表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/146

■武田瑠璃編(弐)

 玄真が竜之介を屋敷に招いた理由。それは瑠璃を武田一族全員に認めさせる為であった。竜之介は今、大きなプレッシャーを抱えながら、屋敷の裏にある大きな弓道場に瑠璃と共に居た。


「うお……あれを射抜くのかよ……遠すぎるだろ!」


 竜之介は遠く僅かに横並びで立てられた五枚の板を見て呆然とする。


「は、はい。明日はあの五枚の板をより多く射抜いた者が、し、勝利者となるんです」


「成程……」


――こんな難しい勝負を受けるなんて玄真さんは一体何を考えてるんだ? 本当に勝機はあるのか?。


 既にすっかり怖気付いてる瑠璃を見ながら竜之介は深い溜息を吐いた。


「瑠璃さん、ちょっとあの的を射抜いてくれるかい?」


「あ、は、はい。やってみます。多分当たらないと思うけど……きっと、ぶつぶつぶつ」


 瑠璃は念仏モードに入ってしまった。


――い、いやそれよりもあんな遠くまで矢が届くのかが問題の様な気がする。


 瑠璃は見た目は華奢なスタイルでとても弓を引く様なタイプとは思えない程のか細い腕をしている。それは誰が見ても一抹の不安を覚えざる得なかった。立ち位置に付いた瑠璃は的を不安そうに見つめると羽丈に手を掛け、恐る恐る弓を引き始めた。


――ああ、駄目だな、こりゃ。


 直視出来なくなった竜之介が本能的に目を瞑ってしまったその時、耳に物凄い衝撃波が駆け抜け、直ぐに対向で砂煙と同時に轟音が轟いた。


「――えええっ!?」


 目を開けた竜之介の目に飛び込んで来た物。それは的の上部にぽっかりと開いた穴であった。


「あああ……やっぱり、は、外してしまいました。竜之介さん、ごっ、ごめんなさい!」


 竜之介は遠くに開いた穴を見ながら唖然としている。やがて我に戻ると苦笑し始めた。


「ははは……嘘だろ」


「ど、どうしましょう、や、やっぱり、無理かもしれません。いえ、最初から無理だったのかも……ぶつぶつぶつ」


「瑠璃さん、もう一度だ。もう一度やって見せてくれないか?」


「え? はっ、はい」


 今度はしっかりと見てみる。瑠璃が弓を引いた時、引手の先から唸るような風が吹き荒れ始めている事に竜之介は気付く。瑠璃は追い風に負けない様、引手を必死で押さえている。その影響で矢じりの先が上下に揺れてしまい狙いが不安定になっていたのだった。


――瑠璃さんは俺と同じ風属性なのか!。


 瑠璃が矢を手放した瞬間、追い風が爆発するかの様に矢を前に押し出した。その矢は的の板は捉えず先程と同様に大きくずれてしまい、今度は横に大きな穴が開く。的を外した瑠璃は頭を項垂れて、深い溜息を吐いた。


「はん、出来損ないは、所詮出来損ないだな。肝心の的を射抜けなけりゃ、その無駄な力に意味は無いぜ?」


 竜之介達の様子を何時の間にか伺っていた玄間が愉快そうに笑う。


「お前は――玄間!」


「竜之介と言ったか、お前何で其処の出来損ないに付き合ってるんだ? そんな奴ほっときゃいいんだよ!」


 玄間の嘲笑する声に身体を震わせ、耳を塞いだ瑠璃がその場にしゃがみ込んだ。


「黙れ! お前には関係ない事だ!」


「――はん。そうかよ」


 玄間は一緒に連れて来ていた女に声を掛けた。


宇奈李うなり、ちょっとこいつらにお前の腕前を見せてやれよ」


「分かりました、玄間様!」


 宇奈李は自信満々に立ち位置に立つと何の躊躇いもなく弓を引き始めた。その姿勢からは気迫が満ち溢れ、矢先に一切の迷いなど微塵も感じられない。やがて手から離れた矢は当たり前の様に板を貫いた。


「かははははあっ! 見たかお前等! これが実力の差って奴だ! 見事だったぜ、宇奈李!」


「はっ、はい、ありがとうございます! 玄間様っ!」


 潤んだ瞳をしながら宇奈李は玄間を見つめた。


「あの、玄間様、さっきの話ですがこの後私と一緒に――」


「ああ? あの話か、無理だな。俺には用があるからな!」


「――それって、また、他の女と会うとかでは……」


「煩いぞ宇奈李。俺がどうしようがお前には関係の無い事だ! お前は只、『俺の操り人形』になってればそれでいいんだよ!」


「す、すみません玄間様……」


 玄間の言葉の中で竜之介は何かが引っ掛かり、心の中から怒りが沸き始めた。


――この止めどもなく湧き上がる怒りは何なんだ!? あの台詞を以前何処かで俺は聞いた事がある筈だ……くそ、何処だ?。


「はん、戻るぞ宇奈李、どうせ明日は俺達の楽勝なんだからな! 今からでも涙を滲ませる兄者の姿が目に浮かんで来るぜ! かはははは!」


 高笑いと共に玄間達はこの場を去っていった。


「すみません……や、やはり駄目です。せめて、明日は普通の弓では無く、雀羽が使えれば良かったのに……」


「雀羽?」


「は、はい。兄上が私の為に用意してくれた鍔の武器名で、雀羽は一度に三本の矢を放つ事が出来る弓なんです」


――成程。玄真さんは瑠璃さんの弱点を良く分かってるんだな……。


 改めて瑠璃に対する玄真の愛情を感じたその時、竜之介にある記憶の白紙の頁に、鬼の形相をして長剣を振り翳す玄真の姿が描かれ始め、その紙に大きな文字で台詞が加わった。


『所詮、お前は俺の操り人形に過ぎないのだからなぁっ!!』


――ああ! そうだ! 俺は!!。


「り、竜之介さん……だ、大丈夫ですか?」


 動かなくなった竜之介を心配そうな表情をしながら瑠璃が覗き込んでいる。


「ああ、ごめん。それより瑠璃さんちょっと聞いてもいいか?」


「あっ、はい、な、何ですか?」


「俺は、玄真さんと以前、何処かで戦っていなかったか?」


 竜之介の問い掛けに瑠璃の円らな瞳が一瞬、輝きを放った。


「竜之介さん、お、思い出してくれたのですか? そ、そうです竜之介さんは私を助ける為に、あ、兄上と戦ってくれたのですよ?」


「……そうか、やはりか」


 嬉しそうに語り始める瑠璃。次第にその頬を赤く染め、身体を捩り始めた。


「そ、それに兄上に勝利した時、竜之介さんを認めた兄上は言ってくれたのです……『俺が認めたその男を生涯手放すな』と」


「ええ? そんな事を玄真さんが言ったのか?」


「はい、『絶対にな』と。お、思い出せませんか?」


 瑠璃が幸せそうな笑顔を見せた時、竜之介は穏やかな感情に包まれた。


――ああ。そうか、俺はこんな顔をする瑠璃さんが見たかったんだ!。


「……瑠璃さんもう一度だ」


「は、はい!」


 瑠璃が先程と同じ様に不安そうに弓を引いた時、瑠璃の身体に寄り添う様に竜之介が後から抱き付き耳元で囁いた。


「瑠璃さんは誰よりも凄い力を持っている。ただそれが自信を失ってしまった事で制御出来ていないだけなんだ。不安になったら駄目だ。瑠璃さんはもう操り人形なんかじゃない、自分で糸を断ち切って自由になるんだ。それに瑠璃さんの傍には俺が居る、何も恐れるな!」


 竜之介の瑠璃に対する感情が溢れ始めた瞬間、記憶の中に積まれた白紙の束に向け、これまでの瑠璃達との絵がもの凄いスピードで一枚一枚描かれ始めた。瑠璃を見つめる竜之介の瞳は次第に優しく、深いものへと変化していく。


 何かが伝わったのであろうか、震える手で的を見据える瑠璃が静かに呟いた。


「竜之介さん……そ、それは、これからもずっと一緒と捉えても、いいですか……?」


「ああ……そうだ。俺はずっと瑠璃さんと一緒だ」


「約束ですよ……もう、撤回は出来ませんよ?」


 最後に描かれた瑠璃との記憶――それは瑠璃の満面の笑顔であった。


「ああ、撤回は無しだ。何故なら俺がそれを強く望んでいたからだ」

 

「……嬉しいです。竜之介さん、全て思い出してくれたのですね……」 


 的を狙う弓の震えがピタリと止まり、矢が勢いよく追い風に乗って放たれた。矢は空気を切り裂きながら一直線に的へと向かって行く。二人が強く抱き合ったその先で板の割れる音と共に轟音が鳴り響いた。


 次の日。武田一族が弓道場に集まり、異例の「弓の儀」が執り行われた。今回の無謀な出来事に一族は皆戸惑いの表情を交えながら、本家を否定する声で犇めきあっていた。


「瑠璃、準備はいいか! 今こそお前の実力を皆に知らしめ、本当の自由を勝ち取って来い! 俺の我侭を聞き届けてくれた父上の為に、そして俺達の記憶を全て取り戻してくれた竜之介の為にな!」


「はい、兄上!」 


 瑠璃の瞳には迷いなど一切ない。眦を上げ、真直ぐに玄信を見据えていた。そしてその視線をゆっくりと竜之介に向けると、頭を下げにっこり微笑んだ。


「竜之介さん、行ってきますね!」


「ああ。俺は傍で瑠璃さんが大空に羽搏く所をしっかり見ててやるからな!」


「はい!」


「馬鹿か。無様に堕ちていく姿だろーが」


 突如、三人の会話に玄間が割って入った。


「……玄間!」


「兄者、今日で本家の威厳は崩れ去る。これからの主導権はこの俺に委ねられたも同然だぜ! かはははっあっ!」


「それがどうかな? 化けた瑠璃を侮るなよ? なぁ? 竜之介よ」


「ああ。これからお前は信じられない光景を目の辺りにする事だろう」


 竜之介は玄間を睨んだ。


「は、はん、今の内にせいぜいほざいてるがいいぜ!」


 だが、竜之介の言葉に嘘は無かった。昨日まであれ程不安定だった瑠璃の弓は微動だにする事を無く、宇奈李と対等に的を貫いていたからだ。


「何なの? この女、昨日とは全く別人じゃない!」


 緊張の汗と共に宇奈李は立ち位置に堂々と立つ瑠璃を見ながら、驚きの言葉を思わず口に出す。


 勝負は最後の一枚となり、静かに弓を構えた瑠璃は、的をぐっと見据えて息を小さく吸いながら、ゆっくりと弓を引き始めた。その中で瑠璃は後ろから自分の身体を優しく支えてくれる竜之介を感じ、その横で兄の玄真が狙い定めた弓をしっかりと支えている姿を感じ取っていた。


――もう私は逃げない! 迷わない! だってこんなにも私を想ってくれる兄上、そして――竜之介さんがいるのだからっ!。


 引手から激しい風が吹き荒れる。矢を放つ瞬間、円らな瞳が大きく見開き、遠くの的を捉えた瑠璃の視界には、外す筈もない大きな的が見えていた。


――行け! 私の全てを乗せて! 自由という名の的を貫けえっ!。


 矢は追い風に乗りながら真っすぐ的に向かって飛んで行き、完璧なまでに板の真ん中を貫いた。


「や、やりおったああ!」


「おおおおお!! 何という事だ! 我々はとんでもない過ちを犯していた!」


「流石、本家の血を引くお方! 見たか、皆の者! これが本来の瑠璃様のお力なのだ!」


 瑠璃の見事な弓捌きに周りから一斉に瑠璃を認める歓声が沸いた。


「喜ぶのはまだ早い! あの的を私が貫けば良いだけの事!」


「そ、その通りだ! 兄者、宇奈李があの的を貫いた場合は決着が付くまでやるからな!」


 焦りの表情を見せながら玄間が叫んだ。


「それはきっと無駄な事です」


 瑠璃が力強く宇奈李を見据えて言い放った。


「――な、何ですって!?」


「分かりませんか? 今の私はこの後、何度弓を引こうとも的を外す事は無いからです」


「な、生意気な! どうしてそんな事が言えるの!?」


 瑠璃は玄真と竜之介の方を見て静かに微笑むと、再び視線を宇奈李の方へ戻す。


「だって、私は貴方みたいに一人寂しく弓を引いていません……私には兄上も、そして竜之介さんも一緒に傍に居てくれます……貴方にはそれがあるのですか?」


「うっ、煩い! 黙れえっ!」


 宇奈李が立ち位置に立ち、一呼吸置いてから弓を引き始める。


「私が敗北する事なんかない! 私は武田家きっての弓の使い手だ!」


 宇奈李がぐっと的を捉え、矢を放とうとした瞬間、瑠璃の言葉が頭を過った。


『貴方にはそれがあるのですか?』 


「げ、玄間様……!」


 その一瞬の迷いが矢を放つ方向を変えてしまった。放たれた矢は的の上を僅かに翳め、後方に空しく突き刺さる。この瞬間、瑠璃の勝利と自由が確定したのだった。


「や、やった! 瑠璃さん! 自由だ! もう誰も瑠璃さんを咎めるものは居ない! やったぞ!!」


 竜之介はその場にしゃがみ込んで喜びを露わにした。それを覆うようにして瑠璃が勢いよく抱き付く。その二人を包み込む様に玄真が満足そうに何度も頷いた。


「馬鹿野郎! この役立たずのクソ人形が! お前など知らぬ! さっさと俺の前から消えてしまえ!」


 怒りを露わにして暴言を宇奈李に吐いた後、不満の表情を浮かべながらこの場から立ち去ろうとする。


「うう……玄間……様!」


 亡霊の様に立ち尽くしていた宇奈李は矢を取ると、震える手で弓を引き始め、その矢先を玄間の背中へと向けた。


 一瞬の出来事だった。放たれた矢は玄間の背中から心臓を貫通し、屋敷の柱に突き刺さる。糸が切れた人形に様に崩れ落ちていく玄間を見ながら宇奈李は狂喜の声を上げ、泣け叫んだ。


「あは、あはははは! 玄間様! 貴方が全て悪いのです! だって、こんなにも貴方を想う私を何時も何時も独りぼっちにしていたのだから! だから貴方は誰にも渡さない! 渡すものですか! そう貴方は私だけの物! あはははははは!」


「ああ……! 玄間様! み、皆の者! 宇奈李を捕らえろっ!」


 宇奈李を一族が慌てて押さえつける。それでも宇奈李は何時までも笑い続けていた。一騒動がやっと静まり、落ち着きを取り戻した屋敷では瑠璃の完全勝利を祝い、宴会が始まっていた。豪勢な料理を堪能し、勝利の美酒を一族に散々浴びせられた竜之介はふらふらになりながら本家の離れに用意された寝床へと倒れ込む。


「うー。くっそお、あの髭のおっさん、散々俺に酒を飲ませやがって!」


「でも、瑠璃さん自由になって本当に良かった……自信を取り戻した瑠璃さんの別人振りには少々驚いたけどな。ははは……ん?」


 布団を抱き抱えながら苦笑いをしていた竜之介は、障子の向こう側に居る人の気配を感じ取った。


「竜之介さん……瑠璃です。入ってもいいですかあ? 了解! 入りまーす」


 竜之介の返事をまたずに障子は開け放たれ、瑠璃が入って来るや否や速攻で閉まった。散々酒を浴びているのか、瑠璃の顔は火照り、円らな瞳は赤みを帯びて潤んでいる。


「うおっ!? 瑠璃さん、宴会の主役が抜け出して、こんな所に来ていては駄目じゃないですか!」


「ん? いいんですよお。あそこは既に只の飲み会になってしまってるんですからあ」


「……え? そうなの?」


「そうでーす! だから瑠璃は愛しい愛しい竜之介さんに会いにきましたー!」


「はは……そりゃ光栄だな――」


 猫が膝に飛び込んで来るかの様に瑠璃が竜之介目掛けて飛び込んで来た。互いの衣服は乱れ、ほんのりと酒の匂いを漂わせながら、縺れ合う感じになってしまった。


「……ねえ、竜之介さん。私は今、本当に幸せ。あんなに兄上や父上の喜んだ顔を見た事がこれまで一度もなかったのですから……」


「――そうか、それは本当に良かったな」


 瑠璃の顔がどんどん竜之介の視界に大きく広がり始めた。


「私、宇奈李さんがした事、少し分かる気がする……だって」


 瑠璃の吐息が優しく竜之介を包み込む。


「私も、好きな人には何時も傍に居て欲しいです……から――」


 そのまま互いの唇が暫く重なり合い、やがて静かに離れた。瑠璃は何事も無い様に部屋の灯りを消すとその身を竜之介に預けた。


「宇奈李さんは命を奪う事で玄間さんを自分の物にしてしまった。でも……私は違う」


 自分の袖に両手を添え、ゆっくりと開き始めた。


「な! る、瑠璃さん、何を――!!」


「竜之介さん、貴方に私の全てを見せ、貴方と一つになる事で私の物にします……」  

 

「いや! ちょっと待ってくれ! お、俺にも心の準備って物が!」


「駄目――今宵は竜之介さんが私の操り人形になるの……貴方には一切の主導権はありません。あしからず」


「うう、瑠璃さん……やっぱり別人だよ……」


「私をこんな風に変えたのは――竜之介さん、貴方です。責任はきっちり取ってくださいね……」


「ああ、そうだ。さっきから誰かに似てると思えば玄真さんじゃな――」


 そこで竜之介の言葉は途切れた。離れの部屋の少しだけ開いた障子から微かな月明かりが差し込む。そこから見えるものは主導権を奪われ、瑠璃に上から押さえつけられながら一夜を明かしてゆく情けない竜之介の姿であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ