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■豊臣音々編(壱)

 一人の女が沢山の手荷物を持って、青い空の下、棋将武隊の拠点へと繋がる石段の前に姿を現した。女が青い瞳を輝かせて、その石段を見上げると、耳に付けている金貨のイヤリングが心地良く揺れる。そして石段を懐かしむ様に一歩一歩と踏みしめながら女はゆっくりと上に上がって行った。


 最後の一段を上がりきった所で、女は大きな深呼吸をした。門番の一人がその女に気付くと、思わず手に持っていた薙刀を手放して、


「あ、貴方は……っ!」


 と、驚きの声を上げもう一人の門番も驚きの余り、同じ様に薙刀を手放すと、二人は同時に


「ね、音々様あっ!」


 と、叫んだ。その声に気付いた周りの隊の者が驚きの表情を交えながら音々の周りに一斉に集まって来た。


「皆、元気にしてたなりか?」


 音々は満面の笑顔で挨拶をした。


「音々様、もうお体の具合は?」


 隊の一人が心配そうに問い掛けると、


「ほら、この通りもうすっかり元気になったなりよ?」


 と、元気そうに力こぶを作るような仕草を見せ、周りを安心させた。そして少しそわそわする素振りを見せて、


「……他の隊長達は今、何処にいるなり?」


 と、問い掛けた。だが、それはあくまでも社交辞令。本命は次の言葉で誰もが直ぐに察した。


「り、竜之介は……何処なりか? 今直ぐにでも会いたいなりよ」


 頬を赤らめ、体をくねくねと捩らす。だが、その瞬間周りの空気が一変した。


「あ、あれ? 皆どうしたなり? 急に暗くなっったなり」


 音々はそれに気付いて浮かない表情を見せた。少し間を置いて隊の一人から信じられない言葉が音々の耳に飛び込んできた。


「竜之介――あの裏切者なら、もう此処には居ませんよ……隊長達も、今は竜之介を捕まえる為に十洞山に入っているし……」


「竜之介が裏切者? 竜之介を捕まえる? お前達いきなり一体何を訳の分からない事を言っているなりか!?」


「その件は……王将、玄真様の所にいけば直ぐに明確となります。音々様、長旅で申訳ないのですが、私共にお付き合いください」


「玄真が王将? 秀光は何処に行ったなりか?」


「話せば長くなりますので……まずは玄真様の所に参りましょう……」


「……分かったなり、行くなりよ」


 音々は不安と混乱の表情を見せながら、玄真の所へ向かった。





「玄真様! これは一体どういう事なりか!? 竜之介は何処にいったなり!?」


 物凄い剣幕で玄真に食って掛かる音々。そんな音々に玄真は復活の祝いの言葉を述べた後、諭す様に今までの経緯を話し始めた。


「秀光が謀反を? それに……竜之介が死に掛けた挙句に記憶を無くしていたなりなんて!」


 玄真は静かに頷いた後に重い口を開いた。


「――竜之介は棋将武隊から逃亡したのだ」


「逃亡!?」


「昨夜、お前の代理でもあった須恵千葵が十洞山の山中で殺害された」


「――殺害!?」


「葵が十洞山に入る同時刻、竜之介がその後を追って行くのを目撃した者がいたのだ」


「その報告を受けてから直ぐに隊の者に竜之介の後を追わせ――其処で、葵の死体発見した後、逃げる様に立ち去る竜之介を見たのだ」


「その者が言うにはその時の竜之介はもはや人間の姿では無かったと……音々、この意味をお前なら理解出来よう?」


「まさか――チェス化なりかっ!?」


「そのまさかだ」


「――っ!」


「一旦戻ってきた隊の者に態勢を整えさせ、再度その現場に向かわせた時、葵の死体は忽然と消え――」


「竜之介も此処には戻って来なかった」


「ど、どうして竜之介が同胞を殺すなり? 全然意味が分からないなり! 全部、う、嘘なりよっ!」


「嘘では無い。音々よ、これは事実なのだ、よって各隊長達には竜之介の捕縛、最悪の場合――」


「『抹殺』せよと命じている」


「りゅ、竜之介を殺す!? 玄真様、ほ、本気で言っているなりか?」


「――ああ、本気だ。完全にチェス化した竜之介は我々にとってもはや脅威でしかない」


「そ、そんなっ!」


 力無く肩を落とした音々に玄真は更に重い言葉を口にする。


「……豊臣音々、本日現時刻を以てお前を武隊復帰とし、金組隊長として――」


「竜之介の捕縛、もしくは抹殺を命じる……良いな?」


「私が――竜之介を……?」


 音々は今日、とても幸せな日を迎えるとそう信じていた。自分の病が手術によって完治し、それを暖かく迎えてくれる仲間達――そして一番会いたかった竜之介に強く抱きしめて貰うのだと、胸躍らせその様を心描いていた。だが、現実は違っていた。音々は青い瞳を苦しそうに細め、未だ見ない竜之介の姿を思い浮かべて「竜之介……」と悲しそうに名前を呼ぶのであった。




 音々が復帰早々全く予想だにしない事態を迎えていた頃、十洞山の山中でもう一人自分の気持ちと葛藤しながら剣を振るう者がいた。


「くそがああっ! 何で、わしが、わしがあっ!」


「おりゅうのすけと闘わんといけんのんじゃあああ!!」


 剣と剣が凌ぎ合う音が山中に鳴り響く。竜之介の安否を心配した元治は誰よりも早く竜之介を探しにこの十洞山に入った。だが、其処で一体のチェスと遭遇する。元治はその武装と衣装からそれが竜之介だと嫌でも認識されられた。


「聞こえているのならとっとと答えんかいっ! 竜やんっ!」


 元治の声は竜之介の耳には届かない――竜之介はこの時、完全に心と体を悪しき者に支配されていたからだ。葵を追って十洞山に入った竜之介は葵を救えず、目の前で葵をチェスに無残にも殺されてしまった。その怒りと悲しみが暴走し、自身の中に眠っていたチェスの血が覚醒して、チェス化に至ってしまったのだ。


*お願いです! ハルさん! 起きてくださいっ!*


 ――ハルは何も答えない。清々しい青き剣は紫色に変化し、その刀身は竜之介の左腕から漏れている殺気が渦巻き、絡み付いている。


「フフフフ。無駄だよ、今、この剣と身体は全部僕の物さ。君も諦めが悪いねえ、僕はさっきからずっと、名前を言ってあげてるじゃないか、僕は『オルガ』だってね。もはや竜之介という男は何処にも存在しないよ?」


 竜之介の声よりも低く、悍ましい声がチェスに変わり果てたオルガの口から漏れる。


「さっきからべらべらと煩いわっ! この野郎っ、さっさと竜之介を返さんかいいっ!」


 元治は必至に自身の剣――空蝉で攻める、が、その太刀筋には迷いが見えた。


「どうした!? 何を遠慮しているんだい? 勢いが全然無いね? それとも迷ってる? アハハハッ、馬鹿だねえ、君は!」


「ええいっ! やかましいわいっ!」


「ホラホラ! 僕を斬って見なよ!? 元は竜之介の体だけどね。君にこの僕が斬れるのかいっ!?」


「くうううっ!!」


*元治! このままじゃ何も解決しません! ご決断をっ!*


「薄羽っ! お前に言われんでも分かっとるわいっ! 分かっとるんじゃがっ!」


「完全に化け物になっちまったこの中に、まだ竜やんが眠っとるかもしれんのじゃっ!」


「こいつは間違いなく竜やんなんじゃ! 何時もわしの横で屈託なく笑っていた、あいつなんじゃ!」


「その竜やん――親友をおいそれとそう簡単に斬る事なんか出来る訳なかろうがあっ!!」


*も、元治っ……!*


 その瞬間、オルガの口が愉快そうに歪む。


「そう、それでいい。そして君は親友のこの刃で死んでゆくがいいっ!」


「風魔――破針!」


 紫の妖刀に変わり果てた風魔の刀身から黒い殺気の塊が無数に宙へと延びて剣先へと変化し、折れ曲がった鋭い刃先が一斉に元治へと向けられた。


「さようなら、親友君。フフフフ」


「くそおおおおおっ!」


 その刃が重なる様にして、元治の背中を貫こうとしたその時、遠くから一瞬の閃光と銃声が鳴り響いいたかと思うと、氷の弾丸がそれを粉々に打ち抜いた。


「――誰だい? 僕の楽しい一時を邪魔する無粋な輩は?」


 と、オルガは苛立ちを見せた。暫くすると足音が聞こえて其処に武装して大きなライフルガンを左肩に担いだ音々が不機嫌そうに姿を現した。


「……竜之介、暫く見ない間に随分様変わりしたなりね……口調も変だし、それに少し不細工になったなりか?」


「おっ、お前は豊臣音々っ! なっ、何でこんな所におるんじゃ!?」


「……説明は後にしてなり、山猿」


「な、なんじゃと!? わしが、山猿じゃとおおおう!?」


*山……ぷっ。あ、ごめん、元治*


「全く……私がどんな気持ちで今日此処に帰って来たかわかっているなりか……っ?」


「本当は……今日が感動の再会を果たす記念日になる筈だったなりよ……?」


「竜之介、元気にしてた? 『ああ俺はずっと音々を待っていたよ』、私も! 『俺もさ!』 ああ、竜之介! きゅううって抱きしめて貰う予定だったなりよっ!」


「お、おい! お前、今はそんな事をいっとる場合じゃあ――」


「山猿! 煩いなりいっ!」


「うがあああ、お、お前……に、二回もわしの事を猿呼ばわりしやがったなあ?」


*ぷ……ううっ*


「それなのに……それなのにいいっ!」


「なんで、こんな事になってしまったなりかああっ!」


 音々は眉を吊り上げ叫んで、自身の武器――飛燕の銃口をオルガに向けた。


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