■須惠千葵編(弐)
二人が新たに歩き始め、何日かが過ぎたが、葵に関する竜之介の記憶は戻ってはいなかった。それでも葵はとても満足していた。今までの記憶よりも、今一緒に居るという事が何よりも嬉しかったのだ。
その二人は討伐数を増やし続け、今や各組のトップに立つ程のベストコンビと成っている。今日も二人は現れたチェスを討伐する為、戦場の地に立っていた。
「竜之介、そっちの雑魚は任せた! あのルークは私が倒す!」
「ああ、分かった。葵ち――いや、葵、こっちは俺に任せておけ!」
竜之介が自分を呼ぶ名を訂正するのを確認した葵は嬉しそうに目を細め頷いた後、踵を返した。以前、葵を竜之介が「ちゃん」付で呼んでいたのを大層嫌った葵は不服そうな顔を全面に出し、竜之介に訴えたのであった。
――竜之介め。ちゃんと私のいう事を聞いてくれてるみたいだな? よしよし。
「さてと……お前が最後か。ふん、その盾に刻まれた紋章、貴様リブラ隊のルーク、エランだな……」
葵が先程とは打って変わって冷酷な目をしながら、刃をエランに向ける。エランは盾を前にして剣を構えた。そして葵の構えた剣が震える程、意外な言葉をエランは口にする。
[その姿にお前が持っている剣……裏切者のドゥルガーか……]
「――何!」
葵は直ぐに後方の竜之介を見て、雑魚掃除をしている事を確認すると安堵の溜息を漏らし、再びエランを睨み付けた。
――こいつめ、いきなりなんて事を口にするのだ! 竜之介が聞いてたらどうするのだ? こいつはすぐ殺してしまおう、そうしよう。うむ。だが、その前にだ……。
「――お前、何故この事を知っている? 私の事を誰から聞いたのだ?」
葵の言葉を聞いたエランは重々しい鎧を揺らせて突然笑い出した。
「貴様……何が可笑しい?」
[フフ。拠点を離れているお前には分から無かったか。俺達上位クラスの者は皆知ってるぜ? 上から口は封じられてるけどな……]
――上位クラスに私の事を喋っている? 考えられるのは……。
「……べトルクが喋ったのか?」
[さぁ、どうだかな。それより……俺達は『そろそろ』お前を『回収』する様に言われててなぁ……]
――回収だと? 私を機械のように扱うとは良い度胸だ。だが、今の発言は万死に値したぞ。
[ドゥルガー、その姿のせいで貴様の力は半減し、今のお前が得意の闇を使えないのは知っているぞ? それならこの俺にも十分勝機はあるぜ?]
「私も随分見くびられたもんだな……ならば、それが出来るかどうかやって見せるがいい」
[ほざけ! 我らを裏切り、餌如きに寝返った裏切り者がああっ!]
叫びながらエランが盾を前に翳したまま突進し、そのまま葵へ激突すると、構えた剣先をそのまま盾の裏側へと回し、突き刺した。
――盾の裏側から剣が抜け出てきただと!?。
「ちいいっ!」
盾の裏側から飛び出した剣を葵がぎりぎりで避け、耳のすぐ近くで剣が空を切った。体を捻った葵がすかさず剣を翳して斬り掛かったがその盾で防がれてしまった。
「全く、手品じみた事をする奴だな? 危うく斬られるかと思ったぞ!」
[流石、腐っても闇のドゥルガー。俺の十八番を交わすとはな]
「ふん。お前、自身の剣を通す盾とは、中々面白い物を持っているな。次は鳩でも出して私に見せるが良い」
[その余裕な態度、何処まで持つか? 俺はこの盾で何人もの餌を串刺しにしてやったんだぜ?]
態勢を整えたエランが盾で剣筋を隠し、再度突進してきた。
――確かに、こちらの攻撃を受けた後で自由自在に裏側から剣を突き通されては分が悪いな。
[フハハハ! 今度こそ串刺しにしてやる!!]
「……馬鹿だなお前。私を誰だと思っている? 半分力を失おうが、闇が使えなかろうが、私の力はお前等とは桁外れだぞ?」
溜息を吐きながら葵は腰を落とし足を大きく開くと、技の体勢に入った。
「鬼切――氷華」
同時に鬼切の刃を静かに横に傾け、エランの方に向けて振り切った。
[馬鹿め! 何をやっても今更遅いぜ! くたばりな――]
エランの言葉はそこで途切れた。花弁の様に開いた氷の中心でエランが盾を前に翳したまま凍り付いていたからだ。やがてエランは頭部から亀裂が入ると、そのまま弾ける様に砕け散った。
「はい。おしまい! さてと……」
――竜之介は何処かな?。
葵が辺りを見回すと、雑魚のチェスを掃討した竜之介が悠々とこちらに歩いてくるのが目に入った。
「おーい! 竜之介! こっちも片付いたから帰ろう――」
葵が破顔しながら叫んだ時、今感じてはならない「あの感覚」が突然襲ってきた。
――こ、これは……薬の効果が薄れ始める時のものだ! 何でこんなに早く切れ始めた!?。まずい、早く竜之介から離れないと!。
自分の茶色い髪が薄れ、本来の青い髪が次第に現れ始める。直ぐ様葵はその部分を隠しながら、竜之介から大きく距離を取った。
「あ、あれ? 葵、何で俺から逃げて行くんだ?」
遠くから葵は竜之介に声を掛ける。
「ああっと、竜之介。わ、私は、急に用事を思い出したから先に帰るぞ! じゃあなっ!」
「え? あ、葵! ちょっと待ってくれ!」
口元を悔しそうに歪めながら葵は竜之介の前から姿を消す。竜之介はその不自然な行動に呼び掛ける様に差し出した手を元に戻すのも忘れ、ただ、呆然とするのであった。
――おかしい。薬の持続効果がどんどん短くなっている。
その晩、ドゥルガーは自室でシェルⅡの入っている器に手を伸ばして蓋を開けた。
「あ……薬が残り僅かだ。そろそろ補充をしないとまずいぞ」
――にしてもだ。このままだと何時薬が切れ始めるか心配だ……。
「べトルクと話して見るか。それに色々聞きたい事もあるしな」
連絡用の小型通信機を手に取り起動しようとするが、そこで何かを思い出して頭を項垂れた。
「そうだった……此処じゃ何故か繋がらないんだ。人目に付くとまずいし、とりあえず薬は飲んでおくか」
窓の外は程良い月明かりが差している。それを横目で見ながら「やれやれ」といった表情をして表に出る。余り人が通らない暗い場所に移動した葵は、通信機を起動させると通信相手に繋げた。
「べトルク。私だ。少し話がある」
通信機の中から知性的で低い声が聞こえ始めた。
「ドゥルガー様……いや、失敬。今は須恵千葵様でしたか……」
「ふん。今持っている薬が切れそうなのでな、補充しようと思うのだが――」
――こいつには聞いておかねば。
「べトルク……何故私の事を上位クラスの者に漏らした?」
少し間が開いてべトルクは答えた。
「葵様、それは――餌に化けた貴方に刃を向けない為です」
――ほう。
「そうか。で、今日私はリブラ隊のエランに早速刃を向けられたのだが、これはどういう事か説明してみせろ」
「なんと……葵様にその様な無礼を働いた者がいたのですか?」
「そうだ。それにそいつは私を回収する云々ほざいていたぞ? どういう意味だ?」
再び反応が消え、苛ついた葵が呼び掛けようとした時、更に低い声でべトルクが喋り始めた。
「成程そういう事でしたか。いや、何とお詫びして良いものやら。これはこちらの不手際による物です」
「葵様――エランが『回収』と言ったのは誤りで、葵様を見た者に『報告』する様にお願いしたのですが……どうも意思疎通が図れていなかったようです」
――報告だと?
「――で、何を私に言わせようとしたのだ?」
「はい、葵様、私の口からでは誠に言い難く、わずわらしい真似をして申し訳ありませんでした。実は……今葵様がお使いになっているシェルⅡですが、致命的な欠陥が見つかりまして……」
――致命的だと? まさかっ!。
「べトルク……その欠陥とやらは薬の持続効果の事か?」
葵の言葉に驚いた声でべトルクが答える。
「――なんと葵様、まさかその現象が表れてしまったのですか!?」
「そうだ。戦場でいきなり効果が薄れたのだ。突然の事で流石の私も驚いたぞ?」
「申訳ありません。葵様、このべトルク、なんとお詫びして良いか……」
「良い。それよりそれを対処した物を早急に持って来させよ」
――でないと私が困る! 竜之介と一緒に居られないではないか!。
「ははっ。改良版の新薬はあと二日で完成します。今回はこのべトルク、お詫びを兼ね新薬は自らがお持ちさせて頂きます」
「そうか、分かった。完成後、それを直ぐに受け取りに行く。場所は十洞山の山奥だ。正確な地点は二日過ぎに私からまた連絡する」
「――御意。ですが葵様、今の薬はいつ不具合が生じるか分かりません。それまで部屋に留まる事が賢明かと考えます。では、葵様からのご連絡、お待ちしております……」
「ああ……分かった」
通信機を停止させ、それをゆっくりと胸に抱きながら月夜を眺め、葵は深い溜息を吐いた。
――あーあ。つまんないな。二日も竜之介に会えないのか。
「たった二日。でも私にとっては長く遠い二日だ……」
夜空を仰ぎ、髪を靡かせながら葵が部屋に戻っていく。その一部始終を遠くからずっと見ている者が居た。
「あんな暗い場所で葵は一体誰と話をしていたんだ?」
腕を組みながら頭を横に傾ける竜之介。中々寝付けない竜之介が軽く散歩をしようと思い、表に出た時、丁度葵の姿を見かけた。今日の事も含め葵を心配して声を掛けようとしたが、葵の周りから漂ってくる深刻な雰囲気を感じ取り、距離を取ってじっと様子を伺っていたのだった。
「明日、葵に聞いてみるかな? でもプライベートをあまり聞くのはマナー違反な気が……うーむ」
そのまま首を傾け、竜之介は自室に戻っていった。だが次の日、竜之介がその理由を葵本人から直接聞く事は叶わなかった。当の葵が体調不良で部屋で養生をしているとの知らせを隊の者から受けたからだ。
「葵は大丈夫なのか?」
葵の部屋の前を何度も往復する竜之介。声を掛けようか、掛けまいか。必死で悩みながらうろうろを繰り返す。
「きっとまだ疲れている。無理やり起こすと可愛そうだし……ここは止めておくか」
大きな溜息を残し、竜之介は部屋を後に――。
「いや! やはり声だけでも、俺は聞きたい!」
――せず、思い切って通話用のボタンを押す。その呼び出し音は部屋の隅で蹲りながら新薬の完成を今か今かと待ち続けている葵の耳に届いた。
――煩いな。私は今、梃子でも動く訳にはいかんのだ。
「葵……俺だ、竜之介だ。大丈夫か?」
――竜之介! 私を心配して来てくれたのか!? 会いたいっ! この目にしたいぞ!
勢いよく体を起こし、主人が帰ってきた子犬の様に慌てて玄関まで走り寄り、レバーに手を掛けようとしたが、視界に入った自分の青い髪を見て寂しそうにその手を止めた。
「葵、良かったら、少し顔が見たいんだけどな……」
――ああ、竜之介、私もだ! だけど、だけど!。
「竜之介、来てくれて有難う。本当に嬉しいぞ。嬉しさの涙でここ等辺りが洪水を起すくらいにな」
「あははは! それは大変だな!」
「そうだ。大変だ。だからこんな情けない顔を竜之介には見せる訳にはいかないのだ」
――違う! 本当は今直ぐにでもこの扉を開け放ってお前に抱き付きたいっ!。
「……そうか。それは仕方ない。早く元気になって何時もの笑顔を見せてくれよな?」
「ああ……分かった。あと一日で私は元気になる。何、たったの一日だ。それまで良い子にして待ってるのだぞ?」
――これは、私に対する台詞だ。
「分かった。それじゃあ、ゆっくり休んでくれ」
その言葉を最後に竜之介の足音が次第に遠くなっていく。
「あと一日……なんとも遠いな、竜之介……」
その足音をドアの傍で耳を当てて聞きながら、そのままの姿勢で葵は崩れ落ちて行くのであった。




