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■須惠千葵編(壱)

 今まで何度も見たであろう、隊長達の顔を竜之介は必死で見ていたが全てがぼんやりとするだけで何も思い出せずにいた。


「くそっ、俺は一体どうしちまったんだ!」


 苛立ちを口に出す。普段大人しい竜之介の乱れ振りを隊長達はただ、戸惑いながら見つめるしか無かった――、唯一、一人の隊長を除いてはだが。


「なんとも、情けない面をしているな? 竜之介はそんな男ではなかっただろ?」


――竜之介、そんな情けない姿になるとは、私はつまらないぞ……。


 壁に体を預け、手を頭の後ろに組みながら、その隊長が白い天井に視線を向けながらぶっきらぼうに言い放った。竜之介は自分を心配そうに見ている他の隊長達よりも、何も無かった様に振る舞う隊長を見ている内にその名前を導き出した。


「須惠千……葵、葵ちゃん」


 竜之介がその名を口に出した時、周りの隊長達が一斉に竜之介に注目した。


――竜之介が私の事を思い出した!?。


「竜やん、何か思い出したのか!?」


 元治が期待して訪ねてたが、結局、各隊長の中で思い出していたのは誰かも分からない葵という名前だけであった。


「成程。竜之介は私という『名前』の記憶だけが戻ったという事か……にしても人間というものは何とも不便な――」


 言いかけて、慌てて口を閉ざす。周辺の反応を気にしながら葵は咳払いを一つした。


「竜之介……私がその須恵千葵だ。そしてお前は私の物であり、将来はキン――いやや、伴侶となる男だぞ? 忘れたのか?」


 葵の爆弾発言に周りの隊長達の顔が一斉に引き攣ったが、自分達の事を忘れられてしまった今は何も言い返す事が出来なかった。


「何だって? 俺は葵ちゃんと付き合っていたのか……俺はそんな大事な事まで忘れてしまったのか!」


 真剣な顔をして頭を抱える竜之介の横で葵以外の隊長達が呼吸を合わせたかの様に無言で首を横に振った。葵はそんな竜之介の顔を見ながら、下唇を強く噛みしめた。


――何だよ、竜之介。そんな今まで何も無かったような顔をして。


「……なぁ、竜之介、お前目が覚めたんだろ? だったらさっさと起きて行くぞ。ほら、お前等邪魔だ邪魔だ!」


 他の隊長を押し退けた葵は手荷物を持ち、強引に竜之介の手を掴んでベットから引きずり出すと無理やり着替えさせ、太陽の元へと放り出した。


「うおっ! 眩しい!」


 竜之介の瞳に日差しが差し込む。一瞬立ち眩みを覚えたが、久々さに新鮮な空気を一杯吸い込むと自分が再び生き返った事を実感した。


「どうだ竜之介? そうやって自分の体を外に曝け出す事が出来るっていう事は素晴らしい事だろ?」   


 目を細め、葵が太陽を仰ぎ見る。竜之介はその姿が今見た太陽よりも更に一層眩しい物に感じられた。


「おいおい竜之介、見惚れてくれるのはとても嬉しい事だが、私の魅力はそこでは無いだろう?」


――と、いっても今のお前では何も分からないだろうな……。


 寂しそうな表情を浮かべ、葵は竜之介の腕を強く掴んだまま誰も居ない十洞山の奥へと向かう。葵の瞳は足を奥に踏み入れる度に鋭く変化し、光を失っていった。暫くすると滝の轟く音が竜之介の耳に聞こえ始めた。


「あ……此処は何となく見覚えがある気がする」


 周辺には誰かが作ったであろう修行道具の数々。竜之介にはその風景が確かに存在していた。そして此処で誰かと剣を交えた記憶もあった。だが、それが誰だったのかは記憶がおぼろげとなり何故か思い出す事は出来なかった。


 突如、竜之介の足元に自分の物であろう、戦具ベルトが投げ込まれた。


「これは……俺の?」


「竜之介、さっさとそれを付けて準備をしろ」


「準備――?」


「ああ。そうだ、お前は今から私と戦うんだぞ?」


「な、何だって!? 俺が葵ちゃんと今から戦うって!?」


 驚いた表情をして葵を見たが、葵は既に武装を終え、武器の鬼切を抜刀していた。分けも分からず立ち尽くしていると葵が更に急かしたてた。


「ほら、その中に鍔があるだろ? どれでも良いから好きな剣を抜くがいい」


「どれでも? それは一体どういう事だ?」


 竜之介が戦具ポケットを確かめてみるとそこに火虎、獄龍、風神の鍔が三枚ある事が分かったが、風神以外の鍔については何故そこに在るかが分からなかった。


「何で三枚もあるんだ?」


 竜之介の言葉に葵が反応して、眉を歪める。


「竜之介……お前、それが何なのか忘れてしまったのか?」


 龍に虎が刻まれたそれぞれの鍔。自分にとって大事なものである筈なのにそれが何かが分からない。竜之介はそれがとてももどかしい物に感じられた。


「まぁ、忘れてしまった物はしょうがない。ではその風神はどうだ?」


「風神……ああ、これは俺の鍔だ」


 そこで竜之介は風神を使え熟せるように日々自分を鍛え上げてくれた一匹の針鼠の姿を思い出した。


「あ、師匠……! 思い出したぞ! 師匠は何処なんだ?」


 天竜の事を竜之介が思い出したが、その天竜が自らを犠牲とし竜之介を蘇らせていた事は分かっていない。それに気付いた葵が少し寂しそうな表情を見せた時、その反応に自分自身が驚いた。


――何だ? この心に吹き抜けた冷たい風は?。


 葵は暫く考え込んでいたが、ぽそりと呟く。


「そうか……大事な人の事を思い出せないという事はとても悲しい事なのか……だから同じ条件に当てはまる私はそれを感じたという事か」


――それで私は今から何をしようとしている? 知れたこと、戦って竜之介が以前の力を失っていた場合は……そう、竜之介を殺す。


――え? 殺す? 何で? 私は竜之介が好きなのに? いや、待て。最初は竜之介と戦って気付いた「闇の強さ」に惹かれて私は竜之介に興味を持ったんだ。その力が無くなった場合の竜之介はどうなんだ? それはもはやただの器にしか過ぎないのではないか? となれば私にとってはそれは何も無いのと同じ。竜之介が私の事を忘れた事と同じ事。

 

 ドゥルガーは竜之介が今ままで自分が努力してきた事が全て無に返されてしまった事を腹立しく感じていた。これまで自分に言い寄って来た男に興味は無く、目の前の敵味方といえども容赦なく無表情でランスで血祭りにしてきたドゥルガー。


 そんな冷酷な女が竜之介と戦場で出会い、その力に魅せられ、葵という人物に変わり危険を犯してまでも竜之介の所まで来たのにそれが今や全て無駄になってしまった。更に覚えているのは自分では無く、「葵」という名前だけ。そう考える度、ドゥルガーは歯軋りをせずにはいられなかった。


――そうだ、力を失い、私の事さえ忘れてしまった竜之介にもう用は無い。そもそも私は桁外れの力を持つ男に憧れていた。だがそんな者は今まで現れなく憂いていた時、戦場で私は竜之介に出会い、その強さを目にして初めて心躍らされた。だから好きになったのだ。


――――いや、そうではなく、そんな力は無くとも虫も殺さないようなあどけない表情をしている優しい竜之介に惹かれて好きになった? あれ? 私はどうしてしまったのだ? こんな簡単な答えが導き出せない。


 戸惑いの表情を見せながらも葵は鬼切の刃を竜之介に向けた。


「さぁ、さっさと竜之介も戦う準備をするがいい!」


「そ、そんな事葵ちゃんに出来る訳ないだろっ!?」


「剣を抜くのだ! 竜之介えええっ!」


 鬼切を翳し、踏み込んで来た葵の真剣な瞳に竜之介も思わず風神を抜刀し受けた。互いの凌ぎが火花を放ちながらぶつかり合う。


「葵ちゃん、どうしてこんな事を!? 俺達は付き合ってるんだろ?」


「馬鹿者! それさえも忘れているから、私はお前と戦ってるんだろおっ!」


「――な!?」


――くそっ! 胸の奥が鋭い針で刺された様にちくちく痛い! 一体何なんだ!?。


 葵は容赦無い連撃を竜之介に向けて浴びせさせる。距離を取った葵はすかさず技の体勢に入った。


「鬼切――烈斬!」

 

 下に構えた鬼切を一気に上に向け振り抜くと、地面を凍らせながら無数の氷の刃が竜之介に向かって襲い掛かって来た。


「本気なのか? 葵ちゃん!」


 風神を構えながらハルを召喚した竜之介は直ぐ様リンクさせる。そのまま葵の攻撃を直撃で受けた竜之介は砕け散った氷の中から姿を現す。その一瞬を突く様にして鬼切の剣先が下方向から竜之介の首を目掛けて襲い掛かってきた。竜之介はそれを辛うじて風神の刀身で受けた。


「くうっ!」


 葵の力に押され剣を交えたまま、後方へと押される。状況を把握出来ず、混乱したハルが思わず風神から叫ぶ。


*竜之介、これは一体どういう事じゃ!? 何故かは分からんが、この女は本気みたいじゃぞ?*  


 その声に葵が嘲笑う様にして言い放つ。


「当たり前だ! 私は最初からお前を殺すつもりで戦っているのだからなっ! だから竜之介、本気でお前も戦わないと本当に命を落すぞ!」


――私は本気だ! 本気で竜之介を殺す!。


「だからあ……っ、そんな事できる訳がないっ」


 竜之介の言葉に葵の顔が一層険しくなった。


「ふ、ふざけるなっ!」


 鬼切が竜之介の頭上で空を切る音を響かせた。鬼切をだらりと下げた葵が後方にゆっくり下がりながら言葉を漏らす。


「今のお前は竜之介であって竜之介ではないっ! 人間というものはそんなに簡単に大事な人を忘れてしまう生き物なのか!? 竜之介、何故お前は私の事を忘れてしまった?! 私がどんな思いで此処まで来たと思ってるんだ!? 私は……私は!!」


「葵ちゃん……何を言って……」


――本当だ、私は何を口走っているんだ!? 今の竜之介にこんな事を言っても仕方無いではないか! 馬鹿か? 私は!!。

 

 震える手で葵は鬼切を構え直す。一瞬口元を歪めて静かに口を開いた。


「次で決める……竜之介、お前は此処で私が殺す……」


 下に俯いた葵の声が震える。竜之介は尋常でない、葵の重みのある言葉に心が激しく揺れ動き、再度必死に葵の事を思い出そうと試みたが、それでも叶わなかった。


「覚悟しろ! 竜之介ええええっ!」


 鬼切を低く構え、悲痛な表情をしながら葵が大きく足を踏み込んだ様を竜之介が目にした時、向かってくる命を刈り取る刃をじっと見つめ――やがて風神を握った手を下に降ろして、満足そうに瞳を閉じる。


 自分の一撃をそのまま受け入れようとする無防備な竜之介を見た葵は目を見開き鬼切の勢いを押さえこんだ。


「ああああああああっ!!」


――駄目えええええええええっ!!。


 首の皮一枚を斬り、鬼切がその動きを止めた刹那、竜之介の首筋から血がだらりと滴り落ちた。


「ふうっ! ふううっ! ふうううっ!」


 髪を乱しながら息を吐き、地に鬼切を降ろしながら葵が竜之介を睨む。


「馬鹿者があっ!! お前の腕なら、今の攻撃は辛うじて交わせた筈! お前は何故それをしようとしなかったっ!?」


――何だ、何だ、何だ、何だ、何だ? 竜之介は何を考えているんだ? 本当に死ぬ気だったのか!? 考えられない! 今のは間違いなく死を覚悟した顔だったぞ!。


 憤りを露わにした葵の顔は驚きの表情へと変わる。今まさに首を撥ねられようとしていた竜之介が自分の傷も気に留めず、何事も無かった様に微笑んでいるからだった。


「葵ちゃん、多分俺は君の事が大好きだったんだと思う。だからそんな風に悲しい顔をさせてまで俺に向かって来させる様にしてしまった俺は最低だ。だから俺はこのまま葵ちゃんの手に掛かかろうと思ったんだよ。あははは……」


――あはは……って。竜之介、お前そんな事で、そんな事で自分の命を私に差し出したというのか!?。


「竜之介、お、お前は……なんという……」 


「葵ちゃん、俺、君の事を思い出せてあげれなくて本当ごめんな……」


 竜之介が申訳なさそうに言葉を漏らした瞬間、葵の瞳から涙が零れ落ちたと同時に葵は確信する。  


――ああ。なあんだ、そうだったのか。簡単な事だったのだ。私は竜之介の持つ力に惹かれたのではなく――。


「竜之介……一つお願いしていいか?」


 葵は鬼切を手放して崩れる様に竜之介に抱き付いた。


「ああ、俺が出来る事ならなんでも言ってくれ、何だってやるよ!」


 葵は竜之介を見つめながら潤んだ瞳で静かに答える


「何……簡単な事だ。竜之介、今までの私の記憶など無くてもいい、これからも私をずっとお前の傍に置いてくれ」


――そう。竜之介に力があるかなんて、最初からどうでもいい事だったのだ。私を大きく包み込んでくれる優しい竜之介が好きになった……。ただ、それだけの事。


 ゆっくりと葵が自分の顔を竜之介に近づけ、やがて一つに重なる。その二人の背後に大きな滝の音が勢いを衰える事無く、何時までも轟き続けていた。


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