■真田小梅編(弐)
小梅との記憶を取り戻した竜之介は、その日から小梅のと成となる。無論、同と成の前田はいい顔をせず抗議したが、王将代理、玄信の鶴の一声で渋々受け入れた。
その前田であるが、竜之介はその存在を覚えておらず、怪訝そうな顔をして言い寄る前田に対して首を傾げていた。
「くっそう! なんでお前はこの俺の事を覚えていないんだ!?」
香組の控室を出た廊下で前田が眉を吊り上げて竜之介に食って掛かった。
「なんで……と言われても覚えていないものは覚えていないんだよ」
初めて会う様な顔つきで前田を見る。
「竜之介、貴様、この俺と激戦の上、辛くも勝てた癖に! それを忘れるなどと――そうだ、何なら再戦といこうじゃないか!」
「再戦と言われてもなあ……」
――『コロソウヨ』
「え? あ?」
突然、竜之介が声を漏らし、頭を手で押さえ震え始めた。
「何だ? 竜之介、お前、俺の話をちゃんと聞いているのか?」
竜之介が押さえていた手をゆっくりと下にずらした刹那、前田は自身を睨むその鋭い目つきを見て肩をびくっと震わせた。
「くっ、 いっ、今のは冗談だ! 真に受けるなよ!」
言葉を吐き捨てると、前田は逃げるように廊下から姿を消した。
「なっ、なんだ今のは……?」
一瞬、竜之介とは別の声が心の中に割り込んだ気がした竜之介は自身に怯え始めた。
「竜之介、大丈夫かさね?」
肩を軽く叩かれ、聞きなれた声で話し掛けられた竜之介は落ち着きを取り戻し、後から控室を出てきた小梅を見て微笑む。
「小梅さん、俺は全然平気ですよ! 御覧の通り、ぴんぴんしてます」
大袈裟な仕草を見せた竜之介を見て小梅は軽く吹き出す。
「全く、さっきは近寄りがたい雰囲気を出しているかと思えば、急にのほほんとした竜之介に戻ってるし、もっとしゃきっとするさね!」
小梅の諭す言葉に背後からうんうんと頷きながら玄真が二人の近くへ近付いて来た。
「二人とも、ここに居たのか。ちょっといいか?」
「玄真さん、俺達に何か用ですか?」
「竜之介、お前が秀光の記憶を失わなかったのは幸いだった。奴はお前を手に掛けた後、俺達を裏切り、保管庫の最強チェス共を復活させ、謀反を起こしたのだ」
「な、何だって!?」
竜之介が秀光の名を耳にした時、止めどもない怒りと共にその脳内に剣士の丘の柵で静かに風に揺れる白いリボンが頭に浮かんだ。
――あのリボンは……あれは何だったのだろう?。
竜之介の記憶の中に桜子は存在していない。
「秀光は敵のチェスと裏で通じながら、部屋に引きこもり、魔石に関する研究を繰り返して謀反の機会をずっと伺っていたのだ!」
「秀光の奴め……! 許せん!」
玄真は怒りの言葉を叫ぶと、一呼吸置いて言葉を重ねた。
「――だが、我々は遂にチェスの奇門を構成している術式の解読に成功した。よって準備が整い次第、明日全武隊を率いて敵地へ乗り込む!」
「遂にとうとうこの日が来たかさね……」
「敵地ではおそらく激戦が予想されるだろう。そこで俺はお前達に命じる、俺達が敵を全て引きつけてやる。お前達は秀光を追い詰めて倒せ!」
「秀光――長信さんの敵、今こそ決着を付けてやる!」
長信の姿を思い起こし、決意を口にした竜之介だったが、突如長信の横で一人の女が陽炎の様に揺らめいて静かに微笑んでいる姿が見えた。
――長信さんの横で微笑んでいる女の人は、一体誰なんだ?。
物思いに耽る竜之介だったが玄真の咳払いで我に返った。
「それとだ、秀光はもはや人外と思え。やつはチェスの力に憑りつかれ、無数の魔石を自身の身体に埋め込んだ。その力は恐らく驚異的な物だろう」
言いながら玄真は、二人に目の前に巻物を差し出す。
「これは、邪悪なる力に唯一対抗出来る方法が書き記されている、棋将武隊が古から引き継いできた巻物だ。その方法を今からお前達だけに教えるので心して聞くがいい」
玄真が真剣な表情をしながら巻物を開くと、二人は息を飲み込みながらその言葉を待った。
「――愛する者の鍔を重ね合わせよ。さすれば真の力ここに姿を現さん」
告げると、玄真は巻物をくるくると巻き始める。見た目は十分量のありそうな巻物であったが、記されていた言葉はそれだけであった。
「愛する者――」
口から言葉を出した小梅は竜之介を見つめながら身体をくねくねと躍らせ始めた。
「俺の鍔を小梅さんの鍔を重ね合わす……という事か?」
「何か、照れるさね……」
二人は互いに照れながらも、鍔を取り出し、静かに重ね合わせた。そして――何も起こらなかった。
「あれ?」
冷汗を掻き始める竜之介。
「……ちょっと竜之介ぇえ?」
ギロリと睨む小梅。
「ふっ……」
鼻で笑う玄真。
「まぁ、じゃあそういう事で棋将武隊の運命はお前達二人に託した。今日はゆっくりと体を休めるがいい」
竜之介の胸倉を掴みながら身体を揺さぶっている小梅の姿を後ろにし、玄真は足早に離れていった。その後も廊下で「な、何でさね?」と納得していない小梅の声が廊下に響き渡っていた。
小梅の拷問から解放された竜之介は自室に灯りも点けず、鍔立てに立て掛けている火虎、獄龍、風神、三つの鍔をぼうっと見つめながら溜息を吐いていた。
「……結局、『他の鍔』で試してみたけど、何も起こらなかったなあ」
「それにしても……俺は何で風神以外に『鍔を二つ』持っているのだろうか? 俺はそれを何処で手に入れたのだろうか?」
「――ううっ」
突如激しい眩暈に襲われた竜之介は立ち上がりってよろめく。刹那、竜之介の心に悍ましい声が囁き始めた。
――『偉大なるキングの血を引く者、今こそ全てを手に入れる時』
「うおおっ!?」
――『もう君は僕を抑える事など出来ない。さあ、共に行こうよ、本来の居場所に』
「うううううっ! がああああっ! あああっ!」
呻き声と共に竜之介の半身が赤黒く変色し始めた。既に黒く変色した片目は悍ましい赤色の光を放ち始めていた。
「な! 何故だ! お、俺は闇を抑えていた筈!」
――『フフフ、その縛はもはや消え失せたよ。さあ、僕の元へおいで……』
一瞬にして自室が掻き消え、竜之介の視界に真っ黒な草原が広がる。それは見覚えのある無数の骸が転がっいるあの草原であった。その中心で一人の男の影がゆらゆら蠢いている。
「こっ、この場所は!」
直ぐに視線を落とし、自身の手前に引かれた境界線を目にしながら竜之介は動揺した。
『僕を縛っていたその境界線も、もう無意味だねえ……』
男はゆっくりと立ち上がると、ゆらゆらと竜之介の方へ近づいて来る。
『もうすぐだよ……もうすぐ僕は君と一つに……さあ』
竜之介の精神は拘束され、一歩も動けなくなった。次第に近付く男が明確になったきた時、目に前に闇で模られた顔の無い男が愉快そうに赤い口をぱっくりと開け、黒い手を伸ばし始めた。
『君の身体――もうすぐ僕の物に……』
黒い手が間近に迫った刹那、竜之介は何処かで何度も自身に呼び掛ける声に気付いた。
「竜之介っ! 竜之介っ!」
「う、うううう……」
その声で竜之介の視界は半分現実に引き戻され、片目に悲しい表情を見せながら、必死に自分の名を呼び続ける小梅の姿が飛び込んで来た。
「うう、こ、小梅さん……どうして?」
「何だか急に胸騒ぎがして、竜之介に何かあったかと思ってここに来てみたさね! でも、どうして!? どうして竜之介はそんな姿になっているさねっ!」
チェス化した半身の竜之介の口から明らかに別人の声が漏れる。
『女……僕の邪魔をするな、こいつは今か僕と一つになるんだよ?』
忌々しく言葉を吐きながら、風神の鍔を手にする。その手を人間を保つ竜之介が必死で押さえながら小梅に向かって叫んだ。
「こ、小梅さん! ここに居たら駄目だ! お、俺はもう駄目だ! 直ぐに此処から離れるんだ!」
『そう。君はもうすぐ僕の物となる』
鍔を押さえる手が徐々に振り解かされていく。
「竜之介! 何を馬鹿な事を言っているさね! お前はうちと秀光を倒す使命がまだ残っているさねっ!」
「はは、小梅さん。すみません、その約束はどうやら果たせそうにないです。だから、せめて逃げてください……」
『フフフ。もう遅いね、僕の力は既に解放されたよ……』
『抜刀――風神』
抵抗していた手は遂にその力を失い、抜刀された鍔から黒い渦を伴い、風神が見るも無残な姿を現した。刀身には闇が渦巻き、本来の青剣とは掛け離れた悍ましい紫色の剣。その剣先がゆっくりと小梅に向けられ始める。
「や、やめろ……! 小梅さんに手を出すな!」
最後の力を振り絞り、竜之介は刀身を左右にぐらつかせた。
『君の好きな娘? それなら僕が殺してしてあげるね』
徐々に身体を支配され、風神が頭上へと振り翳された。刹那、意識が朦朧とし、闇の底へと堕ちていかんとする竜之介の片目に両手を大きく広げ、自身に飛び込んでくる小梅の姿が目に飛び込んできた。
『この女! な、何を――!』
驚きの声は小梅の唇で掻き消された。小梅はありったけの想いを乗せ、竜之介の唇へと注ぐ。怯んだ両手から風神が手放され、力なく床へと転げ落ちた。
『くそっ! やめろおおっ! この感情は――!』
チェス化した竜之介の片目は怯える様に揺らぎ始める。必死に風神を握ろうとする竜之介を小梅はそのまま床へ押し倒す。
「竜之介……うちを受け入れて……」
纏っていた衣服を小梅が一枚一枚脱ぎ始め、あられもない姿となった小梅は、床に転がった風神に手を伸ばそうとする竜之介の手に自身の手を静かに重ねた。刹那、風神は力を失いながら鍔へと戻っていった。
『あああ……ああ』
優しく竜之介の衣服を脱がしながら小梅は自身の身体を竜之介の胸に預け、想いを言葉にする。
「竜之介……うちの愛する竜之介……お願い、うちの傍へ帰ってきて……」
『あ――!』
小梅と竜之介が一つに繋がった時、小梅の鍔と竜之介の鍔が一瞬眩い光を放った。刹那、竜之介の心にあった黒い草原に勢い良く雨が降り始める。それに呼応するかの様に風が吹き出し始め、その力が更に強まり雨を巻き込みながら暴風雨と化した。
『うがああああああああ! やめでええええ!』
男の姿は雨が触れる度、悲鳴と蒸気を上げながら、溶け始めていった。
『ぼ、僕が溶げてじばぅじゃないがぁああ……』
暴風雨は更に強くなり、男を模っていた頭の部分を一気に溶かした。
『ああああ! ぼ、僕がああ、消え、消え、ぎええでええ……!』
暴風雨の音と共にその声も消えた。刹那、顔に何かが当たる感覚を覚えた竜之介がゆっくりと両目を開けると、その目には頬に小梅の乱れた髪が触れ、目に涙を滲ませ赤らみ、自身を覗き込む小梅の顔が映っていた。
「こ、小梅さん……俺」
人間の身体に戻った竜之介が、茫然としながら言葉を漏らす。やがて互いの姿に気づき、思わず目を見開いた。
「これって、まさ――」
竜之介の口は小梅の人差し指で軽く押さえられてしまった。そのまま小梅の顔が近づいてくる。
「黙るさね、竜之介……。竜之介の中にいた悪い奴はうちが追い出してやったさね……」
言われて、竜之介は心の中でずっと引きずっていた枷が全て消え失せている事に気付いた。
「竜之介……仕方がないとは言え、さっきは竜之介の心は此処ににはなかったさね……」
口を押さえていた手はつつつと、竜之介の胸板を辿り始め出す。
「小梅さん……」
「だから、今度はちゃんとうちの愛を受け入れるさね……」
「は……はい」
窓から漏れた月明かりが互いを愛する者同士を静かに照らす。竜之介の運命を変えた夜は優しく時を刻みながら、過ぎていくのであった。




