入った?」


 その言葉へ反応を返さないままにテーブルへ目を向ければ、湯気のたちのぼるカップが二つ置いてある。


「……お茶にしようか」


 それほど好きなわけでもないけれど、アオさんの淹れたコーヒーには抗いがたい魅力があった。

 アオさんは先に立ち上がって、鶏を攫って部屋の奥へ進む。彗星のように尾を引く光を追うように、手持ち無沙汰になったわたしも惹かれるままにカップの前へ座った。隣には鶏が座らされている。カップの中を覗けば、うすぼんやりとした自分の顔がこちらを見つめてきた。

 向かいへ座る淡い人の濡れた瞳には部屋の中央から届く光が写り込んで、光を放っている。じっとこちらを見つめてくる視線を視界の端に捉えながら、温かなカップを両手で包んで香りを確認する。慣れたいくつかのにおいの中から近いものを探しながら、熱をのどへ流しいれる。カップをテーブルへ戻すと向かいにある整った顔が緩んだ。

 気付けば眉間にしわが寄っているようなわたしの顔が緩むのを見て嬉しいのだと、以前教えてもらったっけ。自分では表情が変わっている自覚がないのだけれど。


「おいしいです。きょうも」


 向かいで静かにカップを持ち上げた同居人の指は骨様(ほねよう)の姿をしている。

 コーヒーの熱か陽の熱か、その頬は上気していた。


「あす、昼までに、出かけます」

「どこへ?」

「ハガキを、出してきます」


 同窓会の誘いが来たことを話すと、今回も参加しないの? とわたしの意思を把握した問いが発せられた。

 ポストへ行くだけで重要な決意表明のようなやり取りになるのは毎度のことだった。わたしは必要なだけしか外出をしないから。特にこのところは無気力だったことも重なっている。


「……なにをすればいいのか、わからないんです」

「そこにいて、知り合いと近況を共有してくればいい」


 学生時代を思い返しても、会いたい相手はいなかった。

 会いたくない相手もまたいない。

 そこに、“彼”がいるわけもない。


「嫌な思い出があるなら、行く必要はないけれど」

「嫌では、ない……です」


 “彼女”もまた、いないのだ。


「用事がある?」


 少しずるい。

 この人は、同居人のわたしの予定をわたしよりも詳しく把握している。

 同窓会の開かれる時期と場所も例年変わらないから、きっと予想が立っている。

 それでこの言い方をするということは、同窓会の日、わたしに予定は入らないとほとんど断言していた。

 わたしが首を左右に振ると、日付を確認してくる。観念して告げれば壁に掛けてあるカレンダーへ太い油性ペンで|《同窓会》、と書き込んだ。


「行ってらっしゃいな」


 恨めし気に視線を向けても、細められた目と吊り上がった口角に構成された笑顔は崩れない。


「ここで、ちゃんと待っているからさ」


 カレンダーへ書き込まれた日付を確認すると、6月23日。土曜日。その日は。


「どうしたの?」


 寝室の書架はほとんどがアオさんの本で埋め尽くされているけれど、ある一角にはわたしのコーナーがあった。結局廃棄しなかった卒業アルバムたちと古い雑誌が数冊だけ、そこに在る。小学校のそれの生徒一覧を開く。名前と、顔写真。ページをめくるとそれぞれが思い思いに描き込んだページがあって、生年月日がそこにはある。彼の整った文字はすぐに見つかった。誕生日は、6月、23日。

 今年の同窓会の日は、彼の誕生日だった。


「同窓会の日、寄りたいところ、できるかもです」


 彼のことを、誰か把握していないだろうか。

 あの日何があったのか、知ることはできないだろうか。


「楽しんできなよ」


 風の噂は不意に届く。

 彼は生きていた。少なくともある時点までは。

 就職が決まって安堵していたころ、その報せは耳に入った。

 その時点から数年前、わたしが大学の卒業を控えて他のことへ意識を割く余裕のなかったころ。

 彼は、学校の屋上から身を投げたのだという。

 その後どうしているかは判らない。

 地元の新聞にも、テレビのローカルニュースでもそれは取り上げられなかったから。

 大事に至らなかったからではないかと、淡い期待を抱いた。


 いま彼はどうしているのか、なぜだかそれが、ひどく気になった。


「どこに、と、尋ねてもいいの?」


 今まで触れたことのない級友のことを告げても、この人は知らないだろうけれど。


「同級生の……キョッチのことが気になって」

「その人と、どこかへ行くの?」


 違う。首を振って否定する。


「なら、その人は、同窓会に出てこないの?」


 そんな気がする。

 だから、彼に会うためにはこちらから会いに行くしかない。


「その人の家を、訪ねたいんだ?」


 一目でも彼の姿を確認したかった。なんでだろう。自分でも判らない。


「家の場所を、同窓会で会った級友に尋ねるんだ?」


 そうしたい。彼がいまも実家にいるのか、そうでないのかだけでも。

 彼の居ない実家へ訪ねて行っても、何か聞くことができるかもしれないし。




 後悔先に立たず。


 依存より先には自我の弱さがある。長いものに巻かれるのは、弱さを補うためだ。

 拒絶より先には恐怖がある。起こりそうな不安を抱えきれなくて、わたしは拒絶した。


 後悔は後に立つ。

 何をしても後悔するのだから、何をしてもしなくても、大差ない。


 この人と同居したことを後悔する日も、きっとやってくる。

 いつの間にかいなくなったことを知れなくても、きっと後悔するんだ。

 どちらにしても後悔するのだから、この温もりを傍で感じていられた方がいい。

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