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■葉月編(肆)

 竜之介は自室のテーブルを挟んで、じっと葉月を見つめていた。葉月はその視線を「あう……」と、浴びながら、その竜之介と視線を合わせてみたり、逸らせてみたり、天井を見上げたりしてそわそわしていた。そして再び竜之介と目が合うと、軽く溜息を付いた後、獣耳をしゅんとさせ、


「……分かりましたのです。竜之介さんは彪舞について聞きたいのですよね?」


 と、観念する様な仕草をしながら言った。竜之介が黙って頷くのを見た葉月は少し間を置いてから、「彪舞は……昔、人間に騙され、両親を殺されてしまったのです」と、思わず竜之介が自分の耳を疑いたくなる様な衝撃の言葉を並べ始めた。


「な、何だって!? 親が――人間に殺された?」


 事実を聞かされた竜之介は目を見開くと同時に、彪舞の自分と接した時や、人間に向けていた恨みを含んだ様な冷たい視線に納得した。なる程、彪舞にはその敵といっても良い人間が大事な仲間の葉月を「連れ去った」と見えたのだ。奪い返そうと必死になるのは当たり前の事だったのだと、その時改めて痛感した。


「彪舞は――幼い頃に遭った悲劇を一度だけ私に話してくれた事があったのですよ……」


 と、葉月は重たい口を静かに開き始めた。




 彪舞は木の上に手頃な枝と大き目な葉を何十にも重ねて作った寝床に仰向けになり、手を頭の後ろに組みながらぼんやりと月を眺めていた。やがてその遠く視界の先にある月の景色はうっすらと消え、ひらひらと舞い散る桜の花弁と重なり始め出した。


「うわあ、これが人間『様』が住んでいる所なのですね!」


 彪舞は雨よりも優しく頭上に落ちて来る桜の花びらを両手に受けながら、興奮した声を上げる。


「こらこら、そんなに身を乗り出して見ていたら誰かに見つかってしまうぞ?」


 と、心配そうな表情をして彪舞の父親が声を掛けた。


「あなた、そう目くじらを立てて言わなくてもいいじゃありませんか。彪舞も一度山を下りて人間界を見て見たかったんですよ、少しくらい大目に見てあげてくださいな。ほら、あの彪舞の嬉しそうな顔!」


 と、母親が目を細めて言うと、


「うん! 父様、母様、私の我侭を聞いてくださって、本当にありがとう!」


 と、頬を真っ赤にしながら幼い彪舞はにかっと笑った。親子水入らずでのちょっとした花見――その日はそんな穏やかな一日となる筈であった。ところが、


「我の特等席に勝手に入り込み、許可も取らず大風呂敷を広げているとはいい度胸だな?」


 と、一人の子供が現れた事によって、その日が彪舞の心に大きな傷跡を残す事になるのである。


 その子供は脇に差した刀に手を置いて怪訝そうに彪舞達を見据えた。年端は分からないが、背丈は彪舞よりも一尺程度高そうな男の子であった。


「え? な、まさかこんな所に人間様が……!」


 と、彪舞がその子供を見て驚いた声を上げると、直ぐに親達が彪舞を囲むように寄り添って、子供から距離を取った。やがて子供はその成りを見て、目の前に居る者が何者であるかに気付いたのだろう、


「お前等……まさか、犬獣族か? なんと、これは珍しい!」


 と、刀から手を離して驚きの表情を見せた。そして怯えている彪舞達に


「ククク、成程。お前達、そのように怖がらずとも良い。此処は我専用の花見席なのだ。其処にお前達が先に居たので少々驚いてしまっただけだ」


 と、威厳のある言葉遣いで彪舞達に言った。そして何か閃く様な仕草をすると、


「おお、丁度良い。こんな機会はさほどもあるまい。我と共に花見をせぬか?」


 と、にっこり微笑んで彪舞達に手を差し出した。


「え? ほ、本当にいいのですか? 人間様と一緒に此処に居ても?」


 彪舞は親の隙間からひょいっと身を乗り出すと、嬉しそうに言った。


「こっ、こら! 彪舞!」


 親達は困った表情をしながら、子供を見た。


「良い。我も伝説と謳われた犬獣族を目にするのは初めてなのだ、この様な機会は滅多にあるまい。それで――お前の名は何と言うのだ?」


「はっ、はい! 私は彪舞という者です! 人間様はこの十洞千国に攻め入ってくる悪い者を懲らしめている素晴らしい人達だと、良くこの耳で伺っているので、この様な場所で本物に会えるなんて、本当に嬉しいです!」


 彪舞は自分の耳を嬉しそうに動かす。その姿を見て親も安心したのだろう、ほっと胸をなで下ろすと、その子供に深くお辞儀をした。


「あ、あのっ、も、もし良ければあなたのお名前も聞かせて貰っても、い、良いですか?」


 彪舞は心を開き、尊敬の眼差しを子供に向けながら言うと、子供は少し口元を歪めて、


「我の名か? 我は――ああ、そうだった。その前に我にも仲間がいたのだ。今直ぐ連れて参るからお前も暫し此処で待っているがいい。共に花見を楽しもうではないか」


 と、先程とは少し重い口調で言った。彪舞は一瞬きょとんとした表情をしたが、直ぐに「はっ、はい! お待ちしております!」と、応えた。


「彪舞……優しいお方で良かったですね」その母親の言葉は子供が消え、家臣を連れて戻って来た時には無残にも変わり果てた言葉となる。


「お、お逃げなさいっ! 彪舞っ!」


 彪舞の母親は血まみれになった指を山奥に向け言い放った。


「馬鹿な生き物よ! まんまと我に騙されおって!」


 子供は狂喜な笑い声を上げた。


「おっ、お前、だっ、騙したのか! 私達を!」


 父親は彪舞を庇う様に両手を広げて言うと、


「お前等、犬獣族の毛は大層艶があり、屋敷に飾る飾り物としては最高であろう? 我がその毛を身ごと貰ってやるから在り難く差し出すが良い! クククク!」


 と、刀を抜いた家臣を傍らにして彪舞達を嘲笑うように言った。


「お願いだ! 私達はどうなっても構わない! だが、ど、どうか、どうか彪舞だけは! 彪舞だけは見逃してやってくれ!」


 父親の願いは、両手を広げたまま血飛沫を上げ、崩れ落ちていく事で叶わないという事が幼い彪舞に伝わった。「逃げ……ろ」口から血を吐き出しながら父親の最後の言葉を聞かされた彪舞は目から涙を一気に溢れさせながら発狂した。


「な……何故!? どうして!? どうしてこんな酷い事をするのですかっ! 私達が貴方に一体何をしたと言うのですかああっ!」


 自分の目の前に重なった親達の骸を見ながら彪舞が震える様にして子供を見上げると、


「馬鹿かお前、まだ分からぬのか? お前達はその汚い足で我の神聖なる場所を汚した。その下賎な行為は、万死に値する」


 と、先程の優しい顔をした子供は鬼へと変貌し、まるで虫けらを見る様な表情をしながら言った。


「なっ! そ、そんなっ!」


「お前は先程、我の名を聞いたな? 勘違いにも程がある、お前等の様な屑に名乗る名など持ち合わせておらぬわ!」


 と、刃を彪舞の頭上に光らせながら怪訝そうに言った。


「あ……」


 翳された剣先に重なる様にして桜の花弁がひらひらと舞い落ちる。彪舞はそれを両目を見開き、これは何かの間違いだ、そうだ、全部悪い夢なのだと言い聞かせて茫然と見ていた。だがそれは無常にも空気を切り裂く音と同時に右目の視界が一瞬、真っ赤に染まり、直ぐに闇に飲み見込まれ、激痛と共にぼたぼたと地面に滴り落ちる自分の血を左目で見せられる事によって、それが現実であるという事を彪舞は思い知らされた。


「あぐううううっ!」


 右目を強く押さえた彪舞は、力を振り絞って子供から大きく距離を取った。本気を出した犬獣族の足は人間の比ではない、みるみる内に周りの枝を折る音を響かせながら姿を消していく。子供は「ちっ」と舌打ちを鳴らしながら後を追おうとしたが、


「――秀光様、流石の貴方様でもあの者の足には追いつきませぬ。ですが、何時かはその足さえも超える日が参ります。此処は退いて戻りましょう」


 と、家臣が刀に着いた血を白布で拭き取って、鞘に納めながら秀光を宥めた。


「ふん……確かに『今は』追っても無駄であろうな。よかろう、そこの獣達を拾え。屋敷に戻るぞ」


「ははっ!」


 骸と化した彪舞の親は縄に縛られ、無常にも棒で吊り下げられて運ばれて行く。やはり親達から離れられなかったのだろう、彪舞は息を殺しながら直ぐに近くまで戻ってくると、その様を泪一杯溢れた片目で朦朧と見ていた。


「嘘だ……母様……父様……」


「はは……人間様が……あんな酷い事をするもんか」


「あははは……これは夢だ、悪い夢なんだよな……そうだろ? 桜の木々達よ……応えてくれないか?」


 ――見上げた桜の木は何も答えない。ただ静かにその花弁を美しく散らすだけだった。絶望に閉ざされた彪舞の口はやがて波打ち、下唇から血の粒がぽたぽたと滴り落ちると、ゆっくりと開けた口から恨みを募らせた鋭い牙が姿を現し始めた。


「お、お、おおおおおおおおっ!!」


 獣の咆哮にも似た鳴き声を親達を連れ去った方向に向かって上げると、


「許さない! 絶対に許さないっ! くそ人間共があああああっ!!」


 自分の両拳を何度も何度も地面に叩き付けて叫び、それに呼応するかの様に近くの草木が震えた。


「強くなってやる! 膨大な力を手に入れてやる!」


「そして――俺を裏切った人間共に、いつの日にか必ず復讐してやるっ!」


――彪舞は静かに瞼を開けた。


 直ぐに静寂が訪れる。其処は闇に包まれた十洞山の山奥。先程ぼんやりと見ていた月はやがて視界の中で綺麗な円を描き始める。現実に目覚めた彪舞は立体感を失った形だけの月に自分の右手を静かに重ねた。




「――成程、そういう事だったのか……」


 葉月から彪舞の話を聞いた竜之介は頭を項垂れながら、やるせない溜息を漏らした。


「はい、ですから竜之介さんにあんな酷い態度を……」


「いや、彼が敵対するのも、人間である俺に恨みの目を向けるのも当然の事だよ――くっ」


 と、言って竜之介は言葉を濁し、葉月に向けていた視線を自分の左腕に移した。その理由は数日前から左腕に現れ始めた悍ましい痣であった。記憶が断片化している竜之介は今、自分が「チェス化」するという事実を知らない。その痣が疼き始めると、竜之介の意識は一気に闇へと引き込まれ、自我を失いそうになっていたのだった。


「竜之介さん、少し具合が悪そうですが大丈夫ですか?」


 と、竜之介を気遣って葉月が心配そうな声を掛けると、


「ああ、何でも無い。気にしないでくれ」


 そう言って、苦笑いした竜之介は浮かび上がった痣をそっと右手で隠した。




「――秀光様、それは?」


 と、重々しい鎧に覆われた部下が玉座に座る秀光の後方に添え付けられた豪華そうな高台の上に飾られた二体の剥製を指差しながら言った。人間界とは違った重い空気が古に築かれた様な西洋風の建物の中へと流れ込んで来る――其処はチェス界。その一室で何かの報告でもしていたのだろう、数名引き連れていた隊のリーダーらしき部下がその飾られた剥製に気付いて、発した一言であった。

 

「ふん……これか。これは幼き頃、我が捉えた人間界でも伝説と謳われている『犬獣族』という『生き物』だ。人間界から去る前に我の部下に持ち運ばせたのだが、ようやく形が整い、此処に飾ったのだ」


 と、秀光は酒の入った盃をゆっくりと口に運んだ。


「ほう、これはまた、毛並みが一段と美しいですな。流石、秀光様のお目に叶った一品であらされる」


 と、言って部下は「ほう」と感心そうに溜息を吐くと、その二体の剥製に見入った。酒を一口含んだ秀光はすっと立ち上がると、マントを翻して剥製を見ながら目を細め、


「そうであろう? 美しき物は神々しい我を更に際立たさせるのだ」


 と、満足そうに笑みを浮かべた。そして何かを思い出す様な仕草をして、


「確か――この物には子供が居たな。あの時は我が幼かった故、惜しくも取り逃がしてしまったが、もし生きていれば今はあの者――竜之介と同じ位にはなっているやも知れぬ。そいつが名乗っていた名はなんと言ったか……クク、まぁ、今更どうでも良い事だ」


 と、言って何かを訴え掛ける様にし、悲しそうに自分を見つめる二体の剥製を目の前にして、満足そうに秀光はもう一度、その盃を口に運んだ。


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