■葉月編(伍)
規則正しく整列した兵達の頭上には棋将武隊の旗が風で力強く靡いている。その者の目の前にある物――それは、チェス界へと通じる新たな転送ゲートであった。
玄真はこれから始まろうとしている決戦を前に、辺りに満遍なくその鋭い視線を向けながら、激を飛ばしている。そして、玄真の最後の一声が隊の者達の力強い咆哮を上げさせた。
武装を終えた隊の者が次々と転送ゲートの口から飲み込まれて行く。竜之介は武装し、水晶を翳すとハルを召喚した。
水晶から風の渦に包まれながら、巫女服を纏ったハルがその姿を現す。竜之介にとっては当たり前の事――だが、その光景を竜之介の背後で口をぽかんと開けながら見つめる者がいた。
「な、なんで水晶から、女が出でくるんだ? それはどういった仕掛けなんだ?」
彪舞は信じられないような顔をしてハルを指差すと、ハルは気を損ねたのか、途端に顔が曇り始めた。
*竜之介、なんじゃ? この無礼な男は? いきなりわしを指差し声を上げるとは、失礼な奴め!*
と、眉を歪めながら彪舞を見据えると、彪舞は直ぐに何か思い付いたのだろう、竜之介を睨んで、
「ちょ、ちょっと待て! 竜之介、お前にはこんな綺麗な女が居るのに、葉月にまでちょっかいを出していやがったのか!」
と、またハルを指差して竜之介に詰め寄った。だが、今度はハルは怒ってはいなかった。その逆で彪舞の言葉を聞くや否や途端に顔が真っ赤に染まり、
*こっ、この正直者め! だっ、だが、わしは竜之介の特別な、おっ、女などでは、決してなっ、ないぞっ! 決してなあっ!*
と、慌てて両掌をぶんぶんと振って見せた。「何だと?」という困惑した表情を彪舞が見せた時、
「彪舞、その方は、ハルさんと言って、竜之介さんの『只の契約精霊』なのです!」
と、今度は葉月がふくれっ面をしながら言い放った。
*ほう……耳と尻尾を隠した犬っころが良く吠えるのぅ……*
どうやらハルは葉月の台詞が気に入らなかったらしく、口元を歪め顔を近づけながら葉月を睨むと、葉月も負けじと「ふん!」と鼻を鳴らして、
「だって、本当の事じゃないですか! 葉月は嘘は言っていないのですよ!」
と、互いに火花を飛ばし始めた。「なんか面倒くさい事になってきたな……」と、竜之介が困惑していると、「こっちへ来い」と、苦笑した玄真が手招きをしているのが目に留まった。
「お、俺、玄真さんに呼ばれたから……行くぞハル、お前も一緒に来い」
と、竜之介はハルの襟首を掴むと、ささーっとその場から逃げる。ハルは竜之介に引っ張られながらも、葉月に向かって、「べええっ」と、その可愛い舌を覗かせた。
「な、なんて大人げない人なのです!」
と、葉月も「いいだっ!」と、健康そうな白い歯を横長に見せ反撃した。
「精霊と言えど、ハルさんはやっぱり要注意なお方なのです、やはりこの薬を早く竜之介さんに飲んでもらうしか――」
と、懐から小さな薬瓶を取り出したが、突然その感触が無くなった。「あれ?」という表情をしながら葉月が指で空を掴んでいると、その頭上でその薬瓶が誰かの手によって翳された。
「――彪舞!」
「葉月、悪いが、これは俺が預かっておくぜ?」
「な、何を言っているのです、今直ぐそれを葉月に返すのですよ!」
「いーや、駄目だ。やはり俺はあんないい加減な奴を認める訳にはいかねえ」
「彪舞っ!」
と、二人が言い争っている所に、竜之介がリンクを終えた風神を握りしめながら二人の所まで戻ってきて
「ごめん、待たせたな、じゃあ、俺達も行こう!」と、声を掛けるも何やら只ならぬ雰囲気を感じ取った。
「どうかしたか? お前達、何かあったのか?」
と、心配そうに竜之介が言うと、葉月が
「何でもないのです! 行きますよ、我魔さん!」
と、不機嫌そうにしながら相棒の我魔を引き連れ転送ゲートに足を踏み込んでいく。その後を追う様に彪舞が「俺達も行くぞ……亜殿」と言って、背後の竜之介に一瞥をくれた後、転送ゲートに足を踏み入れた。
事の事態が飲み込めない竜之介は、首を傾げながらその後に続いて、転送ゲートの光の中へと消えていった。
「――で、竜之介、肝心の隊長は何処に行ったんだ?」
先に到着した彪舞が、初めて目にした人間界ではない、神秘的な建造物を珍しそうに見つめながら言った。城の外では既に棋将武隊とチェスが凌ぎを削っており、互いが叫び、武器をぶつけ合う音があちこちで鳴り響いていた。彪舞は自分の足で地面の感触を確かめると、自分が今、チェス界に居る事を改めて実感した。
その彪舞の気配に気付いたチェス達が武器を翳して襲い掛かってくる。彪舞は「ふん」と鼻を鳴らすと、ホルダーから短剣を引き抜き、手慣れた手付きで鎧の隙間に剣を突き刺した。そして血飛沫を上げ崩れ落ちるチェスから視線を離すと、
「どうした竜之介? そんな雑魚に手こずって俺の質問にも答えられないのか?」
と、馬鹿にした声を浴びせるが、竜之介はそれには動じず、
「ああ、此処に来る前に玄真さんに言われたけど、姫野さんは他の隊長と組んで、主力の部隊を叩く事になってるらしい」
と、チェスを斬り倒しながら言った。
「へえ。で、俺達はどうするんだ?」
と、チェスの背後に回り込んだ彪舞が首の根元に短剣を突き刺しながら言うと、
「そ、それなんだが『武動が二匹もいれば何の問題もなかろう、後はお前に任せる』と、言われてしまって……」
「――何? それじゃあ俺はお前の命令を聞かなきゃいけねえのか? そんなのまっぴら御免だ!」
と、「馬鹿馬鹿しい」という仕草を見せながら、彪舞は目の前のチェスを片付けると、巻物を亜殿の口に咥えさせた。途端に小柄な蛙はどんどん大きくなっていく。そして、変化を終えた亜殿に飛び乗ると、
「俺は、棋将武隊に協力すると言ったんだ。竜之介、お前なんかじゃねえ。だったら俺は俺で好きにやらせて貰うぜ?」
と、怪訝そうに言い放った。
「彪舞、お前はお前で勝手に動くがいいのです! 竜之介さんは葉月一人でお守りいたすのです、さぁ、竜之介さん、彪舞みたいな無作法者は放っておいて、葉月と共に参りましょう!」
と、葉月が彪舞と同じように我魔に巻物を咥えさせて武動に変化させると、不機嫌そうに乗り込んだ。
*竜之介、こんなひねくれ者共の力を借りずともわしらの力で十分事足りるわい*
彪舞達の有り余る態度に見かねたハルが風神から呆れるように言うと、
「ハルさん、何を勝手な事を言い出すのです! 葉月は竜之介さんの部下なんですよ? お供するのは当然なのです!」
と、今度はハルにまで喧嘩腰に食って掛かってきた。
*はぁ……竜之介よ、わしはすぐに噛みつくお子ちゃまな犬っころを相手するのは疲れたわい……*
その言葉を最後にハルは何も言わなくなってしまった。
「な! ハルさん、今何と――!」
「ちっ、しょうがねえなあ、葉月だけなら俺が守ってやるぜ」
と、竜之介達の進む方向より反対に向けていた亜殿を彪舞は方向転換させたが、「そんなの余計なお世話なのです! ――それより後でお前から薬瓶を取り戻すのですっ!」と、怒りの収まらない葉月に一蹴されてしまった。
「はー……そうかよ。ったく、葉月は本当に諦めが悪いなあ」
「ふん! 何とでも言うが良いのです!」
と、険悪な雰囲気の中、竜之介達は城内に踏み込み、群がるポーンを蹴散らしながら更に奥へと突き進んで行った。
「さあ、やってしまってください、我魔さん!」
『ゲココ』
「なんだよ、城内は雑魚ばっかりかあ? 歯ごたえなさ過ぎだぜ! なあ、亜殿」
『ゲゴオ』
眼下のチェス達を睨みつけ、大きな掌が軽々と吹き飛ばしていく。その勢いが有り余って、前方の竜之介を巻き込みそうになった。「うおっ?」と辛うじて交わした竜之介に、
「おらおら、俺の目の前をちょろちょろしていると、お前も一緒に吹き飛ばすぞ?」
と、蟻を踏み潰そうとする象の様に愉快そうな声を荒げながら言った。それを聞いた葉月がムキになって、
「彪舞! お前、今わざとやったでのです! 今度やったら、絶対許さないのです!」
と、拳を振り上げて彪舞を威嚇した。
彪舞が「ちっ」と舌打ちをした時、その前方に明らかに雑魚とは違う気配を漂わせている二体のチェスが竜之介達の行く手を阻んだ。
「やっと、骨のある奴が出てきやがったか」
と、身を乗り出して嬉しそうに彪舞が言うと、
「彪舞、油断するな、あいつらは別格だぞ」
と、自分に向けられた悍ましい殺気を受け、竜之介が目を細めて風神を用心深く構えながら言った。
竜之介達の目の前に立ちはだかったチェスは一体はビショップ、もう一体はナイトの紋章が鎧に刻まれている。そのナイトがビショップを「兄貴」と呼ぶところから、どうやら兄弟らしい。弟のナイトが攻撃範囲に入った竜之介達に向けて剣を真直ぐに構えた。
兄であろうビショップの手には一つ目の瞼が閉じられた杖が握られており、呪文を唱えながら杖を高々と掲げるとその瞼がゆっくりと開き始め、悍ましい目の中心から激しい稲光を放ちだした。危険を察知した竜之介が、
「二人共、来るぞ! 気を付けろ!」
と、叫んだその時、天井から激しい雷鳴と共に火花を飛ばしながら、竜之介達の目の前に雷の柱が出現した。それらは一斉に何本も不規則に現れては消え、その攻撃を予想していなかった彪舞の頭上にも襲い掛かってきた。
「ちいっ! あの杖野郎、雷使いかっ!」
二人は巧みに手綱を操り雷撃を交わそうとする――だが、その巨体が仇となり、狭い城内では自由に動く事が叶わず、恰好の標的となってしまっていた。やがてその雷撃の一つが葉月の頭上に出現し、「パリリッ」という鋭利な火花が飛び散った。
「葉月いいっ! 上だっ! 危ねええええっ!」
と、叫ぶ彪舞の声にゆっくりと天井を見上げた葉月の瞳が一瞬にして真っ白に染まり、はっと我に返った時、葉月は我魔から勢いよく誰かに突き落とされていた。
ゆっくりと落下する葉月の目に映った物――それは自分の変わりに雷撃を受けている竜之介の姿であった。
「がああああああああっ!」
「あああっ! 竜之介さああん!」
「ちいいっ! 亜殿!!」
次の瞬間、葉月の体は亜殿の舌に巻かれていた。
「馬鹿が! 無茶しやがって!」
と、彪舞は竜之介に向かって叫ぶと、
「こんな狭い所じゃ、俺の亜殿は十分に立ち回れねえ! 亜殿、お前は我魔と共に葉月を守れ!」
と、言って両脇のホルダーから剣を引き抜くと、亜殿から勢い良く飛び降りた。
「彪舞! 俺は大丈夫だ! お前は目の前のナイトを頼む! 俺は後方のビショップをやる!」
甲冑から煙をくすぶらせながら、竜之介が彪舞に向かって叫ぶと、少しだけ口元を緩めた彪舞は苦笑して、
「煩ええっ! いちいち俺に指図すんじゃねえ! お前こそ俺の足を引っ張るなよ!」
と、言いながら腕を交差させたまま、ナイトに向かって突進して行った。




