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■葉月編(参)

 部屋のベランダから雀達の囀る声が、無防備に曝け出した獣の耳へと聞こえて来る――それが朝を迎えている事だと気付いた葉月は鳴き声のする方向に向けて片耳を小刻みに動かしながら、ゆっくりと瞼を開けた。


「ふみゅー……」


 鳴き声にも似た可愛らしい声を発して寝惚け眼を擦った葉月が辺りをきょろきょろと見回すと、深い溜息を吐いて、


「……葉月、本当に竜之介さんの部屋に押しかけてきちゃいました」


 と、今更ながらに自分の取った大胆な行動に感心する。そして、その傍らのすぐ下で竜之介の寝息が静かに聞こえてくるのに気付いた。


 「あれ?」と葉月は思った。何故か自分が竜之介のベッドで寝ている。確かに寝床に入る前は自分がベッドの下に敷いた布団で寝ていた筈であった。


 だが、朝を迎えた時は自分が寝心地の良いベッドの中で寝ている。これはおそらく、自分が眠りについた時、竜之介が気遣ってくれたのだ、と、そう結論に達した葉月は目を細めて微笑み、竜之介の寝顔を見ながら、


「……竜之介さんは優しすぎるのですよ」


 と、人差し指を立て、竜之介の頬をつつきながら言った。


「ううん……は……だよ」


 頬に柔らかい感触が伝わったのだろうか、竜之介が寝言を言いながら口元を歪めた。その仕草を見た葉月は暖かい感情に包まれながら、頬に触れていた人差し指をそのまま、唇へと移動させた。


 どきどきどき――葉月の鼓動が一気に早まった。二人だけしかいない空間。その筈なのに何故か葉月は左右を念入りに確認する。そして、人の気配が確かに無い事を確認した葉月は「んんー」と、そのまま自分の顔を竜之介の顔へと近づけ始めた。


「竜之介さん……」


 ――あと少し。互いの唇が正に触れ合おうとした時、大きな地響きと共に建物が大きく揺れた。


「うおっ? なんだっ――」


 竜之介の驚きの声と同時に激しい衝突音が部屋の中に響いた。


「『痛ったああああっ!』」


 お互い煙が立ち上る額を押さえながら、その場に座り込んだ。葉月が思い描いていた自分の口づけで竜之介を優しく目覚めさせるといった朝の甘い光景は、互いの額を思いっきりぶつけ合うという残念な結果となってしまった。


「だ、大丈夫か? 葉月ちゃん」


「はっ、はいいっ! りゅ、竜之介さん、すっ、すみませんでした!」


「いや、気にしなくても――それより、さっきの物凄い揺れは何だったんだ!?」


 隊の連中も流石に気付いたのだろう、部屋の外が騒然とし始めていた。その時、


「お、おい! なんか、表にバカでかい蛙がいるぞっ!」


 と、誰かの驚く声が聞こえて来た。「え? そんな筈は?」と思った葉月が真っ先に頭に浮かんだのが自分が使役している武動の我魔でだった。だが、大蛙に変化させる巻物は自分が所持している。だとすれば別物だ。犬獣族が持つ武動は二匹で、長老が譲ってくれた我魔とそしてもう一匹は――。


「嘘……まさか、まさかなのですよ!」


 慌てて耳と尻尾を引っ込め、着物を掴むと、竜之介の見えない所へ隠れて、袖に手を通し始めた。が、着替えの途中で衣に足をひっかけてしまい、歌舞伎役者の様に竜之介の前に現れると、そのまま可愛い下着姿のお尻を曝け出して四つん這い状態になってしまった。


「は、葉月ちゃん、お、落ち付いて――」


「はわわわわっ……!」


 葉月は顔が真っ赤にして涙目で竜之介を見つめるのであった。




「此処に葉月という女が居るだろう? 今すぐ俺の所まで連れて来い! 人間――いや、お、お前等!」


 と、棋将武隊の正門に姿を現した彪舞が怒りを露わにしながら叫んで、大蛙の上から隊の者を睨み飛ばした。


「見知らぬ輩のいう事を簡単に聞く訳にはいかないさね、その武動――お前は葉月の仲間かなにかさね? 一体何者さね?」


 と、香組隊長の真田小梅が彪舞を見上げながら言った。


 「人間なんかに名乗る名なんてねえ……」そう呟いた彪舞は手綱を引いて、大蛙の前足を浮かせてそのまま所構わず地へ叩き付けた。その瞬間、土煙と同時に大きな振動が地面に広がり、隊の者達は足元を掬われ、よろよろと体勢を崩した。


「全く、朝っぱらからとんだ無作法者が此処に現れたもんさね……」


 武器の槍でもある旋光をくるりと回転させた小梅は何事も無かったかのようにその場に立っていた。


「ほう、お前、中々やりそうだな……」


 と、感心の言葉を漏らした彪舞が小梅を見据えると、


「だが、俺の亜殿あでんの前にはひとたまりもないだろうがなあっ!」


 と言いながら、勢いよく両手に握っていた手綱を、亜殿に何かを命ずるかの様に引いた。


『ゲゴォ――』


 と、不気味な鳴き声を上げながら、ゆっくりと口を開け始めた亜殿を見た小梅は直ぐに危険を察知し、


「お前等、急いで此処から離れるさねっ!」


 と言って、片手で後方の隊の者を制したが、それはもはや手遅れであった。


「薙ぎ倒してやれええっ!」


 彪舞の叫び声と同時に亜殿の口から大きく長い舌が辺りに散らばった餌を掬い取るかの様に隊の者達に襲い掛かった。


「うわああああっ!」


 鞭の様にしなった舌が次々と隊の者を巻き込んで勢い良く吹き飛ばす。


「次は、お前だ! やれえっ! 亜殿っ!」


 図体に似合わない俊敏な動きを見せた亜殿の舌が小梅を襲う。意表をつかれた小梅は旋光で攻撃を交わそうとするが、一歩及ばなかった。


「くうっ――!」


 直前に迫る舌を小梅が顔を歪めながら呆然と見ていた、――その時だった。確実に小梅を吹き飛ばしたであろう亜殿の舌は、間に割り込んで来た何者かによって、真上に跳ね上げられていたのだ。小梅は見覚えのあるその男の背中を見ると、感情を込めて思わず叫んでいた。


「りゅ、竜之介っ!」


 土煙の中から腰を落とし、体勢を低くした竜之介が頭上に風神を翳しながら姿を現した。「竜之介」その名を耳にした彪舞は、一瞬にして鬼の形相に変わると、握っていた手綱を手離してホルダーの短剣を引き抜き、太陽の光を背に亜殿から勢いよく飛び降りた。


「お前が、竜之介かあああっ! この、盗人めがぁああっ!」


 片方の短剣を竜之介の頭上から躊躇なく突き刺そうとするが、風神の刀身で交わされ、その反動で握っている短剣は鈍い音を立てて真上に跳ね上がった。「ちいっ!」と、低く唸った彪舞はそのまま地に両足を付けるや否や、もう片方の短剣を下方向から斜めに切り裂くように振り上げた。


 その攻撃を竜之介は身体を後方に反らす様にして辛うじて交わす。彪舞はそのまま身を翻して、回転軸の片足から砂煙を上げさせながら破壊力のありそうな足を水平にして竜之介へと叩き付けた。


 足から伝わる感触に「手応えあり」と口元を満足そうに歪めた彪舞だったが、その攻撃を竜之介は腕を掛けの字にしながら直撃を交わしていたのであった。だが、あくまでも直撃を交わしただけという事で、その威力は、後方に強引に退かされ、防いだままの両腕は小刻みに震え、その隙間から見える竜之介の苦痛の表情を見れば、火を見るよりも明らかであった。


「お、俺の攻撃を防ぎやがっただと!? くそがあっ!」


 と、彪舞は両腕を下げた短剣の刃を光らせながら、そのまま竜之介へと近づいていく。その表情から何か別の怒りを自分に向けられている事に気付いた竜之介は、


「ちょっと待て! ――お前は一体誰なんだっ!?」


 と、少し困惑じみた表情を浮かべ彪舞に問うと、


「俺が誰かなんてどうでもいい事だっ! いいから、さっさと葉月を返せっ!」


 と、握っていた短剣を竜之介に突き付けながら叫んだ。


「え? は、葉月ちゃん? 何でお前が葉月ちゃんの事を――」


 と、竜之介が葉月を「ちゃん」付けで言った時だった。「がぁ!?」と目を見開いて何やら意味不明な声を発した彪舞はそのまま足を止め、頭を垂れると、わなわなと体を震えさせ始めた。


「――ったなあ?」


 聞こえない言葉を彪舞は漏らした。そして顔を上げた彪舞を見た竜之介は唖然としてしまった。先程、あれほど殺気をぎらつかせていた男の顔は、玩具を取られた子供の様な表情に変わり、妬み――否、どちらかと言えば嫉妬に近い表情を満面に出して竜之介を見つめていたからだった。


 顔を真っ赤にした彪舞は歯軋りをしながら、


「お、おっ、お前、今、葉月を、ちゃ、ちゃん付けで呼んだのか……?」


 と、言いながら「ううう……」と獣が唸るような声を漏らした。そして、


「お、お前が、葉月をちゃん付けで呼ぶなんて事、そんな、そんな事が許されていいものかああっ!」


 ――彪舞の片目から悔し涙の粒が光る。現状を理解出来ない竜之介は「ええっと……」と、人差し指で頬をぽりぽりと掻きながら困惑するしかなかった。


「も、もう許さねえっ! おっ、お前は今直ぐ俺が此処で倒してやるっ――!」


「ねえ、彪舞? ……誰が誰を倒すのです?」


 彪舞は肩を軽くちょんちょんと叩かれた事に気付き、感情を剥き出しにしながら後ろに振り返った。


「ああっ? お前には関係の無い事だ! 部外者は引っ込んでな――!」


 と、言った彪舞の言葉は急ブレーキを踏むかの様に飲み込まれた。何故なら目の前には不機嫌そうに腕を組み、目が全く笑っていない葉月の顔があったからだ。


「い、いぇあああっ!? はっ、葉月いいっ!?」


「……彪舞、お前が何故ここに来たのか、今直ぐ説明してみるのです。でも、その前に――」


 と、葉月は笑いながら、掌を固く握りしめた。


「うふふふふ。彪舞、覚悟は出来たぁ?」


「う、あ……あああ」


 彪舞は次に起こる事を察したようだ。次の瞬間、彪舞が予想した通り、自分の頭上に大きな拳骨が落ちてきた。


 ――数分後、頭から生えたたんこぶを摩っている彪舞がその場で正座させられ、葉月にあーだ、こーだと説教されている姿があった。


「葉月ちゃん、もうその辺で……」


 葉月の別の人格を垣間見たのだろう、竜之介は「もし自分があの立場だったら……」と、想像し、溜まらず葉月を制止しようとしたが、「駄目なのです! ちゃんと叱っておかないと!」と、言われ一蹴されてしまった。


 まるで飼い主が自分の犬を叱りつける光景――竜之介がそう感じた時だった。「これは一体、何の騒ぎだ?」と、聞きなれた声が竜之介の背後から聞こえた。


「あ、玄真様!」


 隊の者の声と同時に人の波が分かれ、威厳を放ちながら玄真が姿を現した。そして、目の前に次の命令を待っている亜殿と、何故か正座させられ説教されている彪舞を見ると、


「成程……先程の地響きはこやつの仕業であったか」


 と、軽く頷いた。玄真の登場でやっと長い説教から解かれた彪舞は、痺れた足をがくがくさせながら立ち上がると、


「お、お前がここの頭みたいだな? 悪いが、そこの葉月は俺が連れて帰るぜ?」


 と、葉月を指差しながら言った。


「な、彪舞! 何を勝手な事を言っているのですか!」


「葉月、お前はこんな集団にいちゃいけねえ! 今すぐ俺と一緒に帰るんだ!」


「馬鹿な事を言ってはいけないのです! 帰りたければ彪舞お一人様で帰るのですよ!」


「な! 葉月、お前まだそんな事を――!」


 竜之介達は二人のやりとりを聞いて、互いが面識のある仲間同士であるという事を察した。


「まぁ、待て。彪舞とやら、葉月はお前も知っての通り、武動を使役する我々にとっても有力な戦力なのだ」


「――それに葉月は竜之介の『持駒』、部下でもある。近々チェス界に攻め込む予定もあり、そう簡単に葉月を手放す訳にはいかぬ」


 と、玄真が言うと、葉月が「うんうん」と首を大きく縦に振って、


「そうなのです! だからさっさとお前は山奥に帰るのですよ!」


 と、腰に手を当てびしっと彪舞を指差した。


 その話を黙って聞いていた彪舞は何かが閃いたのだろうか、玄真に向かって、


「待てよ……あんた今、何て言った? チェス界に攻め込むって言ったな? それは本当か?」


 と、探りを入れる様な感じで聞き返した。


 「その通りだ」と、玄真が頷いた時、彪舞はちらりと葉月に視線を向けた後、再び視線を戻して、


「それなら、その戦いに俺も参加させろ。と、言ってもお前等を信用した訳じゃねえ、俺が信用しているのは――葉月だけだ」


 と、玄真を見据えながら言った。玄真は暫く考え込んでいたが、何かを思ったのだろう、


「――成程。確かにお前は役に立ちそうだ。良いだろう、特別にお前の入隊を許可してやる」


 と、言って面白そうに笑みを浮かべた。


「そうと決まれば、寝泊りする場所が必要になるな。誰かこいつに空き部屋を――」


 と、玄真が言いかけた時、彪舞がその言葉を遮る様にして掌で制止すると、


「その必要は無い。自分の寝床は自分で何とかする、だがな――」


 鋭い視線を竜之介に向け、押し殺す様な声で、


「いいか、下手に葉月に手を出しやがったら――お前を殺す! 必ずな! 良く覚えとけよ!」


 と、言った。その言葉を聞いた葉月はそのまま立ち去ろうとする彪舞に向かって


「……彪舞、お前はまだ説教が足りていない様なのです」


 と、言いながら、拳を固めて早歩きで彪舞を追った。彪舞は「げっ!」という顔をしながら、その距離を保つ様に早歩きで、逃げる様に亜殿に乗り込んだ。そして「こらー! 彪舞! 降りてくるのです!」と、拳を高々と上げて怒っている葉月を見て、悪戯小僧の様に微笑んだ。


「じゃあな葉月、また来るぜ!」


 彪舞は手綱を引くと、亜殿をくるりと方向転換させ、高く宙へ飛び跳ねさせる。そして、そのまま十洞山の山奥に姿を消していった。


「全く、あの大馬鹿者は、いきなり現れて竜之介さんに何て事を……!」


と、葉月は遠ざかる亜殿の足音を聞きながら、深く溜息を吐くのであった。

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