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■秀光の裏切り

 薄暗い竜之介の自室。その中で鈍く光を放つ「影」を掲げ、ぼうっと見つめながら竜之介は一人、物思いにふけっていた。


「長信さん……これを俺が身に付ける資格があるのか?」


 静かに瞼を閉じる。刹那、机の上に置いている通信機の呼び出し音が鳴った。


「誰だ? こんな夜更けに?」


 ゆっくりとした動作で起き上がり通信機を耳に当てた竜之介はその声の持ち主を聴いて一気に目が覚めた。


「――秀光!?」


 その耳元で蛇の様に不気味な低い声が話し始める。


「竜之介。昨日の試合、我の最高傑作を良くぞ倒したな、中々の見物であったぞ……ククク」


――最高傑作? 影虎さんの事を言っているのかっ!。


「ふざけるな! 人の心を玩具の様に弄ぶなんて! 俺は影虎さんを死に追いやったお前を絶対に許さない!」


「クク、竜之介、お前は勘違いしている。あの力は影虎自ら我に求めたものだ。故に我はその力を与えてやっただけなのだ。だが、それでもお前に勝つ事は叶わなかった。それはただ単に影虎が弱者だっただけの事」  


「影虎さんを騙し、偽の獄龍を渡すなんて、やり方が汚な過ぎるんだよ!」


「そうか? あいつは我が模倣した偽の獄龍を渡し、長信の話をしてやったら子供の様に目を輝かせて喜んでいたぞ? 奴にとっては本望だったと思うのだがな? クククク」


「許さない! 俺には王将の座なんて関係ない、後は竜王と竜馬を倒してお前をぶちのめすまでだ! それまでその首を洗ってまっていろ!」


 竜之介の憤りに満ちた声の後、暫くの間不気味な沈黙が訪れる。やがて通信機から怪訝そうな声が漏れ始めた。


「……ほう、貴様その様子だと竜王、竜馬共にお前との試合を辞退したという事を知らぬ様だな?」


「な、何だって!?」


「竜王――玄真は、我に『竜之介は俺より強い剣士だ』とだけ告げ、試合を辞退し――」


「竜馬――桜子は、我に『竜之介に全てを託す』とだけ告げ、試合を辞退したのだ」


「ク……竜之介よ、貴様は如何ほどの妖術を使ったのか? 流石の我も驚いたぞ」


「竜王と竜馬が試合を辞退? って、ちょっと待てよ!? 今、桜子さんが『竜馬』っていわなかったか?」


「そうだ。桜子の真の姿は特殊武駒、竜馬。あの女は昔から気が強くてな……ククク」


――桜子さんが特殊武駒クラス!?。


「その桜子が角組の隊長でもあった時、我は尽力を尽くし、貢献したというのに……それなのに、長信なぞを選びおって――」


 次第に秀光の声が低く恨めしそうに変化していく。


「邪魔者が消えたと思い安堵していたら、次は竜之介、貴様が現れ、この棋将武隊、否、桜子の心を掻き乱し――」


「更に影でこそこそ嗅ぎまわる奴に燻り出され、我はこうやってお前と話をする羽目になったのだ……クク」


「ま、待て! な、何の事を言っているんだ? 秀光?」


「ククク……予定より早くなってしまったが、まぁ、良い。ところで……竜之介、貴様桜子から『影』を受け取ったそうだな?」


――う!。


「だっ、だからどうした?」


「なぁに、手渡す相手の選択を二度も誤った桜子を、我の晴れの門出を祝し、今から長信の元に送ってやろうと思ってな……ククク」


「なっ、何だと!?」


「亡き長信を想い、自身の命を絶ち愛する男の元へと旅立つ。墓のたもとには亡骸。美談だとは思わんか?なぁ……竜之介よ?」


「ふ、ふざけるな! 貴様、今何処にいる!?」


 必死で通信機に叫ぶ竜之介の耳に冷ややかな声が突き刺さる。


「竜之介――桜子を助けたければ『影』を持って今直ぐ剣士の丘まで来い……」


 そこで秀光の声は途切れた。竜之介は早々と準備を済ませ、天竜宛てにメモを残すと「影」握り締め、月明かりの元、外に飛び出して行った。


 それから少し時間を置いて、天竜が竜之介の部屋に戻って来た。天竜は机の上に置いてある走り書きのメモに目を通した。


「師匠! 桜子さんが危ない! 秀光と戦いに剣士の丘へ!――竜之介」


「何だと? 奴め! 竜之介の性格を知ってこの様な企てを!」


「馬鹿者が! 竜之介! それは秀光の罠だっ!」


 天竜は机の横へ置き忘れられた通信機を巧みに操作すると元治を呼び出した。


「元治か! 竜之介が危ない! 秀光が遂に本性を表しおった! 今すぐ剣士の丘へ向かってくれ!」


「竜やんが!? くっそう大狐! 尻尾を掴んだこのタイミングであの計画を実行する気か! よっしゃ、今からすぐ出るわ!」


「頼む! わしは他の隊長に声を掛けてくる、奴を今取りがしたら危険だ!」


「分かった!」


 天竜が慌てて部屋を飛び出したその頃、剣士の丘では竜之介が息を荒げながら剣士の丘に到着していた。


「秀光! 約束通り来たぞ! 桜子さんは何処だ!? さっさと彼女を解放しろ!」


 静寂に包まれた剣士の丘で竜之介の声が響き渡る。必死で周辺を見渡した時、崖の手前の柵に見覚えのある桜子のリボンが巻かれ、吹き付ける強風に靡いていた。


「さ、桜子さんっ!」


 慌てて柵から崖下を覗き込む。その背後で悍ましい殺気を感じ、身構えながら踵を返すと、そこに秀光が口元を歪め、ほくそ笑みながら立っていた。


「クク、必死だな、竜之介。安心せい、桜子はまだ生きておるわ」


「ふっ、ふざけた事をするな! 桜子さんは何処だ!?」


「ククク……竜之介。そう急くな、ここでひとつ我が、面白い昔話でも聞かせてやろう……」


「――昔話?」


「そうだ。お前の小賢しい仲間共が我の周りを嗅ぎまわり、辿り着いた真実の話をな――」


――真実の話? もしかして師匠が調べていた事に関係しているのか?。


 秀光は静かに口を開き始める。


「我は嘗て長信と共に竜王との試合を臨む処まで上り詰めていた。その矢先、その時の王将康家が病に伏せている事を知り、また、その地位を放棄し我らの内の誰かを王将として選択している事も知ったのだ」


「――だが、康家は我だけは候補から外していた。何故だか分かるか? 竜之介」


 竜之介が混乱している表情をしているの様を見た秀光は苦笑した後、言葉を重ねた。


「奴は――我の謀に気付いていたのだ。そればかりかそれを暴露し、此処から我を追放しようとした」


「我は困った。何故なら此処には最新の研究施設がある。其れが無いと、我が実現しようとしていた研究に支障を来すからだ」


「――だから我が殺した」


――なっ!。


「奴め、病に伏せりながらも腐っても王将、自由の利かない身体を押し、必死で剣を抜刀しようとしていたぞ……なんとも滑稽な光景であった。ククク」


「し、師匠が言っていた! 康家の死には不明な点があると! だっ、だけど今それを何故俺に話す!?」


 竜之介の台詞の後、秀光の顔が狂喜に歪んだ。


「……まだ分からないのか? 我が全てを話す理由はただ一つ、我の新たなる旅立ちにキングの血を持つお前は脅威! 故に貴様は長信と同じ道を辿るが良いいいっ!」

 

 その台詞と同時に竜之介は背後から秀光の精霊、七照羅なてらに身動きを封じられる。悍ましい笑みを浮かべながら秀光はケースをゆっくりと開けると、注射器を取り出した。


「ククク……これで康家も、お前が尊敬していた長信も全て殺してやったのだ! こんなに簡単に死んでいく人間が如何に無力で隙だらけのな生き物なのか、その身を持って知るが良いっ!」


「く、くっそおおおお!」


 竜之介は必至で鍔を取ろうとし、手を伸ばした。だがそれは叶わず、無常にも注射器の針が竜之介の腕に突き刺さり、毒が体内へ一気に注入される。刹那、竜之介は口から大量の血を吐いた。


「かふっ!」


そのまま秀光に胸倉を掴まれ崖へと引きずられて行く。朦朧とする竜之介の手から七照羅が「影」を奪い取る。


「ひ、秀光う! きっ、貴様ああああっ!」」


 最後の力を振り絞り、抵抗する竜之介に「影」を自身の首に取り付けた秀光は冷ややかな目をして竜之介に言い放つ。


「さらばだ竜之介。あの世で長信と共に己の浅はかさを悔やむがいい。なぁに、案ずるな。我が花嫁は新たな『軍』を率いて後でゆっくりと迎えに来よう……ククク」


 その台詞を聞かされた時、竜之介の足元には既に地面は無かった。崖下から吹き荒れる強風が竜之介を飲み込もうと言わんばかりに唸り声を上げている。


「――貴様が味方にしていた風にも最後には見放されたな……なんと滑稽で哀れな」


「ひ……で……み…………つ」


 最後の力で秀光を握っていた手を離され、竜之介は暗闇へ放たれる。そのまま暗く深い谷底へと落下し、暫くの沈黙の後、身が無残にも砕ける音が木霊した。


 「クククク……クカカカカあっ! 死んだ! 簡単に殺してやったぞ! 長信の亡霊、竜之介を! カカカカカあっ!」


 腹を抱えながら崖下を指さし、愉快そうに笑った秀光は、表情を一変し、つまらなそうに崖下を見下すと踵を返す。その秀光が立ち去った後、暫くして元治が滑り込むように剣士の丘に到着した。


「竜やん! どこじゃあ! 返事せんかいいいっ!」


 元治は必至に竜之介の姿を探す。自身の精霊、薄羽にも捜索を協力させ、念の為にと、崖下に行くよう命令する。元治が崖に埋め込まれた柵を見回していた時、一本だけ不自然に外側へ傾いている柵に気付いた。


「ま、まさか!」


 元治が駆け寄った時だった。崖下から薄羽の悲鳴が木霊した。


「う、嘘じゃ! 竜やんっ!」


 這う様に崖下に駆け下りて行った元治の目に飛び込んで来た物――腕や足が不自然な方向に折れ曲がり、岩の上で血まみれとなって俯せで倒れている竜之介の無残な姿であった。


「うおおおおおおっ! 竜やんっ!」


 元治が嘆きの咆哮の声を上げていた頃、秀光は自身の研究室の地下に戻っていた。通信機を取り出して誰かと連絡を取っている。


「今から我の計画を始動する。お前は予定通り我を迎える準備を致せ!」


「――仰せのままに。我が主」


 その声の持ち主の白衣の胸元にルークの階級章が光った。忠誠を尽くし片膝をついた男がゆっくりと顔を上げる。その腕に楽しそうな表情を浮かべ、青い髪の女がしがみつく。


「べトルク、いよいよ最強チェス軍が誕生するのね」


「――デュルガーこれは遊びではありません。今から我がチェス界に最強のキングを迎え入れるのですよ?」


「そんな真剣な顔をしないで、もっと楽しそうに笑って? ね?」


 緊迫感の無いデュルガーを見ながら、べトルクが呆れた表情をしていた頃、秀光は目の前で水槽に浸かる四体のチェスを満足そうに眺めていた。

 

「さぁ、我の研究の結集、我の芸術! 目覚めの時が来たのだああっ!」


 バーチャルボードを叩き、最後のキーを叩いた瞬間、水槽の中の液が次第に排出され、それぞれのチェスの髪から液が滴り落ちていく。全ての液が排出されると、水槽の扉が開き始めた。秀光は高々と声を上げて叫ぶ。


「目覚めるが良いっ! 過去最強の兵にして、我の忠実なる四天王達よ!」


 秀光の声に呼応するかの様に、それぞれのチェスがゆっくりと瞼を開け、埋め込まれている魔石が怪しい光を放ちだす。


「まず……ビショップ、兄のルクサー」


 鮮やかな赤い髪をした男の名を呼ぶ。優しそうな顔立ちをしたルクサは静かに頭を下げた。


「次に……ナイト、弟のタデル。これで伝説の兄弟兵復活だ」


 顔立ちはルクサと全く同じであるが、その見分けはそれぞれの片目だけが対象に緑色になっている事だった。兄とは対照的なタデルは鋭く引きしまった顔で、自身の性格を表すかの様に首を傾け、首の骨の音を鳴らし始めた。


「そして……ルーク、ロスク。再び我の元でその力を示すが良い!」


 チェスのルーククラスと言えば大概は大男だが、ロスクは体系はスマートで小顔であった。個性的なオレンジ色の髪をかきあげながら、切れのある目筋を静かに下げ、秀光に一礼する。


「最後に……クイーン、アクエス。古から目覚めた其方はなんと美しい事か」


 真っ白な髪を持つアクエスは秀光の褒め言葉に目を細め、天使の様に微笑んだ。


「いざ! 今こそが新たなる旗揚げの時! お前達の主となる我の力をここに示さんっ!」


 秀光が衣服を剥ぎ取り、闇を放出すると徐々に額から魔石が現れ始める。更に両肩、最後に両腕にも禍々しい魔石が姿を現し、秀光の両目が赤黒く変化した。 


「クカ、クカカカカカカ! 行くぞお前達! その手にそれぞれの鍔を持ち、武装せよ! 我の野望の為に! 全てを手に入れる為になああっ!」


 四体を見据えながら叫び声を上げた秀光は四天王と何百体のポーンを率いて、専用の転送ゲートを稼働し始めた。


「我が軍こそ最強なり! 全ての者にそれを知ら示すのだああああっ!」


 秀光が歓喜の声を上げながら転送ゲートの彼方へと消えた頃、瀕死状態の竜之介を薄羽と共に抱え運んで来た元治は、集中治療室で美柑と自身の姉、唯に向かって懇願していた。その周りでは、この知らせを聞いた各隊長、葉月、桜子が絶望的な表情をしてその場に泣き崩れ落ちていた。


「た、頼む! 美柑さん! 姉貴っ! 竜やんを、竜やんを助けてやってくれ!」


 唯は殆ど反応しないバイタルモニターを見ながら溜息を吐く。


「弟よ……私もなんとかしてやりたいが、もはや手遅れなのだ。竜之介のチェスの回復力を以てしても、もはや息を吹き返す事は叶うまい」


「そっ、そんな! 姉貴っ!」


「くっそう、外傷も中も酷過ぎるんだよ! 血の他、漏れまくった風の属性が足りねえんだよ! 属性が!」


「駄目だ美柑! 心拍数が下がる一方なのだよ!」


「ちいっ!」


 煙草を悔しそうに揺らしながら、美柑は拳を机に向かって力一杯叩きつけた。


 その光景を静かに見ていた天竜が静かに口を開く。


「女、風ならあるぞ? ここにな……」


 天竜が自分を指す。頭を抱えて塞ぎ込んでいた美柑が目を見開いた。


「あるって――天竜様、まさか!?」


「ふん――わしもこんな事で可愛い弟子を失いたくはないからな。わしの属性で竜之介が蘇るのなら喜んで差し出すわい」


 天竜の覚悟に眉を顰めながら、唯が手術に関する内容を話始める。


「天竜様、私達が全能力を以て手術をしたとしても、竜之介が蘇る可能性は……五分五分なのだよ?」


「――それに、元の人格を保障する事も出来ない。下手すればチェスとして……」


「御託はいい。こうしている間にも竜之介の命は今も削られている。さっさと手術を始めんか」


 唯の不安要素を打ち消すかの様に言葉を遮った天竜は、小柄な体で軽快に手術台へと乗った。覚悟を決めた美柑と唯は顔を見合わせ、互いに頷いた。


「やるしかないようだな……!」


 美柑は煙草を灰皿に押し付け、殺菌した後にマスクを装着する。台に乗った天竜の頭上に透明なガラスの蓋が閉まり始めた時、それを黙ったまま天竜は見つめていた。


 二人は可能な限りの手を尽くすと、属性の注入に取り掛かり始める。稼働レバーを手にして唯は最後に天竜へ向けて言葉を掛ける。


「天竜様……本当に良いのですね?」


 黙って天竜は頷いた。切ない表情を浮かべながらも唯はレバーを徐々に下げ始める。同時に装置が稼働し始め、蘇生への可能性を賭け、音を鳴らし始めた。


「――竜之介。わしはお前に一度は潰えた風間の風をもう一度託す」


「再び蘇り、この地に青き風を吹かせるのだ」


「――生きろ。竜之介、さらば」


 その言葉を最後に、生気が宿っていた針鼠はただの縫いぐるみとなり、力なくバランスを崩し横に倒れた。


「動かぬか! 数値! 天竜様が犠牲を払って竜之介に力を与えたのだぞ! ここで動かないでどうする!」


 食い入る様にバイタルモニターを唯と美柑は見つめる。


「だらああっ! 動けと言ってるじゃねえかっ!」


 美柑がバイタルモニターに平手打ちを入れた時、飛び起きるように数値が上昇し始めた。


「う、動きやがった!」


「美柑! 無茶苦茶に引っぱたいたから、壊れて反応したとかいうのは無しだぞ!」


 唯が表情を崩しながら念を押す。


「馬鹿野郎! しっかり心臓が動き出してるぜ! 竜之介は助かるんだよ!」


 美柑の声と同時に部屋の中に一斉に歓喜の声で包まれる。その後全員が一気に緊張が解けた反動で竜之介のベッドを取り囲む様にして眠り続けた。


「う……」


 長い眠りから竜之介が目覚める。力を取り戻した竜之介の折れた手足は二人の手術のレベルの高さと、チェスの治癒力によってほぼ回復していた。身体を起こした竜之介は自分の周りに沢山の人が取り囲むのを見て驚きの声を上げた。


 その声に気付いた元治が、顔を上げるや否や竜之介に抱き付いた。


「竜やん! 馬鹿野郎! 心配させやがってええ!」


「あだだあっ! 元治、痛いってば!」


 元治の大きな声に連動して周りの者達も目覚め始める。


「竜之介! 帰ってきたか! この悪運の強い奴め!」


 美柑が直ぐ様、背後から首を絞める。


「ぐええええっ! 美柑さん! ぐるしい!」


 そして、各隊長達も涙ながらに竜之介に声を掛けた。


「竜之介君。絶望的だった君を天竜様が救ってくれたのだよ?」


 抜け殻となった針鼠を寂しそうに抱きながら、唯が天竜の名を言った時、竜之介は表情を変えずに信じられない事を口に出した。


「――天竜様? それって誰の事なのですか?」


「なっ! 竜之介お前! 自分の師匠の事を忘れやがったのか!」


「待て! 美柑! 竜之介君。私が誰か分かるかい?」


「……ええと、元治の姉で唯さんですよね?」


 唯は確かめる様に言葉を重ねる。


「それで……君は誰かから何かを頼まれなかったかい?」


「頼み……ああ! そうだ! 俺は宗政さんと長信さんの約束を果たさなきゃいけなかったんだ! あれ? 宗政さんと長信さんという人は、一体誰の事なのだろうか?」


 竜之介の言葉に不安を感じた姫野は竜之介に問い掛けた。


「……竜之介。お前私と一緒にシヴァを倒した事を忘れてしまったのか?」


「え……? シヴァって一体何の事です?」


「……竜之介……お前!」


 噛み合わない歯車の様に竜之介の口から更に信じられない言葉が漏れ始める。


「ところで、いきなりで失礼なんですけど――貴方は一体何方なんですか?」


「……な、何!?」


「姫野、ちょっとそこを退けろ!」


 姫野が茫然とした後に美柑が慌てて確認をし始める。その結果、竜之介は各隊長、葉月、桜子、今まで親密となった女に関し、全ての記憶を失っていたのであった。


「くそ……大手術の代償かよ! それにしてもあんまりじゃねえか! 今までの思い出が全部真っ白になっちまうなんてよ! 少しは竜之介が気になった奴もこの中に居たかもしれねえのに!」


 美柑の言葉に周りの女達の肩がびくっと揺れた。


「――思い出……俺が気になった人……そういえば、確か俺は何か大事な事を――失っている気が……」


「もう少しで何かを思い出させそうな気がする……」


 自分の目の前で心配そうに見つめる女達を交互に見回しながら、竜之介は困惑する表情を浮かべるのであった。

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