■加藤玉美編(弐)
「こっちだ、さっさと付いて来い、竜之介」
言われるがまま竜之介は山本の後ろに付いていく。その途中、二手に分かれた通路で急に山本が立ち止まった。
「……先に言っておくがこの通路には絶対入るなよ? 分かったな?」
サングラス越しから寂しそうに通路の奥に視線を向けた。
「はい。って、師匠、この通路の先には何かあるのですか?」
気になった竜之介は、山本と同じ様にして通路に目を向けた。
「おめえが気にすることじゃあねえ。黙って俺の言う事を聞いとけ」
その視界を遮る様にして山本の大きな手が塞ぐ。
「もし、この約束を破りやがったら、お前を――ぶっ殺す」
踵を返し、暫く無言のまま、竜之介の方を見た。
「は……はい」
山本の声が決して冗談では無い事を竜之介は理解した。
「この部屋だ……入れ」
「こっ、これは!」
竜之介が部屋の中に入ると、そこはたこ焼を焼くためだけの部屋という感じで、冷蔵庫、清潔感のあるステンレス製の机の上にはずらりとたこ焼を焼く道具がきちんと手入れされて置いてあった。
「俺がたこ焼を焼く修行に使っている道具だ。お前にはこれから試合の日まで付き合ってもらうぜ? なぁ、『戦力外』の竜之介君」
山本の言葉は「お前が棋将武隊に戻っても何の意味も無い」という事を意味していた。
「……う、分かりました」
だらしなく、頭を垂れる竜之介。
「――ちっ、本当にこいつは以前、此処で俺と暴れた奴なのか? 以前の覇気が無いというか、まるっきし別人だぜ」
すっかり覇気を失った竜之介に山本は失望の言葉を漏らした。
「師匠、今、何か言いました?」
相変わらず自分には関係が無いというような感じで竜之介が話し掛けてくる。山本は少しだけ不愉快になった。
「なんでもねえよ、ホラ、さっさとこれを身に着けやがれ」
山本が無造作に竜之介前掛けを投げ渡す。その前掛けには「凡人」と達筆な字で書かれていた。
「――凡人」
「間違いじゃないけど、なんか空しいなあ……」
「ふん、今のお前にはそれが良く似合ってるぜ、それじゃあ早速おっ始めるとするか」
「まずは、手本を見せてやる、良く見ておけ」
「はいっ、師匠!」
山本は手慣れた様子で道具を使いこなして準備を始める。
「か、片手だけなのに、物凄い手際だ……!」
「竜之介、驚くのはまだ早いぜ? 今から見せる技は、本当は両手で完成するもんだが……良く見とけ」
山本は片手の指の間に挟んだ千枚通しを竜之介の目の前に翳すと、呼吸を整え始めた。
「ふおおおおおおっ!」
千枚通しが光を放ちながら美しい半円を描き始めると、山本を包み込む様に千住観音が姿を現れ始めた。
「な!? 山本さんの背後に観音様が見える!?」
「行くぜ……千手観音片手バージョン」
「見事なラインを描きながら……たこやきが全部串に貫かれて……なんて神々しいんだっ!」
竜之介がその美しさに見とれている内に、たこ焼きは木船の形をした入れ物へと順序正しく見事に収まっていった。
「ふぅ……まぁ、こんなもんだ。お前にはこれを両手でやって貰う」
最後の仕上げをすると、それを掴んで、竜之介へ手渡す。
「えええ!? 今の技を俺が!? そんなの出来ませんよ――」
竜之介は山本に向けて、両掌を開いてぶんぶんと振る。
「煩せえっ! おめえにはやって貰わなくちゃいけねえんだよ! 絶対にな!」
感情的に言葉を吐く山本の姿が竜之介には異常にとって見えた。その理由が分からない自分に虚しさが突然差し込む。
「――そうでねえと、俺が、困るんだよ」
山本は何かを手に入れる様に一瞬掌を開いて、ぐっと力強く握りしめた。
「いいか竜之介、技の切れっていうのは剣術と一緒なんだぜ? おめえが以前使っていた剣技を思い出しゃあ、こんなもん直ぐに出来る様になるさ」
「俺の――剣技……」
剣を持つ自分を想像出来ない竜之介は、山本の言ってる事がピンと来なかった。
――その部屋の外側では数人の子分達が監視をしながら、会話をしている。
「うへえ、兄貴の鬼指導っぷりがこっちにまで響いてきてやがる」
「くわばら、くわばら」
「……でも、兄貴は何も俺達には言ってないけどよ、何とかして竜之介の記憶を蘇らせて、お嬢の事、思い出させてやりたいのが、いてえ程分かるな」
「――そうだな」
そんな会話をしている子分達の前に、別の子分が大量にたこ焼を運んで来た。
「おい、お前等、追加のたこ焼きたぞ! 全部食え、残すなよ!」
「ううう……これから毎日たこやき攻めかよ……げっぷ!」
「は、はやく竜之介に技を会得してもらわなくっちゃ、こっちの身ががもたん……うぷっ!」
竜之介達が焼き上げたたこ焼は、余すことなく子分達のお腹の中を強引に支配していたのであった。
「竜之介、今日はここまでだ。今日の手際を、頭に叩き込んでおけ。あと、お前の部屋はそいつに案内して貰え」
やっと山本の鬼修行から解放された竜之介。
「はい、ありがとうございました師匠」
ふうっと一息付いた所で、せの低い背中が少し曲がった子分が近付いてきた。
「お疲れさんでごぜえやす、竜之介さん」
「え? そんなに畏まらなくても……俺の事は竜之介でいいよ」
敬語を使う子分に竜之介は困惑し、思わず苦笑いをする。
「と、とんでもねえ! 兄貴の弟子のお方にそんな無礼な事が出来ますかい! だいたい兄貴は弟子なんて取らないお方なのに、それになれるって事は、大事なんですぜ?」
「そ、そうなの? なんか怖いな」
今の立場がどの位上であるかは、自分に向ける子分達の視線で何となく分かっている。畏まって案内される途中、あの通路に差し掛かった。何か心に引っ掛かる物を感じた竜之介は足を止めた。
「あのさ、こっちの通路には何があるんだ?」
通路の奥を指差しながら、思い切って聞いてみる。
「竜之介さん……今は、修行に集中してくだせえ」
「……やっぱり教えてくれないのか」
山本の命令は絶対らしい。その忠誠心に尊敬するものの、煮え切らない竜之介は「ちぇっ」と毒を吐いた。
「知りたければ、早く記憶を取り戻す事です。では」
意味深な言葉を残して、目的地に到着した子分は竜之介から離れた。
「ああ、案内してくれてどうも有難う」
「いえ……あ、後トイレは部屋の中にありやすから、そちらを。あと食事はあっしらが運びやすんで、むやみやたらに屋敷内をうろちょろしないでくだせえ」
「分かった」
「もし、何か用がありましたらこの無線でお声をお掛けくだせえ。直ぐに御用を聞きに参りやす」
「色々ありがとう。分かったよ」
この徹底した監視は、竜之介が頭を捻りながら部屋の中に入った後に分かる。
「こちら子分A、今竜之介が自室に戻った、お嬢の様子は?」
「こちら子分D、お嬢は部屋から一歩も出ていねえ。クリアーだ」
「了解。いいか、竜之介とお嬢を絶対に鉢合わせさせる様な失態犯すんじゃねえぞ?」
「――了解だ」
竜之介と玉美。屋敷内で二人が出会う事を避ける為、子分達は二人の行動を徹底的に監視し合っていたのだった。
「ううう……腕がぱんぱんだ。師匠め、お玉で俺の頭を何度も叩きやがって……」
叩かれた部分を手で摩りながら、ベットに横たわった。
「でも、俺の剣技って……どんなのだったっけ?」
「――やってみるか」
棋将武隊で以前活躍していた竜之介は、何かを思い出せるのではないかと、おもむろに立ち上がると護身用に据え置かれた木刀を握って正面に構えた。
「すううっ……」
一呼吸置く。どうせ、まともに振ることなど叶わないのだから――と、気合いを入れて大きく振りかぶった。
「いやああっ!」
真直ぐに振り下ろした木刀は、自分が思っていたよりも信じられな速さで縦に太刀筋を描くと、その勢いで目の前の重そうな置物が吹き飛んで、壁に打ち付けられた後に激しい破壊音が部屋中に鳴り響いた。
「……あ」
何が起こったのか理解出来ず、木刀を持ったまま呆然と立ち尽くす。
「り、竜之介さんっ! な、何の騒ぎですかいっ!」
その音に驚いた子分が慌てて部屋の中に飛び込んで来た。見れば拳銃や日本刀を構えている。どうやら奇襲と勘違いしているようだ。
「す、すみません、なんでもありません」
苦笑いしながら、「あははは……」頭を摩る。何事もなかった事を(置物は壊れたが)理解した子分達は皿の様な目で竜之介をみた。
「全く、焦りやしたよ……! 驚かさないでくだせえ!」
「では、くれぐれも勝手に――」
止めの呪文を投げ掛かられる。
「分かってるってば! 出たら駄目なんだろっ!」
「でも、さっきの手応え……風の様に吹き抜ける感覚。俺は何処かで……」
子分達が居なくなった後、窓の外が青くぽうっと光っている事に気付いた竜之介は慌てて中庭を覗き込んだ。
「ん? 何だ今の? 中庭で何かが青く光っていた様な?」
確かに青く光っていた。が、それはすぐに消えて無くなっていた。
「――気のせいか」
その後竜之介は部屋に散らばる置物に青ざめ、その残骸をせっせと片付け始めるのであった。
「こいつ……相当、誰かに鍛えられていたようだな。そもそも筋肉の付き方が半端じゃねえ。こんな無駄のねえ体格、どうやったらここまで鍛え上げられるんだ?」
――たこ焼修行をする部屋。山本は竜之介と一緒に過ごす時間が増え、何気に見ていた竜之介の本質が次第に見え始める。
「――それに、こいつは本能的に体が覚えていやがるのか、千枚通しが全く無駄のねえ動きを見せやがる、早くも剣技には目覚め始めているって事か……これなら、もしかすると……」
山本は竜之介が想像も出来ない修行を棋将武隊の誰かにさせらていた事を感じていた。だが、その相手が針鼠のぬいぐるみに宿った過去の英雄、天竜であったり、十洞千国に剣豪と名が轟く長信、宗政の亡霊などとは知る由も無い。
「師匠見てくださいっ! この焼き具合、中々のものでは?」
嬉しそうな顔をして完成したたこ焼を見せつける。その出来栄えに心の中で頷く山本であったが、発せられる言葉は厳しい。
「生言ってんじゃねえ! まだまだだっ!」
「す、すみません!」
直ぐにお玉が竜之介の頭に振ってくる。やがて部屋の中から「パカーン」と心地良い音が聞こえて来た。
「今日もお疲れさまでごぜえやした。では部屋まで……」
見応えのあるたんこぶに子分が失笑しながら、本日の修行を終えた竜之介を部屋まで案内する。やがてあの通路に差し掛かると、目を皿の様にして竜之介を見た。
「わ、分かってるって! そっちには行かないってば!」
きっとあの通路の奥には化け物か何かが憑りついているのだ――そう、竜之介は思い始めていた。




