■加藤玉美編(参)
「さぁ……俺の技をやって見せろ、竜之介」
たこ焼き修行の最終日。その成果を見せる日がやってきた。全てを教え終わった山本は壁にもたれながら竜之介を見据えた。
「はいっ! 師匠!」
手早く回転させ、程良く焼けたたこ焼を目の前にして竜之介の両手の指には乱れる事なく、千枚通しが握られている。
「ふううっ――!」
静かに息を整える。静けさが部屋の中を支配していく。
「うおおおおっ! 千手観音っ!」
美しい円を描く竜之介の背後に眩しい程の千手観音は現れ始め、光に包まれながら広げた千枚通しにたこ焼達が突き刺さり、やがて木船に山本がやってのけた様にたこ焼たちが綺麗に収まった。
「――ちっ、こいつ遂にやりやがった」
「や、やった! 出来たぞっ! し、師匠、今の見てましたか!?」
「ふん、多少粗さが目立つが……まぁいいだろう」
鼻を鳴らしながら、サングラスの真ん中に手を置いて点け直す仕草をする。
「うおおおおおっ! みんな! 竜之介さんが技を取得したぞおおお!」
ドア越しに耳を当てていた子分が、目を輝かせながら万歳をした。
「やったぜええっ! 有難うごぜえやすっ、竜之介さんっ! これで、これでっ!」
「『たこ焼地獄』から解放されるうううっ!」
涙し、小躍りをしている子分達の背後から勢い良く部屋が開け離れると、山本が怪訝そうに出てきた。
「――おめえら、さっきから部屋の前でなにしてやがる?」
「ひぃぃっ! 兄貴いいいっ!?」
「まぁいい、竜之介。今日で修行は終わりだ……俺に少し付き合いな」
「はい、師匠」
その背中を追っていくと、足を止めた先は大浴場であった。
「――風呂?」
「何してやがる? さっさと入って来い」
無造作に服を脱ぎだす山本。竜之介もそれに従って恥ずかしそうに服を脱いだ。
「し、失礼します」
先に湯船に浸かった山本の後におずおずと竜之介が入ってきた。
「ふうっ、極楽極楽、生き返るぜえ」
確かに極楽なのかもしれないが、包帯を巻いた山本の右手は防水の袋で覆われ、その恩恵は授かっていない。
「確かに――疲れが吹っ飛びますねえ」
その恥ずかしさは暖かいお湯が、すぐに取り去ってくれる。思わず深い溜息を吐き出す。
「結局、お前の記憶が何も戻らない内に試合の日を迎える事になっちまったか……」
「す、すみません。でも師匠、俺は明日の試合で見事に『松』を取ってみせますから!」
「――そうかい、まあせいぜい頑張りな」
「松」を取る――それが今回の目的である筈なのにサングラスを外した山本の顔は何処か曇っていた。やがてぐっと竜之介を見据えると何かを期待する声で竜之介に話し掛けた。
「ところでよ、こうしてると何か思いださねえか?」
「うーん……特には」
「そうかい……」
竜之介の裏切られた回答に吐き出すに返事をした山本はお湯を激しく立ち昇らせながら立ち上がった。
「あれ? もう出ちゃうんですか?」
「ああ、おめえはのんびり浸かってろ」
「世の中ってもんは……なかなか上手くいかねえもんだなぁ……」
まだ乾ききっていない髪の毛で隠された山本の顔は何処か寂しそうであった。そんな山本がタオルを肩に掛け、ぼうっと通路を歩いていた時、いきなり叫び声が聞こえてきた。
「てめえ! 何しやがる!」
「何しに来やがった!?」
「おめえら、騒がしいぞ! 一体何の――!」
子分を鎮めようと声を上げたその先、今居てはならない人物――前田和利が子分を引き連れ、気色の悪い笑みを浮かべながら立っていた。
「てめえは……前田」
「ふん、お前は確か……山本か」
「前田……何しに此処へ来やがった?」
「なぁに、ちょっと玉美に用があってねえ」
「――!」
その言葉を聞いた途端、山本の眉が吊り上がった。
「ふざけるな……約束したのは明日の筈だ。何故今日出て来やがった?」
片手で髪の毛をたくし上げた山本は鋭い視線で前田を睨み付ける。
「煩いなぁ。弱小組の約束なんぞ、こっちはいちいち聞いてられねえよ」
「ああ……そういやお前、誰かに襲われて右手を怪我したんだってなあ? 大事な試合を控えてるっていうのに、一人偉そうに夜出歩くからそういう目に合うんだぜえ? くくくく」
人差し指で耳をほじる仕草をする背後で前田の子分達が冷ややかに笑った。
「俺を襲ったのは――てめえらか」
「ふん、さてねえ、そんな事より玉美は何処だ!? 玉美い、お前の夫が迎えにきたぜええ? ククククッ!」
所構わず、玉美を呼び始める前田に、奥の通路を見ながら山本は子分達に命じる。
「おめえ達、通路を塞げ……」
「おおっ!」
「ふん、邪魔だてするならひと暴れしてやってもいいんだぜえ? なぁ、おいっ!?」
「師匠、何やら大きな声が聞こえたけど、一体何の騒ぎですか!?」
大浴場から出てきた竜之介が、騒動に気付いて慌てて駆け寄って来た。
「……竜之介!? しまっ――今こっちに来るんじゃねえ!」
「――竜之介だと?」
その名前を聞いた前田の顔が途端に曇り始める。その奥から、玉美がゆらりと現れて、奥の通路から前田の方へと歩いてきた。
「お、お嬢! 駄目です! 部屋にお戻りくだせえ!」
慌ててそれを制止しようとするが、朦朧としたまま、前田へと近付いていく。その先に竜之介が居るという事は完全に隔離されていた玉美に分かる由も無かった。
「風間ぁ――竜之介ぇえ」
恨めしそうに竜之介を睨むその横で、玉美が硬直したまま、目を見開いて竜之介を見ている。
「ちっ!」
最悪な状況に思わず舌打ちをする山本。今直ぐ此処から竜之介を消して無かった事にしたいが、それは叶わない。
「玉美ぃい、目の前にお前の大好きな竜之介君がいるぜえ? 挨拶してやったらどうだぁ?」
「り、竜之介……何故此処に!?」
肩を震わせながら恐々と竜之介を見る。それでも玉美の心は「お願い……私を思い出して!」そう泣き叫んでいた。
――だが、竜之介の開い口から出た言葉は玉美の心を深く傷つける物であった。
「……あれ? 此処に『角組隊長の人』が居るって事は、ここは貴方のお屋敷なんですか」
「――――ああ」
薄いガラスの下に何処までも続く深い闇。そんな心境に置かれていた玉美は、その瞬間、足元のガラスが音を立てて割れ、そのまま真っ暗な闇へと堕ちて行く。光に向けて差し出した手は、もう竜之介は握ってくれない――やがてその手は力弱く閉じてしまった。
「くくっ……聞いたか玉美、今の竜之介君の台詞をよお。こいつ、お前の事を『貴方』呼ばわりだぜえ?」
「お前を忘れたこぉんな薄情な奴、さっさと忘れちまって、俺の元に来いよ、なぁ? 玉美」
肩に手を回して囁く前田に、山本が怒りを露わにした。
「前田っ! 貴様あああっ!」
殴り掛かろうする山本に、生気を失った玉美の言葉が割って入る。
「……山本、皆を下げなさい」
「お、お嬢――!」
亡霊の様に冷ややかに玉美は前田を見つめる。
「和利さん……少し、時間をくださいな。今支度をしてきますから」
「オ、オーケー、正しい判断だ玉美。じゃあ、俺は表で待ってるから……早く来いよ」
「――分かりましたわ」
「そこを退けよ、全てを失った雑魚君」
「――な、何だと?」
前田に威圧され、思わず動揺する竜之介。その背後で何かを思い出した前田の子分が呟いた。
「おい、うちの若頭、確かその竜之介に試合でぼっこぼっこにされてたんじゃあ――」
「う、うるせえ! お前等、さっさと此処を出るぞ!」
「はっ、はいっ! すみませんっ!」
過去の汚名を振り払う様に前田は声を荒立てる。そのまま廊下を怪訝そうに強く踏みしめながら表へと出ていった。
「くそがああっ!」
「俺の恐れていた『最悪な状態』になっちまったじゃねえかあっ!」
拳を握りしめながら山本は叫び声を上げた。
「師匠――落ち着いてくださいっ!」
「馬鹿野郎が! 全部お前のせいなんだよおっ!」
宥めようとする竜之介の言葉がとうとう山本の怒りに触れた。理解してもらえないと分かっていても、その怒りを竜之介にぶつけてしまった。
「お、俺の……せい?」
「お前が……お前さえ記憶を取り戻していれば、お嬢を……!」
「え? え? お嬢……さん?」
「が、があああっ!」
「お嬢の意味さえも分からねえのか!」と、山本は竜之介の胸倉を掴んで叫んだ。
「ふうっ、ふうっ……終わっちまった……何もかもな……」
落ち着きを取り戻した山本はその手を離すと、失望するかの様に頭を垂れ、ふらふらと竜之介から後ずさりを始める。
「師匠……俺」
「俺に触るんじゃねええっ!」
「師――――」
踵を返した山本は重い足取りで廊下の奥へと消えて行く。やがて竜之介の耳に表の方で何台かの車が遠ざかっていく音が聞こえてくるのであった。




