■武田瑠璃編(肆)
「うおっ! 冷たいいっ!」
竜之介達が到着した地点は川の中。といっても、そこまでは深くはない。川の中心は膝が沈む程度の川だ。其処に縺れるように四人は立て続けに転がり込んだ。
「全く、玄真様がいきなり後ろから押すから……」
「ふ。すまんすまん」
大人げない玄信を見て、やれやれといった仕草を小早川がした時、一瞬にして辺りが殺気に覆われている事に気付く。チェスの軍隊は棋将武隊が攻める事を予測していたのか、陣を構え、既に到着していた隊の者と戦っていた。
「ふん、秀光の奴め! こちらの行動を読んでいたのか!」
立ち上がった玄真は眉を歪め、軍に押されている隊の者達に向かって大きく叫んだ。
「態勢を立て直せ! 心を乱しては成らぬ! 心を一つにして戦うのだ!」
夜刀を敵の方に向かって翳しながら、一気に士気を高める。
「おお、玄真様だ! 玄真様が来たぞ!」
「玄真様が居れば此方は百人力だ!」
玄真の姿を見た隊の者達が一斉に沸き、チェス軍を押し始めた。
[何だこいつラ、いきなり活気づきやがっテ!]
「馬鹿が! 俺達はなぁ、頼れるお方が近くに居るだけで何処までも強くなれるんだよ!」
ナイトと剣を交えながら歩兵武隊の一人が叫ぶ。
[ちいッ、餌の分際デ、生意気ナ!]
勢いが棋将武隊の方へ傾き始めたその時、川向うから竜之介は悍ましい殺気を感じ取った。
「この異様な殺気! 今直ぐ此処から離れてください!」
竜之介達が川岸に飛び退いた瞬間、川が一瞬にして凍り始め、チェスも歩兵武隊達も巻き込まれる様にそのまま凍り付いた。銅像と化したそれらを、妖気に覆われたランスで次々と破壊しながら此方側に向かって来る者がいた。
[私の前に居るものは、何者であろうとも全て排除させて頂きます]
上品にも冷ややかに言い放ったチェスの鎧にはクイーンのエンブレムが刻まれている。明らかに他のチェスとは異なり、そのクイーンは重々しいマスク等装着せず、頭部は自身の力を誇示するかの様に誂えられた両羽を模った髪飾りを装着し、美しい顔立を表に出して白く長い髪を靡かせていた。
クイーンは竜之介の握っている風神を見ると、静かに微笑んだ。
[ああ……貴方が竜之介ですね、秀光から命令を受けておりますよ。貴方を『殺せ』と]
ランスの矛先を竜之介にゆっくりと竜之介に向け始める。
[お初にお目にかかります。私は古のクイーン、アクエスと申します。これより私の昔話を貴方達には聞いて頂きます。と、いってもこの話を最後まで聞いてくださった方は未だかっていないのですけど……]
アクエスは少し寂しそうに笑った。
[私が生まれたのはそう当時のキング――]
そこで長々と自分の事を語り始めた。竜之介達はその様子を見ながら唖然とする。
「驚異的な氷攻撃だな、敵味方を巻き込んであっという間に氷漬けにするとは」
アクエスは未だあーだこーだと過去を語っている。
「アクエスは俺が倒してやる。お前達は川向うの奥で偉そうに踏ん反り帰っている秀光を倒せ!」
玄真が竜之介達に指示した時、小早川が名乗り出る様に前に出た。
「玄真様、貴方は先程言ってましたよね。瑠璃様を守る竜之介君の姿が見たいと。ならばこの場はこの私に任せて貰いましょう」
「――小早川、その申し出は嬉しいが、アクエスという者、並みの力ではない。お前にそれが出来るのか?」
「玄信様、私とて研究者の端くれ。チェスに関しての研究は続けておりましたから。勝算は十分ありますよ」
「そうか……ならば頼んだぞ、小早川。だが、決して命を落す事があってはならぬ、良いな?」
「フフ、ご心配には及びません」
「よし! では行くぞ竜之介、瑠璃!」
「「はいっ!」」
物々と未だ独り言を言い続けているアクエスの横を玄真達は一斉に駆け抜けた。
[お待ちなさい、貴方達、私のお話はまだ済んでいませんよ?]
アクエスがランスを振り翳すと、玄信達の目の前に行く手を阻むかの様に巨大な氷壁が何枚も出現した。
「ふん、この様な壁、破ることなど俺にとっては容易い事!」
玄真は不適に笑うと、炎が迸り始めた夜刀を下段に構えた。
「夜刀――炎蛇!」
手首を返して刃先を天に向けそのまま上に振り切ると、刃から炎を纏った赤蛇が出現し、大きく口を開けたまま、氷壁に向かって激突する。赤蛇は貫く様に次々と氷壁に穴を開けた。三人はその中を駆け抜けて進んでいく。それを見たアクエスは驚いた表情を見せる。
[まぁ、私の氷壁を簡単に打ち破る者がこの世に現れていたなんて……]
直ぐ様次の攻撃を仕掛けようとアクエスがランスを振り上げたようとした時、自分に向けて撃ち放った弾丸に気付き、怪訝そうにランスで弾いた。
[氷の弾丸? 同属? ……そこの貴方、私の邪魔はしないで頂けますか?]
「失礼。残念ですが、そうはいかないのですよ。今から僕が貴方の相手になりますからねえ」
[そう。貴方が私の話の続きを最後まで聞いてくれるのかしら?]
「僕はそこまで付き合う気は無いのですけどねえ……まぁ、貴方次第でしょうか」
答えた瞬間、鋭いランスの矛先が小早川を襲い、目の前で氷の霧が吹き荒れた。
[ほら、誰もが私のランスの前で命を落し、直ぐに凍ってしまうもの]
残念そうに呟いた霧の向こう側にうっすらと氷のプレートが二枚見え始めた。両側にゆっくりと開いたプレートの中心には小早川が双獣を両手にだらりと構えていた。自分の攻撃が交わされたアクエスは喜びの表情を浮かべた。
[もしかしたら私達、氷を扱う者同士気が合うのかもしれません――差支えなければ貴方の名前を伺っても良いかしら?]
「棋将武隊銀組『と成』、小早川……秋人」
[小早川秋人……良い名前。今から『秋人さん』と呼んでもいい?]
「フフ。どうぞ、ご自由に……」
[――では、始めましょう、秋人さん。出来る事なら最後まで私の話を聞いてくださいね]
「貴方こそ――僕に最後まで話してください」
二人が対峙している頃、玄真達は敵陣を抜け、最深部にある大理石で作られた神殿に辿り着いていた。その神殿の周りは静寂に包まれ、高台に灯された蝋燭らしき炎が怪しく揺らめいている。その周りにはチェスを模った何十体もの石像が大きな円を描く様に並べられていた。
「――静かすぎる」
周りを警戒しながら、ゆっくりと玄真達は神殿の奥へと進んで行く。三人が円の中心へと足を踏み入れた直後、呻き声が聞こえ、並べられていた石像達が光に包まれ次々とチェスへと変わり、一斉に動き始めた。
「くそ! 罠だったかっ!」
チェスに囲まれた三人が背中を合わせそれぞれ身構えた時、周りに聞き覚えのある忌々しい笑い声が響いた。
[ククク、玄真、大将自らこの場に足を踏み入れるとはな……愚かな奴め]
「貴様――秀光!」
玄真が怒りを露わにして叫んだ。
「秀光、我々棋将武隊を裏切り、謀反を起こした不届き者め! 一時でも貴様が王将に就いたのは何よりの汚点だ!」
「クカカカ、吠えるな玄真。我より強い者が存在しなかった。ただそれだけのことであろう?」
「黙れ秀光! お前より遥かに強かった長信に手を掛け死に追いやった事、もはや言い逃れは出来ぬぞ!」
玄真の言葉を聞いた竜之介はおぼろげな長信との記憶を辿った。
――俺は、長信さんという人に敵討ちを頼まれ、そして何かを託された気がする。
竜之介の戦具ポケットに獄龍、火虎の鍔は無い。二人の名は知れど、何者だったのかの存在の記憶を竜之介は失っていたからだ。秀光は口元を歪め、玄真を一瞥すると竜之介に目を合わせた。
[クク、竜之介、お前が再び此処に現れる事は予想していた……だがまさか長信との記憶を失っていようとは夢にも思わなかったぞ。まぁ、それはそれで好都合であるがな……]
秀光の言葉と共に神殿に異様な光が立ち込め始めた。
[馬鹿な奴だ。竜之介よ、今から我の操り人形となって、これより大事な仲間を無残に殺す事になろうなどとは夢にも思ってなかろう?]
「何だと!?」
その瞬間、光が一斉に竜之介に向かって襲い掛かりその覆われた竜之介は苦しそうな声を上げ膝を付いた。
「ぐううううう!!」
「りゅ、竜之介さん! しっかりしてください!」
瑠璃が心配そうに近寄る。
[クククク。この世界はチェスの妖気が満ち溢れている。その中でお前の中に眠るチェスの魂を呼び起こす事など造作もない事! さぁ、我の呪術で仲間を殺し、悔やみ、己も死ぬがいい! クカカカカカア!]
「馬鹿はお前の方だ――秀光」
光の力が次第に弱くなり始め、竜之介はゆっくりと立ち上がった。
「……何だと?」
竜之介を覆った光はやがて何事も無かった様に消滅してしまった。
「ば、馬鹿な! 何故チェスの妖気が竜之介を蝕わぬのだ? 何故チェス化しない? この様な事はあり得ぬ!」
「残念だが、あり得るんだな。これが!」
意味深な顔をしながら玄真が竜之介と瑠璃の方を見ると、二人は慌てて視線を反らした。
「竜之介の……チェスの血が消え失せたというのか? ……信じられぬ!」
秀光が鬼の形相をして竜之介を睨んでいた頃、小早川はアクエスと戦いの真っただ中に居た。二枚のプレ―トを激しく移動させ、弾丸の軌道を変幻自在に変化させながらアクエスを攻め立てる。アクエスはそれらを簡単に交わしながら、小早川に向けてランスの連撃を浴びせていた。
[――そうそう、それでタルト界では貴方方と似た様な力を持った者を捕まえ、その心臓をくり抜いて焼いて食べると本当に美味しいんですよ? 私はそれが大好きで――]
「ははは……それは何とも興味深いですねえ……」
激しく攻め立てながらアクエスは自分の身の上を淡々と語っている。力はアクエスの方が遥かに上回っており、徐々に小早川のダメージが広がっていた。頬は擦り切れ、血が滴り落ちていた。
[――そこで、私は出会ったの! そう、運命の人に! あの人は何人もの女性の中で私だけに優しく微笑んでくれた! 私はそれがとても嬉しくて! ねえ? 秋人さん、ちゃんと私の話を聞いてくれてます?]
「成程……貴方位、美しい方なら当然でしょうねえ……」
[そんな、照れますわ! それでね、あの方は私に言ってくれたの――]
小早川が何とかアクエスの話に付き合っていた頃、神殿では玄真達がチェスと交戦していた。
「竜之介、此処は俺達に任せて、お前は秀光を倒せ!」
「だ、だけど玄真さん、チェスの数が多過ぎるのでは!?」
「竜之介、俺を誰だと思っている? 言ってみろ?」
怪訝そうな顔をしながら竜之介を睨む。
「う……わ、分かりました。お願いします」
その答えに満足するかの様に玄真は微笑んだ。
「行くぞ! 秀光、覚悟しろ!」
「馬鹿が……返り討ちにしてくれるわ……」
玄真が突破口を開き、チェスの群れから抜け出た竜之介が風神を構えながら秀光の前に躍り出た。その背後で玄真が繰り出した技によって周りのチェスから一気に火柱が立ち登った。
「雀羽――連掌!」
瑠璃の叫び声と共に、三本の矢が綺麗な軌跡を描きながら、チェスの胸元を鎧毎貫いた。
「竜之介さん! 頑張ってください!」
「おおおおおおっ!」
伊弉祢と風神が激しくぶつかり合い、火花を散らしながら交差する。風神を受けながら秀光は狂喜の笑みを浮かべた。
[お前の腕が幾ら上がろうとも、その程度の腕では我には到底及ばぬわ!]
弾き返され、その勢いで大きく後退させられる。体勢を整えながら竜之介は眉を歪めた。悍ましい殺気を放ちながら伊弉祢を構えた秀光が不適に口を開いた。
[伊弉祢――魔口]
伊弉祢を振り翳した途端、地面から大きな口が出現した。その口がゆっくり開き始めると竜之介に向かって襲い始めた。
「クカカカ、竜之介、そのまま闇に飲まれるが良い」
「くっ!」
竜之介達が秀光と交戦している頃、小早川はアクエスの力に押され、攻撃を交わすのが精一杯になっていた。
「これはまずいですね……双獣の刻印が残り二つ。武装の防御力も危うくなってきました」
ランスに削り取られた小早川の姿は無残な物であった。ところが、あれ程激しく攻め立てていたランスの攻撃が急にピタリと止んでしまった。不思議に思った小早川がアクエスを見ると、アクエスは目の前で肩を震わせながら悲しい表情を見せていた。
[お互いが将来を近い合い、私は幸せに包まれ、希望に満ち溢れていた。そんな矢先私は、私に恨みを持つ女に――]
[――毒殺されてしまった]
ランスを力なく下げ、悲しみに満ち溢れたアクエスはゆっくりと顔を上げて小早川に問う。
[毒殺され、何もかも奪われ、何も言えず、苦しんだまま土に返された私を――秋人さんはどう思いますか? 笑いますか? 滑稽ですか? 此処まで私の話を聞く事が出来たのは秋人さんだけです。さぁ、答えてください]
小早川は問われ、動揺した。今は戦いの真っただ中。相手は秀光の手によって古から蘇ってきたクーイン、アクエス。その彼女がランスを振るう事を止め、真剣に自分に問い掛けてきたのだ。
――な、何だというのだ? ……僕は、彼女を倒さねばならないというのに! 隙だらけの今が最大の好機だというのに……!。
「この僕が――撃つ事が出来ないなんて」
小早川は無謀備のアクエスに対して、両手に握った双獣を力なく下げた。その訳は身の上話を聞かされながら、戦っていた小早川が何時しかチェスでありながら、天使の様に美しいアクエスの魅力に心惹かれてしまっていたからだ。
――この僕が……目の前の敵であるアクエスに心を躍らせているだと? 馬鹿な!? あり得ない、あり得ないのだが……何故なんだ? あの悲しい瞳に吸い込まれてしまいそうだ!。
計算高い小早川の頭のコンピューターが煙を上げ、暴走し始める。小早川は異様な行動に出たのだ。双獣を解除すると、アクエスに向かってゆっくりと手を差し伸べた。アクエスは驚き、目を見開いて小早川を見た。
[秋人さん……この意味は何ですか?]
「フフ、僕はどうやら貴方の身の上話に毒され、興味を持ってしまったらしい。否、話ではない、貴方自身にですかねえ……」
――待て、僕は何を口走っている?。
[あ、秋人さん、貴方急に何を言い出すの?]
「フフ。今の貴方はチェスであって、チェスでない。秀光に躍らせられている只の人形です」
[そう……秋人さんの仰る通りです]
「……だが、僕はそれがとても惜しくなった。分かりませんか? 貴方が欲しくなった――という事です。アクエス、僕と一緒に行きましょう。僕の力があれば、秀光の呪縛を解き、『僕と一緒に』貴方の人生の続きを見せてあげる事が出来ます」
――詭弁だ。何という事か、僕は目の前の美しいアクエスを自分の物にしたいだけだ!。
[は? あ、秋人さん!? 貴方、自分が言っている事が分かって言ってるの? 私は只の人形ですよ?]
「……僕は昔から変わっているとか、変人だとか昔から言われてましてねえ、そんな僕が真剣に人形、否、心が宿った貴方に恋心を持っても何ら不思議は無いでしょう? 何、心配には及びません。棋将武隊は無害なチェスを受け入れる懐の大きな所です。前例もありますから……全然問題ありません」
――駄目だ、もう止まらない。フフ、ここで僕の人生が終わっても致し方ありませんねえ。この心境は実に興味深い……。
小早川は死を覚悟し、眼鏡の奥の瞳を静かに閉じた。もうすぐランスが僕の胸を突き抜けるだろう、そう覚悟した小早川の予想は大きく外れる。自分の頬にさらりとした髪の感触が頬を伝わったからだ。
静かに目を開けると、アクエスが小早川に全てを解放し、抱き付いていた。二人の周りに張り詰めていた殺気が一転し、異様な空気に包まれ始めた。
[本当に? 本当に続きを見せてくれるのですか?]
「困りました。僕はとても口下手でしてねえ……今は何も言わず、僕の持っているこの魔石を使ってください」
[……はい。有難うございます……秋人さん]
――フフ。自分の死を覚悟し、いざという時にこの魔石に頼ろうと思って持って来ていたのですが、まさかこの様な事に使う事になろうとは、夢にも思わなったですねえ……自分の人生、実に興味深い……。
小早川が魔石をアクエスに手渡し、その場に崩れ落ちて互いに強く抱きしめ合っていた頃、竜之介は秀光と激しく凌ぎ合っていた。
「ククク、完全に孤立したお前にもはや勝機は無い、観念してその魔口に食われるがいいっ!」
伊弉祢と魔口、両方に攻め立てられながら、竜之介は苦戦していた。竜之介を食らおうとする魔口を掻い潜り、伊弉祢の連撃をなんとか凌ぎながら隙を見て攻めるが、今の自分の剣は秀光に通用しなかった。
「くそっ!」
竜之介が大きく後退し、悔しさを口に漏らした時、戦具ポケットの隙間から何か白い布が靡いている事に気付く。それを取り出してみると、それは長めの鉢巻だった。
――この鉢巻……俺は何時何処で手にいれたんだ?。
竜之介が何処か見覚えのある鉢巻をじっと見つめた時、顔はおぼろげだがその鉢巻を頭に巻いて微笑んでいる男の姿が脳裏を過った。それに導かれる様に竜之介は兜を外すと、鉢巻を自分の頭に静かに巻きつけた。
「ククク、竜之介、気でも狂ったか? 何をその様な奇行を――ぬぅ? 貴様、その鉢巻……まさか長信の物か!?」
竜之介は再び兜をかぶると、身体を震え上げ始めた。
「はは……俺は何て大事な事を忘れてしまっていたんだ!」
鉢巻を靡かせながら、風神を力強く構え直す。
「そうだ、俺は何度も教えられていた筈だ! 思い出したぞ! 長信さんの剣を!」
風神を下げ、腰を落とし、一気に力を蓄える。その真逆な動作にハルが慌てて口を挟む。
*竜之介、それは獄龍『動』の型じゃ! 風神『無』の型に反しておる! それでは技が出せぬぞ!?*
「これでいいんだ! ハル、見ていろ! 長信さんから引き継いだ力を!!」
「馬鹿め……! 己の武器に反した剣捌きなど無様にも程がある。魔口よ、その愚かな者を今直ぐ食らうが良い」
口を開けた魔口が竜之介の全身を飲み込んだ。闇の中で竜之介は極限まで力を高めた時、風神から黒い闇が迸り始めた。
*お、お主、この風神に目覚めたばかりの長信の闇を……! 無茶じゃ! 風神が持たぬ!*
「りゃああああああああああああ!」
咆哮と共に、魔口を一刀両断した竜之介はその勢いに乗って秀光へと襲い掛かった。
「何っ! 我の魔口が斬り捨てられただと!?」
秀光が顔を上げた瞬間、宙で風神を翳した竜之介の姿が視界に入った。
「ひでみつうううううっ!」
「ぬうううううううっ!」
竜之介の一太刀は重く、受けた伊弉祢は悲鳴を上げながら、風神に刀身を押さえ付けられる。秀光が体勢を崩した瞬間、額の魔石が露骨に姿を現した。
「竜之介ええええっ! きっ、貴様ああああ!」
秀光を力で押さえつけた代償は風神に跳ね返ってきている。風神の刻印が次々と消滅し始め、その周りから異様に軋む音が聞こえ始めたのだ。竜之介は背中越しに後方に居る瑠璃の方に向け力強く叫んだ。
「瑠璃さん! 今だっ! 額の魔石を射ぬけええっ!」
「りゅ、竜之介さん、で、でも貴方に当たってしまったら……私は!」
「大丈夫! あの時の事を思いだすんだ! 瑠璃さんは見事勝利し、自由を勝ち取ったじゃあないか! 自信を持て!」
風神の軋みは更に大きくなる。
*もう駄目じゃ! 折れるぞっ、竜之介!*
「瑠璃いいっ! 俺を信じろっ! もうお前は一人じゃないっ!」
「ああっ!! 竜之介ええええっ!」
一本の矢を力強く引く。
「雀羽あああっ一閃んんんん!」
激しい旋風を吹き出しながら矢は瑠璃の手から離れ、一直線に飛んで行った矢は竜之介の耳元を翳めて、見事、額の魔石に突き刺さった。
「ぐおおおおおおっ! くそがあああっ! この我の魔石を矢で射抜くとはあああああっ!」
矢に手を掛け必死に抜こうと秀光はもがくが、砕けた魔石からは無常にも魔力が溢れ続けた。身体を苦しそうに捩らせながら苦しんでいた秀光の姿は次第に薄くなり始め、やがて塵となって完全に消えてしまった。
勝利を確信し、振り向いた竜之介に瑠璃が勢い良く飛び込んで来た。
「ああっ、竜之介さん! 良かった! 無事で本当に良かった!」
「瑠璃さん、君が秀光を倒したんだ! 良くやった! 凄いぜっ!」
「そうだ瑠璃! 見事な一矢であったぞ! 俺は、俺は感動したあっ!」
いきなり顔を崩した玄真は滝の様な涙と鼻水を一気に流し始めた。
「ああっ! 玄真さん、凛々しい顔が台無しですよ! しっかりしてください!」
「良いのだ! 良いのだ! 後生だ、お前達の前では只の妹思いの愚かな兄でいさせてくれっ!」
「……兄上!」
玄真の男泣きは止むことは無く、暫く神殿の周りに響き渡ったという。
その戦いに終止符は一旦打たれたが、平和な日々は訪れる事無く、新たな術式を用いたチェスが再び出現し始める。当の竜之介は今も尚、銀組の「と成」として活躍していた。
「行くぞお前達、チェスを排除し、千洞の民を一人でも多く救うのだ!」
「おおおおおおっ!」
王将の任を正式に引き継いだ玄真の出陣の声に武隊の者が咆哮して応える。
「行こう! 瑠璃さん!」
竜之介は優しく手を差し伸べた。その手をしっかりと瑠璃は握った。その微笑ましい光景を見て玄信は一瞬、優しい兄の顔を見せて微笑んだ。
「……さて、行きますかねえ、アクエス」
小早川の眼鏡が光る。
[……はい、秋人さん、私は貴方となら何処までもついていきます]
優しい風にアクエスの美しく白い髪が靡く。
アクエスは自分が殺めた人の数以上に人の命を救う事を玄真と棋将武隊の者に固く誓い、その身を小早川の「持駒」として置いていた。当然不愛想で生真面目な容姿の小早川に「勿体ない」という反感の声が上がったのは言うまでもない。
竜之介が転送ゲートに奇門の出現地点に向かって移動しようとしていた時、一瞬その背後で誰かに見られている感覚を覚え何気に振り向く――が、そこには誰も居ない。
只、誰かが置き忘れたのだろうか、上の階に上る手摺に白いリボンらしきものが掛けられていた。
「――何だ?」
目を細め、そのリボンを暫く見つめていたが何も思い当たる事など無かった。そのまま踵を返した竜之介は瑠璃達と共に転送ゲートの向こう側へと消えて行くのであった。
「と成」の竜之介――武田瑠璃編(完)




