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■ニ人のいちの

 葉月が棋将武隊に押しかけて数日が過ぎた頃、棋将武隊ではある事件が発生していた。それは、次々と秀光の側近が何者かに襲撃され、大怪我を負わされていたのであった。


 襲われた者の話から相手の武器は「薙刀」で、「稀に見ない腕の持ち主」と言わせる位の強者である事を耳にした竜之介は以前起こった事件――「動物惨殺事件」との関連性を頭の中で結び付け顔を曇らせていた。


 武隊の者がその話で盛り上がっている最中、竜之介はぼんやりと薙刀武隊の練習に目を向ける。その中でも一際大きなリボンを揺らしながら一生懸命に声を出し、ぎこちない手つきで薙刀を振り回しているいちのに竜之介は視点を合わせていた。


――いちのちゃん……まさか、襲撃事件も君がした事なのか?。


 言葉に出せない疑念を固く口を閉じて遮断した時、竜之介の耳にいちのを叱咤する美柑の大きな声が飛び込んできた。


「おらっ! いちの! 皆より振り遅れてるぞ! しっかりやらんかい!」


「はっ、はいっ! 黒田隊長、すっ、すいませんっ!」


 以前裏山で見たいちのと余りにもかけ離れているいちのを目にして、竜之介は首を横に振りながら自身の考えを否定した。更に美柑の声は大きくなっていく。


「いちの! 今度は力が入り過ぎだ!」


「はっ、 はいっ!」


――へえ、美柑さん、普段とは違って武隊長の時はしっかりしてるな。


 竜之介が感心し、胸中で美柑を褒めた途端、「へーっくしょい!」と美柑が大きなくしゃみをする。その勢いで口に咥えていた煙草が宙に投げ出されてしまった。


「くそー! 誰か私の悪口を言っている奴がいるな!」


 美柑はしきりに周辺を伺っている。刹那、練習を見ていた竜之介の視線にいちのが気付き、目を細めながら手をそっと上げ挨拶をする。竜之介もそれに応える様に手を上げるが、その穏やかな雰囲気は美柑の刺さる様な視線に阻まれてしまう。


「よーし、お前ら少し休憩なー」


 棒読みの様に美柑が言葉を吐き、周囲に安堵の溜息が一斉に聞こえた後、隊の者達は蜘蛛の子を散らす様に談話を交えながらそれぞれ涼しい場所へと移動し始めた。その中からいちのが竜之介の元へと嬉しそうに駆け寄ってきた。


「竜之介さん、私達の練習を見てくれていたんですね!」


 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにしているいちのの姿を見た時、竜之介は少しだけ安心感を覚えた。


「うん。いちのちゃんが一生懸命練習している姿を見にね」


 竜之介が笑って言うと、更にいちのの顔が赤く染まっていった。


――ああ、この和やかな雰囲気はいい。凄く落ち着くなぁ。


 竜之介はその和やかな雰囲気に包まれ、つい動物惨殺事件の話を口に滑らしてしまう。


「そういえば……以前、俺が一人で夜の裏山を散歩した時、もしかしていちのちゃん俺と出会わなかった?」


「えっ? 真夜中に私が裏山に? それは、私ではないですよ? 夜の裏山なんて怖くて一人では歩けませんから」


 それとなく竜之介は反応を伺ってみたが、いちのは驚いた顔を見せながら両手を前に差出し慌てて振った。そんな筈は無い、確かにあの時長信さんは「いちの」と言っていた筈。当の兄が妹を見間違える事などあり得ない。納得のいかない竜之介だったが、目の前のいちのの素振りから本当に何も知らないと感じ、慌てて自身の言葉を否定する。


「え? あっ、ああ、そうだよね! 夜遅くに女の娘が一人で裏山を彷徨う筈なんかないよね! あはっ、あはははは! 変な事を言ってごめん!」


「ふふっ、可笑しな竜之介さんですね!」


 お互いに妙な雰囲気に包まれながらも笑い合う。


――うーむ……やっぱりそうだよなあ……いかん、いかん。この話はここまでにして、何か別の話に変えよう……そうだな。


「いちのちゃんのお兄さんてさ、長信さんだよね。やはりいちのちゃんも長信さんみたいに強くなりたくてこの棋将武隊へ?」


 そう言った竜之介の脳裏に「しまった!」の言葉が咄嗟に横切った。竜之介は今まで長い時間を長信と共に過ごしていた為、ついこの世の者として喋ってしまっていたのだった。


 その瞬間、竜之介の周りの空気が恐ろしい殺気で激しく震え始めた。


「ふふっ、何を馬鹿な事を言ってるのですか? 竜之介さん、お兄ちゃんは――もう死んでいるのですよ?」


 いちのは地面に視線を落とし、低い声で呟いた。


――なっ、なんだっ!? この殺気! これは、あの裏山で感じた物と同じだ!。


「竜之介さん……私ね、何故だかお兄ちゃんの事を言われると」


「時々、意識が朦朧としてきて……」


「何が何だか……」


「お兄ちゃんね……絶対殺されたんですよ……」


「誰もが、転落事故って言ってますけど…………」


「あれは、事故なんかじゃない絶対に……」


 次第にいちのの声が変化していく。


「殺された……殺された……殺された……殺された……そう……」


「あの……忌々しい秀光に……なああっ!」


 完全にいちのの声が別人の者へと変わった時、竜之介から離れて距離を取ると、薙刀を高速に回転させた後にその刃の側面を竜之介の首にぴたりと当てる。刃から伝わる冷たさと冷酷な殺気を感じた竜之介はそこから一歩も動く事さえ出来なかった。


「いちのちゃん!?」


 無言のまま薙刀を手元に引き戻し、静かに下げ低く構えたいちのは口元を歪め鋭い視線で竜之介を睨みながら重い口を開いた。


「――お前も私の邪魔をするのか?」


「お、お前は誰だっ!?」


 最悪の事態に備え、竜之介は腰を低くして身構える。


「ふん……お前が竜之介か。こんな奴にこいつが心揺らされているとはな」


「えっ? それって一体どういう意味――?」


 竜之介はその言葉の意味を理解出来ないまま、呆然といちのを見ていたが、直ぐに現実に引き戻され、我に返った。


「いちのちゃん!」


 竜之介が呼び掛けた時、いちのは迷惑そうな顔を見せながら言葉を吐いた。


「その言い方は止めろ。『私の時』は、いちのでいい」


「い、いちのさん……これは一体どういう事なのか俺に説明してくれないか?」


 混乱の渦に巻き込まれた竜之介は、いちのに説明を求めるしかなかった。


「私か? 私は……兄様を失った絶望と悲しみの淵から呼び覚まされたもう一人の私だ」


――なんだって!?。


 驚きの表情を見せる竜之介にいちのは更に言葉を重ねる。


「竜之介、今私の中で眠っているこいつは不憫だぞ。兄様を想う悲しみを血の雨に変えて心の中へと降り注ぎ、深く眠っていた私を完全に呼び覚ましたのだからな」


「こいつはな、幼少の頃から感情が一変した時、一瞬私と入れ替わっていたのだ」


「ところがそれは兄様の突然の死によって覆された。どうする事も出来なかったこいつは亡き兄様の面影を想い、夜な夜な泣きじゃくるその悲しみの中で、この私に救いを求めたのだ」


「この私ならこいつに変わり兄様の無念を晴らす事が出来る。こいつが忌み嫌う全てを破壊し、滅する事が出来る。そして私は目的を果たすまで自身が消えない様、血を求めて山中を彷徨い始めた」


「いちのさん……裏山の動物惨殺事件も、そして今起こっている襲撃事件も全て貴方が?」


 竜之介の問いにいちのは口を開かず、悍ましい笑みを見せる事で答えた。全てを察した竜之介が口を開こうとした時、いちのの言葉によって遮られる。

 

「……竜之介、こいつの為だ。お前はもう私に近づくな」


「えっ?」


「こいつはな、どうやらお前に興味があるらしいのだ」


「だが、それが私の真の目的――仇討ちの邪魔となる」


「仇討ちって……いちのさん、まさか秀光を!?」


「そ、そんな事をしても何の解決にもならない! いちのちゃんだって秀光が死んだとしても、嬉しい筈なんてあるものか! それに本当に秀光が長信さんを殺したかなんて――」


――いや、俺は知っている、長信さんが秀光に殺された事実を! そしてその長信さんに仇討ちを託されたのはこの俺だ!。 


――だけどそれを今、目の前のいちさんに言ってしまったら、それは最悪の事態を招いてしまう!。


 急に言葉の端を折った竜之介の様子を見て、いちのは鋭い視線を浴びせながら問い詰める。


「竜之介……お前、兄様の事について何か知っているのか?」


 悟られてはまずいと感じた竜之介は無言で頭を横に振る。


「と、とにかく、仇討ちなんて考えたら駄目だ、それに自分の命を捨てるなんていちのちゃんがそんな事を考える筈がないじゃないか!」


 竜之介の諭す言葉を聞いたいちのは額に手を当てながら、低い声を漏らし苦笑し始めた。


「……竜之介、お前は本当に何も分っていない。いいか、こいつはな、秀光を討つ為なら己の命を差し出しても良い。そう思っているのだぞ?」


「秀光はこの世に生かしてはおけない――こいつが強く願っているのだ、後はそれを私が実現するだけの事」


 一瞬寂しそうな表情を見せたいちのに気付いた竜之介は自身に問い掛ける。本当にここに居るいちのが悪の化身であるなら、そんな切ない顔を俺に見せる事が出来るのか? と。


「いちのさん、貴方本当は良い人なのでは……?」


 竜之介の言葉に動揺したのか、いちのの両肩が一瞬ぴくっと震えた。


「良い人だと? ふん……笑わせるな」


「そうであってはならない。それは妨げにしかならない」


 冷酷な言葉の中にも微かな解れを感じた竜之介は必死にいちのを諭す。 


「とにかく、秀光を殺すなんてダメだ! それにそんな事は絶対に出来ないよ!」


 秀光は警戒心の強い男であり、厳重な警備の中そう簡単に下の者は近づけない。その現実を突きつけて見たが、いちのは嘲笑う顔をして竜之介を見据えた。


「お目出たい奴だな。お前は私が誰なのか良く存じているのだろう? 私は織田いちの、秀光の憎き敵だった男の妹だ」


「だっ、だから?」


 真意を理解出来ない竜之介は次の言葉を求めた。


「まだ分からないのか? その妹を秀光が野放しにする筈が無いだろう? 既に私は秀光から、後日夜の供せよ、と声が掛かっているのだ」


「――な!」


「このまま、私の体はとても恥ずかしい辱めを受け、さぞかし弄ばれ、いたぶられる事だろう」


「くそっ! あっ、あんの野郎ぅう!」


「だが、その前に私は刺し違えても秀光を殺す!」


 いちの固い決意に竜之介はどうにかして止める事はできないものだろうか? 俺に何か出来る事はないのか? その考えを必死に頭の中で張り巡らせていた時、心を見透かされた様にいちのが言葉を漏らした。


「忌々しい顔をしおって……。竜之介、お前どうにかならないか? そう思っているのだろう?」


「――っ!」


「言っておくが、どうにもならない。お前が出来る事はこいつに近付かず、これ以上心を揺さぶらない事だ」


「だから竜之介……私の邪魔はしないでくれ、頼む」


 その言葉を最後にいちの頭が突然地面に向いた。


「いちのさん!」


 体勢が崩れかけそうになる所を竜之介が慌てて近寄って抱き支える。いちのは朦朧とした表情で竜之介の方を見ていたが、やがて目が見開いたかと思うと、顎の辺りから頭の方向に向け一気に顔が赤く染まっていった。


「きっ、きゃああっ! りゅ、竜之介さん! わ、私っ! なんでこんな事にっ!?」


「え? いっ、いや、これはその……」


 周りから見ると、それはどう見ても抱き合っているようにしか見えなかった。二人が慌てて離れた丁度その時、一服を終えた美柑が憎しみを込める様に棒読みの言葉を投げつけてきた。


「はいはいはいはいー、お前ら悪ぃが、休憩時間終わりなー」


 擦れ違い様に、いちのの襟首を掴むと、そのままずるずると練習場の方へ引きずっていってしまった。


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