■竜之介の持駒(葉月)現る
最近、鍛錬に集中出来なかった竜之介は自分を戒めるべく長信の修行の場へと足を向けていた。その道中、頭の中であの葉月の耳ともふもふした尻尾が頭の中を過ぎった。途端に竜之介の顔がだらしなく緩む。
「い、いかん! いかん!」
自身の頬を両手で叩き、我に返った竜之介は滝壺を目の前にして服を脱ぎ始める。
「ここのところ精神が乱れっぱなしだ。ここは滝に打たれて精神統一しないと」
反省する言葉を漏らす竜之介を横目に天竜が呆れた顔をする。
「本当にどうしようもない奴だな。そんな中途半端な状態だから影虎との勝負が先送りになってしまうんだ」
「し、仕方ないじゃないですか! 師匠は今の俺が藤堂さんに勝てるとでも思ってるんですか?」
「――100パーセント勝てないだろうな」
竜之介の問い掛けに天竜が即答する。天竜は影虎の戦う姿を一目見て一人の男――長信が背後に見えていたのだ。咆哮を上げながら剣を翳し、天の怒りかと見間違える程、地に轟き落ちる影虎の雷はどのと成をも凌駕する力であった。
正に王将にも成りうる男の器、天竜の目にはそう映っていたが、その力を持つ影虎は何故か上を目指そうとはせず、角組のと成の段階で留まっている。
これには長信との何か深い訳があるのではないか? 何れにせよ、その強敵に目の前で滝壺に片足を突っ込んで「つ、冷たい!」と情けない言葉を発している竜之介を勝たせなければならないのだ。「やれやれ……困ったものだ」そんな表情を見せながら天竜は深い溜息を吐いた。
「ぐおお……全身が凍りつくようだ」
十洞山の山奥で轟音を立てながら高々と聳える岩山から流れ落ちる自然の水はとてつもなく冷たい。竜之介は何時も座る位置に辿りつく前に何か大きな物の上へ自身の足が付いた事に気付いた。
「あれ? こんな所に岩場なんかあったかな?」
足を幾度かその物体に向けて踏み締めた刹那、急に足元がぐらついたかと思うと、水面下で悍ましい二つの光が放たれ始めた。やがて二つの光が水面上に現れた時、それが生き物の「目」である事を竜之介は悟った。
「な、何だあ!? うわわあっ!」
その生き物は水を滴り落としながら豪快な水音を立てて浮上した。全身の姿を現した生き物――竜之介と同じ位の高さで大きい体を持つ蛙は大きな口を開け、幾つもの激しい波紋が広がる位、低い声で鳴いた。
「こ、こんな蛙がこの滝つぼに隠れていたなんて、気付かなかった!」
「それは我魔さんというのですよ」
「その声は、ま、まさか!」
声の持ち主の方へ咄嗟に振り返った竜之介の視界に飛び込んできたもの、それはぴんとした獣耳、そしてもふもふとした尻尾を付けた女――葉月であった。
「葉月ちゃん!?」
「竜之介さん、とてもとても会いたかったのです!」
目の前に滝壺から浮上した蛙、自身の横には伝説と謳われた犬獣族の葉月。天竜は訝しそうな顔を見せ、呆れた視線を竜之介に送った後、黙って踵を返した。
「ああ! 師匠っぷ、俺を置いてまた逃げるんですか!? わぷぷぷ!」
思いっきり葉月に抱きつかれ顔を舐めまわされながら竜之介は必死に手を伸ばして叫んだが、その背中は無常にも茂みの中へと消えていった。
「は、葉月ちゃん何で君がここに?」
竜之介の問い掛けに葉月は我魔を撫でながら破顔する。
「は、はい! 竜之介さんに会いたくて山を下りて来ている途中で丁度、我魔さんが休むのに頃合なこの滝壺を見つけたのですよ」
「俺に会いに? その為にわざわざここまで?」
「はいです! まさかこんな場所で竜之介さんと出会うなんてこれはもう運命としか考えられません! 竜之介さん、早速ですがこの薬をぐいっと飲んでくださいなのです!」
懐の中から皮の袋を取り出した葉月は赤く艶のある丸状の薬をひとつ取り出した。その薬を指差し、竜之介は苦笑いをしながら心配そうに口を開いた。
「はは……葉月ちゃん、明らかに怪しい雰囲気を醸し出しているこの薬は一体何なのかな?」
「竜之介さん、大丈夫です、毒ではありませんよ。これを飲めば、あっという間に私達に成れるのですよ!」
「へぇ、あっというまに葉月ちゃんと同じ犬獣族に? 成る程ね。じゃあ頂こう……」
「――って、そうじゃない! なんでそんな薬を俺に!?」
「はい! 竜之介さんに私の村の時期長。――つ、つまり、わ、私の伴侶に成って貰おうかと、その、思いましてですね……」
「な、なんだってえええ!? それは一体全体どういうことなのでございましょうか?」
混乱した竜之介から出た言葉はまともではない。それを目の前にして葉月は顔を真っ赤にして言葉を重ねる。
「で、ですから葉月は竜之介さんを一目みて、その……忘れられなくなってしまって、その薬を直ぐに飲ん貰えれれば何も問題無いのですが……」
覗き込む様に竜之介の反応を伺う。竜之介が慌てて首を横にぶんぶん振る様を目にすると葉月は大きな溜息を漏らした。
「ですよね……でも、直ぐにとは言いません。葉月は竜之介さんの傍でお役に立ちながらその薬を飲んでくれるのを待つのですよ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
慌てて竜之介が口を挟む。
「よーく考えてくれ、葉月ちゃん! 伝説の犬獣族が麓に下りてきて見ろ、町中パニックになっちゃうよ!」
「はい、だからこうするのです!」
竜之介が危惧していた事はすぐ解決した。何故なら葉月が目の前で「うーん!」と唸って身体に力を入れた瞬間、耳と尻尾が同時に引っ込んだからだ。
「え? あれれ?」
不思議そうな顔をしている竜之介に向けて葉月が嬉しそうに口を開く。
「万が一下界の者の目に触れる事を避ける為の回避手段としてこうやるのですよ。但し、過剰な感情を起こしてしまうと飛び出してしまうという欠点があるのですが……」
「な、なんて便利な技なんだ! ――いやいやそうじゃなくて、普通の女の子の君を棋将武隊には連れていけない、まず本部に取り合って貰えないよ?」
「竜之介さん、お願いします! どうか葉月をお傍に置いてください! きっとお役に立ってみせますから!」
必死に頼み込む葉月を見て竜之介は困惑してしまった。こうなったら一度棋将武隊へ連れて行き、本部から面と向かって断られた方がいいだろう、これなら葉月も諦める。そう考えた竜之介は葉月を連れて拠点へ戻る事にした。
竜之介が「また性懲りも無く」何処からか現れた女を拠点へ連れて帰ってきたと言う噂は瞬く間に広まっていった。正門の前に集まった者は誰もが葉月に注目――する所だがその背後ででんと存在感を示す我魔に目が奪われていた。
その葉月の方へ眼鏡の淵を怪しく光らせ注目している美柑がいた。思いっきり怪訝そうな顔をしながら葉月に近付くと、声を押し殺しながら耳元で囁く。
「お前何の為にこんな所までのこのこと出張って来やがった? しかもご丁寧に耳と尻尾を隠しやがって! 一体何を企んでいる?」
「おや? どなた様でしたっけ? 葉月は同姓の人は直ぐ忘れてしまうのですよ。ちなみにここに来た理由は――無論、竜之介さんのお役に立つ為なのです!」
「あんだとおおお? この小娘があああ!」
葉月と美柑が対峙しながら火花を飛ばしている最中、集団の波が割れ、後方から部下を引き連れて王将代理でもある弦真が姿を現す。弦真は修羅場で苦笑いをする竜之介を見て迷惑そうに目を瞑った。
――また竜之介が面倒事を起こしたか。前回は大目に見てやったが、今回は流石の俺でも皆の前で王将代理らしい姿を見せないとな。そこにいる女には悪いがここはびしっと言わねばなるまい。
「竜之介、部下から話は聞いている。だが棋将武隊は駆け込み寺ではない、そう易々と無属性の他所者を受け入れる訳にはいかぬのだ、残念だが――」
事務的に淡々と竜之介達を諭している時、ふと片目を開けた弦真の視界に葉月の背後に居る我魔の姿がに飛び込んで来る。それを見た途端、弦真は頭を大きな金槌で殴りつけられる程、強い衝撃を受けた。
――おおお!? あれはまさかあっ!。
それは弦真の幼少の頃の記憶まで遡る。屋敷の書物庫で目を輝かせながら一冊の本を覗き込んで見ていたもの、それは「武動」の本であった。武動とは通常よりも大きな生物が主から受け取った巻物を口にした途端、何十倍にも大きくなり、その力を奮う戦闘用の生物の事である。
弦真はその時、蛙の武動の頁を見ていた。変化を終えた蛙の跳躍力は数本の大木を軽く越え、暑さにも強く、更に体内に蓄えた大量の水を一気に放出する術があり、その戦力は百人の兵に匹敵する。心を震わせる程、頼もしい言葉が書き連ねた説明を目で追いながら弦真は激しく心を躍らせていたのだった。
――ま、間違いない! あれはまさしく蛙の武動っ! の、乗ってみたいっ!。
そんな思考を巡らせている弦真を他所に竜之介は心を痛めながらも葉月が門前払いを受ける光景を思い浮かべていた。だが、弦真は顔を地面に向けて拳を握り締め小刻みに震え出している。
「げ、弦真さん、どうしたんですか?」
「そこの女――葉月と言ったか、お前の連れてきた生き物、武動だな? ここに入りたければその力、今直ぐここで証明してみせよ?」
「武動? 弦真さん、今言った武動って一体何なのですか?」
竜之介の問い掛けに弦真は「見ていれば直ぐ分かる」と言い、頷いた葉月は懐から何かの巻物を取り出し、そのまま我魔の口に咥えさせた。
「来るぞっ……!」
弦真がぼそりと呟いた瞬間、眩い光を放ちながら我魔の体がどんどん大きくなり始め、終いには見上げる位の大きさに変わってていった。竜之介を含め周りの者全員が、その大きな蛙を呆然として見上げる。一緒に見ていた弦真が咳払いをしながら口を開いた。
「良く聞け皆の者、葉月の持つ戦力は棋将武隊にとって有効であると私は判断した。よって葉月の入隊を私は王将代理の責を以って許可する」
「え!? 本気ですか、弦真さん?」
予想だにしていない言葉を聞き、驚いた表情を見せる竜之介を見据えて更に弦真は言葉を重ねた。
「尚、この者の処遇は竜之介、お前の『持駒』――部下とし、今後の戦に参戦させる事、以上だ」
「弦真様、あっ、ありがとうなのです!」
思わず飛び出しそうになった頭を押さえながら、葉月は礼の言葉を述べた。
「いや、礼には及ばん。単に私がお前の持つ武動がこの棋将武隊に多大な戦力を齎すと判断しただけの事だ、それより――」
――ちょっと乗ってみてよいか? なんてとても口には出せぬっ! くそっ! 口惜しい!。
弦真は両手をわなわなさせながら我魔に近付き、逸る心を抑えて下から見上げると我魔は威嚇するかの様に鋭い視線を弦真に向けてゆっくりとおろした。初めて間近に見た我魔をぽかんと口を開け恍惚の目で見ていた弦真は我に返り慌てて自分を繕い、部下に命じる。
「早速この者に開いている部屋の用意を、あと武動を格納する水槽部屋も用意しろ、よいな?」
マントを翻してこの場を立ち去ろうとした時、瑠璃が怪訝そうな顔をして弦真に詰め寄ってきた。
「兄上! 何てことしてくれたんですか! それでなくても竜之介さんには好敵手が多いというのに! 兄上は一体誰の味方なのですかっ!」
「ふふふ……瑠璃よ、恋とは棘の道なのだ。見事好敵手を蹴散らし、その手中に収めて見せよ……」
「兄上が何を言ってるか私には全く理解できません!」
反論は瑠璃だけではない。隊長の面々にも当然飛び火していた。弦真に向けて激しく非難の声が激しく浴びせられている。弦真は竜之介に目配りをし、「あとは任せた」という表情を見せるとそのまま逃げる様に奥へと姿を消した。まるで捨てられた子犬の様な目をしながら竜之介はその背中を見送った。
――げ、弦真さん……この場を俺にどうしろっていうんだ?。
「竜之介さん、葉月はとても嬉しいのですよっ!」
いきなり葉月が抱きついて竜之介の顔を舐め回す。それを見た者達から驚きと羨ましさと妬みが混ぜ合わった声が一気に巻き起こった。歓喜する葉月の頭から危うく耳が飛び出そうになるのを見た竜之介は慌てて両手で隠し、苦笑いをした。
その光景を唖然と見ていた隊長達が一斉に駆け出して葉月に近付き、それぞれ怒りの言葉を投げつける。
「お、お前何とんでもない事を竜之介にしてくれるさねええっ!」
「お前、気軽にリュウノスケに触るな! 触っていいのは私だけなんだぞおっ!」
「いや、葵、そういう事じゃにゃいにゃ! お前、いきなり竜之介にそういう事をされては困るのにゃ!」
「……待て、竜之介。この女の関係はどういうことだ? それを先に説明しろ」
「女ああ、てめえ簀巻きになる覚悟はできてんだろうなあ? ええ? おいっ!」
それぞれ強気な態度で葉月に食って掛かる。大人しい葉月はその迫力に圧倒され――ない、それに全く動じず繭を吊り上げながら言葉を投げ返す。
「あら? 葉月は当たり前の事をしただけなのです。竜之介さんのお顔を舐める行為は私の村では当たり前の行為なのですよ?」
「なんだとお? お前らのとこはそんな羨まし――如何わしい行為を平気でやってるってのか!」
「笑わせる! それなら私にだって簡単に出来るぞ!」
直ぐ様、葵が舌をペロリと出して竜之介の顔を舐め回し始めた。
「わーぷぷぷ! 葵ちゃん! 止めてくれ! まずはっぷぷぷ! お、落ち着ついて!」
竜之介が必死に叫んだ言葉は皆の「落ちつけるかっ!」の一言で掻き消されてしまった。
「――皆さん方、少し先に竜之介さんを知っているからと言って何を偉そうに言ってるのですか? ここのお偉い様は私を竜之介さんの正式な部下として認めてくれたのです、変な言い掛かりは止してください」
葉月は周りの連中を見ながら鼻を鳴らす。激しく言葉が交差する中心で竜之介は女という生き物について深く考えさせられていた。
「気にいらんっ! お前、今すぐ叩きのめしてやるっ!」
葵が拳を上げて葉月に殴りかかろうとした時、葉月が仰け反って指を鳴らした刹那、葵は頭上から延びてきた我魔の大きな舌にぐるぐる巻きにされ高々と持ち上げられてしまった。
「こっ、この化け物めが! 離せえええっ!」
激しく抵抗するも我魔の圧倒的な力の前で葵はどうする事も出来なかった。次に葉月が手を上げて力強く叫ぶ。
「我魔さん、葉月達の強さを皆さんに見せてあげましょう! おもいっきりやってしまってくださいなのです!」
葉月の声に反応した我魔はそのまま巨体を回転させ始める。その振動で砂煙と激しい地響きが起こり始める。
「わわわ! 目が回るーっ!」
葵は成す術も無く、そのままぐるぐると回された後、遠くへ投げ飛ばされてしまった。
「このやろ――!」
宙に投げ出された葵の叫びは次第に遠ざかり静かになる。その様子を皆、呆然と見送って見ていた。
「皆さん如何ですか? ここに入る為の秘策としておじい様が用意してくれた武動――我魔さんの強さは? 葉月は皆さんにとって頼もしい戦力となりますよ。と、言っても竜之介さん専用ですけど」
そのまま再び目を細めながら葉月は竜之介にしがみ付く。葵にも負けない位の想いを持って現れた葉月に隊長達は危機感を感じ、肩をわなわな震わせて焦りの表情を見せた。それを横目に葉月は大きな声で爆弾発言をする。
「では皆さん、『竜之介さん専用』の部下、葉月をよろしくなのです。ちなみに竜之介さんを慕う気持ちはは何方にも負けないので、これから心してくださいなのです!」
目の前の好敵手を前にして葉月は不適に笑い、竜之介は隊長達の悍ましい視線に冷や汗を滝の様に流すのであった。




