■消えない笑顔
「桜子隊長! 何故なのです!? 我は納得がいきませんっ!」
角組の控え室、桜子を上座に秀光と長信は向かい合う様に席に座っている。秀光は桜子が長信を「もう一人のと成」として使命した事が大層気にいらない様子で、猛烈に桜子に向かって反論していた。それを横目に長信は耳をほじりながら、興味が無さそうに口を開いた。
「ひでえ蜜とか言う奴、そう吠えるなよ、てめぇの底が知れてるぜ?」
「きっ、貴様! 誰が『ひでえ蜜』だっ! 我は明智秀光、将来王将になる男だ! よく覚えとくがいいっ!」
秀光が口にした「王将」の言葉に長信の耳が反応する。
「ほぅ……奇遇だな? 俺様も近々王将になる予定でねぇ」
長信の言葉に今度は秀光が怪訝そうに言い放った。
「面白い……ならば、貴様と我、どちらが優れているか、今すぐここで白黒つけようではないか」
「ほぅ……奇遇だな? 表に出ようぜ? 今、俺様も同じ事を考えていたところでよぉ」
お互い、懐に手をやり、鍔を握る。
「おやめさい、二人共!」
桜子が一喝しながら、鋭い目で二人を睨みつけた。
「貴方方が王将の器に相応しいかは、これから私がじっくり見て判断させて貰います」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、あんた! 大体、この時点で俺様かこいつのどちらが強いかで王将に挑めるんだろ?」
「貴様! 誰に向かって物を言っている!? 桜子隊長と呼べ! 桜子隊長と! それと我に向けて指を指すな! これ以上我を愚弄するなら、即刻此処で貴様の首を刎ねてやるぞ?」
「ほぅ、やれるもんなら――やってみるか?」
お互いが椅子から立ち上がり睨み合った。
「いい加減にしなさい! どうも貴方二人は気が短かすぎです!」
桜子の言葉に二人は一瞬目を合わせ、眉を顰めながら逸らした。どうやらお互い「それは桜子隊長だろ……」とでも言いたそうだった。
「何です? 何か私に言いたい事でも?」
桜子が苛立ちながら問い詰めたが、二人は呼吸を合わせるかの様に「別に……」と、呟いた。桜子は呆れながら溜息を付いた後、言葉を重ねた。
「そもそも、貴方方はまだ『竜馬』、『竜王』と戦っていないではないですか、王将の道を軽んじてはいけません。まだまだ上はいるのですよ?」
――とは、言ったものの、二人の実力なら本当にやりかねないかもしれませんね……。
二人を交互に見つめながら、桜子は、その将来性に心を躍らしていた。
「ところでよ、王将ってのはその竜馬、竜王って言うのと、どっちか毎回試合をしているのか?」
突然、長信が身を乗り出しながら、興味ありそうに訊ねる。立ち上がった桜子は机に左手を添え、長信を覗き込みながら返事をした。
「無論です! 下の者が望めば王将はその強さを示さねばなりません。そもそも弱い者が上に立つ事など、あり得ないのです!」
「うおっ! 隊長、ちっ、近けえよ! でもよ、それならここは毎回頭が入れ替わって大変になっちまうだろ?」
「そうとも言えません。何故なら力あるものは敗北しませんから。次第にその力を認められ、均衡も自然に決まっていくのです。ですからここ数年はこの編制が保たれていたのですが――」
「いきなりその均衡を破った無作法者の風雲児が現れましたけど……」
「うっ!」
長信は桜子の目線でそれが自分の事なのだという事が分った様で、慌てて視線を逸らした。その様子をつまならさそうに見ていた秀光が聞こえる様に舌打ちをした。
「……では、その王将戦、次はいつ執り行なわれるのですか?」
間を割って秀光が口を挟む。その質問に長信も「そう、それそれ!」という表情をしながら桜子の返事を待っていた。
「そうですね、次は……」
「うん、うん、次は?」
「……今の王将と戦う事は叶わないでしょうね」
「なぁっ!?」
桜子の予想もしなかった返事を聞いた瞬間、秀光は驚きの表情を見せ、長信は椅子からずり落ちた。
「いだだだっ、隊長よ! そりゃあ一体どういう事なんだよ?」
机を両手で掴み、顔を半分出しながら長信が眉を吊り上げた。
「我も同じ、是非詳しく説明して頂きたい!」
暫く黙ったまま二人を見ていた桜子であったが、意を決して重い口を開いた。
「……現王将康家様は元々不治の病に掛かっていらして、それを隠しながらも今日まで戦い続け、遂に倒れられてしまい、今は床に伏せておられるのです」
「おっ、おいおい! んじゃ、それってどーなるんだよ!」
「特例として王将が死を覚悟した場合、竜馬、竜王の何れかに自身の権限を託す事が出来ます」
「また、そのまま康家様が死去した時は、貴方方と竜馬、竜王戦で勝利したものが、次の王将となるでしょう」
「あれ、ちょっと待てよ? それじゃあ」
「ぬぅ!」
長信と秀光はその言葉でひとつの結論に至り途端に険しい表情を見せる。それを察した桜子は悪戯っぽく微笑んだ。
「どうやら、気付いたようですね。そう、貴方方は今、私の角組のと成、つまり同胞となる訳です。二人が王将を賭けて戦うまでは、剣を交える事はありません」
――そう、私はこの二人の実力の底を知りたい。頭脳はどの者をおいても群を抜き、剣士の他、チェスの研究者としても一目を置かれている明智秀光、突如此処に現れ、本当に滅茶苦茶だけど、何処か皆をぐいぐい引っ張っていく男、織田長信。恐らくこの両名は直ぐに頭角を現す者となるでしょう。そして、私は特に……。
視線をまた長信に送る。秀光はそれを目にして、不快そうに長信を睨みつけた。
「成る程な。俺様がこいつと剣を交える時は、最終決戦の時という訳かよ」
「はん、何を言う、我とやる前にお前が敗北する確立の方が高いのではないのかぁ? クククク」
「ほぉ……面白い冗談だな」
再度お互い立ち上がり、睨み合った。
「二人共、今はいがみあっている時ではない筈ですよ?」
「……ふん!」
「……ちっ!」
「王将戦の日取りは追って連絡があるでしょう、それまで二人共、更に腕を磨き精進するように!」
それから角組は次から次へと成果を上げ、秀光、長信の両名の名は棋将武隊の中で知らない者は居なくなる程、知れ渡る事になる。桜子は長信の個性の象徴でもある白い鉢巻が、戦の中を疾風の如く駆け抜ける様を背中越しに見せられ、次第に興味とは別の何らかの感情が湧き始めた事に違和感を持ち始めていた。
「あ、桜子隊長率いる角組が来たわっ!」
「見て! 長信様と秀光様よ!」
「クールな秀光様も良いけど、だらしな強い長信様も素敵!」
「長信様あっ! こっち向いて!」
隊の女性陣の黄色い声援を浴びながら、長信は機嫌良さそうにして、にかっと笑った。
「はいよおっ!」
――長信め、だらしない顔して情けない。
桜子は怪訝そうな顔をして、長信を鋭い目で睨んだ。
「長信様! お願い、握手してぇえ!」
「はいよおおっ!」
――本当に情けない。
「長信様ーっ! どうか、私を強く抱きしめてぇええ!」
「お安い御用うううっ!」
――情け……。
「長信さまっ、長信さまっ! どうか、どうか私に熱い口付けおっ!」
「よっしゃあああああ!」
――ぴきっ!。
調子に乗った長信が隊の女に近付こうとした刹那、進行方向とは逆に引き寄せられる。桜子が長信の耳を思いっきり掴んで引っ張ったのだ。
「いっ、いでででででえええええ!」
「長信っ! この、浮き――うう! この、恥知らずがあっ!」
――まっ、待て! いっ、今私は長信に何を言おうとした?。
桜子は、長信が他の女に向けて微笑むのを見ると、胸の奥がちくちくするのを感じ始めていた。
――はっ!? 何、この感情は? あっ、あり得ない、あり得ない、それは無い! うん。
「長信…………っ!」
頬を赤く染め、狼狽えている桜子を見て、肩を震わせながら秀光は長信への嫉妬心を露にした。桜子が初めて抱いた感情はそれから直ぐに確かな物へと変わっていく。それはある寒い次期、角組のチェス討伐が終わり、馬で帰還している途中の出来事だった。
「にゃあ~! にゃあ~!」
何処かで子猫がしきりに鳴いている。「何?」桜子は馬を止め、子猫の泣き声に耳を集中させる。子猫の姿を視界に捉えた時、桜子は息を呑んだ。流れが速い深い川で、かろうじて橋の欄干の袂に引っ掛かっている木箱の中で子猫が半分頭を覗かせている。
更に木箱は半分沈みかけ、子猫は今にも溺れ死にそうだった。その岸で親猫だろうか、心配そうに必死に子猫の方を向いて鳴いていた。
「たっ、大変! 直ぐに助けないとっ!」
急いで馬から降りようとした時、秀光がそれを制止した。
「桜子隊長、畜生の安い命など助ける必要などありません。逆に風邪でも召されたらどうするのです?」
命の重さを軽んじる冷酷な言葉に桜子は怒りを露にして、秀光を睨んだ。
「秀光……お前は、なんという事を!」
一瞥をくれ、桜子が川へ向かおうとした瞬間、目の前に大きなマントが宙を舞った。川へ飛び込む大きな音と共に、長信が水飛沫を上げながら、子猫の元へと泳いでいく。
――長信!。
「おら! じっとしてろ! 俺様が今、助けてやるからな!」
「みゃあああ……」
長信は全身ずぶ濡れのまま川から這い上がり、投げ捨てた自分のマントを指差して叫んだ。
「桜子隊長、そのマントをこっちに貸してくれ!」
「わ、分かりました!」
桜子がマントを手渡すと、長信は自身の震える体を物ともせず、くるくると子猫を包むとせっせと拭きだす。
「きっ、貴様ぁあ! 何をしている!? 神聖なと成のマントをなんと心得ているのだあっ!」
その様を見た秀光が逆上し、怒りの言葉を叫んだが、桜子の一喝によって掻き消された。
「黙りなさい秀光! 良いのですっ!」
「……くっ!」
必死で子猫を拭く姿を桜子は静かに見守っていた。
「ほうら! 良く温まっただろ?」
「にゃっ!」
「お前、今度はヘマすんじゃねえぞ!」
優しい言葉を長信が掛けると、二匹の親子は何度も何度も長信の方を振り返りながら、草むらへと姿を消した。刹那、普段見せた事のない笑顔を長信が見せた瞬間、桜子の鼓動が激しく高鳴った。
――ああ……駄目だ。私は、何時もいい加減で、のらりくらりとしている長信が……。
――その中でとても抱え切れない程の大きな優しさを持つお前が……。
桜子が自分の気持ちに気付き、目を細めて微笑んだ。
「へっ、へえくしょいいいっ!」
極寒の中で子猫を助けた長信が風邪をこじらせ、医務室のベットで眠っている最中、桜子は自身の父、道山と会っていた。
「父様……康家様の御容態は?」
その返事を道山の表情を見て桜子は直ぐに理解出来た。
「そうですか、やはりよろしくは無いのですね?」
「うむ……康家殿の命はもう長くはないじゃろうて。先程会いに行き、話を伺ったが、死を覚悟しているものの、時期王将の権利を現竜王と、お前の部下の秀光と長信の活躍を見て、決め兼ねているみたいじゃぞ」
――やはり、二人が康家様の目に留まっていましたか……。
「そうですか……」
「うむ。このままだと、上位三名の戦いに――んん?」
道山は話の途中で桜子の異変に気付き、思わずあっと声を上げた。
「さっ、桜子! お前その首飾りは!?」
道山が見た物、光と影の首飾りの「影」の方が消えていた事だった。
「――父様、私は決めました」
「お? おおお!? 桜子、そうかっそうかっ! 遂に決めたのだなっ!?」
「はい……」
桜子が決意したその翌日、医務室のベットからようやく長信が目を覚ます。
「うう……まだ頭がくらくらすんぜ」
「ん? 何だこりゃあ?」
長信は首元に異変を感じ、手で触ってみる。そこには何か鎖のような感触があった。更に視線を下に落とす。
「何いっ!? こっ、これって!」
長信の胸の辺りにもう片方の「影」が力強く黒い光を放っていた。
「え? えええ!?」
長信が驚いて飛び起きた時、直ぐ傍らには桜子の姿があった。
「……気が付きましたか? 長信」
桜子が恥ずかしそうにしながら近付いて来る。
「さっ、桜子隊長、こっ、これは一体どういう冗談でええええっ!?」
「長信……それは冗談ではありません。私は――本気ですよ?」
「い、いやっいやいやいやっ! 俺様には相応しくないって! 俺様はその、いい加減だし、口はわりぃし……」
「それでもいいのです……」
「う、ううっ! あ! そうだっ! それに俺様は凄く匂うし! うん! 足とかめちゃくちゃ臭いぜ?」
「それでも……構いません」
更に桜子が切ない表情を長信に見せながら近付いてくる。
「お? おおおっ?」
「長信……お願いです、どうか私を抱きしめてくれませんか?」
「お安い……くねえ! 駄目だ駄目だっ駄目だっ! 俺様には出来ねえよっ!」
「ふうん、長信……他の女には出来て、私には出来ないというのですか?」
「ううっ!」
「長信……隊長命令です。今すぐ目を閉じなさい」
「え? おっ、おう! そんくらいなら!」
長信が懸命に目を閉じた瞬間、桜子は静かに目を閉じて、長信の口を塞いだ。暫く時が止まり、ゆっくりと、唇を離した桜子は優しい目をしながら耳元で囁いた。
「これからは……浮気は許しません。もし他の女に触れた時は――」
「ひいいっ!」
悍ましい笑みを見せ、口元を歪めた桜子が懐から自身の鍔をちらりと覗かせると、長信の顔は恐怖で思いっきり引き攣ったのであった。
――その日から私は何かと長信に付き纏い、困らせたっけ。色んな無茶も言ったかな……その度に長信は面白いほどに顔を困惑させて……。
――そんな穏やかな日がずっと続くと思っていたのに……。それなのに、あの日を迎える事になるなんて。
我に返った桜子の耳に突如川の流れる音が聞こえる。桜子の足は自然と長信が子猫を助けた場所へと向いていたのだ。
「……長信」
川でずぶ濡れになりながら、子猫を助けて笑った長信の笑顔をもう一度脳裏に浮かべ、桜子は一人静かに川の流れ行く様を見つめるのであった。




