■真田小梅編(壱)
記憶が断片化してしまった竜之介は今まで何等かの関係があったであろう女達を医務室のベットの上から必死になって見回していた。
同時に開かなくなってしまった記憶の引き出しを音を軋ませながら強引にこじ開けようとする。途端に竜之介の脳が悲鳴を上げ、その激痛に耐え切れず竜之介は頭を抱え込んでしまった。
「駄目だ! くそっ! 思い出せないっ!」
竜之介が唇を噛みしめながら、悔しさを爆発させた時、その様子を見ていた小梅が耐えかねて思わず竜之介に抱き付いた。
「竜之介……無理をしてはいかんさね。お前がうちの記憶を失っても、うちは竜之介の眩しい笑顔を忘れてはいないさね」
竜之介の耳元で優しく囁いた刹那、突如、竜之介の脳裏に槍を高々と上げ、華麗に旋回させる女の姿が微かに過った。
「――小梅さん」
同時に竜之介の口から小梅の名が漏れた。
「竜之介! お前、うちの名を覚えていてくれていたかさね!?」
小梅が喜びの声を上げ、竜之介を見た時、それが明確でない事を小梅は理解した。竜之介の目はその当人の顔を見てはいなかったのだ。
苦痛の表情を浮かべ、両手で竜之介の顔を挟むと、小梅は自身の方へ強引に顔を向かせて静かに口を開いた。
「馬鹿……小梅はうちの事さね」
「貴方が――小梅さん?」
驚いた表情を見せ、問い掛ける竜之介に大きく頷いた小梅は周りの者を見て言い放つ。
「皆! 竜之介はうちの名を呼んださね! これは竜之介の記憶に誰よりも、うちの印象が一番残っていたという事さね! これがどういう事かはもう理解してくれてるさね!?」
小梅の表情からは喜びが所々漏れ始めていた。その感情を抑えきれなくなった小梅は息を荒げて叫んだ。
「竜之介の記憶は――うちが取り戻すさねっ!」
小梅は竜之介を立たせて手を握ると、周りの女の間を通り抜け、その足で玄信の所に向かい竜之介を自分の手元に置く旨を伝える。
了解を得た小梅は手早く支度を済ませて、竜之介の手を強引に引きながら自身の実家へと向かった。
「あ、あの小梅さん、俺達は一体何処に向かうのですか?」
不安そうな顔をする竜之介に小梅は元気良く答える。
「竜之介にはこれからうちの事をしっかりと思い出して貰うさね!」
二人が道場の門に足を踏み入れた時、娘の大胆な行動を目にした村幸がにやにやしながら冷やかしの言葉を掛けた。
「……小梅、朝っぱらから強引に竜之介殿を道場に引きずり込むとは……お前もなかなかやるな?」
村幸に見つかってしまった小梅は途端に顔が真っ赤になってしまった。
「お、お父様っ! ちっ! 違うさね! こっ、これはその――」
慌てて事の事態を村幸に説明する。全てを把握した村幸は手を顎に当てて何度も頷いた。
「成程。竜之介殿がそんな事になっているとは。なんとも致しがたいが――」
直ぐに顔をにんまりとさせながら小梅の反応を伺う。
「小梅、これは竜之介殿を婿にする好機だな! わしは影ながら応援しているぞ!」
「お父様っ! そんな事をいきなり竜之介の前で言わないでさねっ!」
「だ、駄目だ! 駄目だ! 却下あっ! 断固反対いっ!」
二人の会話を聞いていた門下生の杉下が手をわなわな震わせ、不満を露わにしながら叫ぶ。そのまま小梅の元に足早に駆け寄って来た。
「ちょーっと待って下さい! 俺はこいつをまだ小梅さんの男としては認めていない! 前回の試合でたまたま良い所を見せていただけで――そっ、そうだ!」
杉下が名案を浮かべた顔をしながら竜之介を指差す。
「り、竜之介! い、今から俺と勝負しろっ!」
「俺が――お前と勝負だって? ところで、誰なんだお前?」
怪訝そうに答えた竜之介の態度に三人は驚く。以前穏やかだった竜之介に天竜の気質が合わさり、特に戦闘に関係する言葉を耳にした竜之介の態度は一変した。杉下は一瞬たじろぎながらも言葉を重ねる。
「お、お前! 俺の事を忘れるんじゃねえ! 俺は杉下誠! お前の永遠の好敵手だっ!」
「杉下? 好敵手? そんな奴、全く覚えが無いなあ」
「良いからさっさと道場に上がりやがれ! 直ぐに嫌という程、俺を思い出させてやる! 勝負だあっ!」
杉下に言われるがまま道場に入った刹那、竜之介の目の前に誰かと互いの槍を向け合い、対峙した残像が映った。
「う……!」
ふらつきながら頭を抱える。心配そうに寄り添う小梅に竜之介は「大丈夫だ」と言って壁に掛けてある槍を手に取った。槍を正面に構えた竜之介は、目にも止まらない速さで槍を自由自在に操り始めた。
「お、お前本当にあの時の竜之介か?」
武者震いをしながら杉下も槍を手にする。互いが中央で構えた時、村幸の声で試合が開始された。
「杉下誠だあっ! いくぜえっ! 竜之介ええっ!」
「……風間竜之介だ」
杉下は気合いを込めながら、竜之介に向かって連続的に打ち込むも、華麗な手捌きで簡単に受け流される。
「なっ!? そんな筈は!」
焦りの色を出しながら杉下が必死になって攻め込んで来る。竜之介は素早い足捌きで移動し、有効打を決して許さなかった。
「――そんなものか? 好敵手とやら」
態勢を低くした竜之介が槍を滑らせながら杉下に打ち込み始める。防戦一方となった杉下は竜之介の反撃にじわじわ後退するのを余儀なくされた。やがて槍を上に跳ね上げられ、隙を作らされると鳩尾に容赦ない竜之介の一撃が入った。
「ぐうっ!」
苦痛の声を漏らし、杉下は無様に後方へと吹っ飛ぶ。力の差を感じた竜之介は突き出した槍を静かに引き、そのまま踵を返した。その様子を見た杉下は打撃によって拘束された身体を奮い立たせながら立ち上がった。
「まだまだあっ! 勝負はこれからだぜえっ!」
息を荒げ、槍を構え直した杉下を竜之介は茫然と見つめていた。
――こいつ、何故こんなに必死になっているのだろう?。
その答えを得る為に竜之介は再度構え直す。意味の無い試合を止める様、小梅は杉下に言葉を掛けるが逆にそれが闘争本能に火をつけてしまった。
「お前なんかに小梅さんを取られる訳にはいかないっ!」
感情を剥き出しにしながら、力を振り絞って攻め込んで来る小杉に、竜之介は押され始める。
――好きな人の為にこいつは戦ってるのか? あの小梅さんを想うが為に!?。
視線を小梅に移した瞬間、今度は杉下が逆に竜之介の槍を上から押さえ、隙を作った。
「貰ったあ! 俺の勝ちだあっ!」
スローモーションとなって顔面に向かってくる槍先を竜之介は茫然と見つめている。刹那、ノイズが入り混じまりながら小梅の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、竜之介の内心から熱く滾る感情が一気に湧き上った。
「負けられない! 俺も小梅さんを見ていたら、何故だか急に勝ちたくなったあっ!」
紙一重で杉下の槍を交わす。杉下の想いのこもった鋭い一撃は、竜之介の頬をかすめ切れた皮から血が流れ始めた。そこで互いの動きが止まる。やがて杉下の握っていた槍が小刻みに震えると、力なく床下に転げ落ちた。
「く……そ、俺の……負けだ」
顔を歪めて笑った杉下がそのまま床へと崩れ落ちる。真っすぐに伸びた竜之介の槍先は、見事杉下の胸元を突いていたのであった。
試合終了の声と共に竜之介は小梅を見つめた。少し照れ隠しをしながら小梅も竜之介を見ている。先程、急に湧き上がった感情と小梅の顔を見て竜之介は小梅が自分にとって大事な存在であった事を感じ始めていた。
それから直ぐ後から来た門下生達の練習が始まり、竜之介は小梅の指導振りをぼんやりと眺めていた。
「竜之介殿、先程の試合、見事であった。特に最後の一撃は互いにわしの娘を想う良い一撃であった」
隣にどかっと座り込んだ村幸の言葉に竜之介が反応する。
「真田殿、俺は小梅さんとどんな仲だったのでしょうか?」
真剣な顔をした竜之介に村幸は眉を顰め、手を顎に当てて笑った。
「竜之介殿、わしはな、先程の試合を見て安心した。心配せずともその答えは小梅と接している内に直ぐに蘇る事だろう。いやあ、若さとは良い物だな! 竜之介殿、小梅は任せたぞ! わははははは!」
肩をばんばん叩き、豪快に笑いながら立ち上がった村幸はそのまま道場を出て行く。竜之介は少しでも何かを思い出そうとし、道場を見回しながら歩き回ったが、特に竜之介の記憶を回復させる物は見当たらなかった。
ただ、道場内に入り込む心地よい風を感じた時、竜之介は何故か甘く、懐かしい感じを覚えた。一度小梅専用の更衣室の前で足を止めた竜之介であったが、「うーん」と首を傾げながらそこを通り過ぎてしまっていたのだった。
道場で一日を過ごした夕暮れ、竜之介は小梅に風呂に入る様勧められ、言われる通りに湯船に浸かる事にした。
「おお、極楽極楽! しかも銭湯並みに大きいぞ」
癒しの湯を手で掬い、顔を思いっきり洗う。刹那、杉下との試合で付けられた頬の傷に激痛が走った。
「いってえええ!」
竜之介が慌てて頬を押さえた時、小梅が布で身体を隠し、恥ずかしそうにしながら入ってきた。それを見た竜之介は突然の出来事に先程の激痛も忘れてしまった。
「あ、あんまりじろじろ見ちゃ駄目さね……」
「わ、わわっ! こ、小梅さんどうして!?」
なんとか声が出た竜之介は水面から鼻から上だけを出して隠れた。
「それは……少しでも竜之介の近くにいれば何か思い出すかなと思ってさね、こうして背中を流しに来てあげたさね」
「い、いやいや! そこまでしなくていいですから、ほんと!」
必死になって遠慮する竜之介の言葉は水面から空しく泡が出るだけだった。その気持が伝わった小梅は悪戯っぽく笑い、竜之介にどんどん近づいて来る。
「ほら、遠慮しなくていいさね――」
平然を振る舞っていた小梅であったが、鼓動は高鳴り、頭の中は真っ白になっていた。その為、足元にあった石鹸にも気付かず、そのままその上に足を乗せてしまう。当然の様に足は空を掻き、全身は前のめりとなってしまった。
軽く巻いていた布は空しく宙を舞い、小梅は竜之介の頭上へと全身を預けてしまう。二人は大きな水飛沫上げながら、湯船の中で縺れてしまった。
「がばばばば……」
竜之介は顔面でとても柔らかな二つの弾力感を覚えた。
――大きな桃? あれ? 待て? 俺はこんな場面を以前何処かで――?。
「ぶはああっ!」
互いが抱き合ったまま、水面から顔を出した。背中を流そうとしていた小梅は予想外の展開に一気に血が上った。
「あ、あはは……竜之介。お風呂は静かに入らないとさね……」
「そ、そうですね……はは」
抱き合ったまま、二人は意味不明な会話を交わす。以前の小梅ならここで我に返り、慌てて立ち去ったであろう。だが、何人もの女が竜之介に群がり、嫌という程身の危険を感じさせられていた今の小梅は違っていた。
「りゅ、竜之介……」
そのまま両手で湯船の端を掴み、竜之介を挟んでゆっくりと迫る。
「こ、小梅さん、何を……」
「黙るさね。竜之介がもっとうちの事を良く知ってくれたら、何か思い出すかもしれないさね……」
「いっ、いや、俺は――」
小梅の顔がどんどん近くなってくる。
「まっ――」
「往生際が悪いさね……まな板の鯉、いや竜さね」
その柔らかそうな唇がゆっくりと開き始め、竜之介の唇と重なろうとしていた瞬間、大きく風呂場の扉が開け放たれた。
「真田小梅っ! そこまでですの!」
「そっ、その声は!?」
そこに身体を布で隠し、仁王立ちをしながら小梅を見据える村上京子の姿があった。京子はずかずかと入って来ると小梅を押しのけ竜之介に迫った。
「竜之介様! また会えましたですの! 貴方が此処に居ると聞いて、私急いで馳せ参じましたの!」
言い放ち、そのまま竜之介に擦り寄った。「え? 誰!?」という驚いた表情を見せる竜之介を見て京子は言葉を重ねた。
「ああ……竜之介様! 本当に記憶を無くされて、この許嫁の私の事さえも忘れてしまったですのね! な何とおいたわしい事ですの!」
「え!? 貴方が俺の許嫁――!?」
言いたい放題言い始めた京子に小梅が怒りを露わにしながら叫ぶ。
「何許嫁とか、大嘘言ってるさね! 竜之介、今の話は真っ赤かの大嘘の大火事さね。その女は竜之介にとっては敵なのさね! 村上京子、さっさと竜之介から離れるさねぇええ!」
「真田小梅、私にとっての『敵』は貴方だけであって竜之介様は別! 竜之介様の失われてしまった記憶はこの私の熱い抱擁で今直ぐに思い出せてあげますですの!」
二人が言い争っている様を見て、竜之介の目の前に道着を着た二人が槍を構え対峙している姿が脳裏に浮かび始める。その京子の髪を結んでいた鈴の音が軽やかに鳴った。
「……鈴」
竜之介の言葉に反応した京子が目を見開くと、急いで脱衣場へと戻り、直ぐ様竜之介の元へと戻って来る。京子の手には自身の鈴が握られていた。
「そうですの! 鈴は私のトレードマークですの!」
勝ち誇った様に鈴を鳴らし始めた。
「竜之介様! ほら、この音ですの! 私を思い出してくださいな!」
竜之介の目の前に鈴を差し出し、何度も鳴らし始める。
「こらあっ! 村上京子! 竜之介は猫じゃないさねっ!」
結局、二人はいがみ合ったまま、風呂場から出て行く。その背中を見送りつつ竜之介は安堵の溜息と共に全身を湯船の湯の中へと沈めるのであった。
やっと気持を整理し、湯船から出た竜之介は給仕に大きな広間へと案内された。そこには豪勢な料理が並べられ、そこに村幸と門下生達が座っていた。
「おお、やっと来たか竜之介殿。まぁ遠慮せずそこに座れ!」
豪快に笑いながら村幸が座る場所を指示した。竜之介は言われた場所へ座ると、直ぐ様その両隣を小梅と京子が陣取った。
「わははは! 竜之介殿、噂に違わぬ色男振りだのう? 全く羨ましい限り!」
その様を見ながら杉下が恨めしそうに箸を口に咥え、ギリギリと上下に揺らしている。
「ささ、竜之介様! 私が食べさせてあげますですの!」
京子がおかずを箸で掴んで竜之介の口元へと運んだ時、そのおかずは小梅の箸によって叩き落とされた。
「――これは一体何の真似ですの? 真田小梅?」
「ふん、その役目はうちがすると決まっているさね。部外者はさっさとその目障りな箸を引っ込めるさね!」
互いの箸の先が牽制し合う。やがておかずが間合いに入ると激しく打ち合いを始めた。
「だからそれはうちの役目さね!」
「そう簡単におかずは取らせませんですの!」
更にその光景を目のあたりにした杉下が涙目になりながら口に咥えていた箸をかみ砕く。こうして門下生の冷たい視線に見舞われ、二人に口の中へ嫌という程おかずを放られた竜之介は、村幸にせっかくだからと勧められ一晩だけ小梅の屋敷に泊まる事となった。
案内された部屋は既に布団が敷かれており、竜之介は今日の疲れを解放するかの様にどっとそこに倒れ込む。やがて静かに目を瞑った竜之介は自身の記憶の欠片をゆっくりと拾い始めた。
――小梅さんは、香組の隊長でここの真田道場の一人娘。
――そして俺はここを一度訪れた事がある気がする。
――杉下という男は良く分からないが、どうやら小梅さんに好意を抱いていて、試合を挑まれた中で俺も何故だか急に小梅さんへの想いが強くなって……。
――風呂場で小梅さんの胸の弾力を感じた時、俺はその同じ様な感触を何処かで感じた事があったような気がする。
――更に村上京子と名乗る女の娘が髪につけていた鈴だ。俺はその音を一度聞いた事がある様な気がする。
「うーん、もう少しなんだけどなぁ」
仰向けになり、両目を右腕で覆った竜之介が大きな溜息を付いた瞬間、交互の襖が勢い良く開け放たれた。
「竜之介様! 今夜は私を竜之介様のお傍に置いてくださいですの!」
「竜之介! 早く記憶を取り戻す為にも今夜は一緒に――!」
途端に互いの目がぶつかり合う。二人は枕を脇に抱えながら口元を歪めた。
「真田小梅、どこまでも私の邪魔をする気なのですね……!」
「村上京子、お前という女は何度うちの邪魔をしてくれれば気が済むさね……!」
遂に枕が武器と化した。枕を高々と掲げた京子が狙いを定めて小梅目掛けて投げ放った。狙い通りの軌道を描いた枕は見事小梅の顔面に当たり、そのままずるずると枕は畳に落ちた。
「こっ……この!」
今度は小梅が投げ放つ。これも見事に京子の顔を捉える事に成功した。
「やっ、やってくれるですの!」
これが戦いの火蓋となり、唖然とする竜之介の上空で枕が幾度も往復をする事となる。その速度が次第に低下した時、互いが疲れ果ててその場に座りこんでしまった。
「ふうっ、ふうっ、なっ、なかなかやりますわね、真田小梅」
「ぜいっ、ぜいっ、お前もな、村上京子」
「これでは拉致が明きませんから、ここは半分ずつで手を打ちますですの!」
「うむ、ここが手の打ちどころさね。その提案、応じるさね!」
「いや――俺の意見は?」
当人の許可も無く淡々と交渉が成立してしまう。竜之介は二人に挟まれながら布団に封じ込められてしまった。
「う、動けねえ……そっ、それに」
薄い布の上から嫌という程、柔らかい弾力の山が同時に押し寄せてくる。更に互いに「私を見て」と、首を何度も交互に向かされながら、竜之介はとても寝苦しい一夜を過ごさせられる羽目となってしまった。
暫くの沈黙が訪れる。竜之介が再び目を覚ました時、両隣に居た筈の二人が居なくなっていた。否、京子は寝相が悪く、部屋の隅で大の字になって寝ているだけであった。
「あれ――?」
竜之介は小梅だけが居なくなっている事に気付く。屋敷の廊下を通って道場に向かうと、何処かで感じた清々しい朝の風が吹き込んだ。その裏庭で心地よく風を切る音が聞こえてくる。竜之介はその音に導かれながら裏庭へと向かう。
竜之介の目に裏庭が映った時、朝の眩しい光に包まれ、静かに槍を構える小梅の姿があった。その様子を竜之介は黙って見つめていた。
握られた槍は静かに頭上へと掲げられ、槍先がゆっくりと旋回し始める。巧みに手首を返しながら槍は美しい円を描き、音を奏で始めた。
やがて槍は小梅の身体の一部となり、その動きに合わせ円は次々と描ががれてゆく。その姿に引き込まれながら竜之介は小梅を見続けていた。
最後に槍先が大きく旋回して静かに止まる。竜之介の気配に気付いた小梅がゆっくりと振り返った。
「ふふ、やはり竜之介だったさね。おはようさね」
眩しい日差しを背後に小梅は破顔した。その笑顔が竜之介の目に一層眩しく映った時、小梅だけに関する記憶の欠片が一直線上に繋がり始める。その都度、竜之介の脳裏には、今までの小梅との思い出が映し出されていた。
「て、十洞温泉……」
竜之介の漏らした言葉に小梅は目を見開いた。
「りゅ、竜之介! 今の言葉!」
「お、思い出したぞ! 確か俺は此処で――」
更に竜之介が蘇った記憶を口に出そうとした時、小梅が涙を浮かべながら真っすぐ竜之介の胸中へと飛び込んで来た。
「竜之介っ! ちゃんとうちの事を思い出してくれたのさねっ!?」
「はいっ! 小梅さん! 俺は小梅さんの事を全部思い出しましたよ!」
「ああっ! 竜之介! 良かったさね! 本当はうち、もう二度とうちの事を思い出してくれないかと心配していたさねっ!」
「小梅さん、心配掛けてすみませんでした! 俺――」
「もう、何も言わなくていいさね! だから、お願い! 心配させた分、うちをしっかり抱きしめて欲しいさねっ!」
「小梅さんっ!」
穏やかな日差しと心地よい風に祝福されながら、二人が強く抱き合い、互いの唇を重ねた時、その目前では京子が枕を引きずりながら眠気眼でぼうっと突っ立っていた。
「……むにゃ?」
それから京子が我に返り、二人を指差しながら、大きな叫び声を上げる迄、そう長い時間は必要としなかった。




