■豊臣音々編(参)
数日間チェスの出現が見られない十洞千国。穏やかな日を過ごしているであろう棋将武隊ではある出来事で騒然としていた。
「何だって? 竜之介が帰ってきたさね?」
それは此処から逃亡し、姿を消しいていた風間竜之介がチェス化の力を失い、元治の手によって再び此処に戻って来ていたからだった。
「おお、そうじゃ。そこにおる豊臣音々のお陰ででのう」
元治は満足そうに音々を見て笑った。その本人は顔を赤らめながら床に視線を落している。
「音々、あ、あんた此処に帰ってきた早々、いきなりやってくれたさねえ」
「竜之介がチェスの力を失ったって事は……それって」
竜之介からチェスの力を失う方法――竜之介との契り。それは各隊長の頭にしっかりと刻まれているものであった。
「……小梅、仕方があるまい。本来であれば我々の手で竜之介に手を掛けなければならない所だったのだ」
「竜之介も音々の事を思い出している事だし、今や部外者の私達ではどうする事もできませんわ」
最悪な状況を免れた姫野と玉美は溜息を吐きながら、諦めるような仕草を見せた。だが、蛍だけは不服そうに顔を歪めて頭から湯気を吹き出している。
「くぬぬぬー。にゃんで竜之介は私の事を真っ先に思い出しでくれにゃかったのにゃあ!」
「上杉蛍、そりゃあお前の印象が薄過ぎただけの事じゃ。何の縁も無かったという事じゃい」
「ぷっ」と吹き出すようにして元治は蛍をからかった。
「ぐにゃああ! 毛利元治、お前人の傷口に塩をたっぷりと塗り込むとは、にゃんと非道な奴にゃ! 自分がちょっとばかり竜之介に覚えられているからっていい気ににゃるにゃよおおっ!」
「わはははは! 上杉蛍、妬くな妬くな! 女の嫉妬はみっともにゃいにゃじゃ!」
「くぬー! そこににゃおれええっ、今直ぐその首を狩りとってやるにゃあああっ!!」
怒りに任せて抜刀しようとする蛍を各隊長が押さえこんでいる様を背にして元治は一目散に外へ退散するのであった。
*元治、本当に良かったですね。竜之介が帰ってきてくれて*
水晶から飛びだした薄羽が嬉しそうに目を細めて笑う。
「なんじゃ、薄羽。わしはお前を召喚した覚えはないんじゃがのう?」
*こらこら、元治君。この私めはそんじょそこらの精霊とは一味違うのを知っておるであろう? んー?*
「……ったく、いくらお前が召喚無しでこの世界との出入りが自由だからだといって、わしが呼んでもいないのに出てくんじゃねえよ」
*またまたぁー。本当は寂しかったくせに! 正直に薄羽ちゃんに言ってみなさい、ほれほれ!*
「ちっ、早く引っ込まんかい」
*はいはい、戻ればいいんでしょ! 戻れば!*
薄羽は不機嫌を全面に表しながら、水晶に戻っていった。
「ったく、目の前をちょろちょろとほんま鬱陶しい奴じゃ……」
元治が頭に手をやり、嘆いていた所に見知った男が近づいて来た。
「隊長!」
「……なんじゃ、今度は那賀か。わしに何か用か?」
「先程仲間から聞きました、隊長があの竜之介を連れて戻ってきたと」
「……そうじゃが、お前のその顔、何か気に入らなさそうじゃのう」
「当たり前じゃないですか! あんな『危険人物』を此処に呼び戻すなんて私には隊長の判断が理解出来なません!」
「第一、我々に与えられた任務は竜之介を『処分』しろとの――」
那賀の言葉はそこで遮られ、代わりに悶絶の声が上がった。元治が無言で那賀の胸倉を掴んでそのまま引き上げていたのだ。
「ぐうっ!」
「……おい、お前、今竜やんの事を何て言ったんや? もう一回その口で言ってみい?」
「がはっ……だ、だからあの……男は危険過ぎると……くっ、苦しい、は、離して……っ!」
「ふん。これはわしが独断でやった事じゃ。副隊長のお前になんぞに四の五の言われる筋合いはないわい」
「ううっ……す、すみませんでした隊長」
「上にはわしから報告する。お前はとっとと持ち場に戻れ、目障りなんじゃ」
「――っ! わ、分かりました」
那賀は逃げるようにそこから立ち去った。肩で風を切っていく元治の背を目にしながら、地面に唾を吐き捨てる。
「くそ! なんであいつが隠密武隊の隊長なんだ!」
「上の者も誰が隊長に相応しいかくらい、見れば一目瞭然ではないか!」
那賀が気を紛らわそうとして、拠点の外を歩いていた時、薄汚れた着物を羽織った男が一人、頭を地面に落として何かを呟きながら歩いてきた。
「ぶつぶつぶつぶつ……」
良く見ればその男の頭の髪は金髪で、あまりにも手入れが行き届いていない為、その輝きが失われていたのだ。那賀は何かを思い出すかの様にしてその男に声を掛けた。
「そこのお前ちょっと待て。何処かで見た覚えがあるな……確かお前は……『元』金組のと成だった北条殿では無いか?」
男が朦朧と顔を上げる。輝きを失った青い瞳はどんよりと曇って、濁り切った海の様だった。
「北条……ああ。それって僕の事かい? 確かそんな名だったかも知れないなぁ……」
「あんなに煌びやかだった男が今や見る影もない……なんと哀れな」
那賀はすっかり落ちぶれた北条を蔑んだ目で見ていた。
「君には……精霊がいるんだろ?」
と、聞こえるか聞こえない声を北条は漏らした。
「あ? お前は何を言っている?」
那賀は北条の言っている事が理解出来ない。北条は更に言葉を重ねた。
「僕には……もう……居ないんだ」
「……全てを奪われてしまったんだよおおおお、マリー……あんなに可愛い、愛しい娘だったのに……」
「かっ、返してくれないかああああ! 僕のマリーおおおおおっ!」
「マリー! マリー! マリイイイッ!」
那賀に追い縋る様にして北条が狂った様に叫んだ。
「うおっ!? 北条殿、お、落ち着け!」
「はあっ! はあっ! はあっ!」
両肩に手をやりながら那賀は北条を宥めた。
で、そのマリーとやらは誰に消されたんだ?」
「あ? ああ……忘れてはいない、忘れるものか……あんな下品な言葉使いをする男……」
「下品な言葉遣い? それって――まさか!?」
那賀の頭には、その北条に制裁を加えた男――毛利元治の姿が浮かんでいたのだった。全てが繋がった時、那賀の口元が不気味に歪んだ。
「……そうか、成程そういう事か、ふふふふ。北条殿、そのマリーの仇を討ちたくはないか?」
「――仇?」
「ああ。そうだ、このままでは消えたマリーもさぞかし無念だろう。北条殿、貴殿もな」
「かたき? カタキ? 仇? マリーの仇いいいいいいっ!」
北条はしゃがみ込んだまま、叫び続ける。
「さあ、私に着いてくればその無念が晴らせるぞ!」
「ううう……マリーの……仇……」
「――毛利元治、これでお前を終わりにしてやる。フフフフ、あはははは!」
那賀の狂った笑い声は暫く止む事は無かった。
「え? で、デート?」
音々に突拍子も無い事を言われた竜之介は目を丸くした。
「そうなり。私も此処へ帰ってくるなり誰かさんのせいでバタバタしっ放しだったからちゃんと癒して貰わないと割りに合わないなりよ」
「うう……確かに」
ぐうの音も出ない竜之介。そこに音々が畳み掛ける様にして言葉を重ねた。
「ね! そうと決まったら早速町に繰り出すなり! 私、買いたい物がたくさんあるなりよ!」
「しっ、仕方が無い……行くよ」
「嬉しいなり。じゃあ――」
青い目をぱあっと輝かせて身を乗り出したその時、野太い一人の男の声が割って入った。
「――ちょっと待たんかい。その買い物とやら、わしも付き合うで」
元治のとんでもない発言に、音々の眉が大きく波を打った。
「はあ? 毛利元治、お前馬鹿なりか? 今の会話にお前が入る隙が何処にあったというなり?」
「そっちにあろうが無かろうがわしには関係の無い事じゃ。竜やんを暫く監視する義務がこっちにはあるんじゃ」
元治は竜之介に一番親しく、また、良き理解者として王将玄真に竜之介の監視と報告を命じられていたのであった。
「か、監視? 何を馬鹿な事を言っているなり? そんなものが不要だって事、あんたにも分かっている筈なりよ!?」
「分かっとるわい――じゃが、竜やんを正式に武隊へ復帰させる為には上を納得させるちゃんとした情報がいるんじゃ!」
「だからって、何もこんな時に邪魔をしなくても……酷いなり、この外道猿っ!」
「音々さん、落ち着いてくれ。何もこれが一度きりという事じゃないし……」
フォローの言葉に、目を潤ませながら竜之介を見る音々。
「竜之介、今の言葉本当なりね? ちゃんと録音したなりよ!」
「録音って……嘘じゃないよ」
「そうと決まったら、早速行こうや、俺達の仲もしっかり深めような、なぁ、竜やん!」
「あ、あははは、分かったよ元治」
その言葉に反応した音々が元治に向けて鋭い視線を向ける様を見ながら、竜之介は苦笑いをするしかないのであった。
「わあ、久しぶりに街並みを目にしたなり! 何処もかしこも懐かしいなりねえ!」
くるくると回りながら周辺を見渡した音々は嬉しそうにはしゃいでいる。
「本当に音々さんが元気になってくれて良かったよ」
「――竜之介、ちょっと待つなり。その音々さんと呼ぶのは止めて欲しいなりよ」
「え?」
「私の事は、これから『音々』と呼んで欲しいなり……」
「あ、そ、そうだな、じゃ、じゃあ、ねね――」
竜之介が思い切って自分の名を呼んでくれるのを音々が今か今かと待っていた時、元治が眠たそうに背伸びを始めた。
「ふぁああああ。で? わしらは此れから何処へ行くんかのう?」
「――くっ、この金魚の糞なりが! 空気くらい読むなりよ!」
音々はぎりぎりと悔しそうに地団太を踏んだが、ふと仲間内で話をした事があるちょっとしたカップルが行く場所を思い出した。その時、病を抱えていた音々は「ふん、くだらない」と思って聞いていたのだが、今は条件が違う。嫌々でも聞いていて本当に良かったと、音々は心の中で呟いた。
「そ、そういえばこの先に大きな池があって、そこに落ちている黒と白の石を拾って愛するものが投げ込み、互いの波紋が交われば、二人は強い絆で結ばれるというなり! 竜之介、早速行ってみるなりよ!」
そこへ竜之介の強引に手を引っ張りながら連れていくと、いそいそと白い石を拾い、「えいやっ!」と投げ込んだ。小石と水面がぶつかり合う心地良い音の後、綺麗な波紋が広がり始めた。
「ささ、竜之介も投げるなりっ!」
「わ、分かった」
竜之介が黒い石を拾って同じ様にして池に投げ込み二人の波紋が今正に重なろうとした時、その間を勢いのついた小石が水面を弾くようにして駆け抜けていった。
「おお! わしの石、三段以上跳ねたで! 竜之介、見とったか! すげえ! わははっ!」
空気の読めない男が一人、投げ込んだ小石を見ながら子供の様にはしゃいでいる。
「…………」
肩を震わせた音々は無言のまま、竜之介の服を引っ張って次の場所へと足を向けた。
「竜之介、どうなりか? この服、私に似合っているなり――」
今流行りの服が数多く飾られているちょっと洒落た洋服屋。大胆にも短めの赤いスカートを選び、振り向きながら満面の笑みを浮かべ竜之介に声を掛けた――が、そこに竜之介の姿はなかった。
「おお、竜やん、やっぱこっちの服がお前には似合ってるぜ?」
「そ、そうか?」
「…………」
元治がはしゃぎながら竜之介に服をあてがっている様を呆然としながら見ていた音々は手にもっていたスカートを無言で手放してしまった。やがて我に返ると、仲良くしている二人の間に割って入り、竜之介を引きずるようにして次の場所へと移動した。
「りゅ、竜之介。私、一度はこれをやってみたかったなり……く、口を開けてなり……あ、あーんなり」
少しレトロ感を醸し出している食堂。木目調の机が並べられている奥には振り子の時計がゆっくりと時を刻んでいる。音々はこういった場所に入り、意中の相手と食事をする事を夢見ていたのであった。箸を起用に従え、おかずを掴むとそのまま竜之介の口へゆっくりと運び始める。少し周り気にしていた竜之介ではあったが、恥じらいながらも閉じていた口をゆっくりと開け始めた。
「あ、あ――」
「あ! 姉ちゃん! こっちカツ丼特盛り! おっと、味噌汁も付けてくれ!」
今正におかずが竜之介の口に入ろうとした時、元治の大きな声が食堂の中を支配した。その声に驚いた他の客が一斉に迷惑そうにして元治を睨んだ。音々は頭を垂れたまま、箸からおかずを落としてしまう。役目が果たせなかったおかずは空しそうに机の上を転がった。
「もうっ! 本当にあんた邪魔なりよおっ!」
肩を震わせて席を立ちあがった音々は何の罪もない机を力一杯叩くと、元治を睨みながら叫んだ。
「大体なんで、同じテーブルに座っているなりよ!? せめて離れた席に座ってくれてもいいんじゃないかなりねえええ?」
「ん――? そんなことしたら竜やんの状況が確認できんじゃろうが。無理じゃ無理」
平然とカツ丼をかき込む元治を睨みながら、音々は何やら呪文を唱え始めた。
「ううう……くそ猿、はげ猿、くされ猿……この恨み一生晴らすべからずなりっ」
こんな調子で三人の一日は過ぎていった。
「――合格じゃ」
三人が無事に用事を済ませ、拠点へと繋がる石段の登り口で元治がにかっと笑った。
「へ?」
「へ? じゃないわい。竜やんは異常なしという事で、明日から武隊復帰じゃ」
「いいのか元治? 今日一日しか俺は監視されてないぞ?」
「ああ? ええんじゃ。わしは竜やんを信じてるからのう。ぶっちゃけ精密な検査は姉貴に任せとるし、端から何も問題なんかないわい」
元治の言葉を聞いた瞬間、音々は一気に不満を爆発させた。
「じゃ、じゃあ、今日一日、私達につきまと事は無かったんじゃないなりか!?」
「ん? まぁ……ちょっと面白そうじゃったんで、付いて行ってみた。うははははっ!」
「ちょっと面白そうじゃったんで、付いて行ってみた。うははははっ!――じゃないなりっ! 今直ぐその体、蜂の巣にしてやるなりいいっ!」
「ま、まぁ、まぁ……押さえて、音々」
「りゅ、竜之介がそう言うなら、仕方ないなりね……今回は大目に見てやるなりよ。有り難く思うなり」
「悪かったの。わしもちょっと元気になった竜やんを見てみたかんじゃ、すまんすまん」
元治の言葉に嘘は無かった。自分が上の命令で手に掛けなければならなかった友が再び自分の目の前で屈託なく笑っているのだ。それが何よりも元治は嬉しかった。
「気にするな、元治」
「ううう……竜やんは、ほんまにええ奴じゃのう。男のわしでも惚れるわい」
「このホモ猿! き、気色悪い事を言うんじゃないなりよ!」
「うはははは、冗談じゃ、冗談。ちょっと今日の事を報告書に書くから先に行ってくれ」
「そうなりよ、最後くらい、二人っきりにさせて欲しいなり! ささ、行くなりよ、竜之介!」
「わ、分かった。元治、今日は有難うな。また後で会おう! うわ! そんなに引っ張ったら危ないって! 音々!」
強引に腕を掴まれ、石段を上がっていく竜之介を見ながら元治は目を細めた。やがて登り切った二人を見届けた後、懐からペンと報告書を取り出した。
「『風間竜之介、行動中、特に異常は見られず。問題無し』と。よっしゃ!」
「お前を理解してくれる女子が出来てほんま良かったのう……わしゃあ嬉しいで」
「竜やん……これからは何も気にせんと、わしと一緒にこの国を守ろうの」
懐に報告書をしまって石段をゆっくりと見上げた時、風に乗った砂塵が元治の目を襲った。
「ちっ……目にゴミがはいりやがっ――」
元治が砂を取ろうと目に手をやった瞬間、背中に軽い振動と何かが自分の中を突き抜ける感覚を覚えた。
「かはあっ!」
激しく吐血する元治。背中に体重を乗せている男の服を震える手で掴むと、朦朧とする眼を必死に動かした。
「お、お前……何すんじゃ……ボケ……が!」
「は……はは、はははっ! や、やった! やってやったぞ! マリーの仇を討ってやったたぞおおおお!」
幻聴の様に声が響き始めた元治はそれを誰が言っているのか即座に判断した。
「ま、マリーじゃと……? て、てめえ……北条――っ」
思考が停止した元治は、一気に血の気が引き始め、暗闇へと引きずり込まれる。
「り、竜やん……逃げる……じゃ」
その言葉を最後に元治は石段の上に崩れ落ちた。止めどなく流れ出る血が石段の割れ目を伝いながら下方向へと流れていく。その血を一人の男が眺めながら満足そうに笑った。
「良くぞやってくれました。北条殿、これであなたのマリーも浮かばれるというものでしょう」
「おお、那賀殿――」
北条が打ち震えながら、近寄っていった時、那賀は静かに腰を落とし始めた。
「卑鮫……影刃」
目の前で刃が鈍く光った瞬間、北条の脇腹から血飛沫が飛んだ。
「ぐうううっ!」
「那賀殿……どうして? どうしてぇえ? この、この僕ぉおおお!?」
脇腹を押さえ、泣き叫びながら那賀に訴えかける。
「北条……このうす汚いゴミが……お前の役目は終わったんだよ……」
「どうしてぇ……」
息絶えた北条を一瞥し、そのまま元治に近寄ると、血が滲んだ報告書を奪い、自分の懐から同じ報告書を取り出す。
「これか……」
そして、その報告書に元治の字体を真似ながら書き込み始める。
「『風間竜之介、行動中にチェス化の兆候見られたし。拷問せしめし後、皆の前で処刑を執行すべし』」
報告書を描き終えた那賀は体を小刻みに震えさせ始めた。
「ふふふふ。あはははは! 毛利元治ううっ、俺は貴様と出会った頃からその忌々しい態度と汚らしい言葉遣いが気に入らなかったんだよっ! だからなぁ、この俺が全てを貴様から奪ってやる! 地位も親友も何もかもなあっ! あは、あはははあっ!」
高笑いをしながら、那賀は次の獲物――竜之介を求めて、石段をゆっくりと上がっていった。




