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■葉月編(壱)

 葉月は誰よりも聞き取れそうな三角の耳をぴくぴく忙しそうに動かしながら、たった一つの言葉を待っていた。その待ち望んでいた言葉はやがて、医務室の外で距離を置いていた葉月の耳に勢い良く飛び込んで来た。


 「みんな! 竜之介が目覚めたさねっ!」


 その言葉を聞いた葉月は直ぐに竜之介の傍に向かおうとしたが、扉の前で躊躇し、嬉しそうに高々と上げた尻尾をしょんぼりと下げてしまった。


 竜之介の近くに行きたいのは山々だが、その手前には苦手な隊長達が網を張った様に行く手を阻んでいる。竜之介以外に心を開き切っていない葉月には言葉を交わすのもやっとという感じで、その中に入り込む事が苦手だったのだ。


 竜之介の顔がみたい一心で耳と尻尾を引っ込めた葉月は扉を少し開け、顔だけをちょこんと申訳なさそうに覗き込ませる。が、到底見る事は叶わない。


 「あう……」と残念そうに溜息を漏らした時、他の隊長の言葉を聞いて葉月は呆然としてしまった。


「竜之介! どうした? 私達を忘れてしまったのかにゃ!?」


 ――竜之介が自分達の記憶を失った。その言葉は葉月の感情を大きく揺さぶり、部屋の灯りが一瞬にして真っ暗になる程、目先の物が見えなくなってしまった。


 やがて竜之介を取り囲んでいた隊長達が波を掻き分ける様に間を開ける。その間をふらふらと竜之介が出口の方に向かって歩いて来るのが見えた。その姿を茫然とした顔で隊長達はただ、黙って見送っている。


 部屋から出た竜之介と葉月の目線が一瞬触れ合った。「もしかして……!」と、葉月は目を輝かせたが、その願いは空しく、竜之介はそのまま視線を反らすと、外へと出ていってしまった。


 その背中を葉月は無言で追い始める。先に外に出た竜之介は頭を上げ、夜空から神々しく光を放つ満月をじっと見つめている。そう、それは以前、二人で見た雲一つ掛かっていなかった綺麗な満月だ。いつしか葉月は本来の姿に戻り、竜之介に歩み寄っていた。


「き、綺麗なお月様ですね……」


 遠慮がちに竜之介に向かって声を掛ける。満月を見ていた視線がやがてゆっくりと葉月の方へと向くと、竜之介の両目に葉月の姿が映った。


「君は……さっき医務室にいた娘だね? あれ? でもさっきとは何処か違う気が――って、その耳! もしかして君は犬獣族なのか?」


「りゅ、竜之介さん、そっ、そうなのです! 私は犬獣族なのです! それで、何か思い出せそうですか!?」 


 静かに竜之介は首を横に振った。「あぅ……」と残念そうにしている葉月を見た竜之介は申訳なさそうに葉月に声を掛けた。


「そう言えば、先程もそうだったけど、皆、俺の事を知ってるみたいだな。君も俺を知っている一人なのか?」


「あっ! はっ、はい! 私は葉月と言うのです!」


 しどろもどろに自己紹介をする葉月を見て竜之介は苦笑した。 


「――そうか。でも、ごめんな。今の俺は隊長達や君の事を思い出せないんだ」


 軽く目を伏せた竜之介は踵を返し自室に戻ろうと歩き出す。数歩歩いて足音が重複している事に気付いた竜之介が再び振り向くと、一緒に付いてきた葉月もぴたりと足を止めた。そのまま無言で歩き始めると、先程と同じ様に足音が重複し始める。「ん?」と思った竜之介が再び振り返ると、「はわっ!」という感じで尻尾をピンと立て、慌てて葉月も足を止めた。


「――ちょっと待て、葉月ちゃんといったか、何故俺の後を付いてくる?」


「あううっ、それは、その――」


 顔を赤らめ人差し指を突き合わせ何かを言おうとする葉月の口元を竜之介はじっと見つめていた。


「わ、私が、竜之介さんの物だからですううっ!」


「なんだとおおっ!?」


 予想もだにしない言葉を投げつけられた竜之介は葉月と同じくらい一瞬にして真っ赤になった。


「そ、それって一体どういう意味だっ!?」


「あわわっ! あああっ! そういう意味では無くて、それはその、葉月が竜之介さんの部下だからという意味で――決してその、特別な関係だとか、そういう意味ではああああっ!」


 もふもふした尻尾を器用に激しく揺らしながら、葉月は必死に言い直す。


「葉月ちゃんが――俺の部下?」


「は、はいいっ! 此方の王将代理、玄真様のお計らいで特別に認めて頂いたのですう!」


「玄真さんが――?」


「はいですうっ!」


 「うーむ……」と腕を組み首を傾げる竜之介。玄真さんは何故こんな愛くるしい耳を持ち、ふさふさとした今直ぐしがみ付きたくなるような尻尾を持つ娘を俺に付けたのか? と考え始めた。


「りゅ、竜之介さんっ!」


「うわっ!? な、何!?」


 葉月に急に話し掛けられ、まさか、内心を読み取られてしまった? と動揺しながら慌てて葉月を見る竜之介。


「それでですね、玄真様は言われたのです。『忠実な部下として常に竜之介の傍に控えよ』と」


「な、なんだって? そんな事を玄真さんが?」


 ――もちろん、これは葉月の口からの出任せである。この時葉月は考えていたのだ。今自分の立場を大いに活用し、あわよくば自分自身の事を竜之介を思い出して貰い、更に上手く行けば自分の里に連れ帰る事が叶うかもしれない……と。


「で、ですから竜之介さん、葉月はこうして竜之介さんと一緒に部屋に帰っているだけなのですよ?」


「ふーん……そうだったのかあ、納得、納得」


「はい、ですから全然問題は無いのですっ」


「――じゃないっ! どう考えても駄目だろ! 女の娘が俺と一つ屋根の下で一緒に暮らすなんて!」


「と、いうか、いろんな意味で危険な娘を自分の部屋に連れ帰るなんて一体以前の俺は何を考えていたんだ?」

 

 頭を抱えながらその場にしゃがみ込み、自問自答を始める竜之介。その様を見ながら葉月は申し訳なさそうに可愛い舌をぺろりと覗かせ、身体に力を込めた。


「竜之介さん、竜之介さん」


「ちょっと待ってくれ! 俺は今自分の気持ちを整理している所――」


 言葉が止まる。再び葉月を見た竜之介は唖然とした。それもその筈、先程しっかりと頭とお尻に付いていた可愛らしい部分が葉月からすっかり消え失せていたからだった。


「あ、あれっ!? 元に戻った? どういう事だ?」


「……犬獣族は、この様に耳と尻尾を自由自在に引っ込める事が出来るのですよ」


「そ、そうだったのか……しかし、便利だな、それ」


「はいなのですっ、便利なのです」


 嬉しそうに微笑んだ葉月は、突然何かが閃いたのか、咳払いを一つすると懐から何かを取り出した。どうやら小さな薬瓶のようだ。それを竜之介に差し出すと、葉月は少し怪しい笑みを漏らし始めた。


「と、所で竜之介さん、葉月は竜之介さんが更に元気になるとても良い物をもっている事を今思い出しましたっ」


「――良い物?」


「はいっ! この薬なのですよ! これを飲めば竜之介さんはたちどころに葉月と同じ――あ!」


「同じ、何?」


「はわあっ! お、同じ様に、げ、元気になっちまうのです!」


「葉月ちゃん……何か言葉尻が変だが?」


「き、気にしなくていいのですよ! そういう事なので、これを今此処でぐーっとやっちゃってください!」


「え? 今すぐ?」


「はいなのですっ!」


「そうか……ありがとな」


 竜之介は飲めばたちどころに犬獣族になってしまう薬を受け取り、その蓋を開けて口に運ぼうとしたが、その様を息を荒げた葉月が凝視しているのを見ると、とても嫌な予感がしたので、そのまま薬瓶の蓋を閉めてしまった。


「あああっ!」


 何とも言えない声を上げた葉月は、しばらく間を置いてがっくりと頭を垂れる。


「竜之介さん、ど、どうしてそれを飲まないのですか? それを飲めばぶつぶつ……」


 頭を垂れたまま、肩を震わせながら葉月は念仏の様に何かを呟き始めた。


「お、俺がこれを飲んでしまうと、何故かとても取返しのつかない事になりそうな気がしたから……ごめん」


「いいんですよ……別に……ふふっ」


 葉月は竜之介に返された薬瓶をすーっと懐にしまい込む。その様はとても静かであったが、内心ではがっくりと膝を突き、「くぬう!」と、拳で地面を何度も殴りつけていたのだった。


 竜之介達が建物に到着し、中に入ろうとした時、葉月が急に呼び止めた。


「な、何だい? 葉月ちゃん」


「え、ええっとですね、葉月は荷物をまとめて来ますので、ちょーっと待っててくださいっ!」


「荷物をまとめる? 葉月ちゃんは今まで俺と暮らしていたんだよな?」


「そんな細かい事は気にしてはいけないのです! と、いう訳なので直ぐに戻ってきますからっ!」


「――あ、葉月ちゃん!」


 うやむやにされその場に立ち尽くす竜之介。そこで再び悩み始め、本当に俺はずっと葉月と一緒に暮らしていたのかと、再び自問自答を始め出す。その結論に達する前に遠くから土煙が見えたかと思うと、葉月が息を弾ませながら大風呂敷を背に抱え、竜之介の元へ舞い戻ってきた。


「はあっ! はあっ! はあっ! りゅ、竜之介さん、お、お待たせしたのですっ!」


「は、早かったな……」


「さっ、さあ、参りましょう! り、竜之介さんの、お、お部屋にっ!」


「わ、分かったよ」


 いいのか? と考えながら足を自分の部屋へと向ける。だが、当然の如く女を――しかもとびきり目立つ可愛い葉月を建物内に引っ張り込んだ竜之介を見た隊の男が指を差し、驚きの、否、嫉妬と妬みが練り混ざった声を上げ始めた。


「おい……あれ、竜之介じゃねえか? 噂では死に掛けたという事だったけど、復活早々、自分の部下を部屋に連れ帰ってくるとは……なんて羨ま、いや、不謹慎な奴なんだっ!」


 周りの異様な殺気を感じ始めた竜之介は「あれ?」という顔をする。その雰囲気を直ぐに察した葉月は意義を唱えた者の傍まで歩みより、にこやかに微笑みかけた。


 その後直ぐに隊の者の顔が引き攣ったかと思うと、一瞬にして顔色が悪くなった。そのまま蜘蛛の子を散らす様に葉月から慌てて離れて行く。おそらく葉月は竜之介の前ではとても見せれない顔を露わにし、「余計な事を喋るな糞野郎共、ガタガタ抜かしてると、お前等全員我魔さんの舌でぐるぐる巻きにして遠方まで吹き飛ばしてやろうか? ああ?」という様な事を言ったのだろう。


 くるりと踵を返した葉月は何事も無かったように竜之介の元へと戻ってきた。


「さ、さぁ、竜之介さん! 気にしないで参りましょう!」


「あ、ああ」


 引き攣った笑みをする葉月を見て、嫌な予感がした竜之介は本能的に足を止めたが、葉月に背中を強く押され、結局自分の部屋の前まで来てしまった。


 ドアのレバーに手を掛けた竜之介の背後で葉月が「ごくり」と唾を飲み込んだ。それに気付いた竜之介は訝しそうな顔をしながら無言で振り返る。


「あ、あはははっ、な、何でもないのですよっ!」


 葉月は慌てて取り繕い、苦笑いをする。竜之介はまだ納得がいかないのか、不思議そうに何度も首を傾げながらレバーを引いた。竜之介を言いくるめ、上手く部屋の中に入った葉月は、隠していた柔らかそうな尻尾をひょっこりと出し、竜之介の背後で嬉しそうに振るのであった。


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