■武田瑠璃編(参)
真っ暗な視界の中で怪しく光る二つの赤い眼。男は闇の中からゆらり姿を現すと、妖刀を握り締めながら不適に笑った。
「ククク、よくぞここまで我を追って来た。褒めてやるぞ……竜之介」
――秀光、ここが貴様の墓場だ! 覚悟しろっ!。
「ククク、我の奥義。貴様に耐えられるか?」
――うっ! これは! かっ、金縛りかっ!? 身体が全然動かないっ!。
「クカカカカ。どうだ? 動けまい?」
――なんて……重い攻撃なんだ……く、苦しい……い、息ができない!。
「すぅーすぅーすぅー……」
――ど、どうした秀光!? 戦いの最中に、いきなり寝てるんじゃねえっ!。
「すぅーすぅ……」
――おっ、おい! め、目を覚ましやがれっ! こらああっ!。
「すー……」
「はあっ!」
竜之介が目を覚ました時、何時もよりも広い空間が天井に広がった。そこが自室では無い事に気付かされた竜之介。それは広い部屋を認識したからという事では無い、自分の首が色白でか細い手に押さえ付けられていたからだ。
更に周りの状況が掴めてくる。金縛りになっていたもう一つの理由、それは露わになった白い太ももが竜之介の身体の上を占拠していたからだ。
竜之介は恐る恐る首を横に傾けてみると、ぴったりと身を寄せている瑠璃の可愛い寝顔が飛び込んで来た。
――うおおっ!?。
「うーん……」
竜之介が身体をビクつかせたのが目覚ましの変わりになったのか、朦朧としていた瑠璃の瞳に光が差し始めた。口をぱくぱくさせながら慌てふためいている竜之介を横目に瑠璃は悪戯っぽく笑った。
「竜之介さん……おはようございます」
身体を起こした瑠璃は生まれたままの姿に着物一枚を羽織っているだけで、その滑らかな肢体は瑠璃の背後から差す朝の日差しを障子達が受け、幻想的な雰囲気を醸し出していた。その美しさについ見とれてしまった竜之介であったが、我に返ると慌てて布団で瑠璃の身体を覆った。
「る、瑠璃さん、お、お早う! あははは!」
「竜之介さん、そんなに照れなくてもいいではないですか。それにお互いが知った身体を今更隠す事などする必要がないのでは?」
「いやいやいやっ! そこは隠そうっ! うん!」
耳まで真っ赤にして顔を背けている竜之介を見ながら瑠璃は不思議そうな顔をしている。
竜之介が裸である事を忘れ、鍛え抜かれた身体を露出したまま頭が真っ白になっていた時、突如、目の前の障子が大きな音を立てて開いた。
「竜之介、何時まで寝ている? 今日は敵地に乗り込む日だぞ? 早く準備――」
怪訝そうな顔をしていた玄真の顔が二人を見るや否や一瞬にして固まった。
「竜之介……お前……」
「ああ、俺、死んだな」そう竜之介は覚悟したが、次に玄真の口から発せられた言葉は竜之介の想像を遥かに上回るものであった。
「――良い身体、それにいい尻をしているな。フフフ……」
「ひいいっ!」
顔を引き攣らせながら竜之介は慌てて身体を両手で隠した。
「……コホン、馬鹿者。冗談に決まっておるだろう」
「――しかし、お前に憑いていた『悪しき力』は目覚める前に瑠璃の力によって祓われたか。俺が望んでいた通りの展開となった訳だ。フフフフ、そうかそうか」
何やら満足そうな笑みを浮かべる。
「竜之介、完全な人間に戻った気分はどうだ? さぞかし身が軽くなっただろう?」
「玄真さん……まさか、俺のチェス化の事を知っていたのですか?」
「ふん、俺を誰だと思っている? 腐っても王将代理だぞ。以前、お前の異様な殺気を目の辺りにした時、直ぐに気付いたわ」
「そう……なんですか」
竜之介は自分の腕が日毎に赤黒く変色し始めている事に気付いていたが、今はもう、その腕は何事も無かった様にすっかり元に戻っている。更に今まで自分に圧し掛かっていた錘が全て消滅している感覚を竜之介は感じていた。
「まぁ、そんな事はさておき、二人共何時までもそんな恰好で抱き合っていないで早く起きて準備しろ。直ぐに此処を発つぞ」
「ああっ! はっ、はいいっ!」
恥ずかしがる二人を見てにやりと笑った玄信は部屋を出ると、静かに障子を閉める。
「しかし、棋将武隊に来た竜之介を初めて見た時には正直驚いたぞ。まさかあいつが『呪われし一族』の末裔だったとはな……俺達二人の枷を外したのが竜之介で竜之介の呪いを解いたのが妹の瑠璃。これも何らかの運命か……フフフ」
一人目を細め、玄真は呟く。準備を済ませた竜之介は再び凪に棋将武隊まで送って貰う事になった。馬に跨った竜之介は前回の失敗をしない様、しっかりと凪の腰に手を回した。
「竜之介様……この度は屋敷に来て頂き、誠にありがとうございました……」
その道中、凪がぼそりと呟いた。
「いっ、いや、俺は別に何も……こちらこそお世話になったというか……」
「いえいえ、謙遜せずとも。既に私ども家臣の耳に入っております。竜之介様と瑠璃様がおひとつになられたと……」
――なんだってえええ!? 何処のどいつだ! 大事な事をべらべらと喋った奴は!?。
「……そう玄真様が嬉しそうに話されておりました」
――玄真さんっ! 貴方という人はあああっ!。
――ああっ! 俺は今すぐ落馬したいっ! するしかないっ!。
「……私どもはあの様に幸せそうにしている玄真様と瑠璃様を見たのは初めてだったのです。それもこれも全て竜之介様の力であったと、皆が口々に申しております故」
凪の顔は見えないが、その声は少し嬉しそうであった。竜之介は返す言葉も見つからず、ただじっと鞍に視線を落としている。
「竜之介様はもはや身内も同然のお方。どうかこれからもあの二人が笑顔を絶やさぬよう、何時までも傍に居てあげてください――否、」
「瑠璃様と結ばれた時点で、これは貴方がしなければいけない一生の任務であり、宿命なのです」
「凪さん……今日は口が良く回るね……最初会った時の無口が嘘の様だよ。うん、うん。」
「竜之介様……」
「は、はいっ! 凪さん、な、何かな?」
「私は竜之介様が今後一生、瑠璃様を裏切らないというのであれば……前回の無礼をお詫びし、これより私の胸に何度手を当てようとも、揉みしだこうとも決して抵抗は致しません。ご存分にご堪能ください……」
馬を走らせながら淡々と語った凪は竜之介の手を片手で掴むと自分の胸に押し当てた。その瞬間、奇声を上げて思わず両手を放した竜之介は仰け反った姿勢になってしまった。
「うわわわわわ! お、落ちる! 本当に落馬してしまうっ!」
「……竜之介様、何をふざけているのです? しっかり私の胸を掴んで貰わないと困ります」
「そ、そんな事、で、出来るかあああっ!」
本当に落馬寸前の竜之介であったが、何とか棋将武隊まで無事に辿り着いた。凪は深々と頭を下げると、馬に跨り颯爽と駆けて行ってしまった。
竜之介が集合場所でもある転送ゲートに足を踏み入れると、玄真の顔は昨日とは打って変わり、既に王将代理の面構えになっていた。だが、その厳しい面立ちも竜之介の姿を一早く捉えた瑠璃の行動によって脆くも崩れ去る事になる。
「あ、竜之介さん! お待ちしておりましたっ!」
今まで何歩も後方に下がり、一歩も前に出なかった瑠璃が周りの視線に目もくれず、竜之介に向かって真っすぐに飛び込んで行く。この行動には他の隊長達も唖然とし、面食らってしまった。
「な、何! 瑠璃隊長は一体どうされてしまったの!?」
「ま、まるで別人じゃないかっ!」
戦を目の前にして周りが騒然とし始めた所を我に返った玄真の一喝で一斉に静まり返った。
「皆の者、狼狽えるでない! 其処に居るのは正真正銘、本物の武田瑠璃だ」
「――と言っても、もはや以前の瑠璃ではない。瑠璃は生まれ変わったのだ。そう、昨晩瑠璃と竜之介が二人むす――」
「うわあああああああ! 玄真さああああああああん!」
竜之介の叫び声が玄真の言葉を上回る。「おっと……」というわざとらしい仕草を見せながら玄真は咳払いをしたが、時既に遅し。何かを感じ取った隊長達は勝ち誇った瑠璃を見ながら愕然とし始めていた。
「すまない、少々俺も人が変わってしまったのでな、許してくれ……」
隊の者は瑠璃の変わり映えに驚いたが、かくいう玄真の雰囲気の変化にも同様に驚いていた。
「仕切り直しだ。まず、皆も既に知ってるであろう、金組隊長須惠千葵は――闇の女王ドゥルガーだったのだ。だが、我々を裏切る訳でも無く、任務を忠実にこなしていた彼女の行動は実に不可解で、未だ謎であるが……敵といえど、我々に取っては貴重な戦力だったと言っても過言ではなかった」
玄真のドゥルガーを労う言葉を耳にした瞬間、竜之介の脳裏にドゥルガーが何者かに殺された晩の出来事が鮮明に映し出される。死にゆくドゥルガーの切ない表情を思い描いた竜之介は何故か急に胸が痛んだ。
――くそ、まただ……。何故俺はこの名を聞くとこんなにも胸を痛めるのだろう?。
「更に、今回活躍が期待された武動を操る者――葉月が里に帰ってしまった事は非常に残念な事だ」
葉月という名を聞いた時、一瞬ではあったが竜之介の脳裏に美しい満月がはっきりと映し出された。
――何だろう? 俺は満月を見ながら、誰かと何かを語った気がする……。
「だが、我々は振り返ってはいけない! 前進あるのみ! 今こそ数多くの民の命を奪ったチェス共に鉄槌を食らわせ、そのチェスに寝返った憎き秀光の首を取るのだ!」
「おおおおおおおおっ!!」
玄真の叫ぶ声と共に一気に士気が上がると、武装を終えた武隊の者が転送ゲートの向こう側へと次々に旅立っていく。
「竜之介さん、もうすぐ私達の番ですね。私、もう何があっても逃げません。必ず竜之介さんをお守りしますから」
「……瑠璃さん、それじゃ逆だ。戦場に着いたら、俺が瑠璃さんの盾になる。何と言っても今の俺は銀組の『と成』なのだから」
「竜之介さん……とても心強いです」
「盛り上がっている所をすみせんねえ。水を差すようですが、もう一人の『と成』、この私、小早川秋人をを忘れないでくださいね」
「うわっ! 小早川さん! いつの間に!」
小早川は双銃を両手に握りながら呆れた表情を浮かべている。
「やれやれ。私は戦う前からこんなに隙だらけの者達と戦地に赴かないといけないのですか。全く困り果てたものです……」
突如現れた小早川に動揺し、慌てて武装し始める二人。
「抜刀――風神」
「抜刀――雀羽」
二人は抜刀を終えると、それぞれ精霊を召喚する。ハルが姿を現すと双銃の精霊、沙美阿、織美阿がいきなり飛び出して来て、小早川に耳打ちを始めた。
「沙美阿。何だって? いやいや……竜之介君は今回、共に戦う仲間なんですよ? 敵じゃありません」
「織美阿。仲間なんだから『へなちょこ風精霊』などと言っては失礼ですよ」
それを聞いたハルが鬼の形相をしながら沙美阿、織美阿と睨み合い、火花を飛ばし始める。それを見ていた雀羽の精霊、鈴花が慌てて間に割って入った。
「全く、二人共、仕方の無い娘達ですねえ」
小早川は双銃を両手に握ったまま、沙美阿、織美阿に軽くげんこつを食らわせる。二人は痛そうな顔をし、頭を摩りながら戻って行った。
*ふん。お前は少し場を弁えておるようじゃが、あの忌々しい二人にはちゃんと教育しておくのじゃぞ!*
文句を言いながら風神にリンクしていくハルを見た小早川が苦笑して呟いた。
「さてと、竜之介君……君とは今度こそ真剣に戦ってみたいものだねえ。あれから僕も反省して色々努力しててね、君の強さについて勉強をしていたんだけど――」
「そうですね、俺も小早川さんと戦いたいですね」
竜之介が嬉しそうに答える様を見た小早川は眼鏡の奥で目を細めた。
――竜之介君。チェスとの縛りを解かれた君の強さは、もう僕とは比較にならない位、逸脱してしまっているのだよ。だから僕が君と戦いたい理由、それは『君の圧倒的な力』を目の辺りにして分析し、データ収集したいと思ってるのだよ。無論、力だけではない、内気な瑠璃様をそんな風に変えてしまった君自身についてもだけどねえ。
小早川は一瞬物思いに耽けっていた時、その背後から大きな男が圧し掛かって来て小声で話し掛けてきた。
「どうした小早川、これから戦だというのに辛気臭いぞ? もっと気合いを入れぬか」
「げ、玄真様、どうして此処に!? 王将代理――否、もはや王将である貴方は最後に――」
驚きの言葉を玄真はばっさり斬り捨てた。
「馬鹿者、それは秀光の野郎が王将だった時の話だ。俺は違う、俺はな、この目で竜之介の強さが見たい。瑠璃を守る勇姿が見たいのだ。だから共に行く事に決めた」
「玄真様、貴方程感情を表に出さないお方が竜之介君と接している間にすっかりと変わり果てられてしまったようですねえ、全く、なんとも興味深い……」
「フフフフ。小早川よ、その理由が知りたければ竜之介の戦う所をしっかりと目に焼き付けておく事だ。この俺を力で捻じ伏せ、己が信念を変えた奴の力をな――うっ!」
「今何と言いました――!? 玄真様が竜之介に敗れたと!?」
うっかり口を滑らせた玄真は天を仰ぎながら「しまった!」という表情を小早川に見せた。
――竜之介君、それが事実なら君はもはや、僕の手の届かない所まで登りつめてしまったみたいですねえ。全く、やれやれです。
完成され尽くした竜之介の逞しい背中を見て小早川は溜息を吐き、頭を横に振った。
「ま、まぁ――そんな事もあったかも知れぬ。そ、そんな事はどうでも良いのだ! 何時までもゲートの前に突っ立てないで、ほれ、さっさと行かぬか!」
「ああっ!」
背中を強く押された小早川は前のめりになって前に居る二人にもたれ掛かってしまう。同時にバランスを崩した竜之介達が「何事!?」慌てて振り返ると、そこに不敵に笑った玄真の顔が飛び込んで来た。
「な!? 玄真さん、どうして――!?」
竜之介達は驚きの声と共に、雪崩に巻き込まれるかの様にそのまま転送ゲートの向こう側へと消えていくのであった。




